戦争とジャーナリスト(1)―後藤健二氏の志―
私たち日本人の解放への期待もむなしく,「イスラム国」に拘束されていた湯川遥菜さんと後藤健二さんのお二人は
殺害されてしまいました。心からお悔やみ申し上げます。
これまで,中東での戦争は日本人にとって,遠い国の出来事でした。しかし,湯川さんと後藤さんの拘束,そして殺害を機に,
日本人の中東への関心が一挙に高まりました。
お二人の拘束から殺害にいたる経緯については不明な点が多く,現段階では全体像を描けません。これについては後日,
もう少し事実関係が明らかになった段階で書きたいと思います。
今回は,戦争(あるいは紛争)とジャーナリストの問題を,後藤さんの取材姿勢,とりわけその「志」に絞って考えてみようと思います。
こ問題を考える時私には,個人的にずっと心に引っかかっている過去の出来事があります。
それは,ベトナム戦争当時,私の後輩がフリーランスのジャーナリスト(注1)としてベトナム入りしました。
彼は米軍のヘリコプターに乗せてもらい取材に向かいましたが,不運にも,そのヘリコプターが撃ち落とされ,後輩は命を失いました。
当時,ベトナム戦争で命を落としたジャーナリストは多数いたと思いますが,自分の後輩となると,非常に複雑な気持ちでした。
戦争という悲惨な行為の実情を当事者の政府なり代表なりがそのまま伝えることは,ほとんどありません。
また,新聞,テレビ,通信社などの大手メディアは社員を,危険な場所に派遣することはめったにありません。
戦争ではなくても,2011年3月11日の東日本大震災によって引き起こされた福島第一原発の爆発事故の際にも,
大手メディアは社員に,直ちに原発から50キロ以上離れる指令を出したのです。
この時,放射能を浴びる危険を冒して,汚染された地域で何が起こったのかを取材したのは,日本人よりは,
むしろ外国人のフリーランスでした。
ところで,アメリカは戦後,「世界の警察」を自称し,中南米,アフリカ,中東など,あちこちで戦争をしてきました。
戦後の主要な戦争のほとんどはアメリカの主導によって行われたと言っても過言ではありません。
ところが,アメリカ政府がその実態を自ら写真や文書の形で公表することはありませんでした。
このような状況のなかで私たちは,フリーランスが戦地に入って撮った写真や記事を通して戦争の実態の一部を知ることができたのです。
たとえばトナム戦争当時,フリー・ジャーナリストが撮った,戦火の中を裸で走りながら逃げている少女の写真,
捉えられた反政府の兵士が,道端でピストルによって撃ち殺される瞬間の写真,僧侶が戦争に抗議して焼身自殺する写真,
ソンミ村の虐殺の記事,などがアメリカ国内に反戦運動を巻き起こしました。
私たちは,こうした報道がベトナム戦争を終結に導いた大きな要因になったことを知っています。
これらは,戦争の実態,とりわけ戦争の悲惨さ,残虐性,理不尽さを世界の人々に訴える力をもっています。
ベトナム戦争で,フリーランスによる報道が社会に大きな影響を与えることに危機感を感じたアメリカ政府は,
湾岸戦争(1991年)以降,情報のコントロールを徹底します。
その代表的な方法は,軍の部隊が率先してジャーナリストを戦車その他の車両や航空機に乗せて取材させる,
いわゆる「部隊同行(embedded)取材」です。
この方法は,ジャーナリストにとってはある程度の安全が保障され,個人では立ち入れない場所に立ち入ることができるという
メリットがあります。
この点だけを考えれば,大手メディアの取材記者などにとっては便利な取材方法です。その反面,「同行する部隊」
は見せたくない光景は見せず,見せたい場面だけを見せます。
こうした取材方法は,事実を伝えるというジャーナリズムの精神に反しており,むしろ同行する部隊,
それを動かしている政府の宣伝に利用されていることになります。
今回のシリア,「イスラム国」への取材には,この「部隊同行取材」さえありませんでした。
たとえ「部隊同行取材」が可能であったとしても,後藤さんはそれを利用することなく,おそらく単独でシリア,
「イスラム国」に入っていったと思います。
後藤さんの死がほぼ確認された後,日本人のジャーナリストや紛争地域での支援活動をしている人たちの間に,
「後藤さんの志,私たちが」という声がわきあがりました。
では,「後藤さんの志」とは,一体,何だったのでしょうか?
最ももよく引用されるのは,子ども,老人,女性など戦火の中で弱い立場の人々に寄り添っている姿勢です。
実際,彼らの実態が国際的なニュースなどで光が当てられることはほとんどありません。
ところが,彼が残した映像には,戦火で被害を受けた子どもたち,女性,老人が頻繁に登場します。
この点と並んで,あるいはそれ以上に私が共感するのは,彼が,どこかの学校で講演で語った彼のジャーナリストとしての哲学です。
言葉は正確ではないかもしれませんが,おおよそ,以下のような趣旨でした。
戦場に入るジャーナリストの仕事は,危険な場所に立ち入って悲惨な実情を伝えることではありません。
そうではなくて,そんな悲惨な状況の中でも,人々は何かに喜びを見出し,何かを悲しんでいる。
その日常の生活を伝えることがジャーナリストの最も大切な仕事なんです。
一言でいうと,彼のジャーナリストとしての立脚点は,ヒューマニズムであると言えます。これは,キリスト教徒としての,
人間「後藤健二」の人生哲学でもあるのでしょう。
後藤さんの「志」を引き継ごうとしている人たちも,是非,この立場を理解してほしいと思います。
後藤さんは,いくつか,彼の思想や行動を表現した言葉を残しています。
目を閉じて、じっと我慢。怒ったら、怒鳴ったら、終わり。それは祈りに近い。憎むは
人の業にあらず、裁きは神の領域。そう教えてくれたのはアラブの兄弟たちだった。
後藤さんが,シリア入りする前に,カメラの前で,自分がどうなっても,シリアの人を憎まないでください,
と語った,あの言葉を思い出します。
ここでは「アラブの兄弟たち」としていますが,キリスト教徒としての言葉でもあるかもしれません。いずれにしても,
後藤さんの言動には,宗教的な背景を感じます。
また,ジャーナリストの使命と苦しさについて,次のように気持ちを吐露しています。
そう、取材現場に涙はいらない。ただ、ありのままを克明に記録し、人の愚かさや醜さ、理不尽さ、悲哀、
命の危機を伝えることが使命だ。
でも、つらいものはつらい。胸が締め付けられる。声に出して、自分に言い聞かせないとやってられない。(注2)
ここでは取材現場での辛さを正直に語っています。現実を直視し,伝えることが使命であるにしても,やはり,
時には絶叫したくなる時もあるのでしょう。
日本におけるフリーランサーの地位について。
ジャーナリズムに関して、もう欧米と比べるのはやめた方が良い。虚しいだけで何より無意味。
情報を受け取る個人の問題。日本にジャーナリズムが存在しえないことや
フリーランサーの地位が低いのは、3/11の前からわかっていたこと。今ある結果と
して変えられなかったことは自戒すべきことと思う」
フリーランスと大手メディアとの関係を示す事例として,元NHKプロデューサーで特報番組「クローズアップ現代」
を担当した水田浩三氏は,イラク戦争末期のエピソードを語っています。
イラク戦争でバグダッドが陥落した際,米軍に随行するNHKの取材映像は喚起する市民ばかりが映っていたが,
後藤さんの映像は市民の複雑な表情も捉えていた。ところが,NHKの取材映像を使うよう命じられた。
(『東京新聞』2015年2月4日)
日本においてフリーランサーが欧米ほど高く評価されていないのは,自分たちの力のなさの結果である,
との自戒の弁です。
この自戒をもって,ひたすら自分の使命を遂行してきた姿勢をよく表しています。
ところで,後藤さんを知るジャーナリスト仲間は,彼の活動について,どのように感じていたのでしょうか。
フォト・ジャーナリストの橋本昇氏は「後藤さんの志は立派だけど,どこかで判断を間違えたのかなあ・・・・。
死んだら終わり。引き返す勇気もひつようなんだよ」と後藤さんの死を惜しんでいます。
私も,橋本氏と同様,今回のシリア入りには,後藤さんに何か読み違いがあったのかもしれない,と感じています。
それでも,橋本氏は「自己責任論」に対して,「ジャーナリストはみな覚悟している」と反論し,
「それでも,なぜそこで戦争が起きているのか,弱者が何に苦しんでいるのかは,潜入しなければ分からない。
生きてこそ伝えられたのに」と無念を語っています。
後藤さんを知り,後藤さんの活動を高く評価してきたジャーナリスト綿井健陽氏は,「ジャーナリストは,
声を出せない人たちの代弁者だ」と言いつつ,「どうか,後藤さんを英雄視しないでほしい。
彼が伝えようとした多くの民衆の死を想像してほしい」と語っています。(以上,『東京新聞』2014年2月5日)
後藤さんの母,石堂順子さんは,「悲しみが『憎悪の連鎖』となってはいけない」,と語り,また兄純一さんは
「殺りくの応酬,連鎖は絶対にやめてほしい。平和を願って活動していた健二の死が無駄になる」と語りました。
(『東京新聞』2015年2月4,5日)
戦場に赴くジャーナリストの宿命を静かに受け入れるお兄さんの言葉が重く響きます。
(注1)大手メディアなどに属さない,個人ないしは,個人的な組織で活動するジャーナリスト。単にフリーランス,
フリーと省略されることもある。
(注2)http://meigennooukoku.net/blog-entry-3608.html
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【「いぬゐ郷」だより】 冬に入り,作物栽培の農作業はほとんどありません。その代わり,
里山の間に広がる谷津の開墾を精力的に行いました。そして,1月には里山の一角に「エコトイレ」
を作成しました。竹で周を囲った簡単な作りです。
里山の竹を使った「エコトイレ」
一面,雑草,くずのツル,潅木に覆われていた放置水田もようやく耕作できるような耕地に変わりました。,
私たち日本人の解放への期待もむなしく,「イスラム国」に拘束されていた湯川遥菜さんと後藤健二さんのお二人は
殺害されてしまいました。心からお悔やみ申し上げます。
これまで,中東での戦争は日本人にとって,遠い国の出来事でした。しかし,湯川さんと後藤さんの拘束,そして殺害を機に,
日本人の中東への関心が一挙に高まりました。
お二人の拘束から殺害にいたる経緯については不明な点が多く,現段階では全体像を描けません。これについては後日,
もう少し事実関係が明らかになった段階で書きたいと思います。
今回は,戦争(あるいは紛争)とジャーナリストの問題を,後藤さんの取材姿勢,とりわけその「志」に絞って考えてみようと思います。
こ問題を考える時私には,個人的にずっと心に引っかかっている過去の出来事があります。
それは,ベトナム戦争当時,私の後輩がフリーランスのジャーナリスト(注1)としてベトナム入りしました。
彼は米軍のヘリコプターに乗せてもらい取材に向かいましたが,不運にも,そのヘリコプターが撃ち落とされ,後輩は命を失いました。
当時,ベトナム戦争で命を落としたジャーナリストは多数いたと思いますが,自分の後輩となると,非常に複雑な気持ちでした。
戦争という悲惨な行為の実情を当事者の政府なり代表なりがそのまま伝えることは,ほとんどありません。
また,新聞,テレビ,通信社などの大手メディアは社員を,危険な場所に派遣することはめったにありません。
戦争ではなくても,2011年3月11日の東日本大震災によって引き起こされた福島第一原発の爆発事故の際にも,
大手メディアは社員に,直ちに原発から50キロ以上離れる指令を出したのです。
この時,放射能を浴びる危険を冒して,汚染された地域で何が起こったのかを取材したのは,日本人よりは,
むしろ外国人のフリーランスでした。
ところで,アメリカは戦後,「世界の警察」を自称し,中南米,アフリカ,中東など,あちこちで戦争をしてきました。
戦後の主要な戦争のほとんどはアメリカの主導によって行われたと言っても過言ではありません。
ところが,アメリカ政府がその実態を自ら写真や文書の形で公表することはありませんでした。
このような状況のなかで私たちは,フリーランスが戦地に入って撮った写真や記事を通して戦争の実態の一部を知ることができたのです。
たとえばトナム戦争当時,フリー・ジャーナリストが撮った,戦火の中を裸で走りながら逃げている少女の写真,
捉えられた反政府の兵士が,道端でピストルによって撃ち殺される瞬間の写真,僧侶が戦争に抗議して焼身自殺する写真,
ソンミ村の虐殺の記事,などがアメリカ国内に反戦運動を巻き起こしました。
私たちは,こうした報道がベトナム戦争を終結に導いた大きな要因になったことを知っています。
これらは,戦争の実態,とりわけ戦争の悲惨さ,残虐性,理不尽さを世界の人々に訴える力をもっています。
ベトナム戦争で,フリーランスによる報道が社会に大きな影響を与えることに危機感を感じたアメリカ政府は,
湾岸戦争(1991年)以降,情報のコントロールを徹底します。
その代表的な方法は,軍の部隊が率先してジャーナリストを戦車その他の車両や航空機に乗せて取材させる,
いわゆる「部隊同行(embedded)取材」です。
この方法は,ジャーナリストにとってはある程度の安全が保障され,個人では立ち入れない場所に立ち入ることができるという
メリットがあります。
この点だけを考えれば,大手メディアの取材記者などにとっては便利な取材方法です。その反面,「同行する部隊」
は見せたくない光景は見せず,見せたい場面だけを見せます。
こうした取材方法は,事実を伝えるというジャーナリズムの精神に反しており,むしろ同行する部隊,
それを動かしている政府の宣伝に利用されていることになります。
今回のシリア,「イスラム国」への取材には,この「部隊同行取材」さえありませんでした。
たとえ「部隊同行取材」が可能であったとしても,後藤さんはそれを利用することなく,おそらく単独でシリア,
「イスラム国」に入っていったと思います。
後藤さんの死がほぼ確認された後,日本人のジャーナリストや紛争地域での支援活動をしている人たちの間に,
「後藤さんの志,私たちが」という声がわきあがりました。
では,「後藤さんの志」とは,一体,何だったのでしょうか?
最ももよく引用されるのは,子ども,老人,女性など戦火の中で弱い立場の人々に寄り添っている姿勢です。
実際,彼らの実態が国際的なニュースなどで光が当てられることはほとんどありません。
ところが,彼が残した映像には,戦火で被害を受けた子どもたち,女性,老人が頻繁に登場します。
この点と並んで,あるいはそれ以上に私が共感するのは,彼が,どこかの学校で講演で語った彼のジャーナリストとしての哲学です。
言葉は正確ではないかもしれませんが,おおよそ,以下のような趣旨でした。
戦場に入るジャーナリストの仕事は,危険な場所に立ち入って悲惨な実情を伝えることではありません。
そうではなくて,そんな悲惨な状況の中でも,人々は何かに喜びを見出し,何かを悲しんでいる。
その日常の生活を伝えることがジャーナリストの最も大切な仕事なんです。
一言でいうと,彼のジャーナリストとしての立脚点は,ヒューマニズムであると言えます。これは,キリスト教徒としての,
人間「後藤健二」の人生哲学でもあるのでしょう。
後藤さんの「志」を引き継ごうとしている人たちも,是非,この立場を理解してほしいと思います。
後藤さんは,いくつか,彼の思想や行動を表現した言葉を残しています。
目を閉じて、じっと我慢。怒ったら、怒鳴ったら、終わり。それは祈りに近い。憎むは
人の業にあらず、裁きは神の領域。そう教えてくれたのはアラブの兄弟たちだった。
後藤さんが,シリア入りする前に,カメラの前で,自分がどうなっても,シリアの人を憎まないでください,
と語った,あの言葉を思い出します。
ここでは「アラブの兄弟たち」としていますが,キリスト教徒としての言葉でもあるかもしれません。いずれにしても,
後藤さんの言動には,宗教的な背景を感じます。
また,ジャーナリストの使命と苦しさについて,次のように気持ちを吐露しています。
そう、取材現場に涙はいらない。ただ、ありのままを克明に記録し、人の愚かさや醜さ、理不尽さ、悲哀、
命の危機を伝えることが使命だ。
でも、つらいものはつらい。胸が締め付けられる。声に出して、自分に言い聞かせないとやってられない。(注2)
ここでは取材現場での辛さを正直に語っています。現実を直視し,伝えることが使命であるにしても,やはり,
時には絶叫したくなる時もあるのでしょう。
日本におけるフリーランサーの地位について。
ジャーナリズムに関して、もう欧米と比べるのはやめた方が良い。虚しいだけで何より無意味。
情報を受け取る個人の問題。日本にジャーナリズムが存在しえないことや
フリーランサーの地位が低いのは、3/11の前からわかっていたこと。今ある結果と
して変えられなかったことは自戒すべきことと思う」
フリーランスと大手メディアとの関係を示す事例として,元NHKプロデューサーで特報番組「クローズアップ現代」
を担当した水田浩三氏は,イラク戦争末期のエピソードを語っています。
イラク戦争でバグダッドが陥落した際,米軍に随行するNHKの取材映像は喚起する市民ばかりが映っていたが,
後藤さんの映像は市民の複雑な表情も捉えていた。ところが,NHKの取材映像を使うよう命じられた。
(『東京新聞』2015年2月4日)
日本においてフリーランサーが欧米ほど高く評価されていないのは,自分たちの力のなさの結果である,
との自戒の弁です。
この自戒をもって,ひたすら自分の使命を遂行してきた姿勢をよく表しています。
ところで,後藤さんを知るジャーナリスト仲間は,彼の活動について,どのように感じていたのでしょうか。
フォト・ジャーナリストの橋本昇氏は「後藤さんの志は立派だけど,どこかで判断を間違えたのかなあ・・・・。
死んだら終わり。引き返す勇気もひつようなんだよ」と後藤さんの死を惜しんでいます。
私も,橋本氏と同様,今回のシリア入りには,後藤さんに何か読み違いがあったのかもしれない,と感じています。
それでも,橋本氏は「自己責任論」に対して,「ジャーナリストはみな覚悟している」と反論し,
「それでも,なぜそこで戦争が起きているのか,弱者が何に苦しんでいるのかは,潜入しなければ分からない。
生きてこそ伝えられたのに」と無念を語っています。
後藤さんを知り,後藤さんの活動を高く評価してきたジャーナリスト綿井健陽氏は,「ジャーナリストは,
声を出せない人たちの代弁者だ」と言いつつ,「どうか,後藤さんを英雄視しないでほしい。
彼が伝えようとした多くの民衆の死を想像してほしい」と語っています。(以上,『東京新聞』2014年2月5日)
後藤さんの母,石堂順子さんは,「悲しみが『憎悪の連鎖』となってはいけない」,と語り,また兄純一さんは
「殺りくの応酬,連鎖は絶対にやめてほしい。平和を願って活動していた健二の死が無駄になる」と語りました。
(『東京新聞』2015年2月4,5日)
戦場に赴くジャーナリストの宿命を静かに受け入れるお兄さんの言葉が重く響きます。
(注1)大手メディアなどに属さない,個人ないしは,個人的な組織で活動するジャーナリスト。単にフリーランス,
フリーと省略されることもある。
(注2)http://meigennooukoku.net/blog-entry-3608.html
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【「いぬゐ郷」だより】 冬に入り,作物栽培の農作業はほとんどありません。その代わり,
里山の間に広がる谷津の開墾を精力的に行いました。そして,1月には里山の一角に「エコトイレ」
を作成しました。竹で周を囲った簡単な作りです。
里山の竹を使った「エコトイレ」
一面,雑草,くずのツル,潅木に覆われていた放置水田もようやく耕作できるような耕地に変わりました。,