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時価会計の不都合な真実など

 あるところで他人の講演を聞いていたら、「個人投資家は時価会計を止めてしまえばいい」という言葉が耳に入った。要は買った株の株価が下がっても気にしないで、じっと持っていたらいいではないか、ということらしい(サブプライムで振り回されての、半ばヤケクソの発言に聞こえた)。プロのファンドマネジャーは顧客の要請もあって時価評価を止められないけれども、個人なら可能だというようなことも言っていた。
 言いたいことは分からないではないが、持ち株の時価評価をしないことは賛成できない。価格の変化は何らかの情報なり環境の変化を反映したものかも知れないし、それ自体が自分の財産状況にとっての情報でもある。保有銘柄の少々の価格変化で売り買いしなければならないような出来の悪いポートフォリオを持ってはいけないというのは一方の真実だが、同時に、株価の変化は見る方が良いに決まっている。そもそも、自分の持ち株の株価を見ていることに耐えられないような人は株式投資などしない方がいい。
 そんな人には株式投資の普及など不要であって、現実を見ることができる人がだけが株式のリターンを享受すればよろしい。他人が羨ましくなれば、そのうち心を入れ替えるだろうから、株式投資は、その時にお勧めすればいい。
 話を聞きながら、私なら上記のように言いそうだと一人で考えて、幾分腹まで立てたのだが、しかし、こういう身も蓋もないことは、講演で言ってもウケないのだろうなあ、とちょっと自己反省した。

 時価を認識する根性もない奴は投資などしなくていい。似たような事を言いたくなる別の話を最近聞いた。
 ある年金関係者から聞いたのだが、多くの国で、確定給付のいわゆる企業年金がどんどん閉鎖されているのだという。外国では、日本よりも年金受給権の保護が厳格な場合が多いので、年金を閉鎖して、これまでに受給権の発生している年金の給付を最後まで行うケースが多いのだが、こうした形を選択する企業が多いらしい(日本では、信託兼営の銀行が自社の年金を事後的に値切ったケースがあり、驚いた)。そして、その後は、企業が年金資産の運用リスクを負わなくていい確定拠出年金に切り替えるのだという。
 英国あたりでは、こうしたケースが増えて、企業が閉鎖されたとはいえ何十年か続く年金基金を持て余すので、めざとい投資銀行(例の会社)などは、保険会社を買収して、こうした年金を買い取る(買い叩く?)ビジネスに乗り出しているのだという。
 これが時価評価とどう関係するのかというと、国際会計基準が毎期の年金の時価評価を要求するようになったので、金利や株価の変動で、年金の損益が大きく本体の利益に反映するのが耐えられない、というのが、どうやら大きな理由の一つらしい(注1)。
 確定給付の年金の経済的な損益は、たとえば金利変動の影響を大きく受ける。それは当たり前の経済的な現実だ。長期的に割引率を一定にしなければ年金制度が設計・運営できないというなら(古い年金関係者には、そういう人もいるが)、それこそ、年金なんてやらない方がいい。
 それに、そもそも、経営者は株主のエージェントとして、株主の利益を最大化することに注力していなければならなかったはずだし、「IR」なる近年幾らか大袈裟な行事の趣旨も投資家に対して企業の価値に関わる情報を正確に伝えることではなかったか(経営者はIRよりも経営それ自体に注力すべきだ。例えば、ロードショーなどと称して海外まで遊びに行かなくてよろしいし、専門の部署やコンサルタントにコストを掛ける必要はない。IRは必要な情報を早く正確に伝えたらそれで十分だ)。
 つまり、年金を今やめるという外国企業の経営者どもは、本来、会計制度に関わりなく、自社の年金の時価を意識していなければならなかった筈なのだ。会計制度の変更をどうこう言うのは、いままでがマトモでなかった証拠だといえなくもない(経済学的にはかなり「面白い」現象だろうと思う)。ここは少々笑ってやってもいいところだろう。
 まあ、彼らの気持ちも分からなくはないが、エンロン事件の際の米国の証券アナリストの行動とか、サブプライム商品でたんまり儲けた連中がいたことや、今回のような経営者の行動を見るにつけ、「外国の資本市場は立派だなんて嘘だ!」と思う。私はナショナリストではないので、日本と比較して、日本が(大きく)劣っていないと喜ぶわけではないが、洋の東西を問わず、カネが絡んだ人間はいい加減なものだという事実を見るのは清々しい(ある種の一貫性が面白いという程度の話だが)。

 翻って、日本の企業年金はどうなのか。先入観を捨てて考えてみると、確定給付の企業年金はもういらないのではないだろうか。日立にせよ、新日鐵にせよ、IBMにせよ(これらだけでなく、殆どの事業会社がそうなのだが)、運用が本業ではないのに、数千億円、場合によっては兆を超える金額の資産運用をする必要はないし、その結果に企業価値が大きな影響を受けるのも合理的でない。
 かつて、資産運用がまだ十分普及していなかった頃は、年金基金という単位で、プロの運用会社をチェックして使う別の運用のプロが多数存在する社会制度設計上の理由があったかも知れないが、今は、屋上屋というか、くすんだ中二階というか、無駄であるように思う。確定拠出年金の拠出額の枠さえ拡大されるなら、確定給付の企業年金は止めてしまう方が母体企業にとって経営的に合理的だ。ことに、何かと運営が難しい総合型の基金などは、余裕があるうちに止めてしまう方がいい。これは、余計な天下り先を作らないためにも社会的に良いことだ。
 全体的な制度の設計としては、基礎年金をもっと厚くして税方式にして無年金者を無くし、私的年金は真のポータビリティーが完備されるように全て個人単位で運営される確定拠出年金にして、確定拠出年金の非課税枠を大きく拡大し、柔軟に運用できるようなものがあれば、シンプル且つ公平でいいのではないだろうか。

 何となく、コラム三つ分くらいのテーマを書きなぐってみたが、最近こんなことを考えており、もう少し丁寧に考え直しつつ、各所のコラムなどにまた書いてみたいと思っている。

(注1)年金関係者からご教示のメールを頂きました。年金に関する会計基準は、現在、米国ではB/Sには直接反映していたがP/Lはいろいろなルールがあった。国際会計基準は現在いろいろなやり方があるが、今後はP/Lに直接反映しない方向に進みつつあるようだ、とのことです。年金閉鎖については、時価会計もさることながら、確定給付のリスクの大きさ(資産運用のリスクの他に、負債の価値も長期金利が低下すると急増する)そのものに音を上げたようです。時価評価の反映がもっと進みつつある、という私の先入観(投資家としては、それが当然なので)と現実には少しズレがあるようなので、注記しておきます。
 もちろん、「では、これまでリスクを認識できなかったのか?」と欧米の経営者に問うとすれば、やはり経営判断の一貫性に綻びがあったことは認めざるを得ないと思います。(1/16)
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コメント
 
 
 
Unknown (ちゅう)
2008-01-15 09:06:09
山崎さま、

企業年金の確定給付から確定拠出への移行のご提案ですが、日本でも欧米でも、確定拠出への移行という名目で実質的に(現在価値ベースで)年金給付水準が切り下げられる例が多く見られますので、単純には賛成しかねます。従業員がそれを理解した上で、労働の対価全体(年金・給与・賞与・その他)の変更として賛成しているなら良いのですが、多くの場合、そうではないようですので。

問題なのは、確定拠出なのか確定給付なのかではなく、会社側・従業員側ともに年金制度の経済実態を正しく理解して、利用しているかどうかではないでしょうか。確定給付年金は経済実態と法的な枠組みが一致していない上に、年金会計のルールが経済実態から大きく乖離しているため、従業員や経営者だけでなく、会社の内外の年金関係者(アクチュアリー、コンサルタント、人事、経理、基金の理事など)が色々と間違った理解をしていますし、その結果、確定給付と確定拠出の二つの年金制度の比較が適切に出来ていないことが多いように思います。例えば、確定給付年金の債務の割引率に資産の期待リターンを使い、確定拠出年金へ移行の際の新しい拠出額を決めるのは、ファイナンス的に合理的ではありません。なので、山崎さまの仰ることはごもっともなのですが、年金の経済実態を理解していないと言って経営者を笑うのは少し酷なような気がします。笑われるべきは年金およびファイナンスの専門家を自称している連中(アクチュアリー、コンサルタント、経済・ファイナンス系の学者など)だと自分は思っています。彼らが経営者、あるいは株式アナリストや格付け会社に適切なアドバイスをしていれば、会計制度の変更など、大した問題ではないはずですから。

また、確定給付と確定拠出を比較する際、ビジネス全体との整合性も重要かと思います。例えば、熟練工の存在など長期雇用がビジネスモデルの一部として機能している会社(例えばトヨタなど)であれば、株主の立場として考えると、現在価値ベースでのコストが同じならば確定給付の方が合理的かと思いますし、長期雇用を生涯設計の一部として考えている従業員のニーズにも合致します。確定拠出の場合、従業員に対する金融・投資教育も必要になるでしょうし、教育したとしても資産運用を理解できるようになるとは限りません。株主の立場なら、従業員が資産運用に気をそらされるぐらいなら、本業に精を出して欲しいと思うでしょうし、従業員にとっても本業のスキルを磨く方が(時間という貴重な資産の)投資効率が良いでしょう。一方で多くの米国企業のように、会社も従業員も短期雇用を前提にしている場合は、転職に伴う摩擦コストが低い分、確定拠出の方が合っていると思います。

ですから、ビジネスモデルや企業文化との整合性を考えずに、一律に「確定給付の企業年金はもういらない」というのは、少し極論ではないかと思っています。巨額の年金資産運用による企業価値への影響を考慮するなら、単純に(年金債務のデュレーションに合わせて)国債100%の投資にすれば良いだけです。そうすれば、従業員も会社に対して持っている年金債権のクレジットリスクを完全にヘッジすることができますし、会社(株主)としても税制上のメリットを享受できます。リスクを取った資産運用をしている限り、従業員の立場で考えればクレジットリスクは完全にヘッジされていないですし、株主の立場で見れば税制上のメリットも無いのですから。リスクを取った運用をしてメリットがあるのは、年金基金の運用担当者や資産運用会社だけです。総合型の基金であっても、単純に担保の共同管理および年金給付の管理をするという位置づけにして、国債100%の運用にし、積立金のレベルはそれぞれの会社のクレジットリスクに応じる形にすれば良いのではないかと思います。例えば、トリプルAなら年金債務の90%、シングルBなら150%とか。さらに人件費などの管理コストは年金資産から支払うのではなく、各企業に直接請求するようにすれば、それぞれの企業で、自社で管理するのが良いか、それとも総合型基金に外部委託するのが良いか判断するでしょうし、天下り理事などのいる経済合理性の無い総合型基金は自然淘汰されるでしょう。

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>あるところで他人の講演を聞いていたら、「個人投資家は時価会計を止めてしまえばいい」という言葉が耳に入った。

こういう時に「買値を忘れてしまえばいい」と言ったら、普通の人にはピンと来ないのでしょうね。

>しかし、こういう身も蓋もないことは、講演で言ってもウケないのだろうなあ、とちょっと自己反省した。

次回の本のタイトルとして、『身も蓋もない投資理論』というのはどうでしょう。あまり売れそうにはありませんが。
 
 
 
これって (あのう)
2008-01-15 09:40:08
>あるところで他人の講演を聞いていたら、「個人投資家は時価会計を止めてしまえばいい」という言葉が耳に入った。

これって昨日のホリコさんの講演のことですか?サブプライムでやられている米国のシティーグループやその他の会社に出資したアブダビやシンガポール,中国の投資会社(は時価会計を採用していない)との比較で個人投資家も時価会計をしなくていいのだから(奥さんに株が下がっているのを見つからないようにしなければいい)というような文脈での話で,私は自分のことを言われているようで結構笑ってしまったのですが。
 
 
 
年金が備えるべき平等性 (山崎元)
2008-01-15 10:05:59
ちゅう様

コメントありがとうございます。

ご指摘のように、企業の経営者が年金の経済実体を正しく理解していない状況の前に、年金数理人や証券アナリストの年金の経済実体に対する無理解があったといえるでしょう。

私のエントリーは、「株主利益について分かっているはずの欧米の経営者」を笑っているものであり、より正確には、欧米の経営者は凄い!と言い散らかしている西洋かぶれ(実は、西洋人コンプレックス)の論者達を笑っている、ということです。



またDB→DCの際にもともとのDBの価値を勝手に値切って、組合などもこれに同意し、労働者に不利な変更が多数行われたのも事実です。

ただこれは、移行の方法(説明や情報公開も含めて)が問題なのでしょう。こういうときに簡単に会社に利用されるから、組合など所詮頼りにならないし、無い方がいいと私は思っています。また、既存のDBの条件を死守した場合に、それは給与や賞与、場合によっては加えて雇用を圧迫し、リスクに晒すだけだ、という加入員にとっての真の利害を考えると、DB→DCの移行自体は合理的だと思います。

また経営実態に合わせて年金制度を検討するという点については、むしろ尊重されるべきは企業の経営戦略よりも個人の生活実態の方でしょうし、属する組織や企業によって年金制度、条件が異なることは、税金面の恩典を与える年金の公的な性格と一貫しないと思います。

現在の年金制度は、会社員の企業年金、公務員の共済年金など、職場単位になっていますが、本来、これは、個人単位再編成されるべきものではないでしょうか。「税制上のメリット」が会社によって十分取れたり取れなかったりする制度は、年金が本来持つべき公共性と馴染まないと思います。

自営業者とサラリーマンで利用できる年金制度が大きく違ったり(第三号被保険者の問題もありますし)、会社によって社員を縛り付けるか縛り付けないかを年金制度設計で選択できるというような現行の年金制度は、無用の複雑性と、年金制度が個々にわたる無用のコスト(余計な天下りの機会も含めて)をもたらしているように思います。

DC(確定拠出)年金を制度設計の中心とした場合、運営管理機関の効率化と、運用商品の改善(現在DB→DCの移行に伴って手数料が便乗値上げされている)と、長生きリスクのための年金保険(一時金→終身払いとする保険)の充実、投資教育も含めた情報環境の改善が必要でしょうが、これらは何れも可能でしょうし、現在の企業年金、共済年金などが思い思いに年金運営を行う形式よりも、加入者個人単位の自由度と平等性が確保されやすいように思います。



「身も蓋もない」本は、「投資バカにつける薬」というタイトル・内容共に身も蓋もないものを出したことがありますが、今のところ、3刷り止まりです。
 
 
 
Unknown (山崎元)
2008-01-15 10:19:05
あのう様

仰るように「(個人の)時価会計の停止」は、堀古さんの講演で聞いた言葉です。

堀古さんの、金利低下でメリットを受けるアメリカの金融株は面白いという投資アイデア自体は良いと思ったのですが、「時価会計停止」≒株価は見ない、は投資教育的にはいけないなあ、と控え室で音だけを聞きながら思ったのでありました。

私は、現実を直視しない人間を信用しません!と、怒るほどのことではないのですが、投資教育のテキスト的なものにも、「株価やポートフォリオのチェックは頻繁で無い方がいい」と言うものがあって(半可通の行動ファイナンス論者もそう言うことがあります)、他方では、「投資は自己責任だ」と言ったりするわけで、投資家をあまりバカ扱いしない方がいいのではないかと思うことが多々あり、日頃から腹を立てているので、言葉に反応しました。

尚、堀古さんとは関係良好です(もちろん後に講演された武者さんとも。少なくとも、私はそう思っています)。講演の後は、控え室でしばし世間話に興じました。
 
 
 
Unknown (UNKNOWN)
2008-01-15 14:25:24
日々の株価を知りうる、また知らねばならない立場にある者には、はなはだ心臓に悪い相場展開ですが、ここまできて、円安バブルのメッキがほとんどはげた感もありますね。
 
 
 
untitled (mischoice)
2008-01-16 01:16:46
>しかし、こういう身も蓋もないことは、講演で言ってもウケないのだろうなあ、とちょっと自己反省した。

別に自己反省などしなくても...
ウケを考えるあまり、山崎様が正しいと考えていることを伝えていただけなくなったら悲しいです。
 
 
 
Unknown (山崎元)
2008-01-16 01:34:09
>UNKNOWNさま

確かに、ここに来て、厳しいペースの円高になっていますね。個人的には、想定していた水準に急速に近づいてくれたので、なんだか嬉しいのですが、ビジネス及び自分の損得的には、何のメリットもありません(FXで$ショートを張りたかったのですが、考えてみると、楽天証券もFXをやっているので、コンプライアンス的な考慮から断念しました)。

>mischoiceさま

まあ、ウケを心配しても「現在程度」ですし、言いたいことを我慢できないのは先天的な性格のようなので、ご心配なく!
 
 
 
Unknown (ちゅう)
2008-01-16 09:52:02
山崎さま、

ご返答ありがとうございます。今週のマルチスコープも拝見いたしました。

仰るとおり加入者個人の自由度と平等性を勘案すると、DCに軍配が上がるのかもしれません。ただ、自分は(多少複雑でも)多様なオプションがあった方が良いのではないかと思う次第です。年金制度だけで決めるわけではなでしょうが、就職・転職は個々人の自由なのですからDB/DCの選択はそれぞれの会社や従業員の判断に委ねるのが良いのではないかと思っております。

DBとDCの最大の違いは、最終給与が年金額のベースになるか、生涯給与が年金額のベースになるかの違いではないでしょうか。(まあ、CBという例外もありますが。)DBで多くの年金を貰いたいと思う人がいれば、その人は自分の給与が上がるように仕事にエネルギーを注ぎ、出世するのが一番です。一方DCの場合、どれだけ若いうちに多く掛け金を払うか(と事後的な運用リターンの良し悪し)に大きく影響されます。どちらを好むかは人それぞれではないかと思います。

年金の公的な役割を考えると、確かに税制上の優遇措置をDCのみにしても良いとは思いますが、その場合はDBなど(退職金や自社年金を含む)の実質的な「後払い給与」を禁止するか、もしくは(税制上のメリット無しで)年金資産に拠出させるなど、何らかの手段でクレジット・リスクをヘッジするよう企業に義務付ける必要があるかと思います。現状でも、外部拠出していない退職金・自社年金は従業員にとって「全く分散されていない債券」に投資しているのと同じですので、その状況を悪化させる可能性があるのではないかと思います。DCで自社株に沢山投資しているのに若干似ています。

>また、既存のDBの条件を死守した場合に、それは給与や賞与、場合によっては加えて雇用を圧迫し、リスクに晒すだけだ、という加入員にとっての真の利害を考えると、DB→DCの移行自体は合理的だと思います。

重箱の隅ですが、DB→DCの移行自体が合理的なのではなく、値切られた価値で合意したことが合理的なのではないでしょうか。
 
 
 
Unknown (山崎元)
2008-01-16 10:10:19
ちゅう様

コメントありがとうございます。

確かにいろんな選択肢があるといいし、DBの安心感には捨てがたい面もあります。

ただ、これは「会社単位」よりも「個人単位」で選択できればいいのではないでしょうか。まあ、この辺は、あるべき働き方観、会社観の違いが反映する所かも知れませんが。

「DBは退職時の給与で給付が決まる(事が多い)」事実は、従業員へのインセンティブともなりますが、別の意味として、人材の流動性にマイナスに働いており、また労働対価の長期の延べ払いで、かつ価額が変動する契約であるため、会社に対する従業員の力関係が弱くなります。



そもそも、そういった長期の「延べ払い」が少ない方がいいと思いますが、退職金なりDB的な給付について、クレジット・リスクのヘッジが必要なことは、ご指摘の通りだと思います。

受給権の保護については、かつて日立の財務の丸田氏(その後日立投資顧問の初代社長になられました)が、確定拠出年金の法案が通前に、「DCのメリットは受給権保護が完全であることだ」と仰っていたことを思い出します。その後のDBの各種の揺らぎを見るに、自分のお金がハッキリ分かるDCはいいなあ、と思う所が多々あって、時々、なるほどと思い出します。



DB→DCの移行については、値切られたことも現実として合理的だったと思いますし、運用リスクを会社に負わせないことも、合理的のような気がします。
 
 
 
Unknown (ちゅう)
2008-01-17 09:51:56
山崎さま、

米国の年金会計基準の状況については下記のサイトが参考になるかもしれません。3回シリーズです。

http://www.watsonwyatt.com/us/pubs/insider/showarticle.asp?ArticleID=17098

FASBは2段階に分けて会計基準を改善しようとしており、第1段目として2006年末以降の決算でB/Sに時価評価を直接反映させるように改定されました。第2段はまだどうなるか決まっていませんが、P/Lに時価評価を反映させるかどうかだけでなく、今までは(何もかもごちゃ混ぜで)年金コストとして一本で認識していたのを分けてP/Lに反映させるかとか、認識すべき債務の基準をどうするか(PBOかABOか)や、年金をB/S上に連結すべきかどうかを検討しています。
 
 
 
見方を変えれば・・・・ (名無しのゴンベイ)
2008-01-17 13:40:03
「個人投資家は時価会計を止めてしまえばいい」と言った件の評論家の真意が、山崎様の解釈のような、自分の持ち株の株価を見ていることに耐えられないような人に対する気慰みの類であれば、全く馬鹿げた意見だと思います。

 見方を変えて、一般に、投資家は購入価格に拘りすぎてその後の投資判断を誤らすヒューリスティック(行動ファイナンスでいうアンカリングでしたっけ)を戒める意味で言っているのだとしたら、それはそれで意見としては、ありではないでしょうか。
 
 
 
Unknown (ちゅう)
2008-02-02 14:29:18
英国のASBが年金会計について、最近下記のレポートを出しました。本文は200ページ以上もあるので全てを読んだわけではないですが、中々面白そうです。お時間があればどうぞ。(経済・ファイナンスについてのセンスは米国より英国の方が一枚上手なのかもしれませんね。さすがケインズの母国。)

http://www.frc.org.uk/asb/press/pub1513.html
 
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