イチローの本当のすごさ(1)―4000安打に込められたメッセージ―
2013年8月21日(日本時間22日),ニューヨーク・ヤンキースのイチローは,2番ライトで先発出場し,
ついに日米通算で4000安打(ヒット)を達成しました。
前日のダブルヘッダーの第一試合で3999本のヒットを記録し,第二試合では,打席に立てなかった
ので記録達成のチャンスはありませんでした。
それだけに,21日の試合では4000本目の歴史的なヒットが出るのではないか,というファンの期待
は最高潮に達していました。
果たして,1回の裏にイチローに打順が回ってくると,抑えきれないファンの熱い期待と興奮は,テレビ
を通じて見ていてもはっきりと伝わってきました。
現地で観戦していた日本人アナウンサーによれば,イチローが2球目を空振りした時には,声にならない
ため息が球場に充満したそうです。
そして,ついに見事なヒットで4000安打を達成した時,観客は大声援と拍手,スタンディング・オベ
ーションで,イチローの偉業を称え,味方の選手はグランウドに飛び出してイチローを祝福しました。
この時,試合はイチローの祝福のために中断したのです。
普段は冷静なイチローも,この時ばかりは「半泣き」し,子どものような笑顔で喜びを爆発させていました。
ヤンキースに移ってからは,試合当日日にならなければ自分が試合に出れるかどうか分からないという,
複雑な気持ちで毎日過ごしてきたと告白しているように,ここまでの道のりは決して平坦ではなかったはずです。
だからこそ,4000安打の達成はうれしかったに違いありません。
今回の4000安打は,日米の合算ですからアメリカの公式記録ではありませんが,アメリカのファンは,
それでも4000安打という数字がいかにすごいかは,ある意味日本人以上に分かっているかもしれません。
何と言っても,アメリカのベースボール史上,4000本以上の安打を打った選手は,ピート・ローズ(42才
11カ月),タイ・カップ(40才7カ月)のわずかに二人だけなのです。(ちなみにイチローは39才10
カ月で達成です)
日本の投手のレベルが高いことは,かつての野茂,最近ではダルビッシュやヤンキースの黒田など素晴らしい
活躍を見て知っています。また,
日本国内でもこれまで4000安打を記録した選手はいないのです。したがって,日本での安打が含まれていた
としても日米通算4000安打がどれほど難しい大記録かは野球ファンならだれでも理解できます。
もうひとつ,イチローの安打には多くの内野安打が多い,という批判的な意見があります。これについては次回
で説明するつもりですが,内野安打には大きな意味があります。
つまり,日米合算の4000安打であることと,内野安打の多いことをもってイチローの記録に疑問符を投げ
かけているコメントもありますが,当地アメリカではおおむね,好意的です。
アメリカ殿堂館のアイドルソン館長は,日米合算での4000安打を偉業とたたえたうえ,「現時点でどれほどの
価値があるかは判断できないが,一連の記録として扱うことに意味はある。決して軽視してはいけない偉業だ」
と説明しています。
また,内野安打の多さを批判する人たちもいるが,全体の2割にすぎないのです。
また,イチローと最多の216試合を対戦した,エンゼルスのソーサ監督は,「日米通算とはいえ,4000安打
を達成するのはとてつもないことだ。・・・日米通算として日本の安打数をカウントする是非を論ずるまでもなく,
彼はもう,メジャーで2700安打以上しているのだから,それだけでもすごい」と評価しています。『日刊スポーツ』
(2013年8月23日)。
また,ヤンキースのジーターは「リトルリーグでの4000安打だとしても私は気にしない。誰よりも短い期間でヒット
を重ねてきた」と言い,投手のリベラは「日米にまたがっていても4000安打は多い。常に最高であろうとするのが
イチローだ」と絶賛しています。『スポーツニッポン』(2013年8月23日)
ところで,イチローは,たんなる一人の野球選手であると同時に,社会的な存在でもあります。
彼は,野球以外の分野について直接発言することはめったにありませんが,それでも,彼の野球観には,社会一般に
ついてもあてはまる,深い洞察が含まれていることが多いのです。
以下に,今回の4000安打の後に彼が語った発言から,4点だけ取り上げてみたいと思います。
ただし,イチローの言葉は直接的,説明的ではなく,しばしば禅問答のような表現をとることがあります。
そこで,以下の文章は,かなり私の「翻訳」が加わっていることを断っておきます。
①4000安打の裏には8000回の悔しさある。(成功体験より失敗体験から学ぶ)
「切りのいい数字というのは1000回に1回しか来ない。それを4回重ねられたことは満足している。」原動力は
8138度の凡打にある,と言っています。
「4000のヒットを打つためには僕の数字では8000回以上は悔しい思いをしている。それと常に向き合ってきた。
誇れるとしたらそこじゃないかと思います」。これは並のアスリートが言える言葉ではありません。
イチローは,うまくいった打席にかんしてはあまり語りません。彼は直接には言いませんが,それは相手ピッチャーの
失投もあるだろうし,守備の乱れもあるだろうし,たまたまタイミングが合ったかもしれません。飛んだコースが良か
っただったからかもしれません。つまり,幸運のためのヒットの可能性があるのです。
しかし,凡打や三振などは,確実に自分の中に失敗の原因があるのだから,彼はそれを逃げないで真剣に向き合ってき
たのです。それが4000安打につながったと言いたいのです。
分野は全く違いますが,囲碁の世界でも同じような考え方をします。ある対局で勝ったとしても,それは相手のミスや
勘違いのためかもしれません。プロ棋士は,勝った碁よりも負けた碁について真剣に検討します。
この一手のために碁を敗勢に導いた着手を敗着と呼びますが,プロは「失敗の原因」,敗着を見つけるまで徹底的に検討
をします。
私たちは,成功体験に酔ってしまいますが,なかなか失敗体験から学ぼうとしません。
イチローは若い時からこの姿勢をずっと持ち続けてきたのです。そして,失敗の原因をつきとめ,それを修正する努力
を続けてきたのです。
彼が「誇れるとしたらそこじゃないですか」と言うとき,この普段の反省と修正を逃げずにずっと続けてきたのです。
彼は「天才」と呼ばれることを非常に嫌います。なぜなら,この反省と修正の血の出るような努力を評価しないで,
結果だけをみて,あたかも天から与えられた才能のように言われるからです。
彼が強く反発するのは,こういう背景があるからなのです。
「失敗から学ぶ」ことは「成功に酔う」ことよりずっと辛いことですが,非常に大切で実りの多いことです。
イチローの野球にたいする姿勢は,私たちの日常生活全般についてもいえます。
以上の言葉は私たちにも大いに参考になるメッセージでもあります。私たちの成功体験の多くは本当の実力よりも,「幸運」
のたまものであることの方が多いのです。
しかし,失敗からはなかなか学ぼうとしません。大きな話でいえば,日本はいまだに「敗戦の原因」を徹底的に検証し,
失敗から学ぶ作業をしていないのです。これは将来,大きな禍根をのこすことになるでしょう。
②年齢にたいする偏った見方をしてしまう人に対してお気の毒だな,と思う。
イチローにたいして,39才という年齢的な限界,たとえば,動体視力が衰えてきたとか,パワーが落ちてきた,走るスピード
が遅くなったとか,加齢からくる肉体的な衰えがしばしば指摘だれます。
これにたいしてイチローは「お気の毒だと思う」と反論します。
客観的にみて,彼の肉体的な衰えは確実に進行しているでしょう。しかし彼はアスリートとして必要なトレーニングを怠らず,
常に年齢に合った肉体の手入れをしています。現在彼が使っているトレーニングマシーンは筋力の増強を目的としたものはなく,
関節の可動性を広げ,筋肉の柔軟性を高め,疲労を軽減するものだけだそうです。
その一方で,肉体的なマイナスを補うために,たとえばバッテイング・フォームの改造などを常におこなってきました。
彼は決してあきらめません。これを,彼独特の言葉で「あきらめない自分をあきらめた」と表現しています。
そういうふうに,目指すものをあきらめない自分を変えることはできないので,変えることをあきらめた,と言っているのです。
また,「昔できたことで,今できないことは見当たらない。自分を客観的にみても否定的なことはない」とも表現しています。
私自身も,ともすると物事がうまくゆかない理由を年齢のせいにしてしまいがちですが,イチローの発言に痛いところを突かれ
た思いです。
③プロの野球選手とは
「学生時代から,プロ野球選手は,打つこと,走ること,守ること,考えること,全部できる人がなるものだと思っていました。
でも実はそういう世界ではなかった,というだけのこと。それが際だって見えることがちょっとおかしいと思います。僕にとって
それは普通のこと。そうでないといけないですね。」
イチローにしては珍しく,プロ野球選手にたいして苦言を呈しています。ここで彼が「プロ野球選手」と言うとき,日本の選手か
アメリカでプレーしている選手かは分かりません。
いずれにしても,イチローは,打つ,走る,守る,考えることは,当然のことで彼はそれらすべてができるように全力でやってきた,
プロならばそれが「普通のこと」,当たり前のことだと考えてきた。しかし,現実には多くの選手はそうではなかったことに気が
付いたというのです。
つまり,打者ならば,ホームランやヒットをたくさん打てば,走ることや守ることが多少できなくてもかまわないと考える選手が
たくさんいたということに気が付いたのです。
だから,これら全てができるイチローが際立ってしまう(目立ってしまう)のですが,そのこと自体がおかしいと言っているのです。
この言葉には,それまでのアメリカのホームラン至上主義に対する批判も含まれているかもしれません。
④満足したら終わりというのは,弱い人の発想ですよね。
長くすごい成績を残していても,そこで満足せず続けているのか,という試合後のインタビューの問いかけに,
「いやいや,僕満足していますからね。今日だってものすごく満足してるし。それを重ねないとだめだと思うんですよね。
満足したら終わりだとかよくいいますけど,それは弱い人の発想ですよね。僕は満足を重ねないと次が生まれないと思っているので。」
イチローは,あたかも苦行僧のようにストイックで,満足することを拒否しているような印象を与えてきました。しかし,グラウンド
での彼の姿やプレーを見ていると,野球をすることが楽しくてしかたがないという,まるで野球少年がそのまま大人になったような
雰囲気を常にたたえています。
「満足したら,そこで進歩は止まる,終わりだ」というのはいかにも分かりやすく,日本のスポーツ界やそのほかの分野でもしばしば
聞かれる精神論です。しかしイチローはそのようには考えません。
彼は,反省や苦しさがあっても,最終的には自分を肯定して満足しなければ次に進めないと考えます。このように言えるのも,自分は
常にベストを尽くしている自負があるからでしょう。
たとえ失敗して思い通りに行かないとしても,その原因をとことんまで追求し,それを克服する努力をしてゆけば,失敗は自分が成長
するための貴重な経験になる。そして,自分の弱点を少しでも克服した時,大きな満足が得られるし,野球がさらに楽しくなるという
考えです。
これは究極のポジティブ・シンキングです。しかし,ここまで言いきれるだけの努力ができる人は,それほど多くはありません。
かつて五木寛之氏は,「努力ができるということ自体,それは天賦の資質なのだ」と書いていました。
この意味では,イチローも努力ができる能力を与えられた幸運なアスリートであるといえそうです。
それを差し引いても,野球に人生をかけるイチローのストイックな生き方は,理想ではあっても,正直に言うと,私には無理だと思
いました。
次回は,イチローのすごさを,ベースボールに日本の「野球」を持ち込んだ男という観点から考えます。
2013年8月21日(日本時間22日),ニューヨーク・ヤンキースのイチローは,2番ライトで先発出場し,
ついに日米通算で4000安打(ヒット)を達成しました。
前日のダブルヘッダーの第一試合で3999本のヒットを記録し,第二試合では,打席に立てなかった
ので記録達成のチャンスはありませんでした。
それだけに,21日の試合では4000本目の歴史的なヒットが出るのではないか,というファンの期待
は最高潮に達していました。
果たして,1回の裏にイチローに打順が回ってくると,抑えきれないファンの熱い期待と興奮は,テレビ
を通じて見ていてもはっきりと伝わってきました。
現地で観戦していた日本人アナウンサーによれば,イチローが2球目を空振りした時には,声にならない
ため息が球場に充満したそうです。
そして,ついに見事なヒットで4000安打を達成した時,観客は大声援と拍手,スタンディング・オベ
ーションで,イチローの偉業を称え,味方の選手はグランウドに飛び出してイチローを祝福しました。
この時,試合はイチローの祝福のために中断したのです。
普段は冷静なイチローも,この時ばかりは「半泣き」し,子どものような笑顔で喜びを爆発させていました。
ヤンキースに移ってからは,試合当日日にならなければ自分が試合に出れるかどうか分からないという,
複雑な気持ちで毎日過ごしてきたと告白しているように,ここまでの道のりは決して平坦ではなかったはずです。
だからこそ,4000安打の達成はうれしかったに違いありません。
今回の4000安打は,日米の合算ですからアメリカの公式記録ではありませんが,アメリカのファンは,
それでも4000安打という数字がいかにすごいかは,ある意味日本人以上に分かっているかもしれません。
何と言っても,アメリカのベースボール史上,4000本以上の安打を打った選手は,ピート・ローズ(42才
11カ月),タイ・カップ(40才7カ月)のわずかに二人だけなのです。(ちなみにイチローは39才10
カ月で達成です)
日本の投手のレベルが高いことは,かつての野茂,最近ではダルビッシュやヤンキースの黒田など素晴らしい
活躍を見て知っています。また,
日本国内でもこれまで4000安打を記録した選手はいないのです。したがって,日本での安打が含まれていた
としても日米通算4000安打がどれほど難しい大記録かは野球ファンならだれでも理解できます。
もうひとつ,イチローの安打には多くの内野安打が多い,という批判的な意見があります。これについては次回
で説明するつもりですが,内野安打には大きな意味があります。
つまり,日米合算の4000安打であることと,内野安打の多いことをもってイチローの記録に疑問符を投げ
かけているコメントもありますが,当地アメリカではおおむね,好意的です。
アメリカ殿堂館のアイドルソン館長は,日米合算での4000安打を偉業とたたえたうえ,「現時点でどれほどの
価値があるかは判断できないが,一連の記録として扱うことに意味はある。決して軽視してはいけない偉業だ」
と説明しています。
また,内野安打の多さを批判する人たちもいるが,全体の2割にすぎないのです。
また,イチローと最多の216試合を対戦した,エンゼルスのソーサ監督は,「日米通算とはいえ,4000安打
を達成するのはとてつもないことだ。・・・日米通算として日本の安打数をカウントする是非を論ずるまでもなく,
彼はもう,メジャーで2700安打以上しているのだから,それだけでもすごい」と評価しています。『日刊スポーツ』
(2013年8月23日)。
また,ヤンキースのジーターは「リトルリーグでの4000安打だとしても私は気にしない。誰よりも短い期間でヒット
を重ねてきた」と言い,投手のリベラは「日米にまたがっていても4000安打は多い。常に最高であろうとするのが
イチローだ」と絶賛しています。『スポーツニッポン』(2013年8月23日)
ところで,イチローは,たんなる一人の野球選手であると同時に,社会的な存在でもあります。
彼は,野球以外の分野について直接発言することはめったにありませんが,それでも,彼の野球観には,社会一般に
ついてもあてはまる,深い洞察が含まれていることが多いのです。
以下に,今回の4000安打の後に彼が語った発言から,4点だけ取り上げてみたいと思います。
ただし,イチローの言葉は直接的,説明的ではなく,しばしば禅問答のような表現をとることがあります。
そこで,以下の文章は,かなり私の「翻訳」が加わっていることを断っておきます。
①4000安打の裏には8000回の悔しさある。(成功体験より失敗体験から学ぶ)
「切りのいい数字というのは1000回に1回しか来ない。それを4回重ねられたことは満足している。」原動力は
8138度の凡打にある,と言っています。
「4000のヒットを打つためには僕の数字では8000回以上は悔しい思いをしている。それと常に向き合ってきた。
誇れるとしたらそこじゃないかと思います」。これは並のアスリートが言える言葉ではありません。
イチローは,うまくいった打席にかんしてはあまり語りません。彼は直接には言いませんが,それは相手ピッチャーの
失投もあるだろうし,守備の乱れもあるだろうし,たまたまタイミングが合ったかもしれません。飛んだコースが良か
っただったからかもしれません。つまり,幸運のためのヒットの可能性があるのです。
しかし,凡打や三振などは,確実に自分の中に失敗の原因があるのだから,彼はそれを逃げないで真剣に向き合ってき
たのです。それが4000安打につながったと言いたいのです。
分野は全く違いますが,囲碁の世界でも同じような考え方をします。ある対局で勝ったとしても,それは相手のミスや
勘違いのためかもしれません。プロ棋士は,勝った碁よりも負けた碁について真剣に検討します。
この一手のために碁を敗勢に導いた着手を敗着と呼びますが,プロは「失敗の原因」,敗着を見つけるまで徹底的に検討
をします。
私たちは,成功体験に酔ってしまいますが,なかなか失敗体験から学ぼうとしません。
イチローは若い時からこの姿勢をずっと持ち続けてきたのです。そして,失敗の原因をつきとめ,それを修正する努力
を続けてきたのです。
彼が「誇れるとしたらそこじゃないですか」と言うとき,この普段の反省と修正を逃げずにずっと続けてきたのです。
彼は「天才」と呼ばれることを非常に嫌います。なぜなら,この反省と修正の血の出るような努力を評価しないで,
結果だけをみて,あたかも天から与えられた才能のように言われるからです。
彼が強く反発するのは,こういう背景があるからなのです。
「失敗から学ぶ」ことは「成功に酔う」ことよりずっと辛いことですが,非常に大切で実りの多いことです。
イチローの野球にたいする姿勢は,私たちの日常生活全般についてもいえます。
以上の言葉は私たちにも大いに参考になるメッセージでもあります。私たちの成功体験の多くは本当の実力よりも,「幸運」
のたまものであることの方が多いのです。
しかし,失敗からはなかなか学ぼうとしません。大きな話でいえば,日本はいまだに「敗戦の原因」を徹底的に検証し,
失敗から学ぶ作業をしていないのです。これは将来,大きな禍根をのこすことになるでしょう。
②年齢にたいする偏った見方をしてしまう人に対してお気の毒だな,と思う。
イチローにたいして,39才という年齢的な限界,たとえば,動体視力が衰えてきたとか,パワーが落ちてきた,走るスピード
が遅くなったとか,加齢からくる肉体的な衰えがしばしば指摘だれます。
これにたいしてイチローは「お気の毒だと思う」と反論します。
客観的にみて,彼の肉体的な衰えは確実に進行しているでしょう。しかし彼はアスリートとして必要なトレーニングを怠らず,
常に年齢に合った肉体の手入れをしています。現在彼が使っているトレーニングマシーンは筋力の増強を目的としたものはなく,
関節の可動性を広げ,筋肉の柔軟性を高め,疲労を軽減するものだけだそうです。
その一方で,肉体的なマイナスを補うために,たとえばバッテイング・フォームの改造などを常におこなってきました。
彼は決してあきらめません。これを,彼独特の言葉で「あきらめない自分をあきらめた」と表現しています。
そういうふうに,目指すものをあきらめない自分を変えることはできないので,変えることをあきらめた,と言っているのです。
また,「昔できたことで,今できないことは見当たらない。自分を客観的にみても否定的なことはない」とも表現しています。
私自身も,ともすると物事がうまくゆかない理由を年齢のせいにしてしまいがちですが,イチローの発言に痛いところを突かれ
た思いです。
③プロの野球選手とは
「学生時代から,プロ野球選手は,打つこと,走ること,守ること,考えること,全部できる人がなるものだと思っていました。
でも実はそういう世界ではなかった,というだけのこと。それが際だって見えることがちょっとおかしいと思います。僕にとって
それは普通のこと。そうでないといけないですね。」
イチローにしては珍しく,プロ野球選手にたいして苦言を呈しています。ここで彼が「プロ野球選手」と言うとき,日本の選手か
アメリカでプレーしている選手かは分かりません。
いずれにしても,イチローは,打つ,走る,守る,考えることは,当然のことで彼はそれらすべてができるように全力でやってきた,
プロならばそれが「普通のこと」,当たり前のことだと考えてきた。しかし,現実には多くの選手はそうではなかったことに気が
付いたというのです。
つまり,打者ならば,ホームランやヒットをたくさん打てば,走ることや守ることが多少できなくてもかまわないと考える選手が
たくさんいたということに気が付いたのです。
だから,これら全てができるイチローが際立ってしまう(目立ってしまう)のですが,そのこと自体がおかしいと言っているのです。
この言葉には,それまでのアメリカのホームラン至上主義に対する批判も含まれているかもしれません。
④満足したら終わりというのは,弱い人の発想ですよね。
長くすごい成績を残していても,そこで満足せず続けているのか,という試合後のインタビューの問いかけに,
「いやいや,僕満足していますからね。今日だってものすごく満足してるし。それを重ねないとだめだと思うんですよね。
満足したら終わりだとかよくいいますけど,それは弱い人の発想ですよね。僕は満足を重ねないと次が生まれないと思っているので。」
イチローは,あたかも苦行僧のようにストイックで,満足することを拒否しているような印象を与えてきました。しかし,グラウンド
での彼の姿やプレーを見ていると,野球をすることが楽しくてしかたがないという,まるで野球少年がそのまま大人になったような
雰囲気を常にたたえています。
「満足したら,そこで進歩は止まる,終わりだ」というのはいかにも分かりやすく,日本のスポーツ界やそのほかの分野でもしばしば
聞かれる精神論です。しかしイチローはそのようには考えません。
彼は,反省や苦しさがあっても,最終的には自分を肯定して満足しなければ次に進めないと考えます。このように言えるのも,自分は
常にベストを尽くしている自負があるからでしょう。
たとえ失敗して思い通りに行かないとしても,その原因をとことんまで追求し,それを克服する努力をしてゆけば,失敗は自分が成長
するための貴重な経験になる。そして,自分の弱点を少しでも克服した時,大きな満足が得られるし,野球がさらに楽しくなるという
考えです。
これは究極のポジティブ・シンキングです。しかし,ここまで言いきれるだけの努力ができる人は,それほど多くはありません。
かつて五木寛之氏は,「努力ができるということ自体,それは天賦の資質なのだ」と書いていました。
この意味では,イチローも努力ができる能力を与えられた幸運なアスリートであるといえそうです。
それを差し引いても,野球に人生をかけるイチローのストイックな生き方は,理想ではあっても,正直に言うと,私には無理だと思
いました。
次回は,イチローのすごさを,ベースボールに日本の「野球」を持ち込んだ男という観点から考えます。