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串カツ子の旅日記

美しい国、日本。まだまだ見たい所がいっぱい。
温泉、宿屋、食べ物、紅葉、桜、街並み・・・興味の対象は尽きません。

菊之湯の風呂

2017年08月07日 | 宿-甲信越

菊之湯はほとんどの客室に温泉の風呂が付いている。

それだけでも温泉ファンには嬉しいが、大浴場も趣向が凝らしてあり、
風呂に関しては大いに満足した。

まずは、チェックイン時女性用だった菊風呂から。 

           

 大浴場は3号館(梅の棟)1階にあり、22:00で男女が入れ替わり
晩は24:00まで、朝は5:00から入れる。

一晩中入れる訳ではないが、各部屋に温泉の風呂があるので十分でしょう。

脱衣所も広く、風呂上りも快適に過ごせそう。 

 男性用アメニティも置かれているが、化粧落としはない。

 

うわ~、素晴らしい! 

 

 床は青石で滑らない。

湯船の縁のRに身を任せうっとり。 

イタリア製の大理石で作られた16枚の花弁の菊。 

菊の真ん中が湯口で、花弁の間を伝って湯が浴槽へ。 

                           

      こちらは入れ替わった紅風呂で、やや小ぶり。

                             

 菊風呂にはなかった露天風呂が付いている。

露天風呂へは、内湯の中にあるドアを開けて。 

 

内湯の湯口が変わっているが、テレビで見るCMを思い出した。

こちらも床は青石、浴槽は伊豆石との事。 

壁は何だろう?

この色から紅風呂と名付けられたのかな?

 

露天風呂からあふれた湯が内湯へ流れ込む。

私は気にならないのだが、相方はこれは嫌だ・・・と。

ややぬるめの湯は柔らかくて優しい。 

               

     完全掛け流しと思っていたが、どうやら循環併用みたい。

     湯船からはあふれているし、こんなステキな風呂、循環でもいいか。

     湯は成分総計445mg/Kg 程のアルカリ単純泉。

    PH=8.9 のせいかややつるつる。

 

 


浅間温泉 菊之湯

2017年08月06日 | 宿-甲信越

相方は毎年恒例の八が岳山麓の原村で3泊4日のゴルフ同窓会

その帰りに浅間温泉の宿で待ち合わせてお泊り。

私はJRで松本へ。

好きな列車旅、車窓の眺めを楽しみ、時々居眠り。

あっという間に松本到着。

 松本近郊の美ヶ原温泉では何度か泊まっているが、浅間温泉は初めて。

松本駅から乗った浅間温泉行きの路線バスは、この浅間温泉街を
ぐるりと回り松本駅へと戻って行く。

広い温泉街で大きな宿も多い。

大きな宿、リゾート界 松本

 本棟造りの建物、ほ~っと感心しながら写真を撮っていると
中からスタッフが現れ館内へ。

本棟造りの民家とは、大きな切妻の屋根を持ち、その妻側に出入り口がある。

屋根の頂点に建物の引き立て役である雀おどり(雀おどし)が乗っている。

などの特徴があり、松本地方では未だ200年の歴史をもつ家も残っている。

この菊之湯の建物も古いものかと思っていたが、築40年ほどらしい。

もっとも創業は明治時代。

 しめ縄は年中掛けておくのだろうか?

背の高い、ぼってりした蕾をつけたハスが両サイドに。

フウチ草、いいなぁ。

うちにもあるけどね。

おぉ~内部も凄い!

左手フロント、真ん中を歩いて部屋や風呂へ、右手はロビー。 

ピアノの奥の棚にはガラス製品が並ぶ。

床は、なまこ壁で用いられる黒い瓦が一面に敷かれていて、
清々しく重厚な雰囲気を醸し出している。

 ケヤキ大黒柱は漆でピカピカ。

 松本民芸家具(だろうか?)の椅子が並ぶ。

こちらは食事処として使われる老松の間

40畳の部屋だが、ここで食事したのは3組だけ。

部屋食が基本かな?

当初部屋食との事だったが、部屋食は好きではないので
わがままを言い、この老松での食事となった。 

 

コオニユリだろうか?

館内の花はこれで統一されていた。

こういう風に一種類だけの花を活けるのは、私も好き。 

 陶器かな?

 右へ行けば大浴場がある3号館(梅の棟)。

私達の部屋は左方向の1号館(松の棟)。

壁にかかる刺し子の半纏。

細かい針仕事に感嘆。

 温泉街を歩いてみた。

菊之湯と同じ本棟造りの民家がもう1軒あり大きな表札がかかっている。

表札の名前見てみた。

降旗・・・。

あまりない名前で、すぐに連想したのは映画監督の降旗康男。

半信半疑でネットで調べてみた。

やはりここは降旗監督の生家のようだった。

本棟造りの特徴、屋根の上の雀おどり(雀おとし)は、これか・・・。

            

    翌日、土産に浅間温泉の名物おしんこ餅を買って帰る。

    日持ちはせず、賞味期間は3日間。

    薄い新粉で作ったお餅の中に、上品な甘さのこし餡入り。

    一度に2個ぐらいは食べられそう。

 

 

 

 

 

 

 

 


北海道-23(鴻之舞金山跡&旧上藻別駅逓所)

2017年08月03日 | 旅-北海道

 マウレ山荘を目指し道道305号を走っていると、駅逓という看板が見えた。

道の駅のような雰囲気もするが、雨の中マウレ山荘へ急いでいたので降りて見る事もせず先を急いだ。

途中、↑のような看板が立っている。

えぇ~、何だろう?

宿へ着いてからくぐってみると、この辺りには鴻之舞金山があったらしい。

 翌日、マウレ山荘をチェックアウトし、今日は南下する予定なのに、コースとは逆に北上し、再び道道305号線を走る。

 開かれた広場に慰霊碑が立っている。

 碑文は ↑ 。

以下、オホーツク観光連盟のパンフと、上藻別駅逓の管理人コダマ氏から聞いた話から。

大正5年に山師が見つけ12人で組合を作っていた。

翌6年に住友が90万円(現在の貨幣価値126億円になるだろうか?)で買い取り、本格的な開発にとりかかる。

戦前~戦後にかけて東洋一の富鉱金山として栄え、佐渡金山、菱刈金山に次ぐ日本第三位の産金の実績があった。

昭和29年には年間2.97トンの最高産出量を記録したが、その後一転して金の品位が低下し、
採鉱量減少、公害問題、昭和46年の集中豪雨被害も痛手となり、昭和48年閉山

 辺り一帯に遺構や記念碑が立っていた。

この碑には銀色の道と彫られている。

 

何の跡だろう? 

 ノートが置いてあった。

普段、書き込む事はしないが書いた。

知らなかった鴻之舞金山、こんなのがあったんだ!と、感動は大きい。

坑道の入り口は分からなかった。 

 

多い時は16000人もの人で賑わった鉱山街。

9つの町があり、それぞれに浴場があった。

小学校、中学校、定時制高校も作られた。

これは小学校の跡地に建つ記念碑。

 今も採石所はある。

何を採掘しているのだろうか?

上藻別駅逓所に向かって走っていると見えてきたのは鴻之舞元山と紋別間を走っていた専用軌道の鴻紋軌道

住友の私鉄路線だが一般人も無料で乗れたらしい。

作曲家宮川泰にまつわるエピソードがある。

土木技術者であった父に連れられ小学生の一時期ここに住んだ。

銀色の道という歌は、この光景を下敷きにして作曲されたという事。  

 

ノートの表紙に書いてあった上藻別駅逓へやって来た。 

ルピナスがアチコチに咲いていた。

豊平国道の三国峠から下った十勝三股辺りもきっとルピナスに覆われているだろう。

見たいが今回の行程には入れていない。 

 

好きなオダマキも・・・。 

見えている部分は昭和9年に増築された建物。 

戦前の北海道独特の建築形態を残し、平成20年国の登録有形文化財に指定された。

こちらは脇玄関らしいが、出入りはここから。

大正15年官設の駅逓所として建てられ、昭和9年増築。

駅逓所とは馬の乗り換え、旅人宿泊など運輸・通信・宿泊を一体とした明治以降の北海道独特の制度による建物。

この後、襟裳岬でも駅逓に関連する施設があった。

昭和15年にその役目を終え、高地旅館として昭和24年まで営業。

その後住宅として使われていたが、現在は保存会によって修復され、鴻之舞鉱山資料などを展示する資料館となっている。

きれいなトイレもあり、子供が遊べる遊具も保存会の人達で作られた。

大阪からのお客さんが結構多い・・・と、コダマ氏から聞いた。 

えぇ~、こんな所にまで・・・と、思ったら、流氷ツアーの一行がここに立ち寄るらしい。

きれいなトイレもあるし、紋別から層雲峡辺りに出るのにこの道道305号線は便利なんだろう。

 中に入り展示物を見る。

アチコチから集められた民具が、元は客室だった部屋に展示されている。

珍しかったのは上のアイスクリーム製造機。 

 

 金を含む鉱石をもたせてもらったが、これが重い。

鴻之舞鉱山の存在を知った事は嬉しかったし、その埋もれかけているかつての栄光を大事にし発信されている方々に感謝。

又、来ますので、がんばって下さい。

浅間温泉へ泊まりに行って来ます。