森の中のティータイム

離婚を経験し子供達も独立 
暮らしの小さな発見をノートに。

Michael Jackson Live Royal Brunei 1996

2010-01-20 | マイケル・ジャクソン
友人がこれを観て元気が出たと言うので、
私も観てみた・・・。

大昔のビデオのそれとは、画質もカメラアングルも違い
毎日少しずつアップされるたび、歓喜(笑)

過去何度かブルネイはYoutubeなどにも投稿され、
色々観たつもりだったけど、その中でもこれはとても綺麗。
特に、メイクも落ちてきたこのアースソングは、格別。


16/16 [ Live Royal Brunei 1996 ] Earth Song


言葉は要らないよね・・・。

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毎日何かやってくれます

2010-01-13 | 動物



成長したとは言え、福太郎はやっぱり今も色々な物を噛んでいる。
遊んでくれなくて淋しいとき、誰も居ない時に、傍にある柔らかい
ものをチューチュー吸っていて、それが唾液で溶けそうなくらい
さらに柔らかくなったら飲み込んでいるようなのだ。

日々、様々なものが犠牲になっていて、家で着るフリースなんかも
うっかり油断して手の届くところに置いていようものなら、すぐに
大きな穴が開いている。

自分のベッドに敷いた毛布だったり、湯たんぽカバーだったり
娘のニットも何枚犠牲になったことか。
ウチは狭いので、なるべく手の届かないところに置いたつもりでも
ちょっと福太郎が引っ張れば手が届いてしまう。



ましてや、コタツやカーテンなんて、はなから無理。
仕方なく福の嫌う匂いをスプレーしたり、噛みにくい布地で覆ったり
攻防戦は今も続く。


  MUJIのカーテンに開いた大穴


二日前には、まだあまり使ってない腹巻が裾から3センチほど
噛み切られてしまったので、これまで家での立ち座りの際に浅い
ウエストがずり落ちて履き辛かったデニムレギンスと、ドッキング
させてみた。

両方のウエスト部分を引っ張りながらジグザグで縫っていくと
伸縮もよく、履きやすくなった。
怪我の功名?・・・と思っておこう(笑)



でも、お母さんがどれだけ大変か分かってる?福太郎。



前回の別のショットを拡大したら、エビを狙う福太郎が;(爆)
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後ろの福太郎

2010-01-10 | 動物
最近、福太郎がちょっと成長したかも。
朝、家族の一人一人を順番に起こすようになった。
それぞれに対して起こし方も変える。

まず、ご飯係の私。
初めは枕元の後ろで、じっと見つめている気配を感じる。
しばらく経って反応がないと、低いチェストの上に上がり
布団にダイブしてくる。

それを何度か繰り返され、仕方なく起き上がる私。
ゴロゴロ喉を鳴らしはじめ、私の行く手を阻むように
足に絡みつきつつキッチンまでついてきて、ご飯を貰う。

朝ごはんを済ませて、次は長女を起こしにかかる。
目覚ましが鳴ると、ニャアと大声で鳴く様子は
まるで「ほら。起きなさい!」とでも言ってるみたいだ。

そして最後は遊び相手の次女。
この子にはすこぶる優しい。
少しでも長く寝かせてやろうという意図が見え見え(笑)

時間を過ぎると、じっと見つめ心配そうにする。
起きてきたら、「にゃぁ~」と甘えた声を出し、ご飯でもないのに
ゴロゴロ喉を鳴らしてはしゃぐ。
(私にはご飯時だけなのに;)

これでも一年前に比べたら大きな進歩だ。
うちの子になってくれてありがとう。
 

エビ泥棒の現場を押さえられ、あえなく御用となった福太郎君(笑)

 

きちゃないバックは見せられません;

黒白のあの子は、まだ片足浮いているが、
最近同じ並びの家でどうやら飼ってもらえそうだし、ひとまず安心。



私の五十肩も少しずつだけど良くなってきた。
寒さが緩む頃に、古いマイケル仲間でまた集まろうと
話が決まりつつある。

春が待ち遠しい。

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これからの自分

2010-01-08 | マイケル・ジャクソン
面白いもので、例え自分の考えであっても、他人に話したり
文にしてみたりして、初めて「自分はこう思っていたんだ」と
確認することがある。

昨日、友人との電話でマイケルについて話していて気付いた。
「これからは、もっとマイケル仲間のイベントに参加したい」
と言う友人とは、少し違う自分の気持ちに。

元々あまりそういうイベントに行くのが好きではないのは確か
だったけれど、それでもネットで知り合った方々に会いたくて
可能な限りは参加していた。それも3年前くらいからパッタリ
止めて、一人マイケルファンの日々を送っていた私。

それが、この日記にも書いたとおり、半年前あの出来事が起き
て、自分にファン友達がいることが大きな支えになってくれた。
この事実は恐らくこれからも変わらないだろうけど、だからと
言って全てのファンと通じ合えるわけではないのも事実。

日記に書くのは躊躇われて、胸に仕舞いこんでいたけど、
個人的な思いを書けるのも、私的なこの場だからこそ。
そう言い聞かせて、気の小さい私でも思い切って吐く(笑)

これからの私は、古い新しいは関係なく、
「同じマイケル」を見ていける人との交流を大事にしたい


思えば今までだってそうだった。
私は追っかけそのものを否定しないけれど、例え古くからのファンでも
ただ触れたいという目的だけで近づき、マイケルのことを知ろうともし
なかった人や、「マイケルは貴方たちが思っているよりも、ずっとエ●
いのよ~」などと言い、自分とは全く違う目線で見る人たちとは、親し
くならなかった。

また特定のファンに媚びることで、「自分と同じ、マイケルが大好き
な仲間」という関係ではなくなっていき、まるで上下や位置づけでも
あるかのようなスタンスを採る人たちにも、やはり違和感を覚えていた。

私にとって大切にしたいのは、あくまでも「マイケルのspirit」で
あり、それを分かち合える人たちなのだ。
そういう人たちとは、多分ずっとこれからも友達でいるだろうけど、
無理をして合わない人とのイベント参加は、これからもないと思う。

過去、それがマイケル参加のイベントでもそうだった。
私にとって唯一マイケルに会えるチャンスかもしれなかった
「アートコンテスト」が、特典として付いていた40万パーティー。
でも、参加することはこのイベントがどれだけマイケルを貶めることに
繋がるかを無視することになる。

マイケルの招聘を可能にするために、プロモーター側はマイケルが
喜びそうな、またファンにとっても特別待遇でマイケルと接すること
ができるという触れ込みで策を練った結果だろう。

その金額での開催は、当初企業向けのVIPパーティーだとされていて
マイケルはその翌日に「裁判時に支えてくれたファンにお礼が言える」
と、あまり好きでもないパーティーへの「招待を受けた」つもりだった
と思う。

現に、その後マイケルの参加を危ぶむファンたちの要請で、マイケル
本人の肉声による「お招きありがとう」と言う参加表明の言葉があった。
決して参加を促した一部のファンが言う「マイケルが困っているん
だから、それくらい払わないファンはファンじゃない」などと思った
はずがない。

助けるどころか、このパーティーの主催者がマイケルであるか
のような報道も許してしまい、むしろ、私たちが当初懸念したとおり
彼の評判を大きく落とす結果になったのを、多くの人が憶えているだろう。
そんな(マイケルにとって)微々たるお金でも欲しかったのは、
それをセッティングした人たちだったことは、明らかだ。

私が繋がりを持ちたくないのは、仕方なくそれに参加した人ではなく、
マイケルに会うためにこれを正当化し、このイベントの怪しさを
知りながら「マイケルを助けるため」と公言し推し進めたような人たちだ。
ただ、これらの人々はそのうちに淘汰されると思うけれど・・。

あのイベントでは「騙された」と、マイケル自身が言ったと伝え聞いた。
裁判後、人員を整理した後に広報担当として復帰を許され、マネージメント
まで引き受けていたレイモン・ベインが、この直後に解雇されたことをみても、
そのことに信憑性を与える。

マイケルが消えてしまった今も、その名を使って何か特別な権利が
あるかのように振舞う人もいるという。
消えてしまったこれからも、私の中で最も大事にしていたいものだ
からこそ、これからもこれらの繋がりや関わりについては拘っていたい。


私たちはマイケルに出来る限りのことをしたつもりだった。
裁判所に駆けつけることができなくとも、
折鶴を送ったり、バナーを作ったり、写真を送り、手紙を送り
海外のあらゆる署名活動にも参加した。
それぞれが出来ることを、出来る限りやったつもりでいた。

でも、もっともっとできることがあったのではと思う。
マイケルは決して責めないだろうけど、
ファンに、力を合わせてやって欲しいことが
もっとあったのではないかと。

マイケルが唯一、助けて欲しいとサインを送っていた
あの93年の衛星を通した訴えさえ、「自分たちが信じていれば
大丈夫」と、何もしなかった人たち。

今、沢山の人が考えている。悔やんでいると思いたい。
あの時、マスコミに抗議することを「大人げない」と
言い切った人も、悔いてくれているだろうか。

それぞれの胸にそれぞれの思いを抱えながら、
ゆっくりでも立ち上がり、これからを生きるための何かを
模索しなければ、これからも何も変わらない。
生きると言うことは、選び取ることだ。
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今年もよろしく!

2010-01-03 | 思い・つれづれ
いつもの年とは全てが違う始まりだけど、
何とか明けました(笑)
マイペースの更新になりそうなことだけは、
いつもと同じですが、どうぞ宜しくお願いします。

   

   

マイケルファンの友人から、今年は年賀状を出すことに
どうしても抵抗があって「寒中見舞いで出そうと思うんだけど
変かな?」って年末に訊かれたので、「いいんじゃない」って
答えた私。

本来、寒中見舞いを松の内に出すのは常識はずれだったらしく、
年頭の彼女のブログには、出してしまった人への侘びが綴られていた。
いい加減に答えた私のせいだ・・・;

でも、私たちにとって去年の出来事は特別なこと。
出す時期を逸したわけでも、親族を亡くしたのでもないけど
まだ、あり得ない悲しみの中にいる。
みんな、どうしてる?と心配する気持ちに
「お見舞い」は相応しいと思うのだ。

私自身、Happyという言葉を入れない「New yearカード」にした。
失った思いを書き出したら止まらないので、SMILEの歌詞の一部を
チャプリンに扮したマイケルの写真の上に被せた。
やはり常識破りかもしれない。

だけど、たとえ常識でも、個人的な儀礼とか付き合いに関して、
自分の感性と合わないものはどんどん変えてもいいんじゃないかって気がする。
他人に迷惑さえかけなければ、自分が恥をかくことを恐れなければ。
他人は他人。自分は自分。

宇宙的視野で見れば、私たちの一生なんて瞬きくらいのもの。
小さなことで悩んだり、拘ったり落ち込んだりする時間はない。
(ほかの事ではよくそういう状態に陥りがちな自分だからこそ
思うんだけどね・笑)


毎年この時期には、よその息子さんたちの帰省を知り、
全然帰ってこない自分の息子のことを思って、寂しくなる。
電話かけても迷惑そうだし、物を送っても受け取るのさえ
面倒そうなので、しなくなりつつある。

そんなのも、他人と比べちゃいけない。
自分から変えていくことだと
マイケルだって歌ってた。

私の生き方は、自分に問うまでもなく、
これでいいわけがない。
今年は、そういう意味でも過渡期になる気がして
ちょっと身が引き締まる(気がする)
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