Profile / Duke Pearson
ブルーノートをリバティーに売却したアルフレッドライオンを引退する最後までサポートしたのは、デュークピアソンであった。ピアソンはライオンが去った後、残ったフランシスウルフを支えて、70年代の最初までブルーノートに残ったが、ウルフが亡くなるとピアソンもブルーノートを去った。
長いブルーノート生活ではアレンジャー、そしてA&Rマンとしての活躍が長かったが、そもそもピアソンがブルーノートと付き合い始めたのはアルフレッドライオンにピアノのプレーを認められたからであった。
アトランタ出身のピアソンがニューヨークに出てきたのは1959年、ドナルドバードのグループに加わってFuegoのアルバムに参加したのがライオンとの出会いであった。
一目惚れとはこの事だろう。ピアソンのピアノが気に入ったライオンは、すぐにピアソンのトリオアルバムを作った、それが、このアルバム、"Profile"だ。そして2カ月も経たない内に、もう一枚のアルバム"Tender Feelin's"を作った。ピアソンのアルバムとしては一番知られているアルバムだと思う。
そして、それに続くアルバムを期待したファンも多いとは思うが、ピアニストとしての本領を発揮したトリオアルバムというのはほとんどない。
最初に出会ったドナルドバードとはその後も一緒に演奏することが多く、バードとペッパーアダムスとのクインテットにも参加していたが、その後、活動の主体はピアノからアレンジへと移っていった。
そもそもピアソンの音楽家としての生活は管楽器からスタートしたという。何種類の楽器を演奏した中からトランペットを選んで本格的に演奏活動をし始めた矢先、歯か顎に問題が生じトランペットを断念せざるを得なかった。それで、本格的にピアノに転じたのは1954年。20歳を過ぎてからの遅咲きのピアニスト生活のスタートであった。初めてドナルドバードと一緒にレコーディングに臨んだ時は、まだピアニストとしては5年しか経っていなかった。
ピアソンのピアノの良さは、リリカルなプレー、そしてシングルトーンの軽快さと美しさだ。これも、ホーンプレーヤーとしてのメロディーづくりの経験があったからこそできる技ともいわれている。確かに、管楽器プレーヤーでピアノを弾く時のスタイルはそのような感じの演奏が多い。
ピアノをマスターしたプレーヤーにしてみれば、テクニックもないし、物足りないと感じるかもしれないが、反対にそれが良さにもなっているのだろう。
ピアソンがピアノプレーヤーを離れアレンジ&プロデューサーに転じていくにはいくつかのきっかけ、要因があったと思うが、ドナルドバードのグループを離れたのもひとつの原因だと思う。
ハービーハンコックのデビュー話が逸話として残されている。
ドナルドバード&ペッパーアダムスが、シカゴに遠征していた時に、レギュラーピアニストが急に参加できなくなり、地元で演奏していたハンコックのプレーをバードが聴いて急遽起用された。「ハンコックのプレーに感心したドナルドバードは、ハンコックが気に入りそのままニューヨークに連れて帰り、戻ってからも自分のグループに加えて活動を続けた」とある。
実は、この時体調不良で参加できなかったのがデュークピアソンであった。1960年12月、まだピアソンが初のレコーディンを終えてまだ一年しか経っていない時の出来事であった。これをきっかけにしてピアソンはピアニストとしてよりもアレンジャーに軸足を移す。参加する演奏も必然的にアレンジが必要な大編成が多くなる。
確かに初レコーディングを終え、世の中に認められつつあることは自覚できても、シカゴでクラッシクのオーケストラとも共演し神童とも呼ばれていた20歳そこそこのハンコックと自分を比較して、これは自分はピアノでは勝負にならないと思ったのかもしれない。事実、自分を世に出してくれ、その後一年付き合ったドナルドバードが即決でハンコックを採用し、いとも簡単に自分が首になったのだから。
それで、自分の立ち位置を替えて仲間と上手くやっていく道を選んだといってもいいだろう。そのような状況であったが、ドナルドバードとはその後も有効な関係は続く。レコーディングで一緒になることも多く、1967年ピアソンがビッグバンドを立ち上げた時、その相方はドナルドバードであった。ピアソンにとっては自分を世に出してくれた恩人でもある。
このような事情を知るとこのピアノトリオアルバムは貴重だ。ある意味怖さ知らず、世間知らずのピアソンが自由奔放に演奏した結果がこのような素晴らしいアルバムになっているのだろう。
色々な名ピアニストの演奏を肌で知ってしまうと、その後演奏を続けてもピアニストとしては半人前という意識がプレーを委縮させてしまったかもしれない。それ故、ピアノの演奏を自らの生活の中で脇役に追い込んでいったと考えても不思議ではない。
ジャズのいい演奏とは、経験とか技術とは関係無く、内から訴える何かがあると聴き手にも感じさせることだろう。昨今、高学歴のミュージシャンが多く演奏技術には長けていても、何か心に訴える物を感じないということも何か関係がありそうな気がする。
このピアソンの初リダーアルバム、ピアニストとして純な中に何か味わいを感じる。
1. Like Someone in Love Johnny Burke / James Van Heusen 5:30
2. Black Coffee Sonny Burke / Paul Francis Webster 4:32
3. Taboo Margarita Lecuona / Bob Russell 4:57
4. I'm Glad There Is You Jimmy Dorsey / Paul Madeira 4:52
5. Gate City Blues Duke Pearson 5:09
6. Two Mile Run Duke Pearson 5:54
7. Witchcraft Cy Coleman / Carolyn Leigh 5:42
Duke Pearson (p)
Gene Taylor (b)
Lex Humphries (ds)
Produced by Alfred Lion
Recorded at Rudy Van Gelder Studio, Englewood Cliffs, NJ, December 29, 1959
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クリエーター情報なし | |
EMIミュージック・ジャパン |