串カツ子の旅日記

美しい国、日本。まだまだ見たい所がいっぱい。
温泉、宿屋、食べ物、紅葉、桜、街並み・・・興味の対象は尽きません。

竹田城

2011年05月24日 | 旅-関西

快晴の5月15日、まず向かうは竹田城。

駐車場から城跡まで約700m、勾配の緩い亀さんコースを歩く事に。

しばらくは舗装された道を歩き、上の地図の亀マークあたりから山道に入る。

この山道がかなり険しく、ふ~ふ~言いながら登ると、目の前に石垣が出現。

城への入り口。

大手門跡

天守があった一番高い所に登るには、ハシゴで。

男性ならひょいひょいと登れるハシゴだが、首にデジイチをぶら下げた私にはきつい。

そして、あと一段、手をかけるタラップが欲しい。

すばらしい眺めが広がる。

但馬の国の山名氏と争う播磨の国の赤松氏。

ここ竹田城は、但馬の国の国境を守る拠点として、
1440年頃、山名宗全が家臣太田垣氏に築城を命じた。

曲輪の全てを石垣でとり囲んだ総石垣の城郭。

 城跡からは全体が写せない。

9月から11月頃まで発生する雲海に浮かぶこの城を見てみたいが、
それには条件があり、クリアーするのは難しいなぁ。

 

眼下に 円山川の流れが見え、播但線を行く列車は、特急「はまかぜ2号」か?

お城と桜・・・。
ここも桜の木が多く、桜の頃には駐車場もいっぱいの人出だったらしい。

 

石垣は、滋賀県坂本の穴太衆の手による穴太積み。
すき間が多いが、水はけも良いという。

400年の歳月を経た現在も、修復された石垣全体の1/8を除き、
当時のままの威容を誇っているという。

山藤が咲く。

この旅では、あちらこちらで山藤が咲いているのを見かけた。

 

最後の城主となった赤松広英は、関が原の戦いで西軍に味方するが、
西軍が敗れると東軍に寝返り、鳥取城を攻める。

その際、鳥取城下を焼き討ちした咎を受け、徳川家康から切腹を命じられ、
以後竹田城は廃城となる。

1600年、時に広英38歳。

焼き討ちの責は名目で、家康は生野銀山が欲しかったんだろう。

 平成元年、角川映画「天と地」の撮影がここで行われ、その際3億円の
制作費をかけ、天守閣や大手門のセットが作られたらしい。

国の史跡に指定されているので、もちろん、それらは何も残っていない。

何もないのがいい。

コンクリートの天守閣など、ここには似合わない。


この記事についてブログを書く
« もみじのプロペラ | トップ | 山陰一の藤公園 »

旅-関西」カテゴリの最新記事