評論家・山崎元の「王様の耳はロバの耳!」
山崎元が原稿やTVでは伝えきれないホンネをタイムリーに書く、「王様の耳はロバの耳!」と叫ぶ穴のようなストレス解消ブログ。
映画「魂萌え」でどうしても気になること
風吹じゅん主演の映画「魂萌え」は、目下、まずまずの好評をもって上映されているようだ。たまには、邦画も見てみようと思って、先日見てきたのだが、一点どうにも気になる点がある。
推理物ではないし、ストーリーを知っていて鑑賞に差し支えはないと思うが、以下、ストーリーに触れるので、全くの先入観無しにこれから観よう、と思っておられる方は、拙文を読むのをここでストップして欲しい。(抗議には責任が持てない)
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全体のストーリーは、雑誌などでも既に紹介されているとおり、風吹じゅん演じる専業主婦の夫(寺尾聡)が60歳の定年の2年後に急死して、実は、彼が、隠れて付き合っていた愛人(三田佳子)が居たことが分かる、という話だ。女二人の確執と、主人公が生き生きと「再生」する話が描かれている。愛人は、夫が勤めていた会社の社食の栄養士で、男(寺尾聡)に一部資金を出して貰って(後から分かる)、蕎麦屋を経営している。夫は、後で一緒に蕎麦屋をやろう、というようなことも言っていたらしい。
一つのキーになっているシーンとして、定年の日に酒に酔った夫(寺尾聡)が、台所にいる妻(風吹じゅん)の手を取って話しかけるシーンがあるのだが、妻は夫の死後、夫がその時に何を言っていたのかが思い出せない。夫は、定年の日に、アメリカにいる息子(父親の死後、帰ってくるのだが、なかなか迷惑な人物)に電話を掛けているのだが、このときに、父が息子に何を言ったのかを、後から、主人公は聞くことになる。
ラスト近くで、息子は「パパは、あの日、はじめてお母さんと握手したって言っていたよ。それで、僕に、おかあさんのことをよろしく頼むって、言ったんだ」と母に告げる。
息子は性根を入れ替えたようでもあり、息子と母親の関係が修復され、夫は、妻のことを気に掛けていたのだ、ということが分かるのだから、このシーン自体の後味は明るい。
しかし、夫の定年の日のに遡って考えると、夫は、愛人と蕎麦屋をやろうと思っていて、つまり、妻と別れるつもりでいて、息子に「お母さんのことをよろしく頼む」と言っていた、と解釈することが可能だし、この考えの方がむしろ信憑性がある。
監督は、複雑な終わり方にしようと考えたのかも知れないが、主人公が、どちらだと思ったのかが描かれていないので、映画を見終わった後、大いに気になっている。考えるポイントが多いし、役者さんも皆そこそこなので、いい映画だと思うし、観て良かったと思うのだが、ここのところがスッキリしない。
どなたか、この映画をご覧になった方に、ここはどう考えたらいいのかを、お聞きしたい。
ちなみに、先日の、フジテレビの「とくダネ!」では、大映画評論家のおすぎ氏が、三田佳子の演技が「凄い」とと褒め、また、豊川悦司が演じる落ちぶれてカプセルホテルにいる男について、「彼なら、ホストにでもなれば稼げるのに」というご感想を仰っておられた。
今年は、いよいよ離婚の際の年金分割が始まるので、熟年離婚が増加することが、ほぼ確実視されている。離婚であるにしても、この映画のように、死別であるにしても、たとえば、老いた妻の側は、風吹じゅんのような容姿ではないだろうし(あんなに、簡単に「魂萌え」できるものではなかろう)、この映画の設定のように、家とお金が生活に心配ないだけ残る、ということも少ないだろう。夫の方も、同様だし、一人での日常生活力が劣る分、男性の方がもっと大変だろう。
幸せな晩年を用意するには、かなりの努力と、幸運が必要と思える。
推理物ではないし、ストーリーを知っていて鑑賞に差し支えはないと思うが、以下、ストーリーに触れるので、全くの先入観無しにこれから観よう、と思っておられる方は、拙文を読むのをここでストップして欲しい。(抗議には責任が持てない)
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全体のストーリーは、雑誌などでも既に紹介されているとおり、風吹じゅん演じる専業主婦の夫(寺尾聡)が60歳の定年の2年後に急死して、実は、彼が、隠れて付き合っていた愛人(三田佳子)が居たことが分かる、という話だ。女二人の確執と、主人公が生き生きと「再生」する話が描かれている。愛人は、夫が勤めていた会社の社食の栄養士で、男(寺尾聡)に一部資金を出して貰って(後から分かる)、蕎麦屋を経営している。夫は、後で一緒に蕎麦屋をやろう、というようなことも言っていたらしい。
一つのキーになっているシーンとして、定年の日に酒に酔った夫(寺尾聡)が、台所にいる妻(風吹じゅん)の手を取って話しかけるシーンがあるのだが、妻は夫の死後、夫がその時に何を言っていたのかが思い出せない。夫は、定年の日に、アメリカにいる息子(父親の死後、帰ってくるのだが、なかなか迷惑な人物)に電話を掛けているのだが、このときに、父が息子に何を言ったのかを、後から、主人公は聞くことになる。
ラスト近くで、息子は「パパは、あの日、はじめてお母さんと握手したって言っていたよ。それで、僕に、おかあさんのことをよろしく頼むって、言ったんだ」と母に告げる。
息子は性根を入れ替えたようでもあり、息子と母親の関係が修復され、夫は、妻のことを気に掛けていたのだ、ということが分かるのだから、このシーン自体の後味は明るい。
しかし、夫の定年の日のに遡って考えると、夫は、愛人と蕎麦屋をやろうと思っていて、つまり、妻と別れるつもりでいて、息子に「お母さんのことをよろしく頼む」と言っていた、と解釈することが可能だし、この考えの方がむしろ信憑性がある。
監督は、複雑な終わり方にしようと考えたのかも知れないが、主人公が、どちらだと思ったのかが描かれていないので、映画を見終わった後、大いに気になっている。考えるポイントが多いし、役者さんも皆そこそこなので、いい映画だと思うし、観て良かったと思うのだが、ここのところがスッキリしない。
どなたか、この映画をご覧になった方に、ここはどう考えたらいいのかを、お聞きしたい。
ちなみに、先日の、フジテレビの「とくダネ!」では、大映画評論家のおすぎ氏が、三田佳子の演技が「凄い」とと褒め、また、豊川悦司が演じる落ちぶれてカプセルホテルにいる男について、「彼なら、ホストにでもなれば稼げるのに」というご感想を仰っておられた。
今年は、いよいよ離婚の際の年金分割が始まるので、熟年離婚が増加することが、ほぼ確実視されている。離婚であるにしても、この映画のように、死別であるにしても、たとえば、老いた妻の側は、風吹じゅんのような容姿ではないだろうし(あんなに、簡単に「魂萌え」できるものではなかろう)、この映画の設定のように、家とお金が生活に心配ないだけ残る、ということも少ないだろう。夫の方も、同様だし、一人での日常生活力が劣る分、男性の方がもっと大変だろう。
幸せな晩年を用意するには、かなりの努力と、幸運が必要と思える。
コメント ( 13 ) | Trackback ( 0 )
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週刊朝日でお名前を知り今に至ってます。
今日、72才になる実母と『魂萌え』見に行く予定です。原作も読み、NHKでドラマ化された時の印象もあるので楽しみにしています。山崎さんと同じ違和感を持てるかしら。
実母も死別して1人暮らしですが編み物・唄の会・マージャン・市民大学講座など忙しくしています。同じ会の男性については知ってる事を自慢げに吹聴する、話しが長いなど文句ばかり。とてもロマンスに発展しそ~にないです。
PCで株の運用もしてて、桁を間違えないか
とても不安です。
熟年離婚ってホントに増えるのですか?
分割した半分の生活費で同じレベルの生活が維持でるのかな?
「お母さんのことをよろしく頼む」という言葉は、自分の死を予感していたことも感じさせますし。
夫婦の生活の中でたとえ波風があったとしても、節目になった折にどのような心情を抱くかによって、人として癒されたり、許すことができたりする、その安らかな気持ちを描いたのかもしれません。
いらっしゃいませ。
確かに、分割した年金だけで食べていくことは殆どの場合無理でしょうが、それをみすみす相手に渡すのも嫌だ、という心理があるのでしょうし、急ぐと明らかに損だ、という側面があると、行動がにぶるのでしょう。そんな、わけで、年金分割待ちの熟年離婚が数多く控えているのではないか、と私は推測しています。
>waremokouさま
素直な見方をすると、仰るとおりだと思うのですが、愛人に蕎麦屋の資金を与え、店に手伝いにも行っていた、主人公の夫(寺尾聡)の行動を考えると、あの時点で、妻と別れようと思っていた、という解釈を消しきれません。
はっきり言って、仰るような素直な見方を期待して作った映画なのだとすると、検討の足りない雑な脚本だ、と思う訳なのです。
夫は家庭以外に内緒の人間関係、生活をもっていて
しかも資金援助までしていたし、不誠実な自分勝手さがあるように思えます。(それが理想どおりに生きられない人間の姿なんだと思っているので否定する気はないのですが)
かく言う私も自分を悪者にしたくなくて、つい方々にいいことを言ってしまうことがあるので、妻や愛人を思いやっている部分もありましょうが案外自分の死期に及んでもそんな事を言ってしまうかなって、あくまで自分本位の部分を捨ててないのかなと思いました。
もちろんフィクションですがなんとなくそう考えてみてました。
妻も愛人もどっちも美人なのに持ったいないなぁ。ちなみに私女性ですのでそんな男の人に振り回される女の人の人生がもったいないと考えてです。
映画の中に、愛人(三田佳子)が主人公(風吹じゅん)に「たかさん(←ご主人のこと)が、昔、あなたのことを、古い家具みたいなものだって言っていましたよ」という台詞があります。
これに対して、主人公は「あなた、古いんだか、新しいんだか、良く分からないけど、結局、彼は、家具を買い換えようとはしなかったのよね」というような台詞で応戦します。
ちなみに、三田佳子さんが演じる愛人は、元社食の栄養士で、白髪まじりの頭、顔も歪みがちで、方言のなまり有り、しかし、見ようによっては色っぽいかも知れない、というような変な女に描かれていて、これを三田佳子は、怪演していて、印象としては、風吹じゅんを喰っています。
本題に戻って、夫(寺尾聡)の息子に対する「かあさんのことを、よろしく頼むね」ですが、自分が「いい人」でありたい身勝手さから出た台詞だ、と解釈すると、最もリアリティーがありますね。たぶん、私も、気は小さいものの身勝手なので、あのような自己正当化に走ることはあるだろう、と思うので、感じは分かります。
それならそれで、監督には、そこが分かるように、描いてほしかったなあ、というのが、ちょっと残念なところです。そうすると、より深みが出たはずですね。主人公の夫の描き方は、率直に言って、浅い、と思いました。これが映画の欠点なのか、原作の欠点なのかには、興味が湧いてきました。
加えて、重要なラストのシーンで、別の解釈の可能性が残り、それが効果(複雑さを感じさせるための余韻など)のためではなくて、単に、見落としていた、ということでこの作品が出来たのだとすると、ちょっと情けない感じがします。
私はたいした鑑賞眼があるわけではありませんし、一回観ただけで、自信を持って批判することはできないのですが、以上のようなわけで、この映画の出来には、どうも釈然としない思いを持っています。観て損したとは思わないのですが、スッキリしません。
尚、必ずしも、男が女を振り回すわけでもありませんし(逆もある)、「振り回される」のが、そう悪いことばかりでもないような気がします。縁やチャンスの問題もあれば、ご本人の価値観の問題もあると思いますが、いろいろあってもいいのではないでしょうか。
この映画の山崎さんが持つ「すっきりしない」「たかさんの書かれ方が浅い」という感じと似ているなと思いました。
桐野夏生にしては穏やかな?作品。案外ベースは源氏物語かもなどと興味が湧きました。
タイトルはあまり好きになれませんが河合隼雄氏の「紫マンダラ」読んでみてください。へりくつなのか理論的なのかわかりませんが「こういう考えもあるか」と思いました。
いらっしゃいませ。
原作は読んでいないのですが、たかさん=光源氏とは、映画からは発想しにくい想定ですが、たしかに、彼は、ある種の触媒にしかなっていませんね。源氏物語で、女が濃いのに、光源氏が薄い、のと、似ているかも知れません。
桐生夏生さんが、男性を深く書くことが苦手なのかどうかは、存じ上げませんが、面白いご指摘ですね。
ありがとうございます。
いらっしゃいませ。
「魂萌え」の役者陣は皆(でもないが大体)達者で、人柄や気持ちをよく表現できていたと思います。
私が気になったシーンについては、ご指摘の通り、「純粋な感謝」と取るのが最も自然だと思います。いずれは離婚するつもりだ、というような深読みをさせるためには、もう少し伏線が必要ですね。
とはいえ、死を意識していたとは思えないあのタイミングで、わざわざ息子に「母さんをよろしく」と言う、ということと、三田佳子の蕎麦屋に500万円もお金を出していることを考えると、これは、離婚を考えていたのではないか、という解釈が消しきれません。
純粋な感謝の気持ちを息子を通じて伝える、という爽やかな救済の場面にするには、もう少し周到に脚本を書いて欲しいと思ったのでありました。
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私はおよそ映画通ではありませんが、観た映画の本数は、邦画の方が洋画よりもかなり多いと思います。テレビ屋さんのビジネス的な「仕掛け」が目立つのが少し気に障りますが、邦画がまた活気づいてきたようで、嬉しく思っています。去年は「フラガール」が良かったですね。今年は、マイナーな作品も何本か観たいと思っています。
なんだか押し売りみたいで気が引けるのですが、
「硫黄島からの手紙」をご覧になっていただくことは
可能でしょうか。
あるトピックについて、ある人がどういう感想を持つかを参考にしたりすることで、自分の思考の刺激や助けにしたりする、そんな人達がいると思うのですが、
私にとって山崎さんは「(面白みを含めた)人間性を感じる怜悧なエコノミスト」なんですね。(両立しているところに惹かれていますし、珍しいかただと思います。このブログでの常連さんのコメントも含め、ありがたい場所です)
そういう意味で山崎さんの「国家」感について、しつこくうかがってきたわけですが、私の未熟と拙さのせいで(そもそも「国家」がくだらないのだと言われそうですが・笑)、いまひとつ、山崎さんならではを感じさせる高みまで私が刺激できていない気がしています。(生意気だなぁ…すみません)
で、「硫黄島~」ですが、
アカデミー賞を逃したせいでか、上映期間が終わっていくようです。
DVDレンタルが始まった時にでもあらためてお願いしてみよう、と思っていたのですが、幼児がいる家庭で映画をみるのって、なかなか難しいことに気づきまして…(我が家がそうです・泣)
映画を見るのをお願いするとは、ずいぶん野暮で失礼だとも思うのですが、
私にとって意見が気になる人の、観覧記がぜんぜん見当たらないんですね。(魚住昭氏なり宮崎学氏なり斉藤貴男氏なり…雑誌の編集者は何をやっているんだろう…)
個人的には、この映画についてよく言われる、一兵隊・一国民(二宮クン)がどう生きるか、ではなく、栗林中将(史実はどうあれ開明的で賢い人材・指導者)があの時代ああいう局面でどう行動すべきだったのか、について特に考えさせられました。(以前に「~奥谷氏のインタビュー」エントリーでのコメントで触れた宮台真司氏のポッドキャストの感想もどちらかというと二宮クン視点でのものでした)
もちろん、今後DVDででも結構です。機会がありましたら、ぜひご覧になって感想を教えてください。
(なんだかストーカーみたいですね。削除していただいても、かまいません)