山南ノート4【劇団夢桟敷】

山南ノート4冊目(2008.10.3~)
劇団夢桟敷の活動や個人のことなどのメモとして公開中。

本家訪問 川尻

2017-07-07 23:51:15 | ブラジル企画2017(準備)
梅雨前線の影響で雨の中、事務局長と刃物の川尻町に走る。ブラジル移民の父 上塚周平先生の本家(ほんいえ)を訪問した。案内は事務局長の姉(元RKKアナウンサー)さんだった。初対面と思いきや、今は亡き本田卓さんの奥さんだった。卓さんは私がRKKの関連会社ABCに通っている頃、「熊本では定着しづらい演劇をしている夢桟敷をオレは応援する!」と弁護してくれていた先輩だった。30年前に奥さんとも会ったことを思い出した。びっくりするような縁を感じた。玉手箱の蓋を開けたような再会だった。
本家の上塚先生夫婦は8年前のブラジル公演の際、資金的なバックアップをしてくれた方。お二人共、今年で90才になられる。…お若い!ゴルフを楽しんでおられる。
ちょっとご挨拶のつもりが2時間も話し込んでしまった。
上塚周平先生の祖父が横井小楠(幕末の師)の門下生であったこともあり、小楠の掛軸を背景にパチリと記念撮影した。はいチーズ。
できれば来年、一緒にブラジルへ行きましょう、と両手を合わせてお願いすることはできたが、舞台で出演してください!という思いはこころの中に閉じ込めた。90才デビュー!
8月19日のオープニングレセプションIN城南町にご招待しなければならない。
明日はプログラムの検討やご案内リストアップをする会議になる。
スリル満天の七夕の日。…時間はジェットコースターである。

避難発令中

2017-07-06 16:33:08 | モノローグ【エトセトラ】
福岡-大分の集中豪雨災害お見舞い申し上げます。
朝倉市・日田市の旧友に電話するが出ない。大丈夫だろうか?固定電話にかけたため不在なのだろうか?そうだとすると避難しているのか?…いずれにしても連絡がつかないと悪いことばかりを想像する。
昨日の朝、熊本では台風3号が通り抜ける。今日の未明は雷雨。早朝は豪雨に見舞われたが、近辺では大して被害はなかった。
気遣って電話を親戚や友人から頂く。その最中に高齢者避難発令のメールが熊本市より入る。
ふむ、私は高齢者と認知されているのか!ふぁーっ。声が枯れる。
昨日今日、ファミリーが寄ってきて肩を寄せ合った。貧しいながらも楽しい我が家。孫の力である。

出張百人稽古の前に

2017-07-03 04:06:36 | 夢桟敷◎諸々2017
その前に…。
熊本地方から都議選を眺めていた。…ほー、自民大敗。小池派の勝利?ふーん。自民VS都民ファーストか?へっ、屁。
結局、安倍政権への批判票だったのだろう。
カネ疑惑、不祥事、トンチンカン暴言、などなど。理不尽を都民は怒っている。
JR秋葉原駅での「安倍辞めろ」コールは東京都民の国政疑惑に対する意思を表していた。健全だと安堵する。
東京ばかりではなく、日本中が疑心暗鬼に包まれていると言っても過言ではないよ。

「その前に」の「その」とは、熊本演劇人協議会「出張百人稽古」workshopの件。
そろそろ計画を発表しても良い時期だと思うのだが、…「その」が本論なのだ。
こちらは眺めているばかりでは進まない。腐った政治よりは新鮮なことをやろうね。
南阿蘇が舞台になります。阿蘇の神話ー物語ー伝説を子どもたちと学び、遊び、元気になる。
あれこれその、…の「その」にも取り掛かります。
舌足らずは後日につづく。

これからも!

2017-07-01 23:46:59 | モノローグ【エトセトラ】
昨日 通夜、今日 葬儀。
副島先生(74)が亡くなられたという実感がない。
突然の知らせで、こころの準備ができていなかったからか?
昨年の震災直後に膵臓癌が見つかり、それから1年に渡る闘病生活だったという。…入院しているとわかっていたら必ずお見舞いに行っていたよ。
先生と私は癌友だ!と言って景気づけをしたかった。
その苦しかった期間を知らなかった私にとって、いきなり亡くなられた、と言われても認めるに追いつかない。

先生が武蔵中学を退職された春、「GTS」(グレート ティーチャー 副島)というタイトルで中学演劇部OBと劇団夢桟敷で退職祝い記念公演をした。あれから14年?
いわゆる不良中学生と不良担任の固い絆による学校管理職との抗争劇を発表した。…つまり、「GTO」のパクリ。
意外にも中学校管理職やPTAの方々からも受けた芝居になった。…意外とは?生徒や先生のホンネが散りばめられていたにも関わらず!である。
悪い子ほどかわいい。切り捨てるのではなく、どう一緒に立ち直るか一緒に悩もうというホンネがあった。
当たり前のことが現実では難しいが、演劇では自由自在になる。
ところが、先生は言った。
「政治や経済に利用されることなく、誰にも媚びを売らずに演劇を続けて欲しい!」と。

強い信念をもって教育現場で生き続けた先生だった。
亡くなられても、会話は続く。
20年間のお付き合いだったが、これからも私の中では存在し続ける先生だ。
死んじゃいない。…多くの人がそう思っているのです。