goo

中年の夢の可能性

 NHKが西澤ヨシノリ選手を取り上げた番組、「人間ドキュメント 西澤ヨシノリ」を観た。構成にメリハリがなくて、番組としては、不出来だと思ったが、西澤選手に関して、今まで知らなかったことが幾つか分かった。

 先日の試合の敗因は、5R以降、腰の痛みが再発したことであったという。そういうことであるなら、彼のパンチが相手に効かなかったことが納得できる。「腰を治して、納得の行く試合をもう一度」という気持ちは、それなりに理解できる。但し、あの試合を観ていて何とも痛々しかった、相手の左のパンチに対する反応の悪さも、腰に起因するものなのかどうかは、よく分からない。腰ではなく、目や脳の問題だとするなら、もう引退の潮時だ。ただ、何れにしても、本人が「やりたい」ということなら、やらせてあげるといいし、日本での試合のライセンスを剥奪することは、単に、彼に不自由を強いるだけだ。

 2004年にスーパーミドル級の世界王座に挑戦した時の相手アンソニー・ムンディンは、WOWOWの「エキサイトマッチ」で見た憶えがあり、強い。彼に善戦している訳だから、今、止めにくい、という西澤選手の気持ちは、分かる。それにしても、TKO負けした試合の後に、泣く娘さんをリングに上げて、「お父さんの子供なんだから、強くなれ。泣かなくてもいい。お父さんは頑張ったんだし、立ったでしょう」と言い聞かせる場面の印象は強烈だった。

 西澤選手は、筋トレの数値や、ロードワークのタイムを細かく記録しており、これが年々改善していることを心の励みにしているという。この場面に対して、若い頃に、彼とジムで同室だったという元世界チャンピオン(モスキート級)大橋秀行氏が「自分では衰えていると知っていても、それを意識しないために、数字を励みにしているのだろう」というようなコメントをしていた。「年齢で衰えているわけではない」ということが本人の気持ちにとって大切だ、というコンテクストなのだから、同業者は厳しいものなのだなあ、と思わざるを得ないが、このコメントをそのまま番組に使うNHKの神経もあまり気持ちのいいものではない。もっとも、西澤選手本人は、この種のことはもう言われ慣れているだろうから、気にはするまいが、こういう一言一言を処理するのに、精神がなにがしか疲れるのは確かだ。負けるな、西澤!

 さて、筋肉や反射神経が重要なスポーツの世界で、中年(取りあえず40代以降)に能力を伸ばすには並々ならぬ努力と素質が必要なのだろう。では、もっぱら頭を使う分野はではどうなのだろうか。

か つて「ファンドマネジメント」(少部数ながら、また増刷される。改訂しなくては・・・)という本を書くときに紹介したことがあるのだが、ハーバート・A・サイモンの研究で、知識に「チャンク」(AはBである、というような意味の一まとまり)という単位を設定すると、世界的業績(ノーベル賞級の科学的研究や、モーツァルトの作曲、チェスの世界チャンピオン、など)のためには、5~6万のチャンクが必要で、これを身につけるために、歴史上の天才達は、「集中的な10年(くらい)」の月日を費やしている、というものがあった。5万~6万という数字は、インテリの母国語の語彙くらいのものであるらしい。たとえば、将棋の羽生善治氏や囲碁のイ・チャンホ氏などは、将棋や囲碁の世界の手筋を5万~6万身につけている、ということなのだろう。

 ちなみに、拙著では、ファンドマネジャーとしての初歩を身につけるために「2年の集中的な努力」を想定した。将棋にせよ、受験勉強にせよ、力が大きく伸びる期間が2年くらいはあったのではないか、という拙い経験と、たとえば商社などの海外駐在員が、赴任して2年くらい経つと、現地の言葉を本当に使えるようになるという話を聞くので、「2年」と考えたのだが、例えば英会話の語彙でいうと、使える語彙が1万くらいあれば、日常会話には不自由しい程度になるだろうから、2年の努力の獲得チャンク数は、それくらいのものだろう。2年間集中的に努力すれば、素人とは少し違うレベルで仕事の格好を付けられるようになるだろうし、2年間努力してみて、力が伸びた実感がないようであれば、その仕事には向いていないと見切りを付ける頃合いではないか、というようなことを書いた。

 中年になってから新しい外国語を身につける人が、少数ながらいるように、中年から何か新しいことを始めて、ある程度のプロになる(たとえば、弁護士や作家になる)というようなことは、相当の努力を前提としなければならないが、可能ではあるのだろう。興味のある問題は、5万~6万チャンクとサイモンが推定した「世界的業績」を可能にする能力レベルまで、中年以降の努力で達することは、可能なのかどうか、ということだ。

 世界的天才達は、たいがい幼少の頃、遅くとも青年期前半には、自分の専門分野に入って集中的なトレーニングをしている。ただし、十代、あるいは二十代前半くらいの時期は、もちろん、肉体・脳などがフレッシュだということもあるが、普通の社会生活をしている人間の場合、二十代後半以降、結婚することもあれば、社会的雑事が増えることもあって、これが修行を妨げている面が少なからずあると思う。

 そこで問題は、中年以降に、たとえばプロ棋士の修行期のように、集中的な10年の努力を試みた例がどれくらいあるのか、ということだ。これは、案外無いのではないか、と思われる。筋肉を要するスポーツ、一種の計算力に近いヨミの能力を必要とする将棋や囲碁のようなゲームでは難しいかも知れないが(たとえば、将棋の羽生氏は、若い頃のようには早く細かく読めていないが、経験でこれをカバーしているように見える)、研究や創作の世界では、中年以降の努力で、「世界のレベル」に達することができる分野もあるのではないか、という想像は可能だ。

 もっとも、仕事もあれば、人付き合いもあり、家族もある、というような生活する中年が、「集中的10年」を作ることは、現実的には、難しい。ただ、それが可能な誰かが、夢を持って、何かをやってみたら、どうなるのだろうか、という中年の可能性に対する興味は消えない。

 ちなみに、ファンドマネジャーの能力のピークが何歳なのかは難しい問題で、経験が有効に生きる仕事なので、年齢を重ねることは不利にならなそうな仕事だが、若さを伴った時代感覚や、余計な知識を持たないことが、却って有利に働いているな印象もあって、答えは、良く分からない。ただ、スポーツ選手よりは、明らかに誤魔化しの効きそうな仕事ではある(自分まで誤魔化せてしまうので、本当の能力が分からなくなる面もあるが・・・)。
コメント ( 18 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 私が、大阪男... 主にキャノン... »
 
コメント
 
 
 
2年で1万チャンクなら・・・ (xtc4241)
2007-02-22 17:13:58
山崎さん

中年が「集中的10年」で5~6万チャンクが望めるか、そこからの切磋琢磨でノーベル賞ものに。
というのは、仮定の話としてあっても、現実的ではないですよね(山崎さんもやった例がないから面白いっといっているので本気ではないですよね)。

でも、中年が「集中的2年」で1万チャンク程度なら
やる価値はあると思います。そうですね英語通訳になる
とか、ファンドマネジャーになるとか(よく知らないのですが・・・)。
環境問題の専門家というか、システム思考のプロというか、英語通訳の指導者というか(アル・ゴア氏の「不都合な真実」の訳者)の枝廣淳子さんという人のように、
”朝2時におきたら、なんでもできる”と夜8時に寝て
朝2時におきると、7時までは自分の時間ができる。その5時間を「集中的2年」に当てる。これなら、ひょっとしてできるかもと思う。なにせ、私もいまはほぼ9時に寝て3時に起きているのだから。きのうその本をかって読んでいる最中なのです。なにかタイムリーすぎる話ですよね。ユングのシンクロネシティかな(笑)
でも、いいことを聞きました。
ちょっと面白半分に考えてみよかな、と思った今日この頃であります。
 
 
 
わしは便器評論家ではないので (作業員)
2007-02-22 18:07:20
>もう引退の潮時だ

ちょっと人の痛めつけ方な話でもしよう。今のようにケーワンだのプライドだの、なかったころの話だけど。わしもそれなりに腕に自信があって、ある流派の師範クラスと、おつきあいしていた。で、練習の一コマではあるが、その流派の代表と、手合わせをした。当時その代表は日本の三本指に入ると言われていて、体重がわしの倍近くあった。まあ、若かったのでそれなりのことをやったのだが、最後は当たり前にやられちゃった。脳がふつうに機能するまで、一週間はかかったな。
でまあ、その手合わせの夜に、師範たちと酒を飲みに行って、おまえ命知らずだなあどこの出だ、とかなんとか盛り上がっているとき、師匠にするならこの人だなと思っていた師範の一人のオッサンが、ぽつりと、「最近、Yくんの突きをもらってしまう」と言った。すると、師範クラスが一人ずつ、わしも、わしも、と言い出して、場が静かになった。Yくんというのは、わしのツレで、生まれながらにその流派で鍛えた青年だった。わしが師匠にするつもりの、さばきの天才として有名だったオッサンいわく。
「Yくんの、へなちょこな突きが、スローモーションで、来るのがわかってるんだ。なんのことはない、少しどちらかにかわすか、前手ででも払えばいいのに、ポコっと、当たる。あれ、おかしいな、見えてるのになあ、と思って、ちょっとガードも考えるか、と思ってしっかり構えていると、またガードの隙間から、へなちょこな突きが、ポコっと、当たる。たぶん昨日飲み過ぎたせいだ、と言い聞かせるんだけど、こないだから、ずっと、ポコっと、殴られて、たまに、ボコッと殴られて」
ほかの師範も、そうなんだよなあ、見えてるんだけどなあ、下がり足が間に合わないし、やっぱり、潮かなあ、と口にして、暗い酒になった。
そうかこんな風に人間は衰えるのだな、とそのときは思ったが、若かったので、そんなことはすぐに忘れた。師範は一人二人と引退し、かわりにYくんが師範になった。そしてある日の酒の席、Yくんが言った。「最近、若いやつに、ポコっと、殴られることない? 作業員ちゃんは、さばきがうまいから、あいつらの突きなんか、もらわないよね」。わしは、答える。「そう言えば、ポコっと、殴られることが、あるような、ないような」。Yくんもわしも、潮がやってきていた。
わしより少し若いYくんは、まだ意地になって若いのと殴り合っている。わしは、三十秒ならまだ負けない、と言うだけ言っていたが、遊んでばかりで、もはや話にならんだろう。後半生は、便器評論家道でも極めるしかないか。飯くえるのかな、便器の評論って。
 
 
 
Unknown (hiro)
2007-02-22 19:09:51
中年の星、というと伊能忠敬を思い浮かべます。50歳になってから幕府の天文方に弟子入りして測量を学び、立派な業績を残したのですから。

人間、50歳からでも努力しだいでビッグになれることが実証されているのですが、私のような凡人は、50歳からでもなんとかなるなら、今は遊びを優先し50歳になってから頑張ろうと安易に考えてしまいます。そして、その50歳になったら、60歳から頑張ってプロ並になった人の例を探すことでしょう、絶対に。

ところで、「最後の真剣師」大田学さんが、つい昨日お亡くなりになりました。77年、大田さんは63歳のときに、初代の朝日アマ名人になられました。

大田学さんが将棋を本格的に始めたのが30歳になってからとのことで、もし羽生さんのように小学生のころから将棋を始めていたら、どうなっていたでしょう。

また逆に羽生さんが30歳になってから将棋を始めていたらどこまで強くなっていたでしょう。

将棋のような分野は、たぶん、大人になってから始めると超一流の域に達することはできないと思われます。

脳の発達と老化の関係から、中年になってから始めるならこういう分野がいい、といったものが科学的に解明されているのでしょうか。

50歳になったら頑張るうえでぜひ知りたいと思っています。

 
 
 
Unknown (Snowball)
2007-02-22 22:06:27
非常に興味深い内容で、「ファンドマネジメント」ぜひ読んでみようと思いました。
私が金融や経済に興味を待ち始めて二年、実際に株やファンドなどに手を出して一年。勉強する時間もなかなか取れませんが、わかったらしいことは確実に儲ける方法はないが確実に存する方法はあるので経済に対する知識は重要だということぐらい。
金融の世界で生きていきたい気もしますがそれこそ中年であり、なかなか行動に移すのは難しいです。
ただこのブログでひとまず二年集中的に勉強しようかなという気にはなりました(現在英語も勉強中ですが)。
山崎さんにひとつ質問ですが、ヘッジファンドについてどうお考えですか?
もろもろのアクティブファンドはそもそも手数料が高すぎて否定的な意見を目にしますがヘッジファンドについてコメントされているのを目にした記憶がないもので...
 
 
 
先行きは暗いですが・・・ (minaho)
2007-02-22 22:29:34
あらららぁ。
中年になってから新しい語学を身につけようって、少数派なんですか?
この前から習い始めちゃったんですけど、スペイン語。

確かに手ごたえがありすぎて、悪戦苦闘してます。涙

 
 
 
夢と現実性 (サイレントじゃないマジョリティー)
2007-02-23 16:17:37
山崎様

現役選手として肉体も精神力も酷使してリング上での戦いを続けたいとの意思の方が、例えばトレーナーとしてご自分の稀(貴)少なご経験と実績を後進の育成に向けて役立てようとリングサイドで闘うと言う思いより強い、という事が西澤さんの心境なのでしょう。

西澤さんご自身の現役そして世界チャンピオンへの強烈な粘着(決して悪い意味を含ませる気持ちはありませんので固執の語は使いません)は尊重したいのですが、ご家族のお気持ちをいま少し汲む方向もあるのではと、勝手に感じています。

周囲の関係者からは現役選手以外での活躍の道へのお誘いはあったのでしょうか、それとも無かったのでしょうか。

一つのビジネスを盛り上げるには様々な可能性と方法があると思いますし、特にボクシングの如く肉体を極限まで酷使する危険性も高い格闘技において、なかんずく西澤選手のケースを見ているとより一層この思い(例えば所属ジムでOBとしての仕事で頑張れないかなあ)を強くします。(脇役・黒子役では満足が得られないor考えられないのでしょうか。)
腰が故障すると日常生活でも不自由を感じるくらいですから、ましてやボクシングでは・・・・・・・。

肉体のみならず強靭な精神力とか燃え滾るような情熱や競技に対する愛着、そして多くのファンやリングサイドの観客からの応援と賞賛を受け続ける喜びが揃って初めて、人は踏み切り台から飛び続けるのでしょう。
しかし肉体が心と精神力を支える非常に大きな要素であることもまた事実ですから、腰に不安を抱えての現役の続行は年齢的には危険ではないかと心配して仕舞います。

どんな職業でも精神力と肉体の強さが揃っていることは必要ですが、格闘技選手には格別のレベルで両方が揃っていることが不可欠な条件でしょう。

格闘技以外で私の記憶に印象強く残る2つの事例を挙げるとすると将棋の米長さんの名人位獲得と、もうお一人は確か (ビールと司法試験と題する本が書棚に見つからず細部での記憶違いがあったらご容赦下さい) 52歳からチャレンジを始めて55歳で司法試験を突破された大山健児氏 (元アサヒビール吾妻橋工場長) のお話です。
(格闘技ではフォアマン牧師の現役返り咲きがトップですが。)

正座で感情や表情を出さずに何時間も将棋盤に向かうことも、部屋にこもり多くの書き物を読み記憶を定着させて現実の人間の営みへ法の適用を思考することも、どちらにおいても50歳を超えた人には強靭な精神力、頭脳を機能させる力と視力や理解力や記憶力や克己の念等々の桁違いのレベルでの多くの力が必要な筈です。

ところで各界の一流人を離れて一般人には、『中年の夢』の中身が何かによっても異なるでしょうが、天才の到達点に凡人が至るには矢張り天与の才が不可欠なので其処までは望む必要もないでしょうし、また平凡な中年はそうは高望みはしないでしょう。

逆に、或る意味では最早現実的にしか考えられないからこそ少しは恐れも感じながら『夢』に憧れ冒険もしては見たくもあります。

しかし現実には例えば50代半ばを超えた場合は仮に現役人生70年として、10年の持つ意味は50歳前又はそこそこの方々とは違って見えます(と思います)。

10年間突っ走ってあとはもう本当に残り少ないでしょうし、身体も更に言うことを聴かないだろうと想像すると、簡単には手の届かない『夢』に挑戦する意気込みよりも、そこそこの夢 (若かったら夢とは言わないレベルの) 謂わば、累進性の老化率で現在価値に割り引いた夢みたいなものの設定で満足することかも知れませんね。

人にも夢と見て貰えそうな目標を立てたものが、自分が夢と信じられるものであればよしと出来るレベルで心の落ち着きが得られると言う点が40代の頃と現在の大きな差であるような感じがしています。

そして何故かそんな時にはトップレベルで限界に挑戦する人の姿は、矢張り大きな心の支えに成るように感じます。
そう言えば一月ほど前のことですが、NHKでトニー・ベネットが80歳の誕生日を記念してジョン・レジェンドやマイケル・ブブレといった多くの若手の歌い手さん達と競演をした番組がありました。
あれは良かったです。

音楽の世界でも録音技術の驚異的な進歩で音作りの可能性の幅が飛躍的に広がっているにも拘わらずトニー・ベネットは今もライブ(生録り)をするそうです、声の張りも観客を楽しませる姿勢も本当に素晴らしかった。
 
 
 
老化と意思決定 (誤訳士のかね爺)
2007-02-25 14:13:01
参考情報
人間が他の動物と違う理由はこれではないかという仮説(?)を調べている際に次のような論文に中りました。老化の問題の参考になるかも
Kovalchik,Camerer、Grether、Plott、Allman”Aging and decision making" J of Economic Behavior & Organization2005 vol 58
ちなみにCamereではなくAllman(spindle cellの研究者)のほうを調べていたらこちらが出てきたしだいです。老化と投資の意思決定は重要だと思いますが日本ではあまり見たことがありません。
 
 
 
Unknown (山崎元)
2007-02-25 21:57:45
>xtc4241さま

私がかつて考えたのは、実際に中年以降に「集中的な10年」を作った例が少ないだろうから、「中年は、勉強してもダメだ」という命題には実証例が不足しているのではないか、ということでした。

とはいえ、この「実験」を成立させることの現実的な難しさは、自分が中年になって、身を以て分かって来ました。

もっとも、時間も、自分の脳みそも、まだまだ使いようがあるのではないか、と思ってはいます。

ただ、深刻にではありませんが、「人生の残り時間」ということを時々考えるようにはなりました。

>作業員さま

そういえば、中高年にさしかかったボクサーは殆どがファイター・スタイルで、打たれ強い選手は居ても、目と反射神経の良い、相手のパンチを当てさせないボクサーは少ないですね。

そういえば、たまたま今、中年ではありませんが、33歳の池仁珍が23歳のチャンピオンからベルトを取り返した試合のビデオを観ていましたが、年齢差をカバーするのは、気合いと、少しの工夫、のようです。

尚、ジョー小泉氏によると、池は、次戦、オスカー・ラリオスかマニー・パッキャオと対戦するプランがあるようです。どちらでも楽しみですが、池が勝つのは大変そうです。

>hiroさま

伊能忠敬という人は立派な人だったようですね。能力を伸ばした、というのとは違うかも知れませんが、大きな業績が上がっているのだから、十分です。

将棋や囲碁はどうも、若い頃の修行が重要のようで、晩学はかなり不利ですね。とはいえ、アマ名人クラスまでの事例があるということは、殆どのアマチュアにとっては、上限は問題にならないということでしょう。

私も囲碁か将棋をもう少し強くなりたいのですが(共に、アマ4段くらいです)、そのためには、計画的なトレーニングが必要です。何をしたらいいかは、見当が付くのですが、そのように計画し、カラダが動かない、というのは、いけませんね。

>Snowballさま

この問題については「ファンドマネジメント」よりも、ハーバート・A・サイモンの「システムの科学」(http://www.amazon.co.jp/%E3%82%B7%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%A0%E3%81%AE%E7%A7%91%E5%AD%A6-%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB-%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%A2%E3%83%B3/dp/489362167X/sr=8-1/qid=1172407060/ref=pd_bbs_sr_1/250-0206254-1917838?ie=UTF8&s=books)がいいと思います。

ヘッジファンドについては、私はこれまで、(1)手数料が高くて商売をやる側としては旨みがある(特に成功報酬はオプション価格理論で通常手数料に引き直すと暴利に近い)、(2)「価格の歪み」を利用する運用手法は基本的に賞味期限付きであり、(3)「トラックレコード」でファンドを評価するこの業界の方法には根本的に無理がある、(4)証券会社の自己トレード等で使い古されたテクノロジーのものが多い、(5)顧客にとっては概して言えば妙味は乏しい(それでもヘッジファンドを買いたがる客が居るのは、新しもの好きと、営業努力のおかげ)、しかし、(6)手数料が高いことで参入が容易だったことは運用業界への独立系運用会社の参入にプラスの効果があった、というようなことを書いてきました。

それ自体として、そう立派なものではありませんが、商売としては妙味がある、ということでしょう。顧客として投資したい、というのはあまり賢くない人の考えることのような気がしています。

>minahoさま

スペイン語ですか。楽しそうですね。頑張って下さい!

>サイレントじゃないマジョリティーさま

読み応えのある長文のご投稿ありがとうございます。

「中年の夢」は興味の尽きないテーマですね。そういえば、中年期の話ではありませんが、「とくダネ!」のスタジオで、小倉智昭さんが、高校生の時に、お父様からかけられた言葉の話をお聞きしました。

今からは想像のつかない事ながら、小倉氏は少年時代にやや吃音の気味があったそうなのですが、これを直したいという希望を語ったところ、父上は、「智昭、いいか、夢なんて持てtも仕方がないぞ。夢なんて持たなくていいから、目標を持て」と仰ったのだそうです。それで、小倉氏は「アナウンサー」を目標にして今日に至る、というお話でした。

的確なアドバイスでしょうし、息子に向かって、「夢なんて持たなくていい」というアドバイスをする父親は格好いいですね。

>誤訳士のかね爺さま

ご教示ありがとうございます。早速、論文を見てみます。

老化と投資の問題は、特に、団塊のカモたちを金融機関が狙っている今日、非常に重要な問題ですね。

歳を取ると、気が長くなるのか、短気になるのか、双曲割引は強まるのかどうか、など、興味深いテーマがたくさんありそうですね。

この分野は、日本には、毎月分配型ファンドのような非合理性を具体化した商品と、多数の老人がいるので、データが豊富で、なかなか良い研究環境かも知れませんね。
 
 
 
大器晩成 (ドイツ特派員)
2007-02-25 22:15:31
山崎様、

最近、この言葉をすっかり聞かなくなりました。何か「何でも若い方が偉い」という風潮で、その内容を問うこともなく持ち上げるというのが非常に不健康だと思っています(というのはもう若くない自分の僻みでしょうか)。

確かに、二年というのは一つの区切りだと思いますね。自分の経験で言えば、海外赴任で一年半~二年は何のかんの言って立ち上げで、二年越えた頃から言葉もその他のことも分かってくる、という実感がありました。とは言え、語学系大学を出ていながら全く語学の才がなかった当方は、英語一つで相当苦労して、最初の一年は「もう帰国させてもらおう」と本気で悩みましたね。

それなりの年齢から、別のことを始めて大成した例としては、カリフォルニアワインでのロバートモンダヴィがいます。息子と一緒に、というのはあるにしても彼がワイナリーを開いたのが53才の時ですから、今のカリフォルニアワインでのモンダヴィの地位を見るにつけ、すごいことだと思います。

あと、これは非常にマイナーな人ですが、カーモデルビルダーに早川松芳氏という方がいらっしゃいます。この方、元々はプロのトランペッターだったのですが、確か40才前にビルダーになるべく転身したのですが、何と「一流になるのに10年を計画した」そうです。例えば塗装に一年・素材に一年・デザインに...ということだそうです。こうなるととても凡人、特に家族持ちには不可能に近いでしょうね。

じゃあ自分は、といえば、結局昔からだらだらとでも続けているギターをどこまで続けるか、ということになります。この歳になると、嫌いなものは続くわけがないですから、やっていても嫌いにならないものを続けるのがいいのでは、と思っています。もしそのことに才能がなくても、好きであれば辛い思いはしないでしょうから。私のギターも絶対才能はないんでしょうが、かなり詰まらん練習でもまあそれなりに続けることが出来ていて、それなりにプロの真似が出来るわけですから、趣味としては良い方かと思います。

ただ、頭を使うビジネスの世界でも、どうしても才能ということは付いて回るでしょうし、努力の量で結果が比例するわけでもないでしょう。寧ろこのことに耐えられるかどうかが成功(他者との比較でなく)の鍵のような気がします。

何か取りとめがありませんが。
 
 
 
そういえば小泉さんや (作業員)
2007-02-26 22:38:02
>年齢差をカバーするのは、気合いと、少しの工夫

ジョー小泉が悪さばっかりしなければ、わしも山さんみたいにボクシングどっぷりやったやろなあ。ま、それはええわい。
年齢というより、年季の話をするとね。武道系の技術というのは、だいたい完成に二十年ぐらいかかるとわしは思っているのね。全く職人の世界よ。これは、オリンピックの競技とかではなく、純粋に技術を極めるのにどれぐらいかかるか、ね。この話、大げさに思われるのは、二十歳ぐらいでいわゆる「強い」選手はいっぱいいる、からやね。でも、その「強い」なんていうレベルで止めずに、ひたすら技銃的な訓練を続ける、と、やっぱり、少しずつだが、向上するのよね。山さんが書いているように、反射神経や筋力は、別の話。武道なんちゅうのは、だいたいいきがったのがやるから、二年ぐらいで強くなったつもりになって、やめちゃうのよね。才能などなくて、いやいやでも、十年ぐらいやると、ある日、開眼ではないけど、違うステージの自分に出会えるし、二十年もやると、完全に基本から離れた個々人のスタイルの完成型が見られる。
もちろん、そこまでの根がある人間は、変態に近い。一円の得にもならないし、競技としての勝者になれるわけでもないから。で、わしは武道系のことしか語れないが。十歳で始めた人間のピークは(競技としても)三十ぐらい、二十歳で始めると(技術的完成は)四十ぐらい、な感じがしている。あくまで、技術、の話。三十年やるに越したことはないが、個人差等あるし、本格的老化が出てくるから、あくまで、感じ。総体で言うと、格闘技などは、ピークを三十代に持ってくることは、充分可能。怪我があると、つらいね。

脳ってのは、どうなのかなあ。そこまで勉強していないのでわかりまへん。わしの友人に中年の星がいて、剣道五段で、地区はずっと負け知らず、若い衆を蹴散らしてきたんですが、こないだ、もたもた下がるところで、ブッツリ、アキレス腱切りました。ついに星も地に落ちまして、引退を決意しておりました。
 
 
 
時間さえあれば中年だって (Circusmanx)
2007-03-01 23:15:11
おとなになってからピアノを始め、それなりにモノにしたことがあります。どういうわけか憑かれたように猛烈に練習しました。もちろん「没入の10年」には程遠いのですが、2-3年はヤマハの初期の電子ピアノで平日に2-4時間は練習したでしょうか。休みの日は7-8時間に及ぶことがありました。お陰でショパン他数曲はモノに出来、これらの曲はちゃんと発表会で人前で弾きました。
ま、中年というより青年期の経験ですが、そのとき思ったことは、「時間×集中力」さえあれば物事はいくつになっても始められる、ということです。そんな気がしました。中年のいまも、何かをモノにする基礎体力はあるんだと思います。もちろん世の多くの中年の皆様、もしかしたら老年の皆様も。
ただ、中年にはもちろん時間が足りない。それと、というかそれ以上に、憑かれたような、迷いのない思い込みがなかなか持てませんね。知恵がついてしまっている分。「世知」が「辛い」とはまさにこのことなんでしょうかね。
 
 
 
Unknown (山崎元)
2007-03-01 23:49:31
Circusmanxさま

大人になってからピアなのを始めて、ショパンの曲が弾けるというのは、素晴らしいですね!

かつても、今も、多少の期待を込めて、中年でも老年でも、「時間とやる気があれば」かなりのことが出来るのではないか、しかし、現実にそれをやっていない人が多いのではないか、と思っていました。

私も何かやりたいものだと思いますが、「さて、何を、やろうかな」なんて、迷うようではダメなのでしょうね。
 
 
 
脳は発達し続けるのか? (Rira)
2007-03-02 01:27:10
いつも楽しく拝見しております。(コメントは久しぶりです。)
昨今、脳ブームが続いていることもあり、いろいろと読んでました。
いろんなアプローチをする研究者の中で、脳学者・池谷祐二さんは、年齢を重ねてからも脳は発達すると主張されています。自らの経験に基づいた記憶を駆使・活用することで、脳の中で記憶を司る海馬の細胞は年齢にかかわらず増えるとのこと。(詳しくは『海馬』をお読みください)

ただ、著書を読んでみて、疑問に感じた点がいくつかあります。海馬を活性化させるには、脳の一部分だけでなく、身体の諸器官との複雑なネットワークをフル稼働させるはず(?)ですから、結局、身体のいろんな機能が健康に保てていないとだめなのでは?そうだとすれば、高齢になればなるほど、やはり脳を発達させるのは難しいのでは・・・などと考えています。その辺りについての詳しい説明は、まだ読んだことがありません。

なんだか悲観的なことを述べてしまいました。が、まだまだ脳の研究は発展途上なので、年を重ねることをうれしく思える研究結果がこれから出てくることを期待しています。

それでは、失礼します。
 
 
 
思い込みは若者の特権? (Circusmanx)
2007-03-02 07:47:44
山崎さん、

ご丁寧に、また早速のコメントありがとうございます。ああは申しましたが今ではすっかり手も錆び付き、ショパンも昔の栄光です。

申しましたとおり、またおっしゃるとおり、なかなかやりたい「何か」は見つかりませんよね。中年期になって更に「憑かれる」のがむつかしくなってきたようにも思います。これはまあ、気が散ることが多いということもありますが、若い時と違って「有限の人生」を自覚してくるからかなあ、などと思ったりします。若いころはほぼ無限に思われる「この先」を考え、そこでのポジショニングなり人生の広がりに思いを馳せて、多少のあせりも交えつつ熱心に物事を習得しようという意欲があったような気がします。

いまですとねえ、ま、あと2-30年やり過ごせばいいや(笑)、という気分ですかね、根底にあるのは。夢のあきらめ方(笑)もよく心得ていますしね。だから、生活の必要以上に「頑張らなくても平気」になってきましたね。

こうやってみんな凡庸になり、また平穏になりトシをとってゆくのかなあ、などと思うこのごろ。それはそれで幸福なことかなあ、とも感じています。
 
 
 
なある程 (サイレントじゃないマジョリティー)
2007-03-03 22:34:02
山崎様

夢ではなく目標ですか。
そうですね遠い道のりも目指すところと現状の距離を測りつつ一歩づつ前進。
若者は自ら夢を持ったり、現実の味を噛締めたり、自然にするでしょうね。何とはなしに納得です。
 
 
 
Unknown (びーとぴあの)
2007-04-02 20:53:41
こんばんわ

 やっぱり若いときの努力って大切だし、歳を
重ねると厳しいものがあるのは現実として厳しい
ですね・・・。

 拙いながら2年半ピアノをしていますが(30から
の手習いですが)1曲弾くのに3ヶ月以上も掛かって
しまうのですが、小さい頃からしている人に訊くと
難曲でも1ヶ月程度と聞いた時は、歳を重ねてから
するのは、こうもハンディなのか・・・と愕然と
しました。

 
 将棋は、過日に他界された元アマ名人の太田学
さんも相当に将棋を覚えたのが遅かったですし、
伝説の小池重明さんも、自宅に将棋盤も将棋の本
もなかった事を考えると、まだ晩学でも可能性は
あるかな?と思ってしまいます。

 
 こんな所で意見を述べるのは甚だ失礼かと思う
のですが、女流棋士が大きく揺れています・・・。

 僕としては、成績不振でもなんとか食べていける
男性プロを思うと、女流棋士は成績を上げても
食べていけないのは気の毒に思うのですが、世間の
風当たりは、女流棋士にとって厳しいようです。

 また、機会があれば記事にして下さり、山崎さん
のご意見を拝聴出来ればと思います。

 4月に入り桜も一気に咲いて来ました・・。
花冷えもあるかと思います。ご多忙かと思いますが
お身体には、ご留意下さいませ。



 
 
 
 
Unknown (山崎元)
2007-04-03 10:17:23
びーとぴあの様

歳を取ってから新しいことを覚えるのは、私も何か試してみたいと思っているのですが、なかなか時間が取れないなどということを言い訳に、何もせずに歳を重ねています。

個人的には、囲碁(現在、並のアマ4段くらいでしょうか)を強くなって、老後は、中国や韓国に旅行して、彼の地のアマ強豪と戦いたい、などと思ってはいます。トレーニングの手順については、何となくやってみたいプログラムが頭にあるのですが、やっぱり時間をどう作るかということになってしまいます。

女流棋士の問題は、状況が十分に把握できていないのですが、「将棋の強さ」の秩序と、「商品価値」の秩序の相克があるようですし、将棋ビジネス自体が目下、棋士全体を豊かに喰わせられる状況ではなさそうで、解決の難しそうな問題ですね。

ただ、女流よりも、全体が心配です。どうも将棋連盟以外にも、これと両立する経営組織が必要ではないか、と思えます。また、商品価値のあるトーナメント・プロが、自分自身の経済価値を実現できるような仕組みも必要でしょう。将来的には、連盟による棋戦と共に、たとえば、かつての囲碁の呉清源の十番碁のような勝負を、羽生中心にやれば、彼は、年収5-10億稼げるのではないでしょうか。

それに強弱は、レーティングに一本化(賞金額をウェイトに含めたものと二本立てでも)してしまうのがいいでしょうし、将棋の世界でも、高齢世代が、安全圏に入って、若い世代の稼ぎを搾取するような状況を見ていると、あまり魅力的な世界に見えません。

また、将棋というゲームの国際化が急務でしょうし、ネットを使った普及やビジネス化ももっとやる必要があると思います。
 
 
 
ありがとうございます (びーとぴあの)
2007-04-03 21:33:40
山崎さま

こんばんわ

 丁寧にお返事ありがとうございます。また、ご多 忙の中、早速のお返事に恐縮します・・・。

 仰るように将棋連盟全体の大きな岐路に来ている
と思います。
 棋譜の価値で言えば、男性プロも棋譜の価値が
高いプロが多いとはとても思えません・・・。

 山崎さんの仰るような大胆な改革が必要なのは
判っているのに「(将棋のプロが)自分たちの事は
自分たちで決める」といった外部の意見を取り
入れないシステムなので、保守的になってしまうの
は仕方ないかもしれません。

 将棋はネットとすごく相性のいいゲームなのに
積極的な普及活動をする前に、ネット観戦を有料に
するなど対応の手順も間違っているような気がして
なりません・・・。

 今回は、本当に貴重なご意見ありがとうござい
ます。なんだか個人的な質問に真摯に答えて
下さり嬉しく思います。

 


 

 
 
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。