評論家・山崎元の「王様の耳はロバの耳!」
山崎元が原稿やTVでは伝えきれないホンネをタイムリーに書く、「王様の耳はロバの耳!」と叫ぶ穴のようなストレス解消ブログ。
AIGのトレーダーの高額ボーナスへの反対は正義か?
サンデルの「正義」の本をバラしてスキャンして、iPADで少しずつ読んでいる。AIGのトレーダーが高額のボーナスを受け取ることに対する米国世間の反発について、サンデルは、「失敗に報酬を与えるから」だと反発を指摘しているが、これはたぶん正しくない。かなり雑な議論ではないか。
大失敗した会社から高額のボーナスを貰うトレーダーは、たぶんその個人としては儲けたトレーダーか移籍初年でギャランティー・ボーナスを貰うトレーダーだろう。前者は明らかに失敗者ではないし、後者についても「失敗した」人がいるとすると会社の没落前に多額の移籍金で人を採用したAIGのマネージャーであって、そのトレーダーではない(たぶん)。そのトレーダーは、初年に保証されたボーナスをあてにして、前職のボーナスを放棄して転職してきた人物かも知れない。
それでも、AIGのトレーダーの何十人かに、高額のボーナスを払うことに対して米国の世間が納得できなかった原因は、たぶんトレーダーの高額な報酬に対する嫉妬があったからではないか。通常、嫉妬は正義のカテゴリーに入る概念ではない。
会社の業績がトータルでマイナス1000でも、あるトレーダーがプラス100を稼いだなら、彼(彼女)がプラス100に相応の報酬を受け取ることはたぶんフェアだ。最下位のプロ野球チームであっても、首位打者はそれなりの年俸を取っていい。当時のアメリカの大衆は、高額報酬への嫉妬と思慮の浅い処罰意識から、この比較的分かりやすい理屈を無視したのではなかろうか。
彼(彼女)のボーナスを否定するには、会社員(トレーダーも会社員だ)は会社の結果に対して共同責任を負うべきだという、些か無理な前提を証明しなければならない。多くのトレーダーは、高給とはいえ、役員でも株主でもない。会社の浮沈の連帯責任を負え、というのは無理だ。いつでもクビになり得る使用人なのだ。
マイケル・ジョーダンでもタイガー・ウッズでもない、他の人にもできそうなことをしている金融トレーダーが巨額の報酬を貰うことに違和感を持つ人がいるのは分かる。「たいしたこと」をしているわけでは無さそうだ、とは、私もそう思わぬではない。彼らは、あまりに有利な条件を手にしていた。
しかし、彼(彼女)の報酬に異議を唱えるなら、資本主義社会に生きる者のたしなみとしては、自分も金融市場なり人材市場なりに参加して、「他人のリスクを使って、成功したら大きな報酬」という彼(彼女)が持っている有利なオプション(ないしその価値)を、競争によって奪い取るべきだろう。
大失敗した会社から高額のボーナスを貰うトレーダーは、たぶんその個人としては儲けたトレーダーか移籍初年でギャランティー・ボーナスを貰うトレーダーだろう。前者は明らかに失敗者ではないし、後者についても「失敗した」人がいるとすると会社の没落前に多額の移籍金で人を採用したAIGのマネージャーであって、そのトレーダーではない(たぶん)。そのトレーダーは、初年に保証されたボーナスをあてにして、前職のボーナスを放棄して転職してきた人物かも知れない。
それでも、AIGのトレーダーの何十人かに、高額のボーナスを払うことに対して米国の世間が納得できなかった原因は、たぶんトレーダーの高額な報酬に対する嫉妬があったからではないか。通常、嫉妬は正義のカテゴリーに入る概念ではない。
会社の業績がトータルでマイナス1000でも、あるトレーダーがプラス100を稼いだなら、彼(彼女)がプラス100に相応の報酬を受け取ることはたぶんフェアだ。最下位のプロ野球チームであっても、首位打者はそれなりの年俸を取っていい。当時のアメリカの大衆は、高額報酬への嫉妬と思慮の浅い処罰意識から、この比較的分かりやすい理屈を無視したのではなかろうか。
彼(彼女)のボーナスを否定するには、会社員(トレーダーも会社員だ)は会社の結果に対して共同責任を負うべきだという、些か無理な前提を証明しなければならない。多くのトレーダーは、高給とはいえ、役員でも株主でもない。会社の浮沈の連帯責任を負え、というのは無理だ。いつでもクビになり得る使用人なのだ。
マイケル・ジョーダンでもタイガー・ウッズでもない、他の人にもできそうなことをしている金融トレーダーが巨額の報酬を貰うことに違和感を持つ人がいるのは分かる。「たいしたこと」をしているわけでは無さそうだ、とは、私もそう思わぬではない。彼らは、あまりに有利な条件を手にしていた。
しかし、彼(彼女)の報酬に異議を唱えるなら、資本主義社会に生きる者のたしなみとしては、自分も金融市場なり人材市場なりに参加して、「他人のリスクを使って、成功したら大きな報酬」という彼(彼女)が持っている有利なオプション(ないしその価値)を、競争によって奪い取るべきだろう。
コメント ( 22 ) | Trackback ( 0 )
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無論、多額の報酬を受け取ること自体をとがめているわけではないのですが、国民の立場からすれば嫉妬以外の理由でやはりこの高額報酬の支払いには問題点があると個人的には思います。損失を出したトレーダーには責任がありますが、彼らに一人一人が完全にクロかと言われるとそれも微妙だと思います。会社全体の無責任な経営姿勢があったから、被害も大きくなったという組織全体の問題があるのが普通だと思います。そして同じ組織に所属している限り、成功したトレーダーもやはり組織全体に対して責任を負っていると考えるのが通常の感覚かと思います。
コメントありがとうございます。
>他の理由もあるような気がします。
とは、まさにその通りで、だからこそ、この話題をブログに書いてみました。
ただ、組織全体に対する個人の責任範囲とその根拠は難しい問題のように思います。
たとえば、儲けていたトレーダーは、結果的に不十分だったとはいえ、AIGの破綻に対してブレーキを掛ける役割を果たしていました。これこそが、彼に可能な最大の貢献であり、責任を果たす行為でもあったような気がします。
ちょっと可哀相ではないですか?
アメリカでも大衆は愚かなのですね。
もっとも代表選の(事実上の)最大のテーマが
「政治とカネ」となっている日本の大衆はもっと愚かですが。
嫉妬に浅はかな思慮(小市民根性)をこうも見せつけられると「馬鹿は適当に騙して搾取しよう」というお役人様に共感すらできます(笑)。
でも、社会の公益というのか、競争は、それ自体必要ではあるけど、間違った価値が、背景や環境の変化によって、そのうち崩壊する事は良くある、資本主義だって行き過ぎれば、格差と貧困を生む訳で、過大な報酬だって、貧困の裏返しでしょ?
何しろ金は、血液、稼いで何に使うかが価値なんだから、上手く使った人こそ評価されるべきでは、、、?
いらっしゃいませ。
確かに、「働きの割に、随分貰って居るなぁ」という感じはあるのですが、格差を問題にするなら、人種・国籍だの家柄だのの差での損得の方がよほど問題でしょう。
金融マンのボーナスが危機の大きな原因であり、仕組みとして不適切だったのだという点は、私もそう思いますし、何度も原稿に書きましたが、あの時点の個人にとっては、法的にも社会的にも認められた仕組みだったように思います。
後で分かった仕組みの良し悪しと、個々の人にとっての前提条件の良し悪しは、関連していますが、区別して扱う方がいい問題のような気がします。
ただ、彼らの不幸は、金融業界が失敗したのにもかかわらずそのツケを払うことなく救済を得た中で、高額報酬に対する言い訳を失ってしまったこと。そういう状況の中で矢面に立たされやすい立場になってしまったことでしょう。せっかく稼いで報酬を得たのにタイミングが悪く、業界全体に対する非難を一身で受けなければならなくなった、という点からは同情される余地はあるのでしょう。
サンデルの議論は読んではいませんが、業界が失敗したのに報いを受けていない(ように思われた)ことが本来非難されるべきことであって、トレーダー個人の失敗ではないから報酬は不当ではない、という議論はあると思います。トレーダー個人も業界の一員ではあり、それ相応の非難は受けるべきではあるのでしょうが。
あと気になるのは、それも時系列の問題で、トレーダー個人の契約時には正当と社会に評価されていた報酬についてですが、その社会的な正当性を失った時点でどう評価されるのか、というのは疑問でもあります。もちろん契約の文面を見れば正当としか言いようがないのでしょうけれども。
数年後に1000の損失が出たとしても従業員はいくら損失を出したところで、違法行為をしないかぎり賠償をする必要がないのですから、トレーダは始めのうちは儲かるけど、調子が悪くなると莫大な損失を出すような仕組みを作るインセンティブが働くんじゃないでしょうか。そしてそれこそが金融危機の大きな原因でしょう。
「あるトレーダーがプラス100を稼いだ」といいますがその「プラス100を稼いだ」というのは信用できないということなのでは?
成果と評価・報酬をどのように釣り合わせるかは永遠の課題ですが、営利企業の報酬はAIGの例のように即時的な評価を過大にせず、控えめにして欲しいな、と期待します。
アメリカンドリームの国ですから、報酬をもらいすぎに関してアメリカ人は相当寛容だったはずです。
イチローやマツイがいくら受け取ろうが問題ないはずです。
けれどももしマリナーズやヤンキースの経営が傾き、税金で救済しようということになったらどうでしょうか。
たぶんイチローももらいすぎと言われるようになるはずです。
公的資金が介在すると本来関係が無いはずの人が関係してくるという厄介なことになってきます。
自由主義の国アメリカもとうとう平凡な国になってきているのかもしれません。
日本は、もうほとんど社会主義ですから当然NGでしょうけど。
つまり、仮に会社の損失が1000億円、会社のトレーダーAが100億円のもうけを出したとして、(成功報酬が10%もあるとは思いませんが、仮に)10億円のボーナスが高すぎる、ということなのでは?つまり成功しても、アメリカの通常の一流企業並みの数千万のボーナスにしておけば問題はなかったのかなと思います。
山崎様がどこかの記事で、収入の条件が悪いと人が出ていくとか、引き抜かれる、など、AIGにとってさらに悪い条件になりかねない、と書かれていたとは思いますが、国民感情としては、10億円のボーナスを1億円にすれば(それでもアメリカ大統領より高い!)、税金投入が9億円減らせるじゃないか、と考えるのも、一理あるかなと思います。
もちろんトレーダーの相場からは、その成功報酬は低すぎだ、というのも一理あるかと思います。
アメリカ国民の嫉妬もあるかと思いますが、オバマ大統領としてはAIGを突破口として、または利用して、トレーダーのボーナスシステムを変えたかったのかも知れません。
それはそうと本エントリーの最後は、「文句を言うならやってみろ」論に聞こえますが、聞いていてあまり気持ちのいい議論(批判)ではありません。「(イチローなどの天才ではない)一般人でもやれる仕事で高報酬を得ている」に対する批判の強調なのでしょうが・・・。
「政治に文句を言うなら、民主主義なんだからお前が選挙に出よ(自分がやってみろ)」というお決まりのツマラナイ批判と同じように感じました。
いらっしゃいませ。
文句があるならやってみろ論に聞こえるというのは、確かにそうかもしれませんねぇ。私も、何となく面白くないと思いないがら、この辺りの文章を書きました。
金融トレーダーがなぜかくも有利な条件を持つことが出来るのかは、別途研究に値するテーマでしょうが、経済の理屈としては、(ビジネスが正当だとしてですが)儲けられるということは仕事に価値(稀少性)があるということで、さして価値がないのに儲けているというなら、その不当な超過利潤を裁定してみよ、ということになりがちです。
この問題については、むしろジェラシーの存在を出発点として認めてしまう方が現実に近くて無理がないように思います。
サンデル氏はイチローの年収がオバマの40数倍になることを引き合いに出して「妥当か?」と問題提起しましたが、「では何倍ならいいのか?その算出方法は?」という話はしませんでした。
法的にも、そして理屈の上でも山崎氏の記述は概ね筋の通ったものだと思いますが、出来れば「いくらからが高額なのか?」という点にも触れてもらいたかったと思います。
おそらく、感情的に反応している米国民その他の方々は「○○ドル以上なら高額で、したがって糾弾すべき」とラインを引いているわけでも、その算出方法を知っているわけでもないでしょう。
つまり「いくらからが『高額』になるのかはさっぱり見当つかないが、でも高額は高額だから怒ってやる」という、わけのわからない状態になっているんだろうと思います。
ところで、バブルがはじけてから急に注目されたこの話題ですが、多くの国民にとっては「バブルが形成される前」にこそするべき議論だったのではないかと思いますね。
実のところ、彼らトレーダーとて法の下に平等の扱いを受けて合法的なトレードを行ったのであって、そういう意味では業種が違うというだけで、日々一生懸命していたという意味ではその他国民と変わりません。
彼らの強欲ばかりが取りざたされるようですが、同じくらいその他の人達も強欲で、そこに目を瞑っているからこその「糾弾」であるような気がしますね。
なぜなら、住宅バブルを推進した政策を行った大統領とその政党は国民が支持を与えたものであるわけだし(一時期は90%以上の支持を与えた)、その代表者たる者達の議論とその末の法律は、誰でも見ることが出来る状態にあったわけです。
そうした責任の自覚なしに「目立つ者だけ」を批判の対象にする行為自体が、僕には責任逃れをしているように思えるんですがね。
だから「超過利益はいくらなのか?」といったような議論をせずに、漠然とした批判ばかりが目立つようになるのではないかと思います。
そうすることで、「自分達は悪くない」と思えるわけですから。
これは、政府や政党、そして政治家を批判する日本国民自身にも言えると思います。
高額ボーナスに対する嫉妬は、雇用(委託かもしれないが)・報酬契約が法令等に触れない範囲で結ばれたものである限りにおいては、感情として判らぬでもないが、おかど違いです、また同時に、失敗時は無報酬という契約が正義or適切なやり方とは言えないとも思います。
ボーナスを過剰に高額に設定した、不明な経営者に責任を取らせる試みをすることは的を射ている。
過剰報酬とは、本来採れる以上のリスクを敢えて超えて採り、成功時報酬一回限りでもその後十分に生きるに不足ないレベルを確保出来るのであれば勝ち逃げもまた良し、とする過度の不要なインセンティブをトレーダーに与える危険水域にあるもの。 そういう危険な高額報酬をエージェンシー問題として内包することの片鱗にすら用心の思いを至らせることの出来ない経営者に責任を取らせ・批判を集中すべき、だと思います。
整備不良や無理な運航の末に航空機事故が発生した場合に問われるべきは、パイロットの高額報酬ではなく、経営課題としての内包する事故発生要因に気付かぬ経営者の、まさに経営責任でしょう。
疲れた体を座席に横たえる旅客がパイロットの空港へのハイヤー送迎や自分より高い報酬レベルを知って羨ましく思うことに理解はします(実際私も羨ましく思う)が、不快に思うことが必ずしも正しいとは思えません。 多くの人命を預り航空機を運転する専門技術者に対する処遇は安全確保の妥当なコストでもあり得るからです。
整備コストを過剰に削減し、不合理なまでの効率運航を強いる労務環境で専門従業員に無理を強いることで航空会社の一時的で法外な収益を実現し高額報酬を自分も得ることにしか関心が向かず、過度のインゼンティブの裏側に潜む安全への脅威に対し注意力を向けない経営者にこそ注意の焦点を合わせるべきです。 巨大嵐に飛行機を向かわせた経営者にこそタービュランス事故の責任を負わせるべきではあっても、パイロットの責任を先に問うのは手順違いでしょう。
さて、もしサンデル先生が予め判っている筈がない失敗に報酬を払うことが悪いと本気で考えているとしたら、それも大いに疑問です。 失敗の場合には無報酬という契約(雇用・委任)で経営できる環境にない状況下で経営者に求められるのはまさに上述のとおり報酬を危険水域にまで高めないことだと思います。
サンデル先生は道徳・倫理・正義を一所懸命に白熱教室で、カントやアリストテレスや他著名人の言説を借りて説いておられ、それが大いに持て囃されていますが、これらのことは古典として既に知れ渡り日常生活のなかで誰でもが突き当たる壁の筈で、彼の著書が爆発的に売れるのはそれはそれでいけないことではありませんが、今更!!、との思いも拭いきれません。
唯単に語るだけではなく資産運用の実社会での正義と幸福を既に1995年に著し熱く語り自ら実践している(元)ファンド・マネージャーも居られるこの国の現実の下では、サンデル先生の何者たるかを、今後興味を持って見極めたいと、税込\2,400以上もする哲学者先生の著作日本語訳本が流行りにはやり、既に9月月初で59版を超えている事態を踏まえて、思っています。
勿論先生が単なる幸運に巡り合えたお雇い哲学者で消費されることでの高額報酬を目的にあくせくと生きる普通の人・変てこな哲学者ではないことを祈る次第です。
という感想を本エントリーを拝見して持ち、「これからの「正義」」の読後感を持つものです。
いま少し頭を整理したいので、独り言気味に書いてみます。
AIGのケースですが、もし救済されずに倒産していたことを考えると面白いと思います。その場合、成功したトレーダーも失敗したトレーダーも同じく報酬を受け取れなかったでしょうし、倒産した企業の従業員に対して満額給料を保証するような寛大な失業保険はどこの国も持っていないです。嫉妬以外の要素はここら辺にありそうです。
結局この問題ですが、「企業は誰のものか」という古典的な話が根本的にあるような気がします。「株主のもの」という非常に明快な説明を受け入れると、このように企業を公的部門が救済することは完全に正当化できないわけですし、企業の経済外部性を政府が法制度によって完全にコントロールできるというのもファンタジーです。結論はでないでしょうが、議論のネタとしては今回のケースと、山崎さんのポストは大変興味深く拝見しました。ありがとうございます。
再びのコメントありがとうございます。
ご指摘のように、そもそもAIGは倒産していて普通なのですから、その場合にどうだったのか、ということは、暗黙の契約の一部でもあり、考える必要がありそうです。
この場合、日本のように労働債権に強い優先権があるのか、ボーナスはどの程度確定した債権なのか、ということが問題になりそうですが、もっと大きな比較として、例えば、得られたはずのボーナスを失うトレーダーと、AIGのリスクも判断した上でAIGと契約を結んでいたはずの金融機関(典型的にはGS)と、どちらが救済されるべきかといった比較が問題になると思います。
「両方が泣くべき」という議論もあり得ますが、例えば初年度のボーナス保証を頼りに転職してきたトレーダーと、GSでは、前者の方に同情するのが普通のような気がします。
もともとAIGの救済自体が、別の金融機関の政府資金による間接的な救済を企んだもので、相当に問題であるような気がします。
とありますが、具体的にどのような失敗に対して報酬を与えていたのでしょうか?
たとえば、会社に損害を与えた社員がプラス評価だったならば、これはおかしいとなるでしょう。
欧米の文化に辟易していた時に見たHarvardの講義は新鮮でした。
彼は銀時計をもらったMr.HillのOxfordで勉強したんですね。
iPadでスキャンしたのはもちろん英語ですよね。
いつも、楽しくダイヤモンド・オンラインなどと共に本ブログを読んでいます。
このブログで取り上げられていたので、サンデルの翻訳本を、さっと斜め読みしました。
ここ話題となっている件は、本論に入る前の問題提起のひとつですね。
>「AIGのトレーダーが高額のボーナスを受け取ることに対する米国世間の反発について、サンデルは、「失敗に報酬を与えるから」だと反発を指摘している」
翻訳本を読むかぎり、サンデルが、上記のとおり言っているのか、明確にはわかりませんね。原書だと読み取れるのかな。
ただ、オバマ大統領は、確かに、アメリカ国民が怒っているのは、嫉妬ではなく、失敗したのに、高額の報酬を得ているからだ、とコメントしていますね。
店主のブロク上の意見
>高額のボーナスを払うことに対して米国の世間が納得できなかった原因は、たぶんトレーダーの高額な報酬に対する嫉妬があったからではないか。
(rsw) さんのコメント
>他の理由もあるような気がします。
>嫉妬以外にも彼らには道義的な責任があると思うのですが
店主のコメント
>とは、まさにその通りで、だからこそ、この話題をブログに書いてみました。
ここの議論に参加させてください。
米国の世論が、納得できなかった原因は、複合的な理由によると思います。
まず背景として、ウォール街に対する、ビューリタン的な反発、外国人に対するような違和感などがあったと思います。平均的なアメリカ人は、ニューヨークは、アメリカではない、というような発言をするという記事を読んだことがあります。
次に経営に失敗した企業は倒産させるべき、という価値観があるように感じます。今回の自動車産業の救済があるまで、ロングターム・キャピタル・マネジメントの例を除いて、連邦政府が救済に乗り出した記事を見たことがありません。(南米でデフォルトがあったときは、いろいろ操作したようですが)
ここで、サブプライムローンの証券化をウォール街が行った。アメリカの人々(割合は不明)は、証券化を行わなければ、単なる不動産バブルの崩壊だ済んだはずであり、金融危機は起こらなかったはずだと感じた。(ニューズウィークとタイムを読んだ感想から)つまり、金融危機の原因は、ウォール街にあると感じた。
本来なら、倒産させるべき金融機関を、信用システムを人質に取られた形で、税金を使って救済させられた、と感じた。(ニューズウィークとタイムを読んだ感想から)
投入した税金から、すぐに、AIGの経営幹部とトレーダーが、(最高額は、1億ドルを超える)高額ボーナスを抜いた、と感じた。(これは、サンデル本を読んだ、こちらの勝手な推測)
事実はともかく、アメリカ人が以上のことを感じたので、納得しなかったのではないか、と推測します。
それから、以下は無責任金な感想ですが、
きむさんのコメント
>それはそうと本エントリーの最後は、「文句を言うならやってみろ」論に聞こえますが、聞いていてあまり気持ちのいい議論(批判)ではありません
店主のコメント
>私も、何となく面白くないと思いないがら、この辺りの文章を書きました。
ここのところは、AIG救済の際の高額ボーナス支給に対して、納得していないアメリカ人とオバマ大統領に対する物言いで、日本人は関係ないと思いますので、これはこれでいいのではないかと思いますが。(オバマ大統領にもわかるように英語で書けばよかったかも)
ところで、サンデル本では、アフガニスタンの羊飼い(すみません、タイトルが違うかもしれません)のところの方が気になります。
これは、実話だということですが、これを戦訓とすると、アメリカ陸海軍の特殊部隊員たちは、現在、アフガニスタンで特殊作戦を実行する場合、同様なケースでは、ためらいなく、民間人を殺害しているのでしょうか。ジュネーブ条約は・・・。
こんばんは。お邪魔します。
別エントリーで田舎のおばちゃん様のメディア論を拝見して、考えたことを書かせていただきます。
一般人(世論の多数派)は金融トレーダーに何らかの理由で悪印象を持っている。その感情を吐き出したいが、論理的に正当な批判ができず、批判的意見は単なる妬みとして処理される。そして感情を吐き出せないイライラがまた悪印象を増幅させる。そこで「失敗(=村上ファンドのときは犯罪として、AIGは倒産)」が明らかになると、それまで溜め込んだ感情を「正当な批判」として一気にぶちまけ、ストレス発散する。
というような構図なんだと思います。
世論が最初に金融トレーダーに対する悪印象を抱く理由は、山崎さんの言う嫉妬心の他にも「額に汗して一生懸命働くのがエライ」という素朴な労働倫理もあるでしょう。
「金融トレーダーが適法な仕事で正当な高額報酬を得ていること」が問題を面倒にしているという状況じゃないでしょうか。
(まとまっていない上に、エントリーとは噛み合わない話になってしまいました。)