評論家・山崎元の「王様の耳はロバの耳!」
山崎元が原稿やTVでは伝えきれないホンネをタイムリーに書く、「王様の耳はロバの耳!」と叫ぶ穴のようなストレス解消ブログ。
会社員の7つの不自由
今週は、獨協大学の学生諸君と、主に「フリー」と呼ばれる立場との比較で、会社員の何が自由であり何が不自由かということについて考えてみたい。私は、十分とはいえないが、両方を経験しているので、実感を正直に書いてみたい(「お前は、どっちも中途半端ではないか」という批判は甘んじて受ける。私ごときを批判すること自体が全くアホらしいだろうけど・・・)。
フリー(独立自営業)は、まさにフリーと呼ばれるくらい自由なので、会社員の不自由な点を幾つか挙げてみよう。
(1)副業の不自由
本来、人は、何をして働いてもいいはずだし、仕事は一つでなくても構わない。
しかし、多くの会社が、就業規則に副業の禁止を謳う。判例的には、副業は原則自由なのだと教えて下さった先生がいらしたが、会社と裁判して勝っても、十中八九は不幸せだろうから、現実的には、「『副業の禁止』を原則禁止」しなければ意味がない。
会社の許可を取ればやってもいい場合があるだろうが、一々許可や報告が必要だということ自体が不自由だ。
この点、フリーであれば、職種・職業上の制限はあるかも知れないが、何をして働いたらいいか自分で判断して、決めることが出来る。評論家がバーテンダーでも構わないし、作家が通販会社を運営していても構わない。
副業、あるいは複業の自由は、現状では、フリーの身分の大きなメリットだが、これが会社員にもあって悪いことはない。会社は、他人の自由に嫉妬しないで、社員の副業を原則的に認める方向に変化すると世の中がより楽しくなるのではないか。
(2)意見発表の不自由
世間体を気にする企業に所属していると、意見を自分の名前で発表することが難しい場合が多い。個人名で意見を自由に言えないことは、重大な人権侵害だと思うのだが、就業規則に規定があったり、規定はないけれども事実上禁止されていたりする場合が多い。
たとえば、銀行に勤めていたら、金融行政に関する個人的な意見を雑誌に実名で投稿することは難しいだろうし、金融でなく、政治や社会一般に関する意見でも、実名で発表することが困難な場合が多い。証券会社でもそうだし、保険会社でもそうだし、商社でもそうだった。メーカーなど他の分野の事業会社でもそうだろうし、お役人さんもそのような場合が多そうだ。一見自由に見える外資系の会社でも、日系の会社よりも厳しい場合がしばしばある。
フリーの立場から見ると、会社員は社内に於ける評判を意識しすぎではないかと言いたい場合があるだろうが、名前を出すことの実害が存在する場合は頻繁にある。また、単に本人の気分だけの制約ではあっても、そう思わせる雰囲気が会社組織に存在する場合が多い。これも十分実害だ。
たとえば、証券会社の場合、証券会社の肩書きを持つ社員が発言したこと(たとえば相場に関する個人的見通し)が、所属会社の意見と混同される場合があり、これを避けるために、社員の個人的な発言を規制する場合があるが(もともと「コンプライアンス」は法令遵守よりも先にこの種の問題だった)、この場合、一つには発言の責任所在について誤解する情報の受け手側に問題があるし、混同が起こると拙いからといって、会社が社員個人の基本的な権利を制約して物事を片付けようとするのは安易だ。せめて、発言する際のルールを明確化するくらいに留めるべきではないだろうか。
貴重な情報や優れた意見を持っている人が多数居るはずの会社員や官僚が自由に発言できない状況は、社会的にも損失が大きいと思う。
(3)投資の不自由
これは大きな不自由ではないが、インサイダー取引に関する規制などを考えると、勤務先の株式(転換社債なども同様)を投資対象にしない方がいいし、取引先についても投資対象から外す方が無難であることが多い。
そもそも、勤務先の株式を持つということは、リスク分散の観点から好ましくないし、社内にいると会社のことがよく分かるかというと、投資に関しては案外そうでもない場合が多いので、自社株や取引先の株式に投資できないことは、実質的にそう大きなハンディキャップではないが、仕事の関わりで得た情報が貴重な投資情報に見える向きには、我慢することが苦しい種類の不自由かも知れない。
(4)購入商品の不自由
たとえば、キリンビールの社員は、同僚や先輩がいる場所で、アサヒのスーパードライを飲みにくいに違いない。また、三菱グループの会社の宴会で、乾杯のビールをスーパードライにすると、幹事さんは後で叱られるかも知れない(逆に、住友グループなら、スーパードライでなければならない)。
日立製作所の社員は東芝のダイナブックを使いにくいだろうし、東芝の社員は日立のフローラを買いにくいだろう。或いは、トヨタ自動車の勤務先に、日産の車で毎日自動車通勤する社員が居たら立派なものだ。
この種の不自由は会社にもよるだろうが、商品選択の幅が狭まるくらいのことはいいかも知れないが、生活上のこまかな好みに会社が関わるというのは気持ちのいいものではない。フリーの場合、この点の気遣いはない。
(5)人間関係の不自由
俗に「バカの下にも3年」という言葉がある。ムシの好かない上司でも、3年くらいすれば異動してしまうから我慢しよう、という意味だが、「人生に於いて、3年は長い」とフリーなら思うだろう。もちろん、上司の側が「バカの上にも3年」と思って我慢するケースもあるはずだ。
会社組織の場合には、人事は全員の希望するようにはならないので、気が合わない相手とも付き合わなければならない場合がある。特に、同じ会社で上司と部下、あるいは同僚として働く場合には、嫌な相手でも深い付き合いを余儀なくされる場合がある。
多くの場合、フリーの人間がフリーで良かったと思うのは「嫌な奴と無理に付き合わなくてもいい」という点であり、「嫌な奴」でイメージされる人物の多くは同じ会社の人間だ。
(6)時間の不自由
いわゆる「9 to 5」のシステムに組み込まれた会社員生活の大きな不自由は、時間の使い方にある。もちろん、多くの会社で9時-5時よりも長い時間拘束される。
会社員は、給料と引き替えに会社に時間を売っている関係にあるので、ウィーク・デイはたいした仕事が無くても、カラダを会社に置いて、位置エネルギーを換金しないといけない。位置エネルギーだけで商品になる点は、フリーから見て会社員の羨ましいところだが、人生全体の問題として考えると無駄が大きそうだ。
一方、フリーだと、たとえば平日の空いている時間帯にゆっくり映画を観ることも出来る。必ずしも経済的に恵まれていなくても、時間の自由を味わえるので、フリーの立場に満足する人は少なくない。また、いったんフリーをやってしまうと、この種の時間の自由が癖になって捨てがたくなる。
(7)仕事の不自由
会社員の多くは、自分で自分の仕事を選ぶことができない。たとえば、総合商社の入社式では、自分の意図しない部署に配属されて泣く新入社員がいる場合もある。
会社生活では、何度も人事異動があるのが普通だが、自分のやりたい仕事ばかりであるとは限らないし、不本意な仕事に就いている年数は、フリーから見ると「人生のムダ」だ。
●
さて、一方的に、会社員(あるいは、お役人)の側の不自由を書いてみたが、上で挙げたポイントにあっても、必ずしも「フリーの方が自由だ」と言い切れるものではない点に注意が必要だ。
フリーの場合、喰わなければならない、働く場を得なければならない、という問題がある(注;両者は重なり合うが、全く同じ、ではない)。フリーは、日本語で言い換えると、「自営業」だが、「自分で業を営む」という以外に、「自分という商品を、営業(セールス)しなければならない」という面がある。
従って、相手が嫌な人間であっても、取引相手だったり、自分にチャンスをくれる人間だったりした場合に、この相手と徹底的に付き合わなければならないケースはある。
また、フリーは仕事を選べる立場だが、率直に言って、仕事を断る際には勇気が要る。一度断ればその相手からは二度と依頼が無いかも知れないし(たとえば、放送、出版のような属人的仕事の場合、よくあることだ)、フリーは多くの場合経済的に不安定なので、出来るだけ多くの仕事を抱えておきたいと思う場合が多い。
フリーの場合、実質的な立場を考えると、「人間関係」や「仕事」はよほど実力と自信を蓄えないと「私は、自由だ」と言い切れるほどのものにならない筈だ。
また、時間の点でも、仕事を抱え込んだフリーは、仕事が完成するまで自分の時間を投入しなければならないので、全く自由時間が無くなるような状況に陥ることがある。元を辿ると自分の選択ではあっても、結果が不自由になることもある。
アイドルの追っかけ(熱心なファン)で多い職業は地方公務員だと聞いたことがあるが、勤務時間が一定で、収入が安定している立場の人だからこそ得られる自由もあるということだ。
●
学生は、会社員、或いは公務員とフリーの何れになりたいと思うのだろうか。彼らの反応が楽しみだ。
大人の皆さんは、どう思われるだろうか。面白い、あるいは参考になるコメントがあれば、随時学生に伝えます。
フリー(独立自営業)は、まさにフリーと呼ばれるくらい自由なので、会社員の不自由な点を幾つか挙げてみよう。
(1)副業の不自由
本来、人は、何をして働いてもいいはずだし、仕事は一つでなくても構わない。
しかし、多くの会社が、就業規則に副業の禁止を謳う。判例的には、副業は原則自由なのだと教えて下さった先生がいらしたが、会社と裁判して勝っても、十中八九は不幸せだろうから、現実的には、「『副業の禁止』を原則禁止」しなければ意味がない。
会社の許可を取ればやってもいい場合があるだろうが、一々許可や報告が必要だということ自体が不自由だ。
この点、フリーであれば、職種・職業上の制限はあるかも知れないが、何をして働いたらいいか自分で判断して、決めることが出来る。評論家がバーテンダーでも構わないし、作家が通販会社を運営していても構わない。
副業、あるいは複業の自由は、現状では、フリーの身分の大きなメリットだが、これが会社員にもあって悪いことはない。会社は、他人の自由に嫉妬しないで、社員の副業を原則的に認める方向に変化すると世の中がより楽しくなるのではないか。
(2)意見発表の不自由
世間体を気にする企業に所属していると、意見を自分の名前で発表することが難しい場合が多い。個人名で意見を自由に言えないことは、重大な人権侵害だと思うのだが、就業規則に規定があったり、規定はないけれども事実上禁止されていたりする場合が多い。
たとえば、銀行に勤めていたら、金融行政に関する個人的な意見を雑誌に実名で投稿することは難しいだろうし、金融でなく、政治や社会一般に関する意見でも、実名で発表することが困難な場合が多い。証券会社でもそうだし、保険会社でもそうだし、商社でもそうだった。メーカーなど他の分野の事業会社でもそうだろうし、お役人さんもそのような場合が多そうだ。一見自由に見える外資系の会社でも、日系の会社よりも厳しい場合がしばしばある。
フリーの立場から見ると、会社員は社内に於ける評判を意識しすぎではないかと言いたい場合があるだろうが、名前を出すことの実害が存在する場合は頻繁にある。また、単に本人の気分だけの制約ではあっても、そう思わせる雰囲気が会社組織に存在する場合が多い。これも十分実害だ。
たとえば、証券会社の場合、証券会社の肩書きを持つ社員が発言したこと(たとえば相場に関する個人的見通し)が、所属会社の意見と混同される場合があり、これを避けるために、社員の個人的な発言を規制する場合があるが(もともと「コンプライアンス」は法令遵守よりも先にこの種の問題だった)、この場合、一つには発言の責任所在について誤解する情報の受け手側に問題があるし、混同が起こると拙いからといって、会社が社員個人の基本的な権利を制約して物事を片付けようとするのは安易だ。せめて、発言する際のルールを明確化するくらいに留めるべきではないだろうか。
貴重な情報や優れた意見を持っている人が多数居るはずの会社員や官僚が自由に発言できない状況は、社会的にも損失が大きいと思う。
(3)投資の不自由
これは大きな不自由ではないが、インサイダー取引に関する規制などを考えると、勤務先の株式(転換社債なども同様)を投資対象にしない方がいいし、取引先についても投資対象から外す方が無難であることが多い。
そもそも、勤務先の株式を持つということは、リスク分散の観点から好ましくないし、社内にいると会社のことがよく分かるかというと、投資に関しては案外そうでもない場合が多いので、自社株や取引先の株式に投資できないことは、実質的にそう大きなハンディキャップではないが、仕事の関わりで得た情報が貴重な投資情報に見える向きには、我慢することが苦しい種類の不自由かも知れない。
(4)購入商品の不自由
たとえば、キリンビールの社員は、同僚や先輩がいる場所で、アサヒのスーパードライを飲みにくいに違いない。また、三菱グループの会社の宴会で、乾杯のビールをスーパードライにすると、幹事さんは後で叱られるかも知れない(逆に、住友グループなら、スーパードライでなければならない)。
日立製作所の社員は東芝のダイナブックを使いにくいだろうし、東芝の社員は日立のフローラを買いにくいだろう。或いは、トヨタ自動車の勤務先に、日産の車で毎日自動車通勤する社員が居たら立派なものだ。
この種の不自由は会社にもよるだろうが、商品選択の幅が狭まるくらいのことはいいかも知れないが、生活上のこまかな好みに会社が関わるというのは気持ちのいいものではない。フリーの場合、この点の気遣いはない。
(5)人間関係の不自由
俗に「バカの下にも3年」という言葉がある。ムシの好かない上司でも、3年くらいすれば異動してしまうから我慢しよう、という意味だが、「人生に於いて、3年は長い」とフリーなら思うだろう。もちろん、上司の側が「バカの上にも3年」と思って我慢するケースもあるはずだ。
会社組織の場合には、人事は全員の希望するようにはならないので、気が合わない相手とも付き合わなければならない場合がある。特に、同じ会社で上司と部下、あるいは同僚として働く場合には、嫌な相手でも深い付き合いを余儀なくされる場合がある。
多くの場合、フリーの人間がフリーで良かったと思うのは「嫌な奴と無理に付き合わなくてもいい」という点であり、「嫌な奴」でイメージされる人物の多くは同じ会社の人間だ。
(6)時間の不自由
いわゆる「9 to 5」のシステムに組み込まれた会社員生活の大きな不自由は、時間の使い方にある。もちろん、多くの会社で9時-5時よりも長い時間拘束される。
会社員は、給料と引き替えに会社に時間を売っている関係にあるので、ウィーク・デイはたいした仕事が無くても、カラダを会社に置いて、位置エネルギーを換金しないといけない。位置エネルギーだけで商品になる点は、フリーから見て会社員の羨ましいところだが、人生全体の問題として考えると無駄が大きそうだ。
一方、フリーだと、たとえば平日の空いている時間帯にゆっくり映画を観ることも出来る。必ずしも経済的に恵まれていなくても、時間の自由を味わえるので、フリーの立場に満足する人は少なくない。また、いったんフリーをやってしまうと、この種の時間の自由が癖になって捨てがたくなる。
(7)仕事の不自由
会社員の多くは、自分で自分の仕事を選ぶことができない。たとえば、総合商社の入社式では、自分の意図しない部署に配属されて泣く新入社員がいる場合もある。
会社生活では、何度も人事異動があるのが普通だが、自分のやりたい仕事ばかりであるとは限らないし、不本意な仕事に就いている年数は、フリーから見ると「人生のムダ」だ。
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さて、一方的に、会社員(あるいは、お役人)の側の不自由を書いてみたが、上で挙げたポイントにあっても、必ずしも「フリーの方が自由だ」と言い切れるものではない点に注意が必要だ。
フリーの場合、喰わなければならない、働く場を得なければならない、という問題がある(注;両者は重なり合うが、全く同じ、ではない)。フリーは、日本語で言い換えると、「自営業」だが、「自分で業を営む」という以外に、「自分という商品を、営業(セールス)しなければならない」という面がある。
従って、相手が嫌な人間であっても、取引相手だったり、自分にチャンスをくれる人間だったりした場合に、この相手と徹底的に付き合わなければならないケースはある。
また、フリーは仕事を選べる立場だが、率直に言って、仕事を断る際には勇気が要る。一度断ればその相手からは二度と依頼が無いかも知れないし(たとえば、放送、出版のような属人的仕事の場合、よくあることだ)、フリーは多くの場合経済的に不安定なので、出来るだけ多くの仕事を抱えておきたいと思う場合が多い。
フリーの場合、実質的な立場を考えると、「人間関係」や「仕事」はよほど実力と自信を蓄えないと「私は、自由だ」と言い切れるほどのものにならない筈だ。
また、時間の点でも、仕事を抱え込んだフリーは、仕事が完成するまで自分の時間を投入しなければならないので、全く自由時間が無くなるような状況に陥ることがある。元を辿ると自分の選択ではあっても、結果が不自由になることもある。
アイドルの追っかけ(熱心なファン)で多い職業は地方公務員だと聞いたことがあるが、勤務時間が一定で、収入が安定している立場の人だからこそ得られる自由もあるということだ。
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学生は、会社員、或いは公務員とフリーの何れになりたいと思うのだろうか。彼らの反応が楽しみだ。
大人の皆さんは、どう思われるだろうか。面白い、あるいは参考になるコメントがあれば、随時学生に伝えます。
コメント ( 36 ) | Trackback ( 0 )
« これから面接... | iPADの印象 » |
エントリーやコメントがなく少し寂しかったです^^
さて、私は15年ほど会社員を続けています。フリー
の経験はありません。大学卒業して何年かニートっぽ
い生活をしていたのでそこから想像するくらいのもの
です。
このエントリーでは不自由をある種の不幸せと同義に
使われていると判断しました。それを前提にして少し
考えてみますと・・・・結局はどちらも同じようなも
のと感じます。
組織に属していることによる様々な不自由さは述べられ
いる通りと思います。しかしだからこそ、その不自由さ
の中でさまざまにやり繰りをして時間を作ったりやりた
いことや述べたいことを作り上げていく幸せというもの
は確実に存在すると思います。
逆に様々な自由さは一見幸せの宝庫のようですが、ニート
的生活を思い起こすに、結構辛いものでした。もちろん
精神的な辛さもあるのですが、自由を謳歌することは
ある種のセンスや才能が多分に必要なんだろうなぁ・・
と今になって感じます。
何かに縛られている幸せ、自由さによる辛さというもの
も学生の皆さんが多少なりともご理解いただけると嬉しい
です^^
かつての私の上司に、頼れる、面白いそして我々部下に思いやりがあるという三拍子そろった方がいました。しかし下請け業者に対しては、どちらが本性なのだろうかと疑問に思うぐらい一変してキツーイ態度で臨んでいました。
会社は必ずしも従業員が定年まで勤め上げることを望んではいないので、フリーでも胸を張って生きていけるようになりたいものです。
なんてあまりないんだと思います。
優秀だから、明確なビジョンを持ってるとも限らないですし。
(理系の研究職のような方は除いて)
不自由か否かといったらそりゃ不自由だけど
やりたいことがないから会社員=フリーじゃない
というのが本音かと(笑)。
こんばんは。
確かに、社内と社外、あるいは取引の立場のちがいなどで、他人に対して、人格が変わったのではないかというほど応対が変化する人が居ますね。人間的には嫌な感じですが、敵と味方を強く意識するのも人間の本性の一つだし、仕方がないのかも知れません。
●
「会社は必ずしも従業員が定年まで勤め上げることを望んではいないので、フリーでも胸を張って生きていけるようになりたいものです。」というお言葉はまさにその通りです。定年まで勤まっても、人生は(多くの場合)その先があり、自分や家族を気分良く養わなければなりません。私にとっても、今後の人生の切実な課題です。
それから、「服装の不自由」や「勤務態度の不自由」というのもあると思います。会社員時代も今もコンピュータの前で機械設計をしていますが、今は例えば夏ならTシャツ短パンでビールを飲みながら仕事をすることもあります。テレビや音楽を視聴するのも自由。
でも今の仕事のスキルは会社で10年くらいかかって身に付けたものなので、最初からフリーはあり得なかったとも思います。学生さんたちは、将来のフリーを目指して精進するのが吉ではないでしょうか。
脱サラフリーから現在会社経営者です。
フリーの不自由も教えるべきだと思いますよ。
1.家を借りにくい。
2.クレジットカードを作りにくい。
この二つは収入が増えるとある程度解決されますが、最初から収入のあるフリーの方は少ないでしょう。私がかなり収入が増えたときのクレジットカードスコアが、入所一年目の公務員よりも低いのを知り愕然とした覚えがあります。
3.嫌な上司よりも嫌な客に当たる可能性がある。そいういう客を切って、自分の好きな客だけと付き合うことができるような贅沢ができるフリーの方は少ないと思います。
4.給与所得控除が無い。飲み食いを経費で落とすフリーの方がいますが、税法上の要件を満たさなければ、厳密には脱税です。彼らは、重加算税のリスクを負って経費で落としています。給与所得控除は凄い金額ですよ。知らないサラリーマンの方が多いですが。
5.分からないことを実務経験者から無料で教えてもらえない。サラリーマンならば、会社中探しまわれば誰か教えてくれる人がいる可能性があります。特に大企業では。しかし、フリーの場合は、自分の人脈だけが頼りです。相手もフリーの場合は、毎回無料で、というわけにはいきません。ネットで全部調べられると思っている人もいるかもしれませんが、実務経験者に直接教えて頂くような価値はありません。
6.失敗した場合のリスクは全て負わなければならない。私の友人の中には、フリーになった直後に数千万の損害賠償請求を受けて四苦八苦していた男がいます。サラリーマンならば、会社が負担してくれ、「お前、次は気をつけろよ」と言われるか、左遷になる程度で済みます。フリーの場合は、金額によっては破産します。ブイブイ言わせているフリーの方でこのことに気づいている方は結構少ないですね。仮に裁判で自分に損害賠償責任が無いと判決が出たとしても、裁判をしている間に顧客が離れ、ビジネスが破たんする可能性は十分にあります。フリーになるということは、有象無象がうようよいる社会の中で独り立ちするということです。ちょっと仰々しい言い方をすると、戦国大名として一国一城の主となるのですから、負けたら首を取られるということです。
でもフリーになる人は、リスクを感じないからフリーになるわけで、実は、メリットデメリットなんてどうでもいいのではないのではないでしょうか。
偉そうに書きましたが、実は、私も上記のことに気付いたのはフリーになった後です。
お恥ずかしい限りです。
昼休みの会社で(心の中で)爆笑しました。理路整然とした文章の中に、こういうジョーク?が入った山崎さんの文章が堪らなく好きです。ETF本楽しみにしています。
実体験ではありませんが、『外回りの時、喫茶店で時間をつぶすサラリーマン』というのは、サラリーマンでいながら、多少のフリーをエンジョイしている気がします。
フリーでやっていける力のある会社員は、フリーの自由を得つつ会社勤めの良さ?を利用できたするでしょうし、完全にどこかから下請けでのみ仕事をするような『フリー』だとそれほどフリーになれなかったりする気がします。
会社勤めかフリーか、というより自分で仕事を取ってこれるか(創れる)、人から分けてもらうか、という部分が分かれ道な気がします。
加えて、金に汚くなる、友達がいなくなる、などが私には厭なところですね。ああいやだ。へぼ公務員になって健康で文化的な生活に浸りたいですよ。
接していると、とても不自由そうに見えます。
事業はみなうまくいっているようなのですが、
出逢う人に対し常に営業目線で、仕事に結びつけようとしている。
今どきの学生さんは、やれ就活だ、面接だ、フリーだと大変な時代ですが、本当は、「身を立てる」ためにどうするかを考え、迷い、専攻を含め、どのようなコースを歩むのか、それで8割方は決まってしまうのではないでしょうか。もし、「自由」をいうならば、その間にどれだけ「自由」を行使して、意志し、考えたか、それでほとんどが決まってしまうような気がします。今も昔も、世に出てから「自由」がゴロゴロ転がっているなどということは中々ないのでしょう。
山崎さんのように、「言論」で身を立てている人にとっては「自由」は創造の源泉ですから、殊のほか重要だと推察します。山崎さんも、はじめは「生活の糧」を得ることに重点を置き、勉強して「職」を磨くことにより、徐々に「自由」にシフトしたと述べていました。
ところで、会社にとっても新卒を大量に採用して消耗すれば、売上が自動的に増えた時代ではありませんから、今や、さまざまな創造性が競争の源泉なってきている時代なのだと思います。これは、会社員、公務員、フリーを問わないのでしょう。そういう意味では、「会社員の7つの不自由」は、従業員がより自由な雰囲気(快適性)を感じ、より創造的な(効率的な)仕事をしてもらうための場を提供するために、会社が克服していかなければならない重要な課題と読むこともできます。もちろん学生にとっては、選球眼を養い、「会社と社会の歩き方」の良きガイドになると思います。
>『外回りの時、喫茶店で時間をつぶすサラリーマン』というのは、サラリーマンでいながら、多少のフリーをエンジョイしている気がします。
私は、いわゆる外回りの仕事ではなかったのですが、外資系の証券会社に勤めているときに、ツマラナカッタので隣のビルの喫茶店で読書していたことがあります。
その時、読んだ本が「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(確か、当時、新訳が出た)。
読んで面白い本ではありませんが、その時の仕事よりは、まあ、面白かった。
しかし、明らかに、プロフェッショナリズムの倫理と資本主義の精神に反しておりました。
フリーをそのままフリーで受け止めているひとはいないと思います。
起業バカ1・2という本も結構売れてました。
あとフリーは社員以上に一挙手一投足を観察されています。
結構話は飛びますけれど
ある映画監督の話ですが
役者の待時間を観察しているそうです。相当粘着質に眺めているみたいで
メールやってる奴とかタバコプカプカとか
芝居の熱がすぐに冷めるひとか芝居に向けて暖められるひとかどうか調査しているようなんですよ。
つまりメールピコピコ、タバコプカプカは大減点の対象でしょう。結構それを観るとがっかりするそうです。明言してはいないですが次の仕事に影響あるでしょう。どう考えても。
老若関係ないそうですよ。
ぽっと出の新人でも誰とも話さず何もせず自問自答のように瞑目して超然たる態度で臨む立派な御仁もおられるようでそういうひとは多分次も次の次もあるんでしょうね。
逆に大家でも緊張感の無いひとはかなりいるそうです。
これ普通の仕事でも当てはまりますよ。
社員ってなんだかんだで贔屓目に見られてるところがある。
社員じゃないひとは上杉さん並みに身辺に気をつけましょう。知り合いで弁当を食い散らかして得意先を失った奴がいます。
しょっちゅう道端にごみ捨てる奴でいつも当方が諫言して大喧嘩してました。分かってくれなかったんだよなあ。
購入商品の不自由
高校のときはギャグかと思ってました。
いい大人が何食おうが使おうが文句言われるわけない、都市伝説だよなあって
大学入って派遣でひーひーしてた頃の話ですが
売店で他社のも売ってるのにその他者のを口にしてたら飛び上がるほどどやされれました。
相手がサン○リアというのも微妙にプライドを傷つけたのかなあ。「よりによって、てめえ」ってことでしょうか。でもおいしいですよサン○リア。CMは微妙ですが。
フリーは仕事を選べる立場だが、率直に言って、仕事を断る際には勇気が要る。
紹介できる知人や専門家がいると信用が増すような気もします。専門じゃないのに抱え込んで長引かせるアホボン開業医はすぐ寂れます。勤務医を経てネットワークを持ってるひとは手に負えないとすぐに紹介状です。そんなによそに譲ってばかりで大丈夫かなと心配ですが繁盛しているようですね。
位置エネルギーの変換すらおこなっていなかったわけですね(笑
自営業と会社員、一見すると不自由そうな会社員ですが、工夫次第?で如何様にもなる という想いを強く致しました。
>加えて、金に汚くなる、友達がいなくなる、などが>私には厭なところですね。ああいやだ。へぼ公務員>になって健康で文化的な生活に浸りたいですよ。
本気か冗談か分かりませんが、お気持ちはよく理解できます。
それこそ一代で誰もが知っている大企業まで会社を大きくした経営者を含め、多くの経営者と話をしても、マスコミ向けの建前論は別として、本気でビジネスが楽しいと思っている人は少なくとも私の周りにはおりません。
ビジネスは戦ですから、戦が楽しいというのは、私としてはよく理解できません。勿論、私も含めて困難を乗り越えていく過程で自分が鍛えられたり、経験者でなければ理解できない世の中の深部に触れることができることによる喜びもありますが、そんなものは一年に一度もあれば多いほうです。
誤解を恐れず、単純な言い方をすれば、殺されるリスクを伴う極限的なストレス状態に日々耐え続けるのがフリーを含む経営者の仕事の一部なのではないでしょうか。
そういう状態に置かれると、周りの人々の自分に対する態度も大きく変わります。世間は何て冷たいのだろうと思うこともよくありました。しかし、命のやり取りをする者同士、本当に心を通い合わせることができる友人もできましたし、逆立ちしてもかなわない師匠もできました。
私個人はどんなに苦しくても、今更サラリーマンには戻れないと思います。しかし、だからと言って、ネットでもよく見るように、サラリーマンを「社畜」と揶揄する気にはなれません。
むしろそこまで己を捨てることができるのは、鈴木正三以来の日本型悟りの世界に達したとして尊敬しています。
私がいた会社の先輩で、人からは「あんな部署に異動になって気の毒だ」と言われるような部署に転勤になっても、嬉々として「新しい仕事ができて嬉しい」と一所懸命に仕事している方がおります。
私のような者には決して真似できません。
その先輩は結局その会社でそこそこの評価をされました。
誰か見てるんですね、必ず。
西方珍奇さんの仰るように、フリーだって必ず誰か見ています。
ですから、本気で仕事をしている人であればあるほど、一瞬たりとも気を抜けないでしょう。
表面的には涼しい顔をしていても、実は苦しくて仕方ないのがフリー、経営者と思って頂いて、へぼ公務員などにならぬようお願い致したいところです。
これからは、そのへぼ公務員どもを我々民間が粉砕しなければなりませんから。
もし自営業を目指すとしても最初は大企業に入った方がいいというのが持論ですが、長くいるとその不自由さに慣れてしまってかえってうまくいかなくなりそうです。
会社員の辛いところは、自分の行動を自分で決められないところです。
サラリーマンも課長、部長と昇進するごとにストレスが減り、精神的健康度が上がっていくそうです。
最悪なのは、責任は重いのに権限が無い場合だそうです。
自営業は、うまくいかなくても自分が悪いと責任と権限のアンマッチがないのでその点はいいです。
但し、みんながみんな自営業向きだとは思えないのでその点は要注意です。
自己管理と仕事のコントロールが出来る人は、人に管理される必要がないんですからスキルを磨いて自営業を目指すべきでしょうね。
でも、学生でそういう人はなかなかいないでしょうから最初は誰かの下ででっち奉公でしょう。
結局、最初にどういう人に出会うかという運が重要なのかもしれません。
このご時世に大赤字の会社に属して給料を一杯貰っているような人は、まあ正直言ってうらやましいです。
ただ、それが雇われる事のメリットでもあるでしょう。
逆に利益が2倍になったところで社員の給料は2倍にならないでしょうから、結局リスクとリターンだなと思います。リターンには時間的な自由も含まれますし。
荒っぽくまとめると、日本人の属性を大別すると1)サラリーマン、2)公務員・教員、3)自営業の三つに分かれ、ご両親とは違う属性の仕事に挑戦すると生きにくいう話です。
著者は公務員・教員属性から、オウム事件を転機に自営業(著述業)に移られたのという劇的なキャリア転換を図った方です。この本は中身が薄かったですが、専門の宗教関連の本は面白いものが多いです。
学生はもっとも身近な大人であるご両親を通じて仕事や社会を観察してきたので、知らずと両親の属性に染まりがちです。この視点を得て、私が勤める会社や同僚への違和感の原因が分かった気がしました。事前に分かっていれば、少しは悩みごとが減ったかもしれないなぁと思いました。
生意気盛りの学生なら、親御さんの属性から、ご本人の傾向を探るなんて話に興味もてないかもしれませんが、三十半ば過ぎの私には不に落ちる話でした。
世の中のたいていの仕事は分業で成り立ってます。大別すると、個々の部品を作る仕事(下流工程)と、個々の部品を組み立てて一個の製品に仕立てる仕事(上流工程)があります。儲かるのは上流の仕事です。iPadのAppleなんてその典型でしょう。それでフリーでする仕事と言えば、前者の、個々の部品を作る仕事となります。鶏口牛後でいうと、フリーは鶏口ということになってますが、この観点ではあくまで牛後なのですね。ファンドマネージャーというのはひとりで完結する(上流下流といった区別のない)仕事なのでまた別の話かもしれませんが。
日本は再チャレンジが難しい社会であることが言われてきましたが、起業に失敗すると後が大変であるということですね。実務経験のない学生はなおさらであり、すくなくともいきなりフリーを目指すのは無茶だと思います。
そのようなことを考えると、よほどの勝機や適正が無い限りフリーを目指すべきでは無いと思いますね。
為替で調節してイーブンになればそれは免れると思います。
経済は一人勝ちできないような様々なクッションがあります。
マクロで見れば為替ですが
ミクロで見ると多数の企業が昆虫のように明るいほうへ来ますから混雑減少が生じる可能性があります。
国のサービスが個々の企業に対して悪化したり事務手続きが滞る可能性もあります。
ですからそこまで見越すとやはり多数の優良企業を抱えてウッシッシはありえません。しかも無税ですから良いこと無し。租税を元手にでサービスを強化する好循環も生じません。
山崎さんの場合は国益という観点よりも徴税吏の裁量を奪いたいんでしょう。
今の通達運用主義は日本国権法で規定されている租税立法主義の危険な逸脱です。
私も今の税体系は代えるべきだと考えます。
奉公かフリーかと関係しますが
今の税法、特に法人税
起業の出端をくじく要因です。
これを勉強してから会社を興したらへとへとです。
まず帳簿が読めて作れる、
その基礎のうえに更に法人税ですからきついですよね。勉強嫌いのひとは他人任せで更にリスクを抱えることになるし。
帳簿や会社の現状からすぐに算定できる課税標準を考えないとますます起業家は稀種になるでしょう。
今回のエントリーですが、「位置エネルギー」がでたついでに申し上げますが、わたしのオジジ(父親)は常々「波動をみても元に戻ろうとするエネルギーは同じであることから、苦しいことも楽しいこともつかうエネルギーは一緒なのだ。だから人生、悲観しなくてよい」と口にします。ほんまかいなと疑いつつ、私も力学を専攻してますが今のところ「気持ちのもちよう」かいな?と思っています。
オジジはこの9月に定年を迎えます。入社時の同期は800名余り。同期で定年退職まで在職した(できた)のは5分の1いないそうです。公務員と違い業績悪化でなくとも50歳すぎには子会社へ肩たたき。このご時世ではそれもなく退職せざるをえない環境に。技術屋なので対人よりも対物に関心があったのでしょうね。
私の叔父も3年前に60歳で退職。大手ゼネコンで役員になりながら(こちらも野心家ではなく、仕事の成果に役職がついてきた)、あと数年の高待遇を蹴って。オジジも叔父もともに「もう、この会社には飽きた。あとは好きなことをしたい」と言います。叔父は「この世で一番醜いのは男の嫉妬やで~。疲れたわ」と言う所をみると、人間関係に嫌気がさしたのでしょうか。今はわが世の春とばかりに好きなことをしています。ちなみに究極の男の生き方は「ヒモ」になることらしいでおます。
来春わたしも社会人になります。私も、私の周りにも「定年」は死語になっています。民間企業に入りますが、悲観もせず、かといって安穏ともせずステップアップかな。ところで私は弦楽器をやっておりますが、どんなに実験に追いまくられてもオケに参加していますう。別に公務員でなくても、好きなことは身を粉にしてでもやるのでは。
最後に、チョッと書きます。オジジ、こんな出来の悪い姉妹を育ててくれてありがと。オババへも。
ざっと分類すると
1)大手企業の下請け
2)医者や弁護士のような資格による士業
3)企業と対等なコンサルや業務請負
4)大手が参入困難なサービス業
5)特殊技能(芸能、スポーツ、作家等)
6)家業を継ぐ
これ以外にもありそうですが、欧米では日本より格差が拡大していてどちらかいうと普通のサラリーマンが没落していて医者や弁護士、特殊技能の自営業が富裕層を形成しているそうです。
日本の特殊事情で公務員、会社員が優遇されていますが、今の学生ぐらいの世代だとそれが続くのかも考慮する必要がありそうです。
それから人生における人的資本の推移も考慮した方が良さそうです。
若いからリスクが取りやすいというのは、資産運用と同様に誤りで実はある程度年取った方がチャレンジしやすいんじゃないでしょうか。
極端なことを言えば定年過ぎればみんなフリーです。
若い時は手堅く、30代、40代と経つに従いチャレンジングな取り組みが理想だなと思いますが、これは人間の行動様式には反しているのかもしれませんね。
それに比べ、フリーは自分自身の行動を自分で決定することができます。たとえそれが、次の仕事もほしいがために毎回徹夜して仕事を仕上げるといったような、外見を捉えれば会社員のそれよりもおのずからハードな行動であったとしても、その行動を自ら選んで行っているということに自由があるのです。
ちなみにここでは、自分の意思といっても、結局は社会的に与えられた各種の条件(たとえば一定額以上の通貨がないと都会ではそもそも生活していけないとか)によって、選ばされているのだ、というようなお話はちょっと置いておきます。たとえ社会的に必然的に選ばされた意思であっても、それを上司が選択して自分が行動するのと、自分が選択して自分が行動するのとでは、感じる自由感は全く異なるものではないでしょうか。
ちなみに、労働基準法の労働者に当たるか否かの判断基準は「使用従属性」にあります。
誰かの指揮監督下の労働であるか否かと、報酬が労務に対して(成果ではなく)支払われるかどうか、です。
労働とは"誰かに使用される"ということです。
ネガティブな言い方をすれば、他の人の言いなりになるということですが、他の人のいいなりになっていればお金がもらえて安定していてラッキー、と思う人もいるでしょう。そんなサラリーマンを、点滴打たれている人々のように感じるのは、私自身が10年程の会社勤めを辞め、フリーを始めるようなタイプの人間だからだと思います。
これからフリーになろうとしている人へのアドバイス、というと僭越ですが、私が会社員時代に考えていたことを2つ記します。
1)自分の業界のフリーランス(自営業者)を可能な限りたくさん調べて、①結婚して、②子どもがいて、③配偶者が専業主婦(夫)、の人が何人いるか調べてみる。私の知る数十人のフリーの人のなかで、①、②、③に当てはまる人が1~2人しかいないことに気づき、私はサラリーマンを辞めるのを10年躊躇いました。
2)いつか会社を辞めてフリーになることを考えているならば、今いる会社の同僚や部下を「さん付け」で呼ぶように心がける。会社を辞めてから、元の会社の部下や後輩に「さん付け」で接するのは、わかっていても、意外に抵抗あるものです。
1)はフリーになった後の経済的な厳しさを想像し、覚悟するのに役立つと思います。2)はなんでもないことのようですが、辞めた会社や同じ業界から仕事を請け負うつもりであれば(フリーはほとんどがそうでしょう)重要です。もっとも、会社を設立して、辞めた会社のライバルとなるつもりであれば、こんな「卑屈」な心構えは不要でしょうが。
フリー(2つの仕事を掛け持ち)時代と現在(サラリーマン)を比べて今思うこと。
当時の稼ぎは現在の役半分だったが、あまり貧しいという感覚はなかったし、食っていくくらいは何とかなるという漠然とした自信があった(漠然とした自信どころか、「自信」という感覚さえなくて、当時現在食っていけていたのだから裕福な生活はできなくとも「食っていくくらいはなんとかなる」というのは当たり前の感覚だった。
現在サラリーマンからまたフリーに戻ろうかと検討しているが、どういうわけか「本当に食っていけるんだろうか」と不安が大きい。
またフリー時代は、当時若かったこともあって将来に対する可能性と期待は無制限なものだったが、サラリーマンの現在は将来に対するイメージがあまりにも具体的に描けてしまいつまらない。
サラリーマンは安定と引き換えに、いい意味でも悪い意味でも将来の可能性を失っている(同語反復?)。
一度群れに入ってしまうと、群れから出ることを必要以上に恐れるものです(まさに今の自分ですが)。
スケールメリットを享受できる分、大会社で定年まで勤め上げる方が、フリーよりも期待値は大きい気がします。金銭的なことを目的とするならば企業やフリーは経済合理性に反する選択ということになる気がします。
会社からの束縛を離れ仕事ができる社会が望ましいと思っているから
在宅勤務できる部分は出社しないで自宅で勤務し余分な経費を節約すべき
と思っています
仕事の接待する暇あればそれに経費費やすなら学生時代の友人や家族や恋人と接したほうがマシ
とも思っています
あと無意味な社交辞令形式からの束縛
スーツの着こなしだの人は第一印象が大切だの(長く付き合いしないと分からない。詐欺に会い安い教えを説いてるだけ)
会社社会は細かい角ばった形式の束縛もありますね
フレンドリーカジュアルな付き合い否定みたいな
確かに長い付き合いのひとは第一印象最悪な輩ばっかりです。このひととはうまくいかないだろうってって初対面で思っていた奴しか今では話が合うのがいません。
ただ詐欺でも異様に第一印象悪い輩がいますがあれはあれで不思議ですね。根が善人なんだろうか?
特によくあるのがやたら馴れ馴れしい馬鹿女風のオペレーター、あれに引っかかる奴ってどんなひとだろう。
あと先進企業といわれる会社の方やマスコミ関係の会社の関係者は必ずくだけた格好ですが逆にあれが陳腐ですね。特にでかい媒体に露出するときは逆にスーツ等のフォーマルな格好のほうがよい気がします。
なぜなら自称先進企業は上のように自由度を服装でしかアピールできないようで猫も杓子もtシャツかノーネクタイで雁首そろえてきますからそれと同じことやっても埋没するだけでしょう。だからあえて広報的な活動のときはフォーマルにしたほうが目立つ気がしますね。
お調子者の社員がいたら黒紋付でも着せたらさらにいいんではないでしょうか。
なんだか自称先進企業の砕けた服装がかえって日本人の没個性ぶりを浮き彫りにしているようで興味深いです。大媒体で自分の会社を紹介するのに5人いたら5人ともtシャツかノーネクタイですから、ちょっと呆れます。自由に見えて全く自由じゃないんじゃないかと思っちまいます。くだけた感じよりも同調圧力が伝わってくるんですがね。
米帝の会社だったら、
一人くらい抜け駆けでこれ見よがしにスーツとか着てくる奴いると思いますけどね。
時間等山崎さんの書いていた、時間的な自由もそうですが、収入の不安定感も個人的には好きですね。
まあ生活費の見通しがつくというのは会社員のいいところでもありますが、フリーのいいところは、「今月生活費稼いだー」みたいな快感が毎月あることですね。生活費標準を越えると、残りの収入をどんな遊びや買い物に使おうかなーなんて考えるのも楽しいですね。
結局収入が高いことの喜びなんかは、収入の低い時との落差や収入の低くなるリスクを乗り越えた時にあると思うんですけどね。
そういう考え方はフリーの人的なのかな?
サラリーマンは「今月こんだけ稼いだ!」という感覚がない。
働いたら働いた分だけ貰えるという商売じゃない。労苦(?)が反映されるのは年2回のボーナスとずっと先の昇進?
そりゃやっぱぼけるわ。
カエサルとか、40代、50代で活躍しはじめた人も歴史上たくさんいるし、勝負する以上じっくり力を蓄えて勝てる戦をしたいものです。
また、そう考えて精進していると、力がつき、不思議なもので会社のなかでもかなりの自由を得ることが出来るようになります。
一方で私が会社員で感じるいやなところは、日本企業の場合は、あまり優秀でない人も会社として定年まで養ってあげなければならないところです。当然それはコストとして経営を苦しめ、当方の仕事や報酬にも負の影響となりますし。
1:商品を作る
2:販売のしくみを作る
3:課金のしくみを作る
4:広報のしくみを作る
個人客を相手にして、会社を通さず上記を全部一人でやれば、食い扶持程度ならかなり手軽に稼げますよね。
どれもIT化しちゃえば自動のビジネスマシーンになっちゃいますし。
1:デジタルコンテンツ(ムービーとか音楽とか写真とかブログとか…いろいろ)作成
2:販売サイトとか会員サイトとかメルマガとかの作成
3:クレジットや銀行振込とかを2のバックエンドで連携させる
4:twitterとか2chとかyoutubeとかmixiとかmbgaとかflickrとか…いろんなとこにBotでつぶやいてみる。オフ会に参加してみる。人に紹介してみる…など
まぁ、どれも難しくないですよ。
普通にデジタルで提供できるコンテンツ作れて、ちゃちゃっとプログラミングとWebのアークテクチャ覚えちゃえばいいだけだから、楽勝ですよ。
留学やMBAとかに比べたら驚くほど簡単。死ぬほど簡単です。
会社勤めからも、仕事請け負いからも、納期・期限・ノルマ・無茶な要求・理不尽な人間関係等からも開放された世界で、自由に過ごせますよ。