A DAY IN THE LIFE

好きなゴルフと古いLPやCDの棚卸しをしながらのJAZZの話題を中心に。

ドナルドバードにとって分水嶺となった一枚のアルバム・・・

2015-02-22 | PEPPER ADAMS
The Creeper / Donald Byrd

何事にもおいても変化を迎える時はその予兆があり、それに続いて大きな変化が生じるものだ。後になって思い返してみれば、あの時がその予兆だったのかということは分かるが、その渦中にいる時は、日常のちょっとした変化として見過ごされてしまう。

このアルバムは、例のカスクーナの発掘によって後に世に出たアルバムである。したがって、その当時はファンとしてはそのアルバムの存在すら知ることのできないセッションであった。
自分が、このアルバムを手にしたのはペッパーアダムスが参加しているアルバムだから、特にドナルドバードを追いかけていたわけでない。ペッパーアダムスを主体にこのアルバムを聴けば、アダムスの日々続く色々なレコーディング活動の中の一つにすぎない。ソロの出番が多いことを考えれば、バックのアンサンブルワークだけの仕事に較べると、旧友とのセッションでもあり、アダムス本人は自分も主役の一人と感じていたかもしれない。しかし、このセッションでの演奏が、自分自身の大きな節目になるとは思わなかったであろう。

ところが、このアルバムのリーダー、ドナルドバードにとっては、このアルバムが結果的に一つの区切りのアルバムとなった。
このアルバムのライナーノーツに、カスクーナ自身がドナルドバードについてかなり詳しく書いているが、そこにも、「これはバード自身にとっても分水嶺をなす重要なアルバムだ」と記されている」。

ペッパーアダムスの活動の軌跡を追っていると、このドナルドバードは各年代で頻繁に登場する。そもそも同じデトロイト出身で、同じような活動をしていたという事もあり、当然アダムスとバードとの接点は多い。いや、一緒にコンビを組んだこともあるので、お互い単なる知り合いという以上に2人は非常に密な関係であった。

ニューヨークにデビューしてから10年、同じような道を歩みながら2人のジャズ界におけるポジションはこの時すでに大きく違っていた。2人とも音楽に対して真剣に向き合うスタンスは同じでも、この違いは2人のキャラクター、人生観の違いもあったのかもしれない。

ドナルドバードはニューヨークデビューしてすぐに有名ミュージシャンのアルバム録音に数多く参加し、その勢いで名門ジャズメッセンジャーズにもすぐに加入する。その勢いのまま、ブルーノートで自らのリーダーアルバムを立て続けに出すシンデレラボーイとなった。新人から、一気に檜舞台を歩き続ける存在となり、衆目の注目するところとなった。

当然のように、有名人に仕掛けられる甘い誘惑も多かった。若くしてこのようにちやほやされると、生活も乱れてくるのが世の常だが、このバードの場合は、このような誘いを絶って自堕落な生活に陥ることはなかった。
反対に、約束を守り、必ず時間通りにメンバーを引き連れて現れるバードは、クラブオーナーやプロモーターからも絶大な信頼を得ていたという。

さらに、忙しい演奏活動の合間を縫ってニューヨークでも勉学に勤しんだ。まずは本業の音楽はマンハッタン音楽院で作曲を、さらにコロンビア大学の博士課程に進み、その研究範囲は歴史から法律までに及んだという。さらに作曲はパリでクラッシクについても学んだ。
なるべくして、リーダー、そして教育者としての素養が身に付いていった。企業であれば、幹部候補生が現場の仕事を重ねつつ幹部教育を受け、次期経営者候補に育っていくのと同じだったと思う。

一方のアダムスはというと、仕事の一つ一つの完成度を高めるのに注力していた。自分がサブの立場であれば、自分の役割を確実にこなし、自分がリーダーの時は必要以上に段取りを重視し。周囲への気配りを忘れず、細部の拘りを持って仕事をしていた。

そして、オフの時は文学を愛読し、ツアーに出ると地元の美術館廻りを楽しみにしていた。基本的には職人肌、芸術家肌の現場人間であった。企業でいえば専門職、管理職志向のバードとは必然的に進む道が違っていった。

カスクーナは、1966年のダウンビートにバードのインタビュー記事があったと紹介している。「考える事、計画を立てることは大事だ。僕らは、ミュージシャンである前に一人の人間であり、一人の人間として他人と付き合っていかなければならない。この業界では、ミュージシャンだから好き勝手をしても許されると考える人もいる。遅刻の常習者や、反社会的な行為をする人もいる。けれども、行動は自ら起こさねば。他人が導いてくれるわけではない。未来は自分の手で掴むものだ。」と。
このコメントで、バードはプレー以外でもかなり計算づくで人生設計していたことが分かる。

さらに、バードは続ける、「クインシージョーンズ、オリバーネルソン、ラロシフリン達は皆自分達の出身母体に背を向けることなく、日々の活動の中からさらに多くの事を学び、世間に目と耳をオープンにしている。それに必要なのは音楽の教育(広い素養)と、人との関わりで自分を売り込んでいく技術だ。彼らは、皆それらを身に付けている」と。

これで、バードが目指していたことが読み取れる。決して偉大なプレーヤーになろうとは思っていなかったのだ。
この後、アルバムもしばらく途絶える。充電期間なのか、変身に要した時間なのか・・・?
事実、3年後に演奏スタイルはがらりと変わる。いわゆるエレクトリックバードの世界だ。さらに、その後は、次第にプレー自体が減ってきた。反対に、プロデュース、大学で教鞭をとることが多くなっていった。最後は、黒人の歴史と黒人の音楽の研究に没頭し、書物、写真、譜面、音源などの資料は自宅に入りきらないほどだったようだ。
それがバードの望んだ音楽人生であったのだ。

反対に、ペッパーアダムスは、これから10年以上サドメルのレギューラーに在籍し、その後はソリストに専念した。まさにバリトンサックスプレーヤーとしての職人芸を極めることになる。

このバードの人生観を知り、その後のキャリアを見渡すと、このアルバムはプレーヤーとして主体的に活動してきた最後のアルバムと言ってもいいだろう。その後も演奏は続けたが、バード全体の音楽観の中では、トランペットのプレーはほんの一部であった。

このアルバムのもう一つの特徴は、ピアノのチックコリアとベースのミロスラフヴィトウスの参加であろう。2人との丁度売り出し中の新人であった。

このアルバムでバードは自分のオリジナル曲以外に、チックの曲も2曲演奏している。自分の曲はファンキーに、そしてコリアの曲は完全にコリアの世界だ。そして、スタンダードともいえるシェルブールの雨傘では、実にリリカルにストレートなバラードプレーを聴かせてくれる。アダムスとレッドはお休みだが、コリアのピアノとバードのプレーが秀逸だ。



このアルバムの後、バードを除く他のメンバーはメインストリームジャズの世界を歩み続ける。しかし、バードは、コリアやヴィトウスと一緒に別の新しい道に踏み入る。

コリアは70年にマイルスのバンドに加わり、その後サークルを経てリターンツーフォーエバーへ、ヴィトウスはウェザーリポートへ参加、そしてバードはブラックバードで大変身へ。
新しい道を選んだ3人はそれぞれ一世を風靡する活躍をする。

バードだけでなく、このセッションに参加したそれぞれのメンバーにとってもこのアルバムが分水嶺だったように思う。バードにとっては、新しい試みがある訳でなく、チャンジングな演奏でもなく、今までの演奏に一区切りをつけたようなアルバムだ。

1. Samba Yantra               Chick Corea 9:33
2. I Will Wait For You   Norman Gimbel / Michel Legrand 9:02
3. Blues Medium Rare            Donald Byrd 6:02
4. The Creeper              Sylvester Kyner 4:38
5, Chico-San                 Chick Corea 6:42
6. Early Sunday Morning           Donald Byrd 6:15
7. Blues Well Done              Donald Byrd 6:19

Donald Byrd (tp)
Sonny Red (as)
Pepper Adams (bs)
Chick Corea (p)
Miroslav Vitous (b)
Mickey Rocker (ds)

Produced by Alfred Lion, Frank Wolff, Duke Pearson
Produced for released by Michael Cuscuna
Recorded at Van Gelder Studios, Englewood Cliff, New Jersey on October 5, 1967
Recording Engineer : Rudy Van Gelder

ザ・クリーパー
ドナルド・バード,ソニー・レッド,ペッパー・アダムス,チック・コリア,ミロスラフ・ヴィトウス,ミッキー・ローカー
ユニバーサルミュージック
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人気の出てきたリッチ―コールのライブアルバムをプロデュースしたのは・・・?

2015-02-11 | MY FAVORITE ALBUM
Alive! at The Village Vanguard / Richie Cole

オーレックスジャズフェスティバルが横浜スタジアムを満員にしてジャズ界が盛況を極めていた80年代の初め、ベテラン大物ミュージシャンに交じって新人で注目されたのが、ウイントンマルサリス、そしてリッチーコールであった。

どちらもジャズの伝統に根差したメインストリームのオーソドックスな演奏であったが、2人のタイプは全く違っていた。マルサリスはその後も常に王道を歩み、フュージョンの演奏の誘いも受けなかった。
一方のリッチ―コールの演奏も、フュージョンこそやらなかったが、ビバップオリエンテッドなプレーをポピュラーにする、軽いノリ、明るさやエンターテイメント性を持ち合わせていた。それも時には必要以上におふざけになる位それらを徹底的にアピールしていた。

反対にその軽さが硬派のジャズファンには受け入れられなかった。当時良く一緒にジャズを聴きに行った友人もこのコールには全く興味を示さず、反対に自分は「楽しくていいじゃないか」と言って、良く聴いていた。自分はジャズの線引き議論にはあまり興味はなかったので。

評論家も、神聖なるジャズを冒涜する道化師だと切り捨てる児山氏もいれば、軽薄ではない、バップを現在に生かす方法を知っていると弁護する岩波氏もいた。いずれにしても、議論を呼ぶだけの個性があったということだろう。

ビバップの伝統を引き継いた第一人者であるディジーガレスピーが、日本ではあまり人気が無いのもこの明るさを誇示したからかもしれない。楽しいジャズは、それはそれでいいと思うのだが・・・・。
日本では、ジャズには何故かマイルスやコルトレーン、そしてアートペッパーのようなある種の暗さ、そして精神性が必要で、人気が出る秘訣の様だ・・・。

このリッチ―コールはその楽しいジャズをよりアピールするためか、バンドの名前をアルトマッドネスと命名していた。アルバムもバトル物やライブ物が多いが、このアルバムもその一枚だ。
このアルバムでのバトルの相手は、ホーン楽器ではなくピアノのボビーエンリケ。フィリッピン出身で、リッチに合わせてバカノリのリズムカルなピアノを弾く。ピアノが打楽器の様だ。このエンリケが当時のコールのグループのレギュラーピアニストだった。

曲は、ビバップ時代の名曲、そしてオリジナルも一曲あるが、全編楽しい演奏を聴かせてくれる。オリジナルのAlto Acresでは、珍しくテナーのプレーも聴ける。

そして、ライブの会場はニューヨークのジャズクラブの聖地ともいえるビレッジバンガード。ここから多くのライブの名盤が生まれ、今でも良く聴かれている。しかし、このアルバムは? というとCDで再発されていないようだが、映像は残されている。



このアルバムを出したミューズというビバップスタイルの演奏の復活を試みたレーベルであるが、ソニースティットのようなべテランに交じって、リッチーコールのような新人も起用していた。ちょうどコンコルドで、ベテランに交じってスコットハミルトンが登場したように。ただし、コールに言わせると、演奏をただでプレゼントしたような扱いだったので、この後Museを去ることになる。
リッチーコールは、このミューズで巣立ったが、その前はバディーリッチのビッグバンドの一員であった。根っからのスイング感は、Museで育つ前ここで身に付けたのかもしれない。

このアルバムのプロデューサーは?というと、実は古い録音の発掘王マイケルカスクーナであった。ちょうどブルーノートの再発の仕事も一段落して、新作にチャレンジしようと思ったのかもしれない。

1. Punishment Blues
2. Body and Soul
3. Samba de Orfeu
4. Yardbird Suite
5. Alto Acres
6. Red Top

Richie Cole (as,ts)
Bruce Forman (g)
Bobby Enriquez (p)
Marshall Hawkins (b)
Scott Morris (ds)

Produced by Michael Cuscuna
Engineer : Dave Hewitt
Recorded live at The Village Vanguard, NYC on June 24, 1981

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

残り物を集めたバラエティセットは中には当たりも・・・

2015-02-10 | PEPPER ADAMS
New Time Shuffle / Stanley Turrentine

昔のアルバムがCDで再発される時にLP時代に未収録であった曲が追加されることは多い。別テイクをやたら数多く収めるのは時には如何な物か?と思うが、未発表曲が収められるのはファンとしては嬉しいものだ。

セッション全体がお蔵入りしていた場合は、新アルバムとしてのリリースとなる。ブルーノートやヴァーブなどメジャーレーベルでその数が多い場合は、それらのアルバム全体がシリーズ化された事もあった。
未発表セッションが特に多かったブルーノートの発掘は、残り物とはいえない素晴らしい演奏も多く当時大きく話題になったものだ。

それを手掛けたのが、プロデューサーのマイケル・マスクーナ。最初は新アルバム制作のプロデュースも行っていたが、1975年〜81年にかけてはブルーノートの発掘に注力していた。
その後は、モザイクレーベルを自ら設立し、こちらでもミュージシャン別にテーマを決めてボックスセットでの再発を行っている、業界の発掘王ともいえるリイシュープロデューサーだ。

このアルバムも、カスクーナのプロデュースによって未発表セッションが世に出たものである。スタンレータレンタインは当時から人気があったせいか、セッションそのものの回数も多く、未発表曲が人一倍多かった。
アレンジャーとして参加したデュークピアソンも再リリースを手伝ったが、タレンタインの場合はあまりに数が多く一度ベスト物を出した。CDになってさらに未発表曲が追加され、結果的に、このアルバムは1967年2月17日と6月23日の両日録音されたすべての曲が収録されている。
売れ残りを色々組み合わせたが、最後に残ったものを全部束にして売り出したといえばそれまでだが。

自分の場合は、特にスタンレータレンタインの熱烈ファンという訳ではない。
ペッパーアダムスのセッションを追いかけて最近入手したという事情に加え、この所、デュークピアソンがアレンジしたアルバムを多く聴いたせいもあり、それほど期待もせずに一曲目を聴く。

いきなり場末のキャバレーのバンドの歌のバックのような出だしで、タレンタインのテナーも変り映えはしない。やはり残り物だけの事はあるなと思い3曲続けて聴く。クランショのベースもエレベでR&Bバンドの感じ、ジョーザビヌルのタイトル曲も今一つ。

4曲目から少し雰囲気が変る。ここから6曲が、アダムスも加わった2月17日のセッション。同じ、ピアソンのアレンジだが少し雰囲気が違う。メンバーも違うが、アダムスを含むサックスの3人は当時のサドメルのオーケストラの3人だ。アンサンブルの厚いサウンドが心地よい。アレンジでもフルートやクラリネットに持ち替えてサドジョーンズ風の雰囲気が出ている所も。ボサノバではバッキーピザレリのギターが効果的だ。トランペットにドナルドバードも加わり短いソロも。アダムスは特にソロは無い。

バードとアダムスとは前年久々に再会してコンビを組んでライブを行ったが、この一連のピアソンのセッションでも良く一緒になっていた。また、2人で一緒にやろうかという雰囲気にもなったのか、久しぶりの録音は10月に実現する。これもお蔵入りしていたが。

結果的には、どんな曲でもこなすタレンタインに、色々なスタイルのアレンジを提供した、まとまりのないアルバムとなっている。反対に一枚で色々楽しめるという事にもなるが、スタンレータレンタインのプレーだけは、バックのメンバーが変っても、アレンジの雰囲気が変ってもマイペースだ。

ピアソンもこのようなバックのアレンジが続くのにはいささか閉口していたのだろう。思いっきりアレンジに腕を振るったビッグバンドを編成し、この録音の1週間後にはハーフノートでライブをスタートさせていた。

ペッパーアダムスは、サドメルのレギュラー活動に加え、このピアソンのビッグバンドにもレギュラーとして参加するようになった。このピアソンのビッグバンドの録音は12月に行われる。

皆、サイドメンとして参加をしながら、メンバー同士では色々と次の策を練っていた。

1. Return Of The Prodigal Son
2. Ain't No Mountain High Enough
3. New Time Shuffle
4. Blues For Del
5. Manha De Carnaval
6. Here's That Rainy Day
7. What Now, My Love
8. Night Song
9. Samba Do Aviao
10. She's A Carioca
11. Flying Jumbo (Prez Delight)
12. Bonita

<#1〜#3 & #10〜12>
Joe Shepley, Marvin Stamm (tp, flh)
Garnett Brown, Julian Priester (tb)
Al Gibbons (as, fl, bcl)
Stanley Turrentine (ts)
Joe Farrell (ts, fl)
Mario Rivera (bs)
McCoy Tyner (p)
Bob Cranshaw (b)
Ray Lucas (ds)
Duke Pearson (arranger)

Recorded at Rudy Van Gelder Studio, Englewood Cliffs, NJ, June 23, 1967

<#4〜#9>
Donald Byrd (tp)
Julian Priester (tb)
Jerry Dodgion (as, fl)
Stanley Turrentine (ts)
Joe Farrell (ts, fl)
Pepper Adams (bs, cl)
Kenny Barron (p)
Bucky Pizzarelli (g)
Ron Carter (b)
Mickey Roker (ds)

Duke Pearson (arranger)
Recorded at Rudy Van Gelder Studio, Englewood Cliffs, NJ, February 17, 1967

Produced by Alfred Lion
Produced for release by Michael Cuscuna


ニュー・タイム・シャッフル+6
クリエーター情報なし
ユニバーサルミュージック
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お蔵入りしていたハービー・ハンコックの「ブルーノート」デビュー作は・・・

2014-04-04 | PEPPER ADAMS
Chant / Donald Byrd

さて、ペッパーアダムスのアルバム紹介も前回のWarwick盤で1961年に入っている
4年目に入ったアダムス&バードのコンビもこの1961年が最後の年になる。

皮肉な事に、前年の秋からのツアーも好評の内に終え、新たなメンバーにハービー・ハンコックも加わって益々期待が持てるスタートを切ったバード&アダムスクインテットであったのだが・・・。

事実、この年は2人にとってはこのクインテットでの活動が中心となり、ライブツアーも北東部だけでなく全米中を駆け巡って行われた。
レコーディングもバードの契約先であるブルーノートで3枚行われる、他にもライブの録音が陽の目をみているし、苦節三年やっとアダムス&バードのコンビの活動も軌道に載ってきたのだが、何故・・・?

ブルーノートでの3枚もフロントラインはバードとアダムスの2人だけ、これまではゲストのホーンが必ず加わっていたが、アダムスもクインテットとしてやっと認知されたようだ。しかし、ブルーノートの契約は相変わらずドナルドバードだけであり、アダムスは最後までブルーノートとは契約ができなかったのだ。

この年のブルーノートでの最初の録音は、このアルバム4月17日の“Chant”であった。

実は、このアルバムは当初お蔵入りされて、例のカスクーナの発掘シリーズによって1979年になって初めて陽の目を見たアルバムだ。ジャケットのデザインもこのシリーズで共通のブルーノートらしからぬレインボーデザインがオリジナルデザインとなっている。
演奏の完成度が高くとも諸々の事情でお蔵入りすることが多かったブルーノートなので、このアルバムがお蔵入りした理由にも興味が沸く。

1月にWarwick盤を録音したハンコックを加えたバード&アダムスクインテットの面々は、
ハンコックの故郷であるシカゴのBirdhouseに戻って凱旋ライブを行う。
ハンコックにとってもシカゴを離れて演奏したのは今回が初めてだったので、里帰りは嬉しかったであろう。

ドラムにはこのアルバムに加わっている無名のテディー・エドワーズがそのまま参加している。無名のドラマーだが、このテディーのドラミングが実にメロディアスだ。新メンバーで2月、3月と休み無くツアーを続け、3月の一週に再びシカゴへ。そして、さらにツアーは続き、4月2日にロチェスターでの演奏を最後に、バードは、今度はベースのレイモン・ジャクソンを首にする。

クインテットのツアーはここで中断し、17日にルディーバンゲルダースタジオでこのアルバムの録音に臨むことになる。
ピアノは加入してすでに4ヶ月経ったハンコック、ベースには旧友でありデトロイト仲間のダグ・ワトキンスが加わり、ハンコックのブルーノートへのデビュー作としては申し分の分ない布陣であった。しかし何故お蔵に・・・?

そして、2週間後の5月2日にはもう一枚Catwalkを録音する。こちらのピアノは以前のメンバーであったデュークピアソン。どうやらこの辺りに理由がありそうだ。

さて、このアルバムであるが販促用のキャッチコピーは、
・ハービー・ハンコックのブルーノートでの初録音
・幻の?ドラマー、テディーロビンソンの参加
・ピアソンの名曲「チャント」の初演
ということになるのだが、

他にも、まずは一曲目のアイム・アン・オールド・カウボーイ。ロリンズのWay out Westでの演奏で有名だが、この曲はWarwick盤でも演奏している。ライブ用のレパートリーの一つであったのだろう。バードのファンキーなオリジナルが2曲、そしてアダムスファンとして、最後のアダムスをフューチャーしたお馴染みのソフィスティケイテッドレディーのバラードプレーが嬉しい。バードとのコンビではファンキーなゴリゴリサウンドが多いが、アダムスのバラードプレーも捨てたものではない。ライブではこのアダムスのプレーもショーケースであったようだ。選曲もバラエティーに富んでいる。

ということで、アルバムコンセプトを大事にするブルーノートとしては、このアルバムは色々な要素がテンコ盛りだったのでお蔵入りしたのかもしれない。また、この時すでに将来を有望視されたハンコックをきちんと売り出したかったのか・・・?

いずれにしても、ブルーノートでのバード&アダムスの路線変更のきっかけともいえるこの一枚が無事に陽の目を見てよかった。

↓ このYou Tubeの演奏はWarwick盤の演奏のようだ。ブルーノート盤はテンポがもう少し速く、ソロの順序もバードから。



1. I’m An Old Cowhand       Johny Mercer 7:34
2. You’re Next           Donald Byrd 7:22
3. Chant              Duke Pearson 8:53
4. That’s All            B.Haymes-A-Brandt 9:34
5. Great God           Donald Byrd 6:59
6. Sophisticated Lady        D.Ellington 4:33

Donald Byrd (tp)
Pepper Adams (bs)
Herbie Hancock (p)
Doug Watkins (b)
Teddy Robinson (ds)

Produced by Alfred Lion
Produced for release by Michael Cuscuna
Recorded on April 17 1961 at Rudy Van Gelder Studios,New Jersey


チャント
ドナルド・バード
ユニバーサルミュージック
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フリージャズのサド・ジョーンズは初めて聴いたが・・

2014-01-03 | Thad Jones & Mel Lewis & VJO
A Tribute To Monk and Bird / Heiner Stadler

今年の正月はのんびりしている。特に遠出もせずにゴルフの予定も3が日は無い。初詣を兼ねて近所をブラブラ、明日は墓参りにでも行ってみようと思う。

時間があるので整理を兼ねて久々にレコード棚を眺めていると、すっかり忘れてしまっていたアルバムもちらほら。学生時代は熟考吟味を重ねてなけなしの小遣いで買い求めていたので、それぞれに思い出と愛着のあるあるアルバムばかりだが、最近のネットでの衝動買いでは愛着も起きない。便利になりすぎるのは如何なものかと思う。

その中でもジャケットは覚えていても中身が思い出せないアルバムも何枚も。このアルバムもその一枚。有名なジャズの巨匠に捧げたアルバムは何枚もある、似たようなタイトルでメンバー違いはいつもの事。このアルバムも果たして誰がやっていたのかを多い出せなくて、手に取ってしげしげと見ると最初にサドジョーンズの名前が。

サドジョーンズのアルバムはサドメルのみならず買い求めることが多いので、それで買ったのか、否、アルバムで買ったのか、何かお勧めを見たのか・・・? その辺りの事情が思い出せない。いよいよボケの始まりかもしれないが・・・。

必死に思い出そうとしてライナ―ノーツを目で追う。
曲はモンクとバードのお馴染みの曲、メンバーを見るとサドジョーンズと共演するにしては他のメンバーは若手が揃っている。サド一人が浮いている感じがするが・・・。
レーベルはTomato、記憶にない。プロデューサーはあのブルーノートの発掘で有名なマイケル・カスクーナ。生き字引のカスクーナがプロデュースするのであれば、これは過去の名演の再演かと期待が増す。

さらに、ライナーノーツを斜め読みすると、モンクやバードの曲はシリアスにやらねばダメ、エレキを使ったファンクなどはもっての外とか、モンクのアルバムでは5BY5のサドジョーンズのプレーが他のアルバムに登場するホーンプレーヤーよりはいいプレーをしているとか・・・の記述が。

益々サドジョーンズが若手を従えてモンクやバードの曲をカバーしたアルバムとの確信を持ち始めたが、今一つ確信を持てない。サドジョーンズの関わったアルバムなら、その辺りは何か覚えているはずなのに。
そしてサウンドを思い出せないままに、2枚組の最初の盤がターンテーブルに乗る。
かなり斬新なアレンジだが、サドの作風ではない、皆のソロが続くがプレーぶりはいつものプレーと較べると自由奔放、というよりFree Jazzの世界に。

そして、ジャケットの下に、多分皆さんは”Heiner Stadler”という名前を知らないと思うが・・との記述が。

実は、このアルバムは実質的にこのポーランド出身のアレンジャーHeiner Stadlerのアルバムだった。フリージャズを志向する作風で、このアルバムの作品自体も1975年に”Homage to Bird and Monk”で一度は発表された作品集とのこと。

自分は昔と比べるとかなり何でも聴くし、最近は受容性が高まっていると思う。あのエレキトリックマイルスも心地よく聴けるし、集団でフリーインプロビゼーションはニューオリンズジャズと同じではないかと思うと興味が湧いてきたところなのだが・・。
このアルバムだけは、せっかく整理がついたイメージとかなり違ってしまったので、戸惑ったままあまり面白くないフリージャズで終わってしまった。

昔一度会ったことのある女性と突然デートをすることになり、必死になってどんな女性だだったかを思い出そうと思い、探れるだけのプロファイルを調べ、妄想を働かせていざデートに臨んだら、「全くイメージと違う女性がいきなり登場して、さてどう対処してよいか困惑した」といった感じだ。

サドジョーンズがサドメルを突然辞めたのが1978年。このアルバムの録音は奇しくもその1978年の1月。このアルバムでサドジョーンズは何の役割を求められ、実際に何をしたのか非常に興味が湧いてきた。そして、このアルバムに参加してサドジョーンズは何を感じたのだろうか・・・? それが、サドメル退団に関係するのか、しないのか・・・?

きっと、このアルバムは再度イメージを作り直して聴くと何か別の感じる物があると思う。スタドラーがトリビュートアルバムとして訴えたいことが見えてくることを信じて、近々また聴き直してみようと思う。

Disc 1
1. Air Conditioning            Charlie Parker 12:46
2. Ba-Lue Bolivar Ba-Lues-Are     Thelonious Monk 18:47
3. Au Privave               Charlie Parker 6:04

Disc 2
1. Straight, No Chaser           Thelonious Monk 7:06
2. Misterioso               Thelonious Monk 8:10
3. Perhaps                Charlie Parker 5:52

Thad Jones (cor. flh)
George Adams (ts.fl)
George Lewis (tb)
Stanley Cowell (p)
Reggie Workman (b)
Lenny White (ds)
Warren Smith (tympani)
Cecil Bridgewater (tp)

Produced by Michael Cuscuna
Conceived, Arranged and Conducted by Heiner Stadler
Recording by Chuck Irwin
Recorded on January 17, 18, 19 1978 at CI Studio New York


Tribute to Bird & Monk
Thad Jones
Labor Records
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分の曲を他人の編曲で演奏すると・・・・

2013-10-18 | MY FAVORITE ALBUM
The Gerry Mulligan Songbook / Gerry Mulligan and Sax Section

ジェリーマリガンはプレーヤーとしてだけでなく作編曲家としても有名だ。
ウェストコーストサウンドに代表されるクールジャズの代表格としてのマリガンサウンドは、マリガンのアレンジによって作られたといってもいいだろう。といっても、マリガンは決して西海岸を拠点として活動して訳ではない。

マリガンが音楽活動を始めたのはピアノから。自らも時にはピアノを弾く。だからピアノレスの編成が多いという訳でもないとは思うが。そしてクラリネット、バリトンサックに転じて表舞台に登場する。
しかし、プレーヤーとして頭角を表す前からアレンジャーとして活動を始める。いくつかのバンドにアレンジを提供し、クロードソンヒルにアレンジを提供したのはまだ20歳になったばかり。音作りの上手さは天賦の才能だろう。

プレーヤー、そしてアレンジャーとしても参加した初期の有名なアルバムは何と言ってもマイルスのクールの誕生だろう。このアルバム自体が当時の一般的なジャズアルバムと並べてみると特異なアルバムだ。マリガンもデビュー当時から「普通の人」とは、ちょっと違う道を歩み出していたのかもしれない。

50年代に入ると、あのチェットベイカーとのピアノレスカルテットが誕生する。
ドラッグで一時一線を退いたが、ボブブルックマイヤーとのコンビで復活を果たす。
そして、50年代の後半はいわゆるMEETSともいえる、色々なプレーヤーとの共演アルバムが続く。モンクからゲッツ、そしてベンウェブスターとスタイルや楽器の違いはものともせず、ディキシーからモダンな演奏まで、自分のスタイルを貫きながら得意のコンビネーションプレーを発揮する。これが、マリガンのプレーの特徴だ。

60年代に入ると自分の音作りをより深めるためにビッグバンドを作って新しい世界に入るが、50年代の活動がマリガンの長い活動歴の第一期だろう。

この節目に一枚のアルバムを作っている。
作曲家としても有名なマリガンは、ここまでにも多くの曲を作っているが、それらの曲を自ら演奏するソングブックアルバムだ。

このアルバムは、よく見ると単なる自作自演のソングブックではなく、面白い試みがいくつかある。
まずは管楽器の編成。ホーン楽器を使わずサックスだけ。集めたメンバーも一流揃いだが普段使っている楽器の持ち替えもある。例えばズートシムスがアルトとか。

ピアノレスはいつもと同じだがギターが加わっている。それもフレディーグリーンが。当然いつものカルテットよりリズムが強烈になっている。

そして肝心なアレンジはマリガンかと思いきや何と全曲ビルホルマン。マリガンはプレーヤーに徹している。

アレンジャーも変えて編成も変えると結果としてどんな音が出てくるかと思うと、マリガンサウンド。アレンジャーはよく演奏するプレーヤーを意識するという。この場合は、曲、プレーヤー、そしてバンドカラーまでマリガンを意識したのかもしれない。流石のホルマンも全く曲想を変えるわけにはいかったのかもしれない。反対に見事にマリガンサウンドを引き継いでいる。演奏しているマリガンもご満悦であったろう。
マリガンとホルマンの出会いはスタンケントンオーケストラを通じて。マリガンとケントンは肌合いが合わなかったようだが、ホルマンはマリガンの技をしっかり身に着けたという。その成果をマリガンにお返ししたのかも。

CD化されたこのアルバムには未発表だったエクストラトラックが4曲。これもストリングを加えたバックのマリガン節。これはマリガンのアレンジだが普段聴けないサウンドだ。しかし、パーカーのウィズストリングスとは異なり、ストリングスバックでもマリガン節のアレンジは健在だ。



1. Four and One Moore               Gerry Mulligan 4:23
2. Crazy Day                   Gerry Mulligan 7:05
3. Turnstile                   Gerry Mulligan 7:53
4. Sextet                    Gerry Mulligan 4:18
5. Disc Jockey Jump song review         Gerry Mulligan 4:35
6. Venus de Milo                 Gerry Mulligan 5:08
7. Revelation                  Gerry Mulligan 5:01
8. Mayreh                     Horace Silver 6:02
9. The Preacher                  Horace Silver 6:25
10. Good Bait             Count Basie / Tadd Dameron 4:39
11. Bags' Groove                  Milt Jackson 3:55

1~7
Gerry Mulliga (bs)
Zoot Sims (ts,as)
Al Cohn (ts,bs)
Allen Eager (ts,as)
Lee Konitz (as)
Freddie Green (g)
Henry Grimes (b)
Dave Bailey (ds)

Arranged by Bill Holman
Recorded in New York City on December 4&5 1957

8~11
Gerry Mulligan (bs)
Dick Wetmore (Violin)
Vinnie Burke (b)
Paul Palmieri (g)
Calo Scott (cello)
Dave Bailey (ds)
Recorded in New York City on December 5 1957

Richard Bock : Producer
Michael Cuscuna : Reissue Producer


Gerry Mulligan Songbook
クリエーター情報なし
Blue Note Records
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Blue Note 1500番台の再発掘の中に・・・・

2013-04-01 | PEPPER ADAMS
Poppin’ / Hank Mobley

モダンジャズのバイブルといえばブルーノートの1500番台。昔からのジャズファンだと自認する者は、このシリーズを知らぬ者はいないと思う。1952年録音のMilesのBLP1501から始まるシリーズは、BLP1599のBennie Green - Soul Stirrin'までのすべてがこの時代のジャズのドキュメンタリーその物である。
この1500番台であるが、1544のHank Mobely & his all stars以降のアルバムは、1957年初から1958年5月までの約1年半の短期間に録音されたものだ。いかに57年、58年のいわゆるハードバップ時代の名演が一気に花開いたかが分かる。

この間はブルーノートだけでなく、各レーベルとも毎週のようにレコーディングセッションが行われていたが、それら中には陽の目を見ずにお蔵入りしていたセッションもいくつかある。特に、内容が悪いからではなく、あまりの発売枚数の多さに何らかの調整・段取りがつかずに発売タイミングを逸したのであろう。

これらを世に出したのは、日本のジャズファンの後押しであった。特にこのブルーノート1500番台が大好きな日本の関係者の尽力で、1500番台の未発売シリーズとして新たに何十枚という遺産が東芝から発売された。
当時は、ファンもレコード会社も、そして評論家やプロデューサーも皆「元気」であった。平成に入ってからを失われた20年と言われるが、こんな所でも当時の活力を懐かしく思う。このアルバムも最初に出たアナログ盤は、すでに高値がついているようだ。

その中の一枚に、このハンクモブレーのアルバムがある。モブレーは多くのアルバムを残しているが、自分のレギュラーグループは?というと思い浮かばない。
このアルバムのセッションに参加しモブレーの相方を務めたアートファーマーはベニーゴルソンと、そしてペッパーアダムスはドナルドバードとその後レギュラーグループを組んだのだが。作曲も得意なモブレーが何故・・・?
ライナーノーツを見るとライブレコーディングが少ない理由も、自分がリーダーとなったレギュラーグループを持ち得なかったため。それは人が良すぎるのか、気が弱いのか、音楽以外の事には関心が無いのか・・・といった旨のコメントがあり納得した次第。
よくある名プレーヤーが監督になれない、仕事に長けた専門職が管理職になれないというのと同類かもしれない。

反対に、レギュラーグループを持たずにアルバムが多いということは、誰とやってもうまくやれる人気者ともいえる。ジャズメッセンジャーズにも加わっていたし、あのマイルスとも一緒にやっていた。

アダムスはこの時期ブルーノートには2回のセッションに参加している。9月29日にリーモーガンとのセッションに参加したばかり、今回はアートファーマーとモブレー。相手が代わってもアダムスの好調ぶりは変わらない。
この1500番台の再発掘、そしてこのモブレーのアルバムが出たことにより、アダムスの当時の元気な演奏を聴けるブルーノトでのもう一回のセッションも無事に陽の目を見ることができた。




1. Poppin' (H.Mobley)
2. Darn That Dream (Van Heusen-DeLange)
3. Gettin' Into Something (H. Mobley)
4. Tune Up (M. Davis)
5. East Of Brooklyn (H. Mobley)

Art Farmer (tp)
Hank Mobley (ts)
Pepper Adams (bs)
Sonny Clark (p)
Paul Chambers (b)
Philly Joe Jones (ds)

Produced by Alfred Lion
Reissue Produced by Michael Cuscuna
Recording Engineer : Ruddy Van Gelder
Recorded at Rudy Van Gelder Studio, Hackensack, NJ, October 20, 1957

ポッピン
ハンク・モブレー,ソニー・クラーク,ペッパー・アダムス,ポール・チェンバース,アート・ファーマー,フィリー・ジョー・ジョーンズ
EMIミュージック・ジャパン
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする