A DAY IN THE LIFE

好きなゴルフと古いLPやCDの棚卸しをしながらのJAZZの話題を中心に。

ポールゴンザルベスのテナーは、クラークテリーとのコンビで魅力が倍増するようだ・・

2015-10-19 | MY FAVORITE ALBUM
“Cookin’” Complete 1956-1957 Session / Paul Gonsalves

ビッグバンドの演奏だとどんなにフィーチャーされてもソリストの良さは全体の演奏の中に埋もれてしまいがちだ。アレンジが良ければよいほど、そしてアレンジ自体がソロと一体化されたものであると、そのソロも自然に曲の中の一部になってしまう。

しかし、中にはビッグバンドでありながら、忘れられないソロプレーが過去にいくつかある。その一つが、56年のニューポートジャズフェスティバルにおけるデュークエリントンオーケストラのDimuendo and Crescendo in Blueでのポールゴンザルベスの27コーラスのソロだろう。ある種の伝説として語られている。これは、7000人を超えるファンが熱狂したという会場の雰囲気も一緒になって実現されたソロプレーであろう。ライブそのライブ録音を聴くと、なかなかスタジオでは再現できないと思う。

このゴンザルベスがデュークエリントンオーケストラに加わったのは1950年。途中一時抜けた時期はあるようだが、それから24年間亡くなるまでエリントンのオーケストラで過ごした。エリントンに加わる前は、カウントベイシー、ディジーガレスピーのオーケストラに加わっていたというので、生涯ビッグバンド中心の人生をおくっていたゴンザルベスであった。

したがって、このゴンザルベスのプレーを聴くとなると基本的にはエリントンオーケストラでの演奏であるが、何枚かコンボでの演奏も残している。ニューポートの直前にはゲッツとの共演アルバムもあるが、リーダーアルバムとなると殆ど60年代以降の録音である。その中で伝説の56年のニューポートのプレーの後に、ゴンザルベスのテナーに焦点を当てた何枚かのアルバムがある。いずれもマイナーレーベルのアルバムであるが、FreshSoundがこれらを纏めて56〜57年のゴンザルベスのコンプリートセッションとしてCDとなってリリースされている。

中心となるアルバムは、ゴンザルベスの初のリーダーアルバムといえるCookin’。
オリジナルはARGOからリリースされたアルバムだが、クラークテリー、ジミーウッド、サムウッドヤードといった当時のエリントンオーケストラの仲間達と一緒に録音されたアルバムだ。
ニューポートから一年後の57年8月、オーケストラがシカゴに滞在中に録音された。ピアノは、流石に御大エリントンは不参加で、地元のピアニストウイリージョーンズが加わっている。此のローカルミュージシャンであるピアニストのジョーンズがピアノを打楽器的にプレーする。山下洋輔にも通じる面白いスタイルだ。

ゴンザルベスのテナーは、クラークテリーのトランペット同様決してモダンとはいえないが、かといって古臭いスイングスタイルという訳でもない。曲も2人の曲の持ち寄りが大半であるが、両者のコンビネーションが実にいい感じだ。
クラークテリーは後にボブブルックマイヤーとのコンビでも、実にスインギーなよくうたうソロの掛け合いを楽しめた。テリーのプレーはどうして周りのプレーヤーをハッピーな気分にさせてくれるのだろうか?この和気藹藹とした気分が聴き手にも伝わってくる。



一曲目の、その名も”Festival”。いきなり、ニューポートのソロを思い起こさせるゴンザルベス節を披露する。ファンはこのプレーを待っていたはずだ。この独特な、どこまでも続いていきそうな節回しがゴンザルベスの魅力だ。確かに周りが乗り出したら27コーラスも難なくこなせるかもしれない。続くテリーの曲”Terry’s Bar”では、テリー節が光る。この特徴ある節回しもテリーの魅力だ。ゴンザルベスのテナーはアップテンポのノリノリのプレーだけが魅力ではない。”The Girl I Call Baby”では、スローバラードで泣きのテナーも楽しめる。




このアルバムには、この”Cookin”以外に”The Jazz School”と題されたEmarcy盤、そしてベースのジミーウッドがリーダーとなった”The Colorful Strings of Jimmy Woods”が収められているが、いずれのアルバムにもゴンザルベス以外にクラークテリーが参加している。いつもはエリントンサウンドに埋もれてしまっていたのかもしれないが、実はこのテリーとゴンザルベスの2人の節回しのブレンドが、これらのアルバムの魅力を生み出している。

ウッズのアルバムは、Cookin’の一か月後の録音。こちらはアルトとフルートが加わっている。2人の基本路線は変らないが、フルートがリードをとることも多くグループとしてのサウンドは少し異なる。テリーはミュートプレーも多くなり、ゴンザルベスのトーンもいくらか抑え目だ。4管編成になったこともあり、ソロのバックにはリフサンサンブルが入ることが多い。ここではテリーのリフのリード役の真骨頂が聴ける。
テリーは、この後クインシージョーンズジェリーマリガンのビッグバンドにも参加するが、皆がテリーを頼るのも良く分かる。

エリントンサウンドだけでなく、ソロの魅力を存分に楽しめるゴンザルベスのコンボでのプレーもなかなかいいものだ。

1.  It Don't Mean a Thing        Duke Ellington / Irving Mills 3:16
2.  Take Nine                    Paul Gonsalves 2:57
3.  Everything Happens to Me        Tom Adair / Matt Dennis 3:06
4.  Don't Blame Me                  McHugh - Fields 3:19

Clark terry (tp)
Paul Gonsalves (ts)
Poter Kilbert (bs)
Junior Mance (p)
Cubby Jackson (b)
Eugene Miller (ds)

Recorded in New York City on September 19, 1956

5.  Festival                     Paul Gonsalves 6:53
6.  Clark's Bars                     Clark Terry 3:36
7.  Daddy-O's Patio                    Clark Terry 2:15
8.  Blues                      Paul Gonsalves 4:59
9.  Impeccable                   Paul Gonsalves 4:19
10.  Paul's Idea                   Paul Gonsalves 2:47
11.  Phat Bach                   Paul Gonsalves 3:18
12.  Milli Terry                    Clark Terry 2:32
13.  Funky                      Clark Terry 4:02
14.  The Girl I Call Baby                Clark Terry 3:32

Clark Terry (tp)
Paul Gonsalves (ts)
Willie Jones (p)
Jimmy Woode (b)
Sam Woodyard (ds)

Recorded at Sheldon Recording Studio, Chicago on August 6, 1958

15.  Falmouth Recollections            Jimmy Woode  3:12
16.  The Way You Look Tonight          J.Kern D.Fields 4:55
17.  Footy For President              Jimmy Woode 6:59
18.  The Man from Potter's Crossing         Jimmy Woode 4:21
19.  Dance of the Reluctant Drag           Jimmy Woode 4:23
20.  Empathy, For Ruth               Jimmy Woode 3:26

Clark Terry (tp)
Mike Simpson (fl)
Porter Kilbert (as)
Ramsey Lewis (p)
Jimmy Woode (b,vol)
Sam Woodyard (ds)

Recorded in Chicago on September 2, 1957

Cookin - Complete 1956-1957 Sessions
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FRESH SOUND
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2人の明るいキャラの共演はCMにも使われたが・・

2015-02-25 | MY FAVORITE ALBUM
Take Double / Clark Terry & Jon Faddis

クラークテリーの訃報が届いた。しばらく前、病床から盲目のピアニストを指導するドキュメンタリーがあったが、長い闘病生活だったようだ。享年94歳、晩年までプレーを続け名人芸を聴かせてくれたが、またジャズの歴史の生き字引であり、すべてのトランぺッターの師匠ともいえる一人が逝ってしまった。

好きなミュージシャンは?と聞かれて、すぐに名前がでるミュージシャンは何人かいる。
長くジャズを聴いていると時代と共に好みも変化し他に何人もいるが咄嗟には出てこない。しかし、意識して集めた訳でもないのに、新旧合わせて多くのアルバムを持っているミュージシャンは、やはり潜在的に好きなミュージシャンなのだろう。
自分にとって、このクラークテリーはそのような一人だ。

エマーシーのクラークテリーというアルバムは、ジャズを聴き始めた頃に買い求めたアルバムだ。何故このアルバムを買ったか覚えていないが、それ以降もテリーの参加しているアルバムを買う機会は多かった。オスカーピーターソントリオとの共演アルバムも良く聴いた。ボブブルックマイヤーとのコンビも好きなアルバムだった。そして、テリーのビッグバンドも。さらに、キャロルスローンとのボーカルデュエットも好きなアルバムだ。

クラークテリーは昔からビッグバンド生活が長かった。それもカウントベイシーとデュークエリントンの両方のオーケストラに在籍した珍しい存在だ。その後クインシーのオーケストラの立上げにも加わり、マリガンのコンサートジャズバンドにもいた。そしてスタジオワークも多く、主役でなくとも、良く知られたアルバムのバックに参加したことも数多い。自分が紹介したアルバムだけでも、テリーが参加しているアルバムは30枚近くある。

クラークテリーは後進の良き指導者であったことも有名だ。若いマイルスを始めとして、クインシージョーンズを鍛えたのもテリーだった。クインシーがビッグバンドを立ち上げた時、自ら参加したのも、弟子が立派に育ったのが嬉しかった親心からだったかもしれない。
誰にも好かれる職人肌の面倒見の良い大先輩だったようだ。

ジョンファディスは、ある意味クラークテリーのライバルであったディジーガレスピーの直系の後継者と呼ばれていた。ガレスピーを師と崇め、ガレスピーのスタイルをまね、あの45度上に向いたトランペットを手にしていたこともある。ガレスピーも可愛がっていた。ハイノートを武器に色々なバンドで活躍してきたが、最近はあまり聴く機会がなかったのだが・・・。

そのファディスが昨年来日した。斑尾によく来ていた時は、若々しいプレーが売りであったが、昨年久々にライブを聴きに行くと、精悍さにすっかり貫禄がついてどっしり落ち着いた感じになっていた。若いと思っていたこのファディスも還暦を過ぎて、そろそろ長老の仲間入りをする歳になっていた。サドメルに参加して来日してから、すでに40年も経っているのだから当然と言えば当然であるが。

今回の公演はワンホーンのコンボという事もあり、ハイノートを駆使したダイナミックなプレーというよりは、時はリリカルに、そして時には小気味良く、味わいのあるプレーを披露してくれた。ガレスピー直系と思われているが、実はアームストロングからマイルスまで名だたるプレーヤーを研究しつくしたといわれ、どんなプレーヤーの演奏もできるという実力者だ。

このファディスとクラークテリーが一時コンビを組んだ事がある。
1980年代の丁度半ば、世の中ジャズブームに沸いていた頃、ジャズミュージシャンやジャズの名曲が数多くブラウン管に登場した。サミーデイビスJr,でヒットしたサントリーホワイトのコマーシャルにもジャズマンを起用したシリーズがあった。ロンカーターやハービーハンコックに続き、このクラークテリーとジョンファディスのコンビが3作目で起用された。それをきっかけに作られたアルバムがこのアルバムだ。

1曲目、2曲目がそのコマーシャルの曲。それに追加のセッションが行われ一枚のアルバムに仕上がっている。CMに使われた曲は、CMに合わせて明るい楽しい雰囲気の曲。
他も、ブルースからカリブ調のMiami Stretchがあったかと思えば、エリントンナンバーのスイングが無ければ・・では、2人のスキャットの掛け合いも楽しめる。
けっして大作ではないが、2人のキャラクターを上手く掛け合わせた楽しいアルバムだ。


1. Straight Up  2:45
2. Take Double  2:48
3. Traffic Jam  5:35
4. Blues for K. K.  8:04
5. Miami Stretch  6:47
6. It Don't Mean a Thing (If It Ain't Got That Swing)  8:27
7. Climbing Old Fuji  6:10

Clark Terry (tp,flh)
Jon Faddis (tp,flh)
Harold Danko (p) #1,2
Dado Moroni (p)
George Mraz (b) #1,2
Jimmy Woode (b)
Terry Lyne Carrington (ds) #1,2
Ed Thigpen (ds)

1,2 
Recorded at Clington Recording Studio, New York, February 27, 1986
Others
Recorded at Powerplay Recording Studio, Maur Zurich, Switzerland, May 19, 1986

テイク・ダブル
クリエーター情報なし
フィリップス
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ベテランブルース歌手の復活は、名プロデューサーとアレンジャーのお蔭・・

2015-01-11 | PEPPER ADAMS
Every Day I Have The Blues / Jimmy Rushing

ジャズを聴く時の楽しみのひとつは演奏する曲のバリエーションの豊富さだ。POPS系は常に新しいオリジナルが求められるし、クラシックは過去の作曲家の作品の再演だし・・。
ジャズの場合は、もちろんオリジナル曲も楽しみだが、昔から演奏されているスタンダードでも、演奏者の解釈で全く違う曲想にも変わってしまうのも楽しみ。ビッグバンド好きとしては、何もアドリブだけではなく、アレンジも妙による変化も含めて。
もう一つはブルースの存在だ。ジャズとブルースは切っても切れない関係。アルバムでもライブでも、ブルースの曲が登場すると何故かジャズを聴いているという感じがして嬉しくなるものだ。

巨漢のブルース歌手ジミーラッシング。ベイシーオーケストラの専属歌手として有名になった。ベイシーの専属歌手というとジョーウイリアムスが有名だが、これはお馴染みベイシーの第2期の黄金時代の話。初期のベイシーというと、このジミーラッシングになる。
1936年からベイシーがオーケストラを解散する1950年まで専属歌手を務めた。当時の歌はあまり多くは聴いた事が無いが、有名なデッカ時代の録音だけでも、多くの曲で彼の歌を聴ける。

元々ブルース歌手として活躍していたのでブルースはお手の物だが、このベイシーオーケストラではスタンダード曲も歌っている。ベイシーと共にニューヨークに出てくるとラッシングのブルースも泥臭いブルースから、都会的なブルースに更に変っていった。
ベイシーを辞めた後も、他のバンドに加わってゲスト出演したり、ベイシーオーケストラ出身のメンバーや、ズートシムスやアルコーンのグループと一緒に行動し、歌手生活を続けていた。

1967年1月、久々に自らのリーダーアルバムのレコーディングを行った。プロデューサーはボブシール。あのインパルスレーベルの黄金期のプロデューサーだが、そのシールが同じABC傘下にブルースに特化した別レーベルBlueswayを立上げ、そこでこのアルバムEvery Day I Have The Bluesが誕生した。

ここでは、もちろん全曲ブルース、ブルース歌手のラッシングとしてのリステージアルバムとなった。この時ラッシングは66歳、声の衰えはあるものの元気に歌いきっているが、流石シールのプロデュース、ラッシングを支えるバッキングも色々と考えられたものとなっている。

まずは、バックのアレンジを担当したのがオリバーネルソン。その頃のネルソンは本体のインパルスの自分のアルバムだけでなく数々のアルバムのアレンジャーとして大忙しであった。
ネルソンは、有名なアルバム「ブルースの真実」そしてその続編を残したように、「ブルース」に関して何か自分自身の想い入れもあったようだ。アンサンブルにはブルース特有のコテコテサウンドではなくスマートなネルソン節を感じる。リズムに、ジャズ畑のジョージデュビビエ、グラディーテイトを起用している効果も大きい。ピアノのハンクジョーンズは多くの曲でピアノではなくオルガンを弾いているがこれも珍しい。

ブルースは誰か掛け合いの相方がいた方がいい。今回の相手は最初のベイシーオーケストラ時代のメンバーでもあったトロンボーンのディッキーウェルズ。トランペットのクラークテリーもお仲間だった。そしてブルースには欠かせないギターだが、これは奏者不明となっている。

1月9日にこのメンバーで8曲の録音が行われた。そして翌日の10日に追加で一曲Evil Bluesの録音が行われたが、メンバーが一部入れ替わる。ギターがケニーバレルに、オルガンにシャーリースコット。それにペッパーアダムスが新たに加わる。

ペッパーアダムスのメモには、当日の事は「オリバーネルソンのセッション、そして録音場所の住所だけ」が記されていたという。ネルソンから急にお呼びが掛かったのかもしれないが、何故この曲だけが別扱いになったのか、そしてアダムスが参加したのかの真相は分からない。確かにアンサンブルは厚みが増したが。

このCDには、インパルスから再リリースされたものだが、もう一枚のアルバムLivin' The Bluesが一緒にカップリングされている。
こちらも同じブルースウェイのアルバム。翌年1968年の録音だが、こちらの相方はテナーのバディーテイトが務める。テイトも昔の仲間、そしてテイトの音色も呼吸もピッタリ合ってラッシングを支える。このアルバムのアレンジャーは明記されていないが、同じような編成でもネルソンのサウンドとは異なる。

そして、もう一つの特筆すべきはピアノのデイブフリッシュバーク。自分はコンコルドのアルバムや、CTIのカエルのアルバムしか知らなかったが、実は白人ブルース弾きのピアニストとしてラッシングもお気に入りだったそうだ。今ではプレーヤーとしてより、作曲家、作詞家としての方が有名だが、この人も才能豊かで何が本業か分からない人だ。

このレコーディングセッションに一曲だけに参加したアダムスの、サドメルでの活動が本格化しビレッジバンガードでのレギュラーライブ以外での演奏も多い中でのスタジオワークの一コマである。ボビーハケットのバックのオーケストラの仕事があるかと思えば、こんなセッションもあった。スタジオミュージシャンとして大変なことでもあり、楽しい点でもあっただろう。

このアルバムも、アダムスのお蔭で聴く事になったが、LP2枚分ブルース漬けとなるのも初体験。だが、ブルースは何故か聴き続けても苦にならないし、結果的に楽しめたアルバムだ。

1. Berkeley Campus Blues    Bob Thiele / George David Weiss 3:06
2. Keep the Faith, Baby         Shirley Scott / Rick Ward 2:48
3. You Can't Run Around       Count Basie / Jimmy Rushing 4:04
4. Blues in the Dark         Count Basie / Jimmy Rushing 3:45
5. Baby, Don't Tell on Me  Count Basie / Jimmy Rushing / Lester Young 2:40
6. Every Day I Have the Blues             Memphis Slim 2:52
7. I Left My Baby     Count Basie / Andy Gibson / Jimmy Rushing 4:28
8. Undecided Blues                 Jimmy Rushing 5:18
9. Evil Blues   Count Basie / Harry "Sweets" Edison / Jimmy Rushing 2:58
10. Sent for You Yesterday (And Here You Come Today) Count Basie / Eddie Durham / 4:14
11. Bad Loser                   Rose Marie McCoy 4:20
12. Sonny Boy Blues            Bob Thiele / George David Weiss 4:47
13. We Remember Prez                    Dicky Wells 4:57
14. Cryin' Blues             Bob Thiele / George David Weiss 4:40
15. Take Me Back, Baby             Count Basie / Tab Smith 6:13
16. Tell Me I'm Not Too Late              Rose Marie McCoy 7:38


Jimmy Rushing (vol)

#1〜9
Dicky Wells (tb)
Clark Terry (tp)
Bob Ashton (ts)
Pepper Adams (bs) #9
Hank Jones (p,org)
Shirley Scott (org) #9
Unknow    (g)
Kenny Burrell (g) #9
George Duvivier (b)
Grady Tate (ds)
Oliver Nelson (arr.)

Recorded at Capital Studio, New York, January 9 & 10,, 1967

#10〜16
Buddy Tate (ts)
Dicky Wells (tb)
Wally Richardson (g)
Hugh McCracken (g)
Dave Frishberg (p)
Bob Bushnell (eb)
Joseph "Kaiser" Marshall (ds)

Recorded at Capital Studio, New York, 1968
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クインシージョーンズがこのアルバムで一歩踏み出さなければ今のクインシーは無かったかも?

2014-09-08 | MY FAVORITE ALBUM
Quincy Jones Plays Hip Hits

先日、サドメルのファーストアルバムを録音したフィルラモンのディスコグラフィーを見ていたら、初期の作品にマーキュリー時代のクインシージョーンズのアルバムの名前”Play Hip Hits“があったのに気が付いた

クインシーといえば、昨年来日して多くのチルドレンに囲まれてクインシーの歴史を語るような素晴らしいライブを聴かせてくれたが、アレンジャーからプロデュース業への最初の転身をした時代がマーキュリーの時代だ。

クインシーのビッグバンドはお気に入りのバンドの一つなので、このブログでも多く紹介したが、このマーキュリー時代の後期のアルバムはパスしていた。実際に他のアルバムはLP時代に入手したが、このアルバムを購入したのはCD時代になってから.一二度聴いてお蔵入りしていた。別に嫌いではないが、何か物足りなさを感じて。久々に聴いてみながら、少し振り返ってみることに。

マーキュリー時代のクインシーといえば、まずは自らのレギュラーバンドで始まる。
ヨーロッパに遠征して苦労した後、59年にThe Birth of a Bandでアメリカでのアルバムデビューを果たし、そして61年のニューポートに出演したが、そのライブでクインシーのレギュラーバンドも解散。これで一区切りとなった。

クインシー自身がマーキュリーの経営にタッチしてからは、アレンジャーとしてのクインシーに加えてプロデューサーとしてのクインシーのスタートであり、その後のクインシーのオーケストラも少しその前の時代と色合いが違ったものになった。
要は、マーキュリーの経営者として売れるアルバム作りを求められたのだろう。

このアルバムが、ちょうど端境期の一枚だ。

当時のマーキュリーのカタログを見ると、ジャズだけでなくあらゆるジャンルのアルバムが揃っている総合デパート状態。ジャズテットなどのストレートジャズのアルバムもあるが、ジャズといえどもだんだん売れるアルバム作りに変っていった。

結論から言うと、このアルバムで当時のヒット曲をクインシー風に料理するところから今のクインシーが生まれたような気もするし、一方で、時代的にもベイシーエリントンもヒット曲アルバムを作っていた時代だったとも言える。
これをコマーシャリズムと言ってしまえばそれまでだが・・・。

先日、ハービーマンのコマーシャリズムにのった録音を乱発した時のアルバムをコメントしたが、60年の半ば、ちょうど時期的にもこのクインシーのアルバムは符合する。

ジャケットには63年4月9日、11日、12日の録音と記されているが、62年6月録音のA tast of Honeyや9月録音のDesafinadoなども収録されているので、アルバムはいくつかのセッションから集められたもの。先日のハービーマンのアルバムとも似たような作られ方だ。

いずれにしても、曲は当時のヒット曲が中心。ジャズのスタンダードの多くは元々昔のヒット曲。ヒット曲を取り上げたからコマーシャリズムという訳ではないが、色々なジャンルから良くヒット曲を集めたといって程バラエティーに富んだ選曲がされていて、これで新たなファンを作ったのも事実だろう。

一曲目は、ハービーマンの62年のヒット曲「カミンホームベイビー」。早速、「頂き」といって感じでカバーしている。ベースには、ハービーマンのアルバムでも演奏していたベンタッカーを起用する凝りよう。次のレイブラウンのグレイビーワルツが果たしてヒット曲なのかと思ったら、テレビのスティーブアレンショーの為につくったテーマ曲だった。

ディサフィナードも前年ゲッツとジョビンでヒットした曲、エクソーダスは映画「栄光への脱出」、次のヴィンスガラルディーの曲は63年のグラミーの最優秀楽曲賞受賞作、次のテイストオブハニーは有名だが、誰の作品かと思ったらこのアルバムでソロをとることが多いいボビースコットの作品。

バックアットザチキンシャックは、ジミースミスのファンキーな曲、ハープシコードのイントロがいい感じ、ジャイブサンバはナットアダレーの有名曲だ。テイクファイブもヒット直後。エルマーバーンスタインの映画音楽の後は、ハンコックの初期の名曲ウォーターメロンマンでこれはボーカル入りで。最後のブルーベックのボサノバ曲は別のボサノバセッションからの一曲。

ボビースコットのピアノ、ジムホールのギターとシムスのテナーとウッズのアルトがアルバム全体を通じてフィーチャーされているアルバム作りだ。

どの曲も全体が短いながら、実にそれぞれの曲の雰囲気を生かしたアレンジだ。ソロも短いがどれもピリッとした味付け。自己満足型の長いソロに時々辟易とすることもがあるが、美味しい物を味わうにはかえってこのような少し物足りない方がいいかも。腹8分目とは何の世界でも共通なようだ。

今回聴き直してみると、クインシーのアレンジは元々複雑、難解というより、シンプル&スインギー。素材は確かに新しいヒット曲ばかりだが、ヒット直後や超有名曲のオリジナルのイメージが強い中でのアレンジも難しいだろう。演奏も決して手を抜いている訳ではない。昔テレビのCMの世界が15秒の芸術と言われたように、短い中に表現したいコンセプトを上手く入れ込むのが名人芸と言われるのと同じだと思う

そして、このアルバム作りに参加したミュージシャンのクレジットをみると、どのセッションもオールスターメンバー勢ぞろい。ニューヨーク中のスタジオミュージシャンが集まってしまったような豪華さだ。せっかく見つけたのでコピペをしておくことにする。

1. Comin' Home Baby          B.Tucker & R.Dorough 2:47
2. Gravy            Waltz Ray Brown & Steve Allen 2:36
3. Desafinado              A.C.Jobin & Mendonca 2:57
4. Exodus                     Ernest Gold 3:20
5. Cast Your Fate to the Wind           Vince Guraldi 2:44
6. A Taste of Honey         Bobby Scott & Ric Marlow 2:34
7. Back at the Chicken Shack           Jimmy Smith 2:59
8. Jive Samba                  Nat Adderley 2:38
9, Take Five                    Dave Brubeck 3:27
10. Walk on The Wild Side              E.Bernstein  3:11
11. Watermelon Man              Herbie Hancock 3:20
12. Bossa Nova USA              Dave Brubeck 3:12

Al DeRisi, Joe Newman, Jimmy Nottingham, Ernie Royal, Clark Terry, Snooky Young (trumpet) Billy Byers, Jimmy Cleveland, Paul Faulise, Quentin Jackson, Melba Liston, Tom Mitchell, Santo Russo, Kai Winding (trombone) Ray Alonge, Jim Buffington, Earl Chapin, Paul Ingraham, Fred Klein, Bob Northern, Willie Ruff, Julius Watkins (French horn) Jay McAllister, Bill Stanley (tuba) Charles McCoy (harmonica) Al Cohn, Budd Johnson, Roland Kirk, Walt Levinsky, James Moody, Romeo Penque, Seldon Powell, Jerome Richardson, Zoot Sims, Frank Wess, Phil Woods (woodwinds) Patti Bown, Lalo Schifrin, Bobby Scott (piano, organ) Kenny Burrell, Jim Hall, Sam Herman, Wayne Wright (guitar) Art Davis, George Duvivier, Milt Hinton, Major Holley, Ben Tucker, Chris White (bass) Rudy Collins, Osie Johnson, Ed Shaughnessy (drums) James Johnson (timpani) Bill Costa, Jack Del Rio, George Devens, Charles Gomez, Jose Paula (percussion) Quincy Jones (arranger, conductor)
NYC, June 15, 1962

Clark Terry (trumpet, flugelhorn) Jerome Richardson (alto flute, flute, woodwinds) Lalo Schifrin (piano) Jim Hall (guitar) Chris White (bass) Rudy Collins (drums) Carlos Gomez, Jose Paula, Jack Del Rio (percussion) unidentified horn and brass, Quincy Jones (arranger, conductor)
A&R Recording Studio, NYC, September 8, 1962

Al DeRisi, Joe Newman, Jimmy Nottingham, Ernie Royal, Clark Terry, Snooky Young (trumpet) Billy Byers, Jimmy Cleveland, Paul Faulise, Quentin Jackson, Melba Liston, Tom Mitchell, Santo Russo, Kai Winding (trombone) Ray Alonge, Jim Buffington, Earl Chapin, Paul Ingraham, Fred Klein, Bob Northern, Willie Ruff, Julius Watkins (French horn) Jay McAllister, Bill Stanley (tuba) Charles McCoy (harmonica) Al Cohn, Budd Johnson, Roland Kirk, Walt Levinsky, James Moody, Romeo Penque, Seldon Powell, Jerome Richardson, Zoot Sims, Frank Wess, Phil Woods (woodwinds) Patti Bown, Lalo Schifrin, Bobby Scott (piano, organ) Kenny Burrell, Jim Hall, Sam Herman, Wayne Wright (guitar) Art Davis, George Duvivier, Milt Hinton, Major Holley, Ben Tucker, Chris White (bass) Rudy Collins, Osie Johnson, Ed Shaughnessy (drums) James Johnson (timpani) Bill Costa, Jack Del Rio, George Devens, Charles Gomez, Jose Paula (percussion) Quincy Jones (arranger, conductor)
NYC, April 9, 1963


ザ・ヒップ・ヒッツ(紙)
Quincy Jones
ユニバーサル ミュージック クラシック
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下手な鉄砲数撃ちゃ当たる?・・・・せっかくのアダムスの援護射撃も出番なし

2014-09-03 | PEPPER ADAMS
Our Mann Flute / Herbie Mann

サムモストのストレートにスイングするフルートを聴いた後だが、フルート専業の第一人者といえばハービーマン。ところがカミンホームベイビーのヒット以来ヒット狙いのアルバムが続き、自分は決して硬派のジャズファンではないが、流石にハービーマンのアルバムが自宅の棚に並ぶことはなかった。

ペッパーアダムスが、サドメルのオーケストラに正式に加入したタイミングにあわせて、何故かレコーディングや他のセッションへの参加の仕事も増えだした。人生何事においても一つ生活の軸が決まると、それに合わせて他の事もペースがつかめてくるものだ。

66年5月サドメルの初アルバムの録音も終えた後の最初の仕事は、5月16日同じ時期に立ち上がったデュークピアソンのビッグバンドへの参加であった。ピアソンとはドナルドバードとのクインテット時代の盟友であり、その後も一緒にやることは多かった。サドジョーンズに張り合った訳ではないと思うが、同じような思いでピアソンが立ち上げたビッグバンドだった。アダムスはサドメルと同時にこのピアソンのビッグバンドでもレギュラーとして活動する。メンバーの中にはサドメルに参加している者も何人かいた。

それに続いて、26日にはこのハービーマンの“Herbie Mann With Jimmy Wisner's Orchestra”の4曲の録音セッションへの参加とある。これが収められているアルバムはというと、”Our Mann Flute”。当然持ってもいないし、聴いた記憶もないアルバムだ。

さてどうするかと考えたが、物は試しにと買ってみた。前回のジミーウイザースプーンのように聴いてみれば「なかなかいい」ということもあるのではと期待して・・・。

ジャケットを見ると、この日のセッション以外にもいくつかのセッションからの寄せ集めアルバムだ。このアルバム自体がコンピレーションかとおもったが、セッション自体がどうやらアルバム単位ではなく何度も行われていたようだ。まあ、録音日の期間が64年~66年と幅広いので無理矢理寄せ集めたとも思えるアルバムだ。

というのも、セッションによって微妙に編成のコンセプトが異なっている。このアダムスの参加しているセッションはR&B風のしつらえだ。アルバムタイトルにもなっている映画「電撃フリントGO!GO! 作戦」のテーマはその時のレギュラーグループメンバー中心にオーケストラを加えた演奏が、後はラテンブラスアンサンブルをバックにしたものなど色とりどり。

曲はというと、いきなりクルセイダーズの曲で始まる。最新ヒット曲をカバーしているかと思えば、映画のタイトルソングがあり、フランス民謡もあるというこれも千差万別。どうも統一感が無い。共通していることは4ビートと決別していることかも。

ハービーマンは、ビルボートのPOPチャート200に入る25枚のアルバムを作ったとの記事も見かけた。コマーシャリズムに迎合したジャズが悪いとは思わないが、このアルバム作りをみるとどうも手当たり次第に流行りそうなものを手掛けという印象を受けてしまい、「本当にやりたいこと、聴かせたいのは何?」と思わず問いてみたくなる。

残念ながら今回はアダムスの出番が無かったからという訳でなくとも、改めて買い求めて良かったというアルバムでは無かった。此の後も、アダムスがレコーディングに参加したセッションはこの手のアルバムが数多く登場するが、所有しているアルバムは少ない。丁度、フュージョンブームに先立つ、いわゆるジャズロックとかブーガルーとかが流行った頃のファンキー路線延長のアルバム、当時聴くのもパスしたものが多い。

乗りかかった船なので続けてみようとは思うが少し気が重くなった。まあ、気長に続けてみることにする。何か新たな発見があるかもしれないので。
一方で、アダムスはサドメルを辞めた後の方がソロ活動中心なので、紹介すべきアルバムは沢山ある。そちらも合わせて進めていこうと思う。

このハービーマンもアダムスと同じ1930年生まれ。同じジャズの世界で育ち、同じ期間演奏活動をし、仕事をしていてもそれぞれの生き方がこれほどまで異なるものになるとは、人生人それぞれだと改めて思う。

1. Scratch              Wayne Henderson 2:35
2. Philly Dog              Rufus Thomas 2:26
3. Happy Brass             Herbie Mann 2:10
4. Good Lovin'     Rudy Clark / Arthur Resnick 2:51
5. This Is My Beloved         Herbie Mann 5:08
6. Frère Jacques            Traditional 2:16
7. Our Man Flint          Jerry Goldsmith 2:44
8. Fiddler on the Roof  Jerry Bock / Sheldon Harnick 2:22
9. Theme From "Malamondo"      Ennio Morricone 2:18
10. Down by the Riverside      Traditional    2:35
11. Monday, Monday          John Phillips  2:58
12. Skip to My Lou           Traditional 2:21

#10
Herbie Mann (flute, alto flute) Dave Pike (vibraphone) Don Friedman (piano) Attila Zoller (guitar) Jack Six (bass) Bobby Thomas (drums) Carlos "Patato" Valdes (congas) Willie Bobo (timbales)
NYC, February 13, 1964

#5
Marky Markowitz, Ernie Royal, Clark Terry, Snooky Young (trumpet) Jimmy Knepper (trombone) Herbie Mann (flute) Jerry Dodgion (flute, clarinet, alto saxophone) Richie Kamuca (clarinet, tenor saxophone) Charles McCracken, Kermit Moore (cello) Dave Pike (vibraphone) Don Friedman (piano) Attila Zoller (guitar) Jack Six (bass) Willie Bobo, Bobby Thomas (drums) Carlos "Patato" Valdes (congas) unidentified strings, Oliver Nelson (arranger, conductor)
NYC, May 7, 1964

#6,8,9,12
Herbie Mann With Richard Wess' Orchestra
Al DeRisi, Marky Markowitz, Ernie Royal, Clark Terry (trumpet) Bob Alexander, Santo Russo, Chauncey Welsch (trombone) Tony Studd (bass trombone) Herbie Mann (flute) Anthony Bambino, Hinda Barnett, Emanuel Green, Harry Katzman, Leo Kruczek, Gene Orloff, Paul Winter (violin) Mundell Lowe (guitar) Milt Hinton (bass) Gary Chester (drums, timbales) Warren Smith (congas, finger cymbals) George Devens (Latin percussion) Richard Wess (arranger, conductor)
NYC, October 29, 1964

#7
Jimmy Owens (trumpet, flugelhorn) Jimmy Knepper, Joe Orange (trombone) Herbie Mann (flute, tenor saxophone) Attila Zoller (guitar) Reggie Workman (bass) Bruno Carr (drums) Carlos "Patato" Valdes (percussion) Arif Mardin or Oliver Nelson (arranger)
NYC, March 10, 1966

#1,2,4,11
Herbie Mann With Jimmy Wisner's Orchestra
Marky Markowitz, Joe Newman (trumpet) Quentin Jackson (trombone, bass trombone) Herbie Mann (flute) King Curtis (tenor,baritone saxophone) Pepper Adams (baritone saxophone) Jimmy Wisner (piano, arranger, conductor) Al Gorgoni, Charles Macey (guitar) Joe Mack (electric bass) Bernard Purdie (drums) Warren Smith (percussion)
NYC, May 26, 1966

#3
Recording Data unknown

アワ・マン・フルート
Herbie Mann
ワーナーミュージック・ジャパン
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本来であれば、ミンガスビッグバンドのお披露目の晴れ舞台のコンサートのはずであったが・・・

2014-07-01 | PEPPER ADAMS
The Complete Town Hall Concert 1962 / Charles Mingus

チャーリーミンガスのタウンホールコンサートというと1964年に行われたものが有名だ。エリックドルフィーの死ぬ直前の演奏も聴く事ができ、この前後に行われたツアーではヨーロッパにも遠征し、当時のミンガスグループの脂の乗りきった演奏が聴ける名盤だ。
実は、ミンガスのタウンホールライブというともう一枚1962年のものがある。ところが、最初にリリースされたこのライブのアルバムはとんでもない代物であった。というよりも、このコンサートそのものが・・・。

ミンガスは、50年代から大編成のグループアンサンブルにもチャレンジしていた。アレンジをしては日頃からリハーサルを重ねていた。というのも、ミンガスのビッグバンドというのは、アンサンブルワークに加えグループインプロビゼーションにも重きを置いていた。このメンバーの呼吸合わせが大変だったのであろう。

1962年の後半、ペッパーアダムスは、このミンガスと行動を共にしていた。クラブ出演には秋吉敏子も参加していたようだ。
ペッパーアダムスは、このミンガスとの付き合いは古くこのミンガスのワークショップ活動にも良く参加していた。以前紹介したロフトもこのミンガスグループの練習場所にも使われていたようだ。

ミンガスは曲想を色々膨らませていく中で段々編成が大きくなっていった。仲間の中には、いい加減にしたらというアドバイスをした者もいたようだが、ミンガスは我関せずでついには通常のビッグバンド編成をはるかに上回る30人編成にもなっていた。

そこに、丁度活動を活発化して、新しいチャレンジをしていたユナイテッドアーティスト(UA)がレコーデョングを働きかけた。それもライブレコーディングの企画を。ミンガスはこの直前に、エリントンと共演したマネージャングルの録音を済ませていて、ミンガスもこのUAの進取の精神が気にいっていたのかもしれない。

10月はバードランドに長期間出演していたが、その丁度間に、このタウンホールコンサートが行われた。
ミンガスはレコーディングに向けて着々と準備を進めていたが、途中でプロデューサーのアラン・ダグラスは会社のボスの意向だったのかもしれないが、何とレコーディングの予定を5週間も前倒しして早めてしまった。いわゆる公開ライブの形をとったが、表向きは有料のコンサート。チケットもそこそこ捌けて10月12日を迎えてしまった。

ミンガスのライブはリハーサルも入念に行うのが常なのに、このコンサートはリハーサルどころかアレンジ自体も当日なって全曲が出来上がっていないという有様。何とアレンジャーの一人、メルバリストンは舞台の上で出来上がったアレンジを写譜屋に渡している始末であった。メンバーはレギュラメンバーに加えて錚々たる面々。遠く西海岸からも駆けつけた。全員タキシードにブラックタイを着込んでスタンバイ。プログラムが未完成のままにカーテンが上がってしまった。ミンガスは最初抵抗したのか、一人Tシャツのまま舞台にいたらしいが、結局、着替えをして舞台に上ることになった。

そこを何とかしてしてしまうのがプロだが、さすがにこの状態ではまともな演奏はできない。ミンガスも「今回は公開リハーサルだ」と断りをいれ、主催者もキャンセル希望者にはお金を返すということにしたが、インターミッションになっても客は半分以上が残っていた。あのミンガスの怒りの一発のハプニングを期待していたのかもしれない。

ミンガスの怒りっぽい性格は有名だが、このコンサートに向けたリハーサルでも事件は起こっていた。コンサートが近づいているのにアレンジが出来上がらないのにイライラしていたのか、長年付き合っていたジミーネッパーに一撃を加えて前歯を折ってしまうトラブルに。その後訴訟事になってしまう程の大事になったが、ネッパーはこのお蔭でその後の演奏にも支障が出て以前と比べて一オクターブも音域が狭くなってしまったそうだ。という事は、サドメルに加わっていのはこの後なので、ネッパーの全盛期を聴けなかったということになるが。

このコンサートに参加したメンバーや関係者達の後日談が色々残っているが、ペッパーアダムスもコメントを残している。アダムスは当日のアレンジを一曲提供したそうだ。アダムスが語る所によると、コンサート自体も酷かったが、その後がもっと酷い。リハーサルのようなライブになってしまったので、本来はレコード話も仕切り直しになるのが筋だが、何とレコード会社はこれをリリースしてしまった。出来の良かった曲だけをピックアップすればまだよいのだが選曲も滅茶苦茶、レコーディングのコンディションも酷いもので、アダムスに言わせるとこのコンサートは悍ましい出来事であり、アルバムだったということだ。

ところが、捨てる神がいれば救う神もいる。89年になって、ブルーノートからこのアルバムが再リリースされた。デジタルリマスターで音も良くなり、没になった曲も復活してコンサートの有様が再現された。最初に発売されたLPではソロがカットされた曲もあってほぼ完全な形で復活した。となると、色々あったにしても歴史上の出来事としての価値は増す。



ペッパーアダムスはジェロームリチャードソンとダブルバリトンで参加。ソロはリチャードソンが先行するが、最後のジャムセッションのように始まるインナメロートーンでは2人のバリトンバトルも聴ける。残念なのはソロがオフマイクで録られていること。音質自体はリマスターで良くなっても、こればかりは再現不可能だ。オフマイクであっても2人のソロは秀逸なのが救いである。LPではカットされている、演奏が一旦終わったあとのドルフィーのソロもCDには収められている。

ミンガスオーケストラの原点ともいえる演奏は、うねる様な重厚なサウンドを聴かせてくれ、他のビッグバンドとは一味も二味も違う。未完成ライブとはいえそれなりに価値あるものだと思う。すべての曲が揃ったたっぷり2時間分の譜面はミンガスの死後になって見つかり、1989年になってから全曲が演奏されている。

1. "Freedom Part 1" - 3:47
2. "Freedom Part 2" - 3:14
3. "Osmotin'" - 2:50 Bonus track on CD reissue
4. "Epitaph Part 1" - 7:03
5. "Peggy's Blue Skylight" - 5:21 Bonus track on CD reissue
6. "Epitaph Part 2" - 5:10
7. "My Search" - 8:09
8. "Portrait" - 4:34 Bonus track on CD reissue
9. "Duke's Choice" - 5:12
10. "Please Don't Come Back from the Moon" - 7:24 Bonus track on CD reissue
11. "In a Mellow Tone" (Duke Ellington, Milt Gabler) - 8:21
12. "Epitaph Part 1" [alternate take] - 7:23 Bonus track on CD reissue

All compositions by Charles Mingus except as indicated

Charles Mingus - bass, narration
Ed Armour, Rolf Ericson, Lonnie Hillyer, Ernie Royal, Clark Terry, Richard Williams, Snooky Young - trumpet
Eddie Bert, Jimmy Cleveland, Willie Dennis, Paul Faulise, Quentin Jackson, Britt Woodman - trombone
Romeo Penque - oboe
Danny Bank - bass clarinet
Buddy Collette, Eric Dolphy, Charlie Mariano, Charles McPherson - alto saxophone
George Berg, Zoot Sims - tenor saxophone
Pepper Adams, Jerome Richardson - baritone saxophone
Warren Smith - vibraphone, percussion
Toshiko Akiyoshi, Jaki Byard -piano
Les Spann - guitar
Milt Hinton - bass
Dannie Richmond - drums
Grady Tate - percussion
Bob Hammer - arranger
Melba Liston - arranger, conductor

Recorded at Town Hall, New York, on 12 Oct. 1962




Complete Town Hall Concert
Charles Mingus
Blue Note Records
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アダムスのバリトンはバックでは目立たないが、ソロになると違いが分かる・・・

2014-06-09 | PEPPER ADAMS
A Sure Thing / Blue Mitchell and Orchestra

1962年の春、ドナルドバードとのコンビを解消したペッパーアダムスはフリーランスとしてレコーディングに誘われることが多かった。それも、ポニーポインデクスターのアルバムと同様、メインのソリストというよりはアンサンブルワークを求められるバックを務めることが。しでに、ソリストとしても十分に世に知れ渡ったとは思うのだが。

1962年は政治的には秋に米ソの対立はキューバ危機を迎え、そして音楽界ではいよいよビートルズが登場した年だ。世の中は変革が起こる予兆を感じさせる事が多かった。ジャズの世界でもコルトレーンやマイルスがいよいよ本領発揮をし始めた頃。しかし、アダムスを取り巻く環境はレギューラーグループの仕事が無くなった分、どうも気楽な年になったようだ。

自己のグループだと自分で取り仕切らねばならないことが多く、まして相方がいると、相手との意識合わせも気苦労が多いものだ。自分も、どちらかというとどうしてもという事が無いと、基本は誘われるタイプ。なおかつ、嫌いな人間とは付き合わないのをモットーにしているので、あまり人間関係で悩むこともない。アダムスも本当の所は良く分からないが、決して愛想を振りまいて人付き合いをしたり、自ら先頭を切って突っ走るタイプではなさそうだ。

さて、レコーディングの方は、ポインデクスターの録音には、2月、4月と2回参加したが、3月にはブルーミッチェルのリバーサイドのセッションへの参加だった。ブルーミッチェルはこの当時ホレスシルバーのグループに加わる一方、自分のアルバムはリバーサイドで出していた。
今回のアルバムはポインデクスター同様ミッチェルをフューチャーして6管のアンサンブルがバックにつく編成。ミッチェルのアルバムとしてはあまり目立たないアルバムだ。アレンジはジミーヒースが担当し、セッションリーダーはクラークテリーが務める。テリーはエリントン、ベイシー、そしてクインシージョンズと渡り歩いてきた中堅、ソロもアンサンブルも得意だが、今回はセクションワークに徹している。リバーサイドではこの役割が多かった様だ。

そして、アレンジを担当したジミーヒースも同様。
此の頃から単なるジャムセッション風のブローイングセッションから、アレンジ物が増えてくる。ウェストコーストでは50年代からアレンジ物が多かったが、ハードバップ系が多い東海岸のレーベルでも徐々に増えてきた。このリバーサイドもカタログにもちらほら。ヴァーブやインパルスといったメジャー系のレーベルでも、その後オーケストラやビッグバンドをバックにしたアルバムも増えてきた。しかし、どうも日本のジャズファンはこの手のアレンジ物は好みでは無いらしくジャズ喫茶でもかかることは少なかった。

ジミーヒースは、ビッグバンドだけでなくこのような編成のアレンジも多く手がけていた。このアルバムでもクラークテリーのトランペットに、サックス3本、そしてフレンチホルンを加えた「まろやかサウンド」のバックを加えている。ブルーミッチェルのトランペット自体も派手なタイプであり「マイルドなサウンド」、バックに上手く溶け込んでいる。ここでは、テナーのソロでもヒースは大活躍。ケリーのピアノが上手く味付けになっている。

クレジットではアダムスが参加しているのは1曲目のウェストコーストブルースと記されているがソロは無し、ブルースオンブルーでのバリトンソロもアダムスの様だが。ヒップツゥーイットのバリトンはもう一人のバリトンパット・パトリック。明らかに音色と切れ味がアダムスとは異なる。このアルバムへのアダムスの参加はあくまでもチョイ役であった。



1, West Coast Blues                Wes Montgomery 5:40
2. I Can't Get Started         Vernon Duke / Ira Gershwin 3:48
3. Blue on Blue                   Jimmy Heath 4:48
4. A Sure Thing            Ira Gershwin / Jerome Kern 4:34
5. Hootie Blues                    Jay McShann 5:24
6. Hip to It                      Blue Mitchell 5:00
7. Gone With the Wind          Herbert Magidson / Allie Wrubel 5:57

Blue Mitchell (tp)
Clark Terry (flh, tp)
Julius Watkins (French horn)
Jerome Richardson (as, fl)
Jimmy Heath (ts)
Pepper Adams (bs)
Pat Patrick (bs)
Wynton Kelly (p)
Sam Jones (b)
Albert Heath (ds)

Produced by Orin Keepnews
Recording Engineer : Ray Fowler
Recorded in NYC, March 7, 8, & 28, 1962


ア・シュア・ソング(紙ジャケット仕様)
ブルー・ミッチェル,クラーク・テリー,ジミー・ヒース,ジュリアス・ワトキンス,ウィントン・ケリー,ジェローム・リチャードソン,サム・ジョーンズ,アル・ヒース,ペッパー・アダムス,パット・パトリック
ビクターエンタテインメント
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エリントンの組曲物の演奏はなかなかライブで聴けないが・・・

2014-03-13 | MY FAVORITE ALBUM
Such Sweet Thunder / Duke Ellington and His Orchestra

先日のマイク・プライスビッグバンドのライブのオープニングはサドメルのThree in One
であった。

オリジナルはサドメルのデビューアルバムで聴ける。サド・ジョーンズとペッパー・アダムスのユニゾンからサックスのソリ、それからアダムスのソロへと続く。今回はマイクと竹村直哉のコンビであったが、久々にこの曲を聴いて気分よくスタートした。
これはサド・ジョーンズのオリジナル曲だが、初演は1958年のジョーンズ兄弟のアルバムで、そしてオーケストラだけでなく、晩年のアルバムでもこの曲を演奏している。サド・ジョーンズ自身もこの曲はお気に入りであったのだろう。

マイクのビッグバンドは西海岸のアレンジャーの曲も多く、バディー・リッチ、スタンケントンなどのレパートリーからの曲が続いた。バディー・リッチビッグバンドからはポピュラーなグリーンスリーブスであったが、この曲はアルバム”Body and Soul”に入っている。実はこのアルバムのメンバーにマイクプライスが加わっていた。1969年の演奏なので、マイクにとっては50年近く経っての再演であった。

後半ではギル・エバンスやエリントンナンバーも加わったが、エリントンは最近よく演奏しているSuch Sweet Thunderからの曲。A列車やサテンドール、インナメロウトーンなどポピュラーなエリントンナンバーを演奏するオーケストラは多いが、このようなエリントンの組曲物に取り組むオーケストラは少ない。

このオリジナルアルバムは、1956年から57年にかけて録音された大作。カナダで開催されたシェイクスピアフェスティバル用に作曲されたものだそうだが、このようにアルバムとしても記録に残されている。エリントンオーケストラの特徴はエリントンとビリーストレイホーンコンビの曲作り。この組曲も2人でシェークスピアのロメオとジュリエットを素材にした共作だ。

2人はこの曲を多忙な3週間で書き上げたそうだ。エリントンの場合は作曲に専念するわけではなく、ライブをこなし乍らの曲作りなので、超人ぶりがうかがえる。特に組曲の場合は、繰り返しや延々と続くソロパートも無いためにクラシックのような譜面づくりも大変だと思う。片腕としてのストレイホーンが不可欠であったのだろう。2人のコンビというと、昨今話題の偽作曲家が思い浮かぶが、彼らの譜面には2人で書き込んでいった物も残っているようだ。

1957年といえば、有名な1956年のニューポートのライブの翌年。56年のニューポートの直後から録音は始まり、翌年完成している。最初のライブ公演は1957年4月28日のタウンホールでのコンサートだったと記録されているが、ここでは11曲で行われる。

このアルバムの目玉は、ホッジスをフューチャーしたThe Star-Crossed Loversだが、実はこの曲は別の企画で作られていた”Pretty Girl”という曲の看板を書き換えて、最後の録音でこのアルバムに加えられ全12曲に仕上がったようだ。

今回のライブでは、タイトル曲のSuch Sweet ThunderとThe Star・・・が演奏されたが、アルバムで全曲を通して聴くと、役者揃いのメンバー達の得意技がソロ、アンサンブルに随所に散りばめられていて曲全体のイメージが否が応でも伝わってくる。マイクのビッグバンドも素晴らしいが、テリー、ホッジス、ハーリーカーネイなどの個性あるプレーはワン&オンリーだ。やはり、この曲を完全に再現できるのは当時のエリントンオーケストラのメンバーが不可欠なように思う。

57年のライブ "Duke Ellington: 'Such Sweet Thunder' Unissued Live at Ravinia Festival '57" での演奏はこちらで。
同じアレンジだが、ライブはやはり一段といい。

Such Sweet Thuder [Music by Duke Ellington & Billy Strayhorn]. Unissued world première (on radio) of the "Shakespearean Suite"!
CBS broadcast from concert at Ravinia Park Festival, Highland Park, IL. July 1, 1957.
0:00 Such Sweet Thunder
1:48 Sonnet For Sister Kate [solo: Quentin Jackson]
4:53 Up And Down. Up And Down [solo: Clark Terry]
8:04 Star-Crossed Lovers [solo: Johnny Hodges]
12:38 Madness In Great Ones [solo: Cat Anderson]
16:25 Half The Fun [solo: Johnny Hodges]
20:42 Circle Of Fourths [solo: Paul Gonsalves]

23:23 Jam With Sam [solos: Willie Cook, Paul Gonsalves, Britt Woodman, Russell Procope, Cat Anderson]

Cat Anderson, Willie Cook, Clark Terry, t; Ray Nance, t, vn; Quentin Jackson, Britt Woodman, tb; John Sanders, vtb; Jimmy Hamilton, cl, ts; Russell Procope, cl, as; Johnny Hodges, as; Paul Gonsalves, ts; Harry Carney, bcl, cl; Duke Ellington, Billy Strayhorn, p; Jimmy Woode, b; Sam Woodyard, d.



1. Such Sweet Thunder
2. Sonnet for Caesar
3. Sonnet to Hank Cinq
4. Lady Mac
5. Sonnet in Search of a Moor
6. The Telecasters
7. Up and Down, Up and Down (I Will Lead Them Up and Down)
8. Sonnet for Sister Kate
9. The Star-Crossed Lovers
10. Madness in Great Ones
11. Half the Fun
12. Circle of Fourths

Duke Ellington & His Orchestra

Clark Terry (tp)
Ray Nance (tp)
Willie Cook (tp)
Cat Anderson (tp)
Quentin Jackson (tb)
Britt Woodman (btb)
John Sanders (tb)
Johnny Hodges (as)
Russell Procope (as,cl)
Paul Gonsalves (ts)
Jimmy Hamilton (ts,cl)
Harry Carney (bs)
Duke Ellington (p)
Jimmy Woode (b)
Sam Woodyard (ds)

Composed by Duke Ellington & Billy Strayhorn

Recorded on August 7 1956
on April 15,24 & May 3 1957
at COLUMBIA's30th Street Studios in New York


Such Sweet Thunder
クリエーター情報なし
Sony Jazz
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体で聴くことのできるミュージシャンはそうはいない・・・・

2014-01-15 | MY FAVORITE ALBUM
Trumpet Evolution / Arturo Sandoval

新年早々のライブはエリック宮城率いるブルーノートオールスタービッグバンドであった。昨年のライブは他のライブとかち合って聴くことができなかったので、新年早々楽しみなライブであった。そして、このビッグバンドにビッグなゲストとしてArturo Sandovalが加わっていた。

ゲストが一人加わっただけで、バンド全体の雰囲気ががらりと変わる(締まるといった方がいいかもしれない)ことが多い。
これまでも、角田健一とハリーアレン、バディリッチにピーターアースキン、宮嶋みぎわにダグラスパーヴィアンス、辰巳哲也にカールサンダースなどがあったが、いずれも単なるゲスト以上の共演効果がバンド全体に広まり、いつにも増して素晴らしい演奏になった。
という点では、エリック宮城のトランペットに、同じトランペットのArturo Sandovalが加わると果たしで何が起こるかも期待ができた。

途中でサンドヴァルが加わるとまずはリズムが変わった。サンドヴァル自身ティンパレスで強烈なリズムを叩き出す。いつもは歯切れの良いリズムを叩き出すドラムの岩瀬立飛もサンドヴァルのリズムにけしかけられ圧倒される感じさえした。
当然、そのリズムに乗ってオーケストラ全体も歯切れよく引き締まってくる。オーケストラをバックにしたトランペットも圧巻であった。まるでチューバのような低音からお得意のハイノートまで、トランペットの限界を極める音が縦横無尽に飛び交った。そして、トランペットだけでなく、ヴォーカルからピアノまで相変わらずの多芸ぶりを披露していた。
終わってみれば、ゲストというよりまるでサンドヴァルオーケストラの様相であった。

このサンドヴァルの多芸ぶりを味わうのはやはりライブが一番、生音を聴くだけでも感激物だが、バンドや観客と一体感を作り上げていくステージマナー、そしてバンド全体を鼓舞するためにアクションを含めて、体全体で音作りをしていく様を体験できた。
聴く方も体全体、そして五感全体で楽しめるライブはそうそうあるものではない。

サンドヴァルのアルバムは何枚もあるが、トランペットのショーケスはこのアルバムが一番かも。
キングオリバーからウィントンマルサリスまで、スイング時代のハリージェイムス、モダンのクリフォードブラウン、マイルス、そしてガレスピーなど全部で19名、古今の名トランペットプレーヤーの名曲・名演をカバーしている。全部知っていたら相当のジャズ通だ。
過去の名曲をカバーしたアルバムは他にも山ほどあるが。演奏スタイルまでカバーしたものは特定個人だけならまだしも、百人百様のスタイルの特徴をカバーするとなると、そうそう簡単にはできない。内容は単なる物まねで終わるレベルではない。
それを実際に作り上げてしまうのが、サンドヴァルの凄さであり恐ろしさであろう。新春早々の舞台の興奮をトランペットプレー中心に再度味わうには格好の一枚であり、ジャズトランペットの歴史を一枚で味わえる。
そして、このようなとんでもないアルバムを企画プロデュースできるのは、あのクインシージョーンズだ。

このサンドヴァルはキューバ出身。アメリカに亡命し、今ではアメリカ市民権を得ているが、キューバ危機以来国交を断絶していたキューバからアメリカに来るにはそれなりの苦労があったようだ。



1. Dipper Mouth Blues           King Oliver
2. When It's Sleepy Time Down South    Louis Armstrong
3. At the Jazz Band Ball          Bix Beiderbeck
4. La Virgen de la Macarena        Rafael Mendez
5. I Can't Get Started           Bunny Berigan
6. Concerto for Cootie           Cootie Williams
7. Little Jazz               Roy Eldridge
8. The Man With a Horn          Harry James
9. Manteca                Dizzy Gillespie
10. Tee Pee Time             Clark Terry
11. Coloratura Concerto for Soprano    Timofei Dokshizer
12. Nostalgia              Fat Navarro
13. 'Round Midnight           Miles Davis
14. Maynard Ferguson          Maynard Ferguson
15. My Funny Valentine          Chet Baker
16. Joy Spring              Clifford Brown
17. Concerto in D Major         Maurice Andre
18. Up Jumped Spring           Freddie Hubbard
19. Later                 Wynton Marsalis


Arturo Sandoval (tp,vol)
Mike Gold (cl)
Hank Bredenberg (tb)
Jim Cox (org)
Felipe Lamogolia (ts)
Robert Rodriguez (p)
Denis Marks (b)
Ernesto Simpson (ds)
Big Band Musicians
Conducted by Jerry Hey
Dan Higgins (as,cl)
Greg Huckins (as,basssax)
Bill Liston (ts)
Rusty Higgins (ts)
Joel Peskin (bs)
Charlie Davis (tp)
Gary Grant (tp)
Wayne Bergeron (tp)
Larry Hall (tp)
Charlie Loper (tb)
Amdy Martin (tb)
Steve Holtman (tb)
Bill Reichenbach (tb)
Dick Nash (tb)
Bruce Otto (tb)
Lus Conte (per)
Denis Budmier (g,bjo)

Produced by Arturo Sandoval & Quincy Jones

トランペット・エヴォリューション
ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル
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ミュージシャンにとって人生の有終の美を飾る一枚とは・・・・

2013-06-05 | Thad Jones & Mel Lewis & VJO
End Play / Seldon Powell

人の人生は山有り谷あり色々ある。前に向かって進む時、いくつかの岐路がありその選択に左右されることもある。人生も後半に差し掛かると、先を見ることよりも後を振り返ることが多くなり、楽しい思い出、辛い思い出の中に後悔もあり、感謝もあり、感激もある。他人の目から見ると波乱万丈の人生に見え、あるいは平穏無事に過ごしたように見えても、本人にとっては思い出の詰まった毎日であったはずだ。

ジャズプレーヤーの世界も、ソリストとして脚光を浴び、リーダーになり、作曲をしたりアレンジをしたり、あるいはプロデュースをしたり表舞台を歩き続ける者もいる。来月来日するクインシージョーンズなどはその筆頭だろう。
一方で、表舞台に先頭に立って出ることは少なくとも、一プレーヤーとして第一線で最後まで人生を全うする者もいる。どちらが幸せかは、それぞれの人の価値観も違うので何ともえいないが、最後までジャズに打ち込めたという達成感はどちらも同じであろう。

セルドンパウエルというテナー吹きがいた。自分が彼を知ったのはサドメルのメンバーとして参加していた時だ。まだ自分がジャズの世界の右も左も分からない時、初めて生を聴いたときよくスイングするプレーが印象的だった。

このパウエルなどは、生涯一プレーヤーの代表格だろう。スイング時代の終わりから演奏を始め、バップムーブメントの時こそリーダーアルバムも出した。その後はビッグバンドやスタジオの仕事がメインになった。譜面を読むのがやたらに強い、マルチリードのプレーヤーはスタジオワークには最適だったのかもしれない。サドメルに加入していたのもそんな時代だ。
時代が変わってプレーする音楽は、R&B、ラテン、フュージョン、何でもこなしていった。クレジットのあるアルバムだけでも600枚以上。無い物を加えたら軽く1000枚を超えるであろう。セルドンパウエルにとっては、この一枚一枚、一曲一曲が人生そのものだ。

リーダーアルバムは1973年を最後に無い、しかしテナープレーヤーとして休むことなくプレーを続けていたパウエルが、晩年に一枚のアルバムを残している。タイトルは”End Play”。
昔からの仲間と一緒に、場所はニューヨークのBirdland。1993年のことであった。
ファンに囲まれたプレーは、日々のスタジオワークとは異なり、仲間達との気軽なセッション。きっといつもの日々とは違った表情でのプレーが目に浮かぶ。これがジャズの楽しみでもある。パウエルが主役だが、クラークテリーが主役を引き立たせるリード役だ。テリーの素晴らしさは、ビッグバンドでもコンボでも、自分がリーダーでなくとも全体を楽しくさせることだ。

このアルバムが収録されてから4年後、70歳までもうすぐという時にパウエルはこの世を去る。まだまだ若いといえば若い。しかし、十分に人生を楽しんだともいえる年齢だ。結果的にはこのアルバムは、彼が元気な内に仲間に囲まれての生前葬だったのかもしれない。
ファーストアルバムというのは、誰もがそれを目標にして作られるので、自分の人生の中で上り調子の時のひとつの通過点。
しかし、ラストレコーディングはそれを意識して作られることは少ない。このパウエルのアルバムは、ソロプレーヤーとしてのパウエルの最後の思い出を残せて、本人にとっても友人にとっても、そしてファンにとっても貴重な一枚だ。
丁度、パウエルがこのアルバムを残した年と自分も同じ年回り。気心の知れた仲間と何か思い出を作っておきたいものだ。自分の“End Play”として相応しいことを。

1. Hackensack        Thelonious Monk 7:06
2. Body and Soul Frank  Eyton / Johnny Green / Edward Heyman / Robert Sour 9:24
3. Push and Pull       Seldon Powell 8:03
4. Just In Time Betty     Comden / Adolph Green / Jule Styne 7:32
5. Park and Ride       Seldon Powell 4:29
6. Ow!            Dizzy Gillespie 8:30
7. Flintstones         Joseph Barbara / Hoyt Curtim / William Hanna 6:03
8. Sel's IdeaSeldon      Powell 9:06
9. Straight No Chaser     Thelonious Monk 8:20


Seldon Powell (ts)
Clark Terry (tp,fh)
Barry Harris (p)
Bob Cranshaw (b)
Mickey Roker (ds)

Alan Bates Executive Producer
Mark Morganelli Producer
Malcolm Addey Engineer
Mickey Roker Drums

Recorded live at Birdland, New York City on 23&24 June 1993



End Play
Seldon Powell/td>
Candid Records
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エリントンによるビッグバンド名曲集・・・

2012-06-20 | MY FAVORITE ALBUM
Ellington ’55 / Duke Ellington Orchestra

作曲家デュークエリントンの作品は数多い。その中の多くはスタンダードとなり他の多くのミュージシャンによって演奏し続けられている。自らのオーケストラでもそれらの作品は十八番として常にレパートリーに加えられているが、オーケストラ向けの作品としては「組曲シリーズ」がある。先日マイクプライスオーケストラが、このエリントンの組曲の作品を取り上げたライブを行った。聞き応えのある演奏で改めてエリントンの作品の偉大さを実感した。しかし、これらの一連の組曲のアルバムはけっして一般受けするものではなく、レコード会社としても営業面で売上げを重視するのであれば積極的に取り組みにくいものであったろう。

50年代の始め、エリントンは一時メジャーレーベルであるキャピタルに所属していた。ジャズの専門レーベルでもないので当然一般受けするアルバム作りが求められたのであろう。エリントン’55とタイトルされたこのアルバムは、エリントン自身のナンバーを含む、他のビッグバンドのタイトル曲ともいえるビッグバンドの名曲を選んだ作品となった。このようなビッグバンド名曲集というアルバムはよくある企画だが、エリントンも営業重視でそのような企画を付き合わされたともいえる。それぞれの曲はお馴染みではあるが、演奏時間も短く大作といえるものではないが・・・。でもエリントンがライバルベイシーのワンオクロックをやるというのも粋なものだ。
同じような企画は10年後にリプリーズに所属していた時にも、’66とか「WILL BIG BANDS EVER COME BACK?」という企画があったが。

とうはいうもののエリントン&ストレイホーンが名曲を料理しているので、オリジナルのイメージを大切にするのではなく、どの曲もエリントンサウンドの味付けがされている。そして、アレンジに映えるソロやアンサンブルは、素材が何であれエリントニアン達の本領発揮といったところだ。ホッジスはいないが、ラッセルプロコープやクラークテリーが素晴らしい。

CD化された時に追加された曲だとは思うが、最後のエリントンナンバーである、「スイングが無ければ・・・」は圧巻だ。ゴンザルベスのソロは、後のニューポートでの名演のウォーミングアップのようだし、レイナンスのボーカルもご機嫌だ。

タイトルは「‘55」と銘打っているが、実際の演奏は’53年の暮れから’54年にかけてのもの。モダンビッグバンドが生まれようとしているとき、老舗のエリントンオーケストラも’56のニューポートに向けて試行錯誤をしていたのかもしれない。

1. Rockin' in Rhythm Harry Carney / Duke Ellington / Irving Mills 4:30
2. Black and Tan Fantasy Duke Ellington / Bubber Miley 5:10
3. Stompin' at the Savoy Benny Goodman / Andy Razaf / Edgar Sampson / Chick Webb 5:04
4. In the Mood Joe Garland / Andy Razaf 5:59
5. One O'Clock Jump Count Basie / Eddie Durham 5:12
6. Honeysuckle Rose Andy Razaf / Fats Waller 4:17
7. Happy Go Lucky Local Duke Ellington / Mercer Ellington / Billy Strayhorn 5:33
8. Flying Home Benny Goodman / Lionel Hampton / Sydney Robin 6:08
9. Body and Soul Frank Eyton / Johnny Green / Edward Heyman / Robert Sour 4:47
10. It Don't Mean a Thing (If It Ain't Got That Swing) Duke Ellington / Irving Mills       10:17

Cat Anderson (tp)
Willie Cook (tp)
Ray Nance (tp,violin, vocals)
Clark Terry (tp)
Britt Woodman (tb)
Alfred Cobbs (tb)
John Sanders (tb)
Quentin Jackson (tb)
Paul Gonsalves (ts)
Jimmy Hamilton (ts,cl)
Rick Henderson (as)
Russell Procope (as,cl)
Harry Carney (bs,bcl)
Billy Strayhorn (Celeste)
Duke Ellington (p)
Wendell Marshall (b)
Jimmy Woode (b)
David Black (ds)

Dave Dexter, Jr. Producer

1~8
Recorded in Chicago , December 21,28,29 1953 & January 1,2,17 1954
9
     in Chicago May 18, 1955
10
     In NYC June 17, 1954
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モントルーでのクラークテリーのビッグバンドは国際色豊かに・・・・

2012-04-14 | MY FAVORITE ALBUM
Clark Terry at the Montreux Jazz Festival with the International Festival Big Bnad

クラークテリーのビッグバンド ”Big Bad Band” のライブアルバムが自費出版ながらヘレンキーンのお陰でやっと陽の目を見ることができたのには伏線があった。

ビルエバンスのライブが大成功で終わった’68年のモントルージャズフェスティバルであったが、フェスティバル自体も2年目を無事乗りきって実行委員長を務めていたジャズ評論家のジーン・リースを始めてとして関係者は自信を深めていた。
フェスティバルにはアメリカからのゲストプレーヤーもいたが、ヨーロッパ各地から多くのミュージシャンが集りその腕前を存分に発揮していた。中でも副委員長であった、バークレー音楽院の管理職であったロバートシェアは、若いヨーロッパのミュージシャンの実力に感銘を受け、彼らのオーケストラを是非編成しようということになった。
このようなオーケストラはリーダーが大事だが、それにはアメリカのトップミュージシャンを当てることにした。ヨーロッパではクインシージョーンズが有名だったが独自の路線を歩み始めていたし、サドージョーンズはまだオーケストラを編成した直後でこの頃はまだ自分のオーケストラで精一杯であった。その中で、選ばれたのがクラークテリーであった。ビッグバンド暦は、エリントン、ベイシー、そしてクインシーと渡り歩いて経験十分。そして何より適任であったのが、優れたミュージシャンであるだけでなく、アメリカ中で学生バンドのクリニックをしている教育者でもあったことで、満場一致でテリーが選ばれた。

翌1969年の夏、フェスティバルが近づくにつれて、否が応でも興奮と期待が高まってきた。ポリドールでアルバムが作られることになり、そのプロデュースをヘレンキーンが行うことになった。これが、ヘレンキーンとクラークテリーのビッグバンドの出会いであった。
メンバーはテリーとアレンジを担当し自らテナーも吹く片腕のアーニーウィルキンス以外はすべてヨーロッパ在住者で固められた。ヨーロッパのミュージシャンの実力はかなりの水準であったが、ことリズム隊に関しては今ひとつ乗りが悪いという風潮があり心配の種であったそうだ。結局、言葉も異なる12カ国からの若いミュージシャンが集った混成部隊となり、事前のリハーサルも入念に行われた。3日間1日3時間の練習を経て、テリーの指導の下オーケストラとしては完成の域に達して無事本番を迎えることができた。

フェスティバルの最終日、このオーケストラが舞台に上った。心配されたリズムセクションだったが、アメリカ出身でヨーロッパに居を移したヴァイブのデイブパイク、コンガのスティーブボストンの2人以外は、ギターがイスラエル、ピアノがハンガリー、ドラムがフランス、ベースはロシアとデンマーク出身という国際色豊かなチーム編成になった。
テリーとウィルキンスの指導の甲斐あって、出だしのSwiss Airからよくスイングするオーケストラがスタートする。各セクションのアンサンブルだけでなく、若手メンバーのソロもたっぷり聴ける。もちろんテリーのソロも随所にちりばめられているが、トランペットにフリューゲルホーン、そしてポケットトランペットからマウスピース、得意のボーカルまで駆使してプレヤーとしてのテリーも大乗だ。また、ライブはトラブルが憑き物。スターダストの演奏中、会場の地下の電源が落ちてメインの録音機材がストップしてしまったことが唯一の目算違いであった。

このオーケストラの成功を実感して、テリーはアメリカに帰ってからヨーロッパであそこまでできるならアメリカでも出来ない訳が無いという気持ちになったのではないか。そして自分のオーケストラに懸ける情熱が沸々と沸き上がっていったのではないかと思う。

1. Swiss Air
2. All Too Soon
3. Mumbling In The Alps
4. Stardust
5. Broadway Joe
6. Levee Camp Blues

Clark Terry (tp.flh)
Ernie Wilkins (ts,arr.)
Rudolf Tomsits (tp)
Richard Pousselet (tp)
Franja Jenc (tp)
Hans Kennel (tp)
Zdenek Pulec (tb)
Frode Thingners (tb)
Raymond Droz (tb)
Xxxxxx?(tb)
Eric Anderson (as)
Xxxxx?(ts)
Xxxxx?(as)
Xxxxx?(bs)
George Vucan (p)
Dave Pike (vib)
Louis Stewwart (g)
Franco Manzecchi (ds)


Produced by Helen Keane
Engineer : Pierre Grandjean of Technical Department Radio Suisse Romande
Recorded June 22,1969, at the Casino De Montreux,Switzerland

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商業主義に毒されたレコード業界で、メインストリームなアルバムを作るのは今も昔も大変・・・

2012-04-04 | MY FAVORITE ALBUM
Clark Terry’s Big Bad Band in Concert-Live

クインシージョーンズのオーケストラのヨーロッパ遠征に加わったメンバーは皆実力者揃い。そして皆ビッグバンドを愛する者であったと。特に、クラークテリー、フィルウッズ、ジェロームリチャードソンは、色々と苦労はあったと思うが帰国後のクインシーのオーケストラの演奏にもいつも馳せ参じていた。
クインシーのオーケストラが解散した後は、スタジオワークをベースにそれぞれの道を歩むが、リチャードソンはサドメルのオーケストラに、ウッズはソリストとしてヨーロッパでヨーロピアンリズムマシーンを立ち上げる。

そしてクラークテリーはNBCの音楽監督に納まり、ニューヨーク時代の”Tonight Show”のバンドメンバーに加わる。一方で、ボブブルックマイヤーとの双頭でグループ活動も続け、ジャズへの情熱は消えることはなかった。そのクラークテリーもエリントンオーケストラの出身であり、ビッグバンド好きであることは皆と変らず、時に自分のビッグバンドを編成することに。
そのような中、「いつも演奏している狭いクラブではなく大きなスペースでのコンサートを」と常連のファンから提案された。話はとんとん拍子に進み、プロモートも集客も大変だったが、熱心なファンが集ってまずは無事にコンサートを終えた。1970年2月15日のことであった。

その模様は、予定通り収録されたのだが、それをレコードにしようという段階で問題が生じた。コンサートの結果の評判はまずまずであったが、いざそれをレコードで出すとすると、プロデューサーやA&Rマン達は皆揃ったように「今時ジャズなんかやっているのは誰もいないんだよ。ボーカルもソウルも無いアルバムなんて誰が買うの?」と。皆、2枚舌を使って、本心でこのビッグバンドの演奏をレコードにしようという業界人は誰もいなかった。70年代に入ったばかりのメインストリームジャズの置かれた状況はそのような状況だったということだ。

テリーが諦めかけた時、相談に行ったのはビルエバンスのプロデューサーであった、あのヘレンキーン女史であった。彼女も色々動いてくれたが、「結論は自分で出すこと」が最善との結果となる。当時はスタンケントン、アニタオデイ、ジョージシアリング、ライオネルハンプトンなど、往年の大スターが皆同じような境遇であったようだ。

細々と通販で、といっても今のようなインターネットも無い時代に、やっと陽の目を見たのがこのアルバム。後にビッグバンドに多少日が当たるようになってこのクラークテリーの”Big bad Band”は何枚かのライブアルバムが作られたが、これがお披露目であった。

アレンジは、クラークテリーのビッグバンドでは片腕の存在のアーニーウィルキンスに加えて、フランクウェスとフィルウッズ。昔の仲間のウッズはその時ヨーロッパなので参加できなかったが、ウッズの名曲Hymn for Kimを加えている。
テリーのプレーも自分のビッグバンドをバックに溌剌としているが、他のメンバーのソロもたっぷりと聴ける。ウッズの曲はアルトではなく、その後BSTに加わったトローンボーンのDave Bargeronが聴ける。

8ビートやフュージョン系のビッグバンドが登場した頃、エリントン、ベイシー、クインシーに続くメインストリームのビッグバンドもそこで活躍したテリーによってちゃんと生き残っていた証左だ。これから何年かして、ビッグバンドがまた桧舞台に上るようになるが、何の世界でも不遇な時に頑張ればこそ明日があり、頑張るにはよき友が必要だ。何事でも駄目な時に踏ん張っていられるのが本物だが、ヘレンキーンもエバンスだけでけでなく、良いジャズを残すために頑張っていた本物かも。

1. Shell Game             
2. Here’s That Rainy Day       
3. Rock Skipping at Blue Note
4. Big Bad Band
5. Dirty Old Man
6. On The Trail
7. Fading Fleur
8. Hymn For Kim
9. Take The “A” Train

Vigil Jones (tp)
Lou Soloff (tp)
Lloyd Michaels (tp)
Ray Copeland (tp)
Sonny Costanza (tb)
Jack Jeffers (tb)
Dave Bargeron (tb)
John Gardon (tb)
Frank Wess (as)
Chris Woods (as)
Ernie Wilkins (ts)
George Coleman (ts)
Joe Temparley (bs)
Don Friedman (p)
Victor Sproles (b)
Mousey Alexander (ds)

Arr.
 : Phil Woods : 2,8
 : Frank Wess : 1,5,7
 ; Ernie Wilkins : 4,6,9
 : Billy Strayhorn : 3

Produced by Helen Keane
Engineer : Bob Schwartz

Recorded live at Big Barn on 57st St. next to the Russian Team Room, New York on Feb.15, 1970

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ブルックマイヤーにとってはこのアルバムへの参加も将来に向けての布石だった・・・・

2012-02-09 | MY FAVORITE ALBUM
Gerry Mulligan The Concert Jazz Band ‘63


ボブブルックマイヤーが長年付き合っていたのはスタンゲッツだろう、では一番濃く付き合った相手はというと、それはジェリーマリガンかもしれない。マリガンとブルックマイヤーのピアノレスカルテットは時代を象徴するグループの一つだった。そして、マリガンは60年の3月に前の年から準備を進めていたConcert Jazz Bandを立ち上げた。セプテットなどはあったが、通常のビッグバンド編成に近い大きな編成のレギュラーバンドを組んだのはこれが最初であったろう。ニューヨークで旗揚げしたバンドは、その名の通りレコーディングのためだけの編成ではなくクラブへ出演もし、その年のニューポートジャズフェスティバルにも参加して、各地でまさにその名の通り“コンサート”を行った。

もちろんブルックマイヤーもこのメンバーの一員として最初から参加していたが、ブルックマイヤーはこのバンドでもう一つ重要な役割を果たした。アレンジャーとしてのブルックマイヤーだ。ジェリーマリガンも作編曲は得意。したがって彼ら2人の参加したグループは小編成であっても、きっちり計算された曲仕立てがいつもなされていた。
今回は大きな編成だったので、それぞれのアレンジャーとしての腕の見せ所も今まで以上に広がった。そしてこのコンサートバンドは最初から2人のアレンジだけでなく、最初メンバーとて参加していたビルホルマンや、ジョニーマンデル、ジョージラッセルなどのアレンジなども使っていたが、いわゆるベイシースタイルのビッグバンドとは一味も二味も違うサウンドであった。

それから、約2年経った1962年の12月にこのアルバムは録音された。2年弱の活動であったが、流石にツアーを渡り歩くだけでは経済的にも厳しくコンサートバンドとしての活動は62年には縮小してしまっていた。この録音の前もマリガンはポールデスモンドやブルックマイヤーとのコンビでコンボの演奏は各地で行っていたが、このコンサートバンドの面々が集るのは久々であった。

バンドの主要メンバーであるクラークテリーやジーンクイルは参加しているが、ドラムのメルルイスはこの録音には参加していない。そして、このアルバムにアレンジャーとして新たに加わったのがゲイリーマクファーランドである。62年はアレンジャーとして多くのアルバムにも参加し、大きく飛躍をした年だ。マリガン、ブルックマイヤーのアレンジに加えて、このマクファーランドのアレンジもこのバンドのコンセプトにはピッタリだし、よりモダンになっている。

ブルックマイヤーは、自分の曲でトローンボーンではなく、ピアノを弾いている。エバンスとピアノの共演アルバムを作っている位なので、ブルックマイヤーのピアノのプレーは決して余興ではなく彼の音楽の表現の手段のひとつであろう、このアルバムのピアノのプレーもシンプルだが実に印象的だ。

そして、このオーケストラもこれからという時に、第一期のマリガンのビッグバンドはこの録音を最後にしばらく活動を休止してしまう。ブルックマイヤーが自分のアレンジを持って盟友メルルイスと供にサドメルのオーケストラに参加したのはそれから3年の後。このマリガンのビッグバンドで色々試した事を、再びチャレンジする場をサドメルのオーケストラに求めたのだと思う。

1. Little Rock Getaway
2. Ballad
3. Big City Life
4. Big City Blues
5. My Kinda Love
6. Pretty Little Gypsy
7. Bridgehampton South
8. Bridgehampton Strut


Gerry Mulligan    (bs,cl,p)
Clark Terry      (tp,fhl)
Nick Travis      (tp)
Doc Severinsen   (tp)
Don Ferrara     (tp)
Bob Brookmeyer  (vtb,p)
Willie Dennis     (tb)
Tony Studd      (btb)
Gene Quill      (as,cl)
Eddie Caine     (as,fl)
Jim Reider      (ts)
Gene Allen      (bs)
Jim Hall        (g)
Bill Crow       (b)
Gus Johnson     (ds)

Arranged by Bob Brookmeyer,Gary McFarland,
Produced by Jim Davis
Engineer Ray Hall

Recorded on Dec.18-21.1962, in Webster Hall, New York City
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連夜の歴史的なライブにメンバーの多くは疲れ果てたのではないかと・・・・

2012-01-14 | MY FAVORITE ALBUM
Profiles / Gary McFarland

1966年といえば日本ではビートルズが初来日した年。その年の2月6日、日曜日の夜、翌7日月曜日にサドメルオーケストラの初ライブを控えた、ボブブルックマイヤーやジェロームリチャードソン、ジェリーダジオン、そしてスヌーキーヤング、ダニームーア、さらにはベースのリチャードデイビスなどなど・・各セクションの主要メンバー達が、続々とマンハッタンのブロードウェイに面したリンカーンセンターのフィルハーモニックホールに集結していた。ここは言わずと知れたニューヨークフィルの本拠地、クラッシク音楽のホームグラウンド。エヴリフィッシャーになってからも音響の悪さで昔からすったもんだしていた所だが、ジャズクラブに較べると桁違いの観客が入れる大ホールだ。

ところが、この日のイベントはクラッシクではなく、アレンジャー、ゲーリーマクファーランドのコンサートだった。当時新人アレンジャー達の中で、オリバーネルソンやラロシフリンなどと並んでクローズアップされていた新進気鋭のマクファーランドの作品のお披露目コンサートだった。よくある過去のアルバムで演奏された曲のライブでのお披露目でもなく、定期的に開かれているジャズコンサートにマクファーランドが出演したわけでもない。その日は一夜限りの彼の新作の発表の場であった。その日のために、ニューヨークのトップレベルのミュージシャンに声が掛かった。というわけで、サドメルオーケストラのメンバーの多くにも声がかかった次第だ。特に、木管系の楽器を多用するので各種の持ち替えが効くミュージシャンとなると、人選にも苦労したと思われる。ジェロームリチャードソンなどは、このコンサートのために9種類の楽器を持ち込んだとか。これだけ肝いりで開かれたコンサートなので、リハーサルにも4日もかけたそうで、忙しいメンバー達を拘束するのはさぞかし大変だったであろう。

8時に、VOAのジャズアワーのアナウンサー、Willis Conoverの司会で幕を開ける。



彼のMCの中でも「プランされたものと自然発生的なものに乞うご期待」との一言が入る。
確かに、全編彼らしいアンサンブルが聴き所だがその間のソロもとって付けた様なソロではない。反対にソロを生かす事を思い描いたオーケストレーションとも言える。
彼の作品には自然の風物を題名にした曲が多い。最初の曲も”Winter Colors”と命名された組曲風の曲だ。作編曲もこの題名を十分に意識して書かれたものだろ。他のアレンジャーとは曲作りの取り組み方も違うのかもしれない。次の“Willie”は前の年の夏交通事故で亡くなってまもない友人のトロンボニストのウィリーデニスに捧げた曲。次の“Sage Hands”はサックスセクションのプレーヤーをクローズアップした曲。ピターガンのイントロに似た感じで始まる”Bygones & Boogie“は彼が子供の頃聞いてお気に入りであったブギウギをイメージしたとか。最後の”Milo's other Samba”はボサノバジャズの世界ではひとつの世界を作ったマクファーランドの世界をアピールしている。とにかく多彩な曲想、そして色々な木管を組み合わせた響き、それに合わせた一流どころのソロと、あっという間に終わってしまうが残りの録音が無いのか気になるところだ。

‘ボサノバブームに乗って一躍有名になったが、彼の原点は幅広く色々な音楽を取り入れ、色々な表現をするということに尽きる。初期のアルバムにはアニタオデイのバックもあったが、その後どちらというと軽いノリのアルバム作りに参加することが多かった。このアルバムのように真正面から取り組んだ作品は聴き応えがある。
このコンサートを企画したのはNorman Schwartz。後に、Sky, Gryphonでマクファーランドとはタッグを組む。また、コルトレーンの全盛期にこのようなライブをアルバムにしてラインナップに加えたBob Thieleの度量には感嘆する。

独自の世界を展開させ将来を嘱望されたマクファーランドだが、このアルバムを録音してから5年後、1971年にニューヨークのバーで毒を飲んで(飲まされて?)亡くなってしまう。詳しい状況は発表されていないようだが、これからという時に何とも残念。もし生きていればというのは、早く逝ってしまったジャズの巨人の残された作品を聴くといつも思うことである。



Gary McFarland Conductor, Marimba, Vibraphone

Bill Berry    Brass
Clark Terry    Brass
Bob Brookmeyer  Brass
Joe Newman    Brass
Bob Northern   Brass
Jimmy Cleveland  Brass
Jay McAllister  Brass
Phil Woods    Reeds
John Frosk    Brass
Bernie Glow    Brass
Richie Kamuca   Reeds
Jerome Richardson Reeds
Zoot Sims     Reeds
Richard Davis   Bass
Gabor Szabo    Gutar
Sammy K. Brown  Gutar
Joe Cocuzzo    Percussion
Tommy Lopez    Percussion

All Songs Composed By Gary Mcfarland
Willis Conover Narrator
Produced by Bob Thiele
Engineer : Rudu Van Gelder
Recorded live at Lincolin Center's Philharmonic Hall on Feb.6, 1966



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