森の中のティータイム

離婚を経験し子供達も独立 
暮らしの小さな発見をノートに。

今更だけど「凪のお暇」のラストに

2019-09-29 | 映画ドラマ
最終回を一週間以上も過ぎて、本当に今更なんだけど「凪のお暇」の最終回は
ドラマ独自のものだったとか。
本来の自分らしく成長していく凪ちゃんが可愛くて、毎回楽しみに観ていた。

変な人を演じさせると右に出る者はいない気がする「高橋一生」と、スナック
の「ママ」を演じた武田真治。一生さんが中学生の頃、下敷き代わりのファイル
ケースに真治さんの写真を入れていたと言うほどファンだったと話していたけど
そのおかげなのか息の合ったやり取りも楽しかった^^

そして凪の母親を演じた片平なぎさの演技が、中でも一番リアルで怖かった。

凪が幼い頃に夫が蒸発したことを隠し、娘だけは自分の「理想」どおり成長する
ことを生き甲斐として生きてきた。そこまではよくある話だけれど、彼女は凪の
天パを「みっともない」と嫌い、日常的に「あんたは何をやらせてもダメで、お
母さんの期待に応えたこともない!」と罵り続けてきた。

「凪」は従順にその母に従って生きてきた。
にも拘らず、娘が良い会社に就職していることを周囲に自慢し、離れて生活して
いても何かと娘の支援を当てにしてきた。しかもその都度自分の価値観を押し付け
「良い」結婚相手を見つけるよう娘に発破をかけ続けた。恐らく自分自身のために。

「シンジ」の母親も似たり寄ったりで、肩書や地位を重視し、親戚や知り合いの前
で見栄を張るために家のゴタゴタを隠し、幸せ家族を装う。思いもかけぬ形でその
二人が、祝いの席の最中に互いの嘘を暴露された時、凪の母親は捨て台詞まで吐い
て、その場を去ることに。

凪はその場で、皆の見守る中、母親に初めて自分の思いをぶつけた。
「お母さんは可哀想。一人ぼっちだもんね。周りに本音で話せる人、誰もいないん
だもんね。私、お母さんのためには生きられない!みっともない自分の方が、私、
生きてて楽しいんだ」

凪ちゃん、よく言った!とここで拍手した人は多いかもしれない。
「毒母」という言葉が独り歩きし、なんでもかんでも「毒母」呼ばわりする子供たち
がいるけど、その殆どが「子を想う心」からのものだと、普通の親たちは釈然としな
いことも多いけど、「愛」がない「言葉」には言霊もない。

だから、この母親たち二人の「言葉」にはいつも棘を感じて悲しかった・・・。
彼女たちは「毒親」と呼ばれても仕方ないと思う。

あ・・仕事に行ってきます。



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マイケルを感じるコマーシャル二つ

2019-09-23 | マイケル・ジャクソン

少し前からテレビで流れている「ニンテンドー Switch Lite 」のCM。
最初は「ん?ABC?」と、またパクリを疑っていたけど、調べてみるとこの曲
イギリス出身のシガーラというDJが手掛けた「イージー・ラヴ」という曲で、
2015年にジャクソン5の「ABC」をサンプリングして全英1位を獲得した楽曲だとか。

ふーん・・。サンプリングだったのか・・。だったら許そう(エラそう・笑)
それと、何のCMだったかは憶えてないんだけど、↓こちらも最近よく観る三浦春馬
君のダンスが印象的なCM。

 

バックダンサー(ほぼ女性みたい)の格好もデンジャラスのアレだし、ダンスの振り
もほぼマイケル・ジャクソンを意識したモノだと思われ・・春馬君の振り付けも誰が
担当したのかな?



ジャケットプレイもさることながら、ポーズもいちいちマイケルだし、ズボンのデザ
インに至っては、その昔兄たちからも笑われたという短いズボンの裾から見える白い
靴下と同様、ダンスの足の動きを引き立てると言う理由から用いた「ライン」入り。

他のアーティストから「ダサい」と嘲笑されたにも拘わらず、それを貫いたマイケル
独自のファッションは、程なくしてマイケルをリスペクトする有名デザイナーさんが
コレクションで発表するや否や、世界中で流行ったという経緯がある。

日本でも衣裳に取り入れたタレントさんは、ジャニーズを始め今も多くいる。
今も何かのCMで国分君が赤のライン入りズボンで出ていて、観るたびにちょっと嬉
しくなる☆ ファンって単純!(笑)

風の強かった台風が過ぎ去り、昼過ぎに用事でコンビニに行ったついでに公園を覗い
てみると、大小の木の枝が沢山折れて散らばっていた。
それを二つ、家に持ち帰ってベランダで洗って干している・・。

 

このままゴミに出されるのは可哀想なので、役に立ってもらおうと・・。
気になる事や悩みがある時は、何でもいい、集中できることをするに限る。
それにしても私の工作で汚れたベランダを、何とかしないと・・(笑)

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我が家の床下には「死体」がある・・

2019-09-19 | 動物
今年の春のこと。近くの山の麓の公園に、散歩がてら姉と桜を観に行った。
私が小学生の頃には春には必ずそこに遠足に来ていたけれど、今は手入れも
行き届かずかなり廃れていて、そのせいで人もほとんど見かけなくなった。

車の通る高架橋から雑木林化した桜を見下ろす場所で、降り積もった桜の花
びらの中心に、何か薄茶色の丸い物体が見えた。  
橋の上から身を乗り出し10メートルほど下にあるその場所を目を凝らして
観ると、それは紛れもない「猫の死体」だった。

最初はあまりにも綺麗にまぁるくなっていたので、眠っているのかと思った
けど、やはりよく観ると死んでいるのが判った。身体の上に幾重にも重なった
桜の花びらに包まれて、不謹慎かもしれないけどまるで絵画のような、本当に
「美しい死体」だった。私は姉に気付かれないように目を閉じ「寒かったね・・」
と呟いてその場を後にした。

その話はあれ以来誰にもしなかった。何でだろう・・できなかった。
誰かに飼われていた迷いネコだったかもしれないけれど、そのまま誰にも気
づかれず、土になるのも良いかもしれないと思った。願わくば、私自身もそ
うありたいと、心の何処かで思っているのだ・・。

「猫の死体」と言えば、もう一つ、なぜか人に言わなかったことがある。
以前、我が家の床下に小太郎が逃げ込んだ時のことを書いたけれど、あの床
下に繋がった押し入れの50センチ四方の穴から、懐中電灯で鳴き声を頼りに
小太郎を探した時のこと。

湿った土(あるいはコンクリート?)の表面に、黒いフワフワした物体が見え
た。咄嗟に「死体だ」と思った。小太郎はその穴の高さからはジャンプできず
私は家の中から小太郎を救出するのを諦め、蓋を閉めて外へ出て、小太郎が侵
入したと思われる破れた通気口の網の近くに小太郎をおびき寄せて、何とか捕
獲した。

でも、あの時は一昼夜かけて救出した小太郎のことで必死だったので、そのま
まその死体のことは忘れていた(というより、考えないようにしていた・・)
新しい死体だったならともかく、それはもう「死体」というより、もはや長い
年月が過ぎ身体が朽ちて無くなった「黒っぽい毛の塊」だったから・・。

だけど、落ち着いてみると、私は奇妙な感覚に襲われた。普通なら気持ち悪いと
感じるかもしれないその死体に、安心感のようなものを覚えたのだ。
私の中に、思い当たるふしがあったからだろうか。その死体はもしかして、あん
なに探しても見つからないままだった「ボク」だったのかもしれないし、「シ
ッポちゃん」だったかもしれないのだ。

小太郎がこの場所で私たちの声や福太郎の声に反応したのだから、彼らのどちら
かも、体が弱った時に安心できるこの場所で体を横たえながら、私たちの声を聴
いていたかもしれない・・・。猫とはそういうものだと本で読んだことがある。

「ボク」はキジ猫だったけど、黒っぽい毛だったし「シッポちゃん」は間違いな
くほぼ黒かった。
そう思うと、この場所で息を引き取っただろうその誰かが、愛おしくてたまらな
い。そして、このまま私の寝る寝室の真下で眠っていてもいいと思えるのだ・・。

彼らが安らかに一緒に居るような気がするから、きっと私は誰にも言わずにいたの
だろうと思う。





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「恋の片道切符」 名曲は廃れない

2019-09-16 | 音楽
長姉が今月、二度も同級生たちとカラオケに行くとのことで、時間内で少しでも
多く選曲出来るよう、「●●とも」になり、歌う曲を登録するのを手伝った。
何と、姉のレパートリーは150曲に迫るほどの曲数だった@@;スゴイ・・

カラオケを始めたのは私の方が姉の後だったけれど、私たちはすぐにPCでメン
バー登録したので、いつも間を置かず選曲でき便利に使わせてもらっている。
当初、嚥下機能を強化するためと、肺を強くする目的もあったけれど、始めてみ
れば何より洋楽を歌えることが嬉しかった(笑)

姉たちと一緒に行った時に、団塊世代の上二人の姉たちとは少しだけ世代が違う
私は選曲に迷い、洋楽も二曲くらいしか歌わなかった。けれど、まだ小学校にも
通わない年齢だった頃のこの曲↓には聴き覚えがあった。

Neil Sedaka - One way ticket (to the blues) - 1959


当時はテレビもあまり普及してなくて、専ら据え置き型のラジオが唯一の情報源
だったと思う。けれども父がいち早く買ってきたソニーの「トランジスタラジオ」で
それは一変した。アンテナを工夫すると、韓国語の放送らしきものに交じって時折
英語のDJの声や洋楽が聴こえてきた。米軍向けの電波をキャッチできたのかもしれ
ない。

暫くして平尾昌明さんなどの「ロカビリー時代」が全盛期を迎えてこの曲も日本語
でカヴァーされ、男の子たちは「チューチューチュータコかいなー」なんて替え歌
を歌っていたっけ(それで憶えているのかも・笑)

先日初めてぶっつけで歌ってみたら、この二ール・セダカの「WOO WOO WOO WOO」
の部分が少しだけズレ気味になってしまった;この人じゃないバージョンだと歌える
ので、多分、凡人には到底歌えない「独特のリズム感」なのだろうと思う。
(マイケルの歌い方でも特に「Jam」でそんな感覚に陥ってしまったことを思い出す)

今聴いてもスゴク新鮮で、魅力的な声と歌い方だと思う☆
良い音楽は不滅なんだなぁ・・としみじみ。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 千葉の台風による停電が長引いています・・。この土日にはこちらでもまだまだ
 真夏の暑さで、エアコンを入れた店内に居ても、熱中症の一歩手前の私でした。
 暑さに弱い方々や小さな子供さん、弱った動物たちにはどれだけ過酷な時間かと
 思います。現場での作業の方々もさぞやお疲れのことでしょうが、一日も早い復旧
 を願っています・・・☆

 
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マウンティング?

2019-09-13 | 思い・つれづれ

内容そのものは正当でも、「心の湖が濁る」気がするので削除しました。
こんな関係のない場所でも、ぶちまけると少しだけスッキリしますが、
批判することにより、自分も傷つくのは何故なのだろうかといつも思います。
読まれた方、お目汚し、失礼しました;
(またやるとは思いますが・・笑)
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大人と子供

2019-09-07 | 思い・つれづれ
近頃ずっと胸の中に鉛のように重いものがある

言葉を相手に渡す前に、「大人」は一応「相手を傷つけないか」考える

それが出来ないのは「自分本位」にしか物事を考えないからだと思う

相手に伝えたいことが、「もしかして相手を傷つけるかもしれない」と考えるなら

「言わない」選択をするのではなくて、誠実に丁寧に自分の気持ちを伝えることが

大事だと思う

それができないなら、年齢は関係なく「子供」のままなのだと思う

それは純粋だという意味の「子供」ではなく

世界が自分中心に回っていると信じて疑わない「子供」であるだけだと



さぁ 頑張って仕事に行ってきます!
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ジャニ―さんのお別れ会

2019-09-06 | マイケル・ジャクソン
先日、東京ドームでジャニー喜多川さんの「お別れの会」が執り行われた。
ここでお別れの会が開かれるのは初めてだという報道を観ていたら、ゲストの
作家「小菅 宏さん」が「ジャニーさんにとって、東京ドームは思い入れのあ
る場所だから」と言っていた。

「元々東京ドームはジャニー喜多川さんにとって憧れの地だったんです。あそ
こは最初にマイケル・ジャクソンがコンサートをやったという・・ジャニーさん
の憧れの人がマイケル・ジャクソンだし」
とも語った。

この作家さんは長い間、ジャニーズについて取材してきた人だそう。

もちろんジャニーさんのマイケル好きは有名だし知ってはいたけれど、あの88年
の初めてのドーム公演には、私たちも行ったので、そうだったのかと改めて驚いた。
その後、ジャニーズとして初めてドームで公演したのが、翌89年一月だという。

それ以前にもマイケルの大阪や横浜の公演では、他の芸能人に交じって最前列に多く
のジャニーズの少年たちの姿があり、あれはジャニーさんの教育でもあったんだろう
なと、思ってもいたけど・・。まさかご自分がそこでお別れされる立場になるとは
思ってもなかったでしょうね・・。

私はフォーリーブス以前の「ジャニーズ」というグループから知っているけど
(あおい輝彦さん・真家ひろみさん・飯野おさみさん?中谷良?さんだったかな)
まだ小学生だったから、姉たちのそれぞれの好みが分かれていたのをうっすら憶えて
いる程度。(トシ、ばれるな・・笑)

ジャニーさんについては大昔から様々な噂は絶えなかったけれど、ワクワクしながら
エンターテインメントの世界を陰で支えて生きてこられたことだけは間違いないはず
・・。
ジャニーさん、どうかやすらかに。憧れのマイケルに会えますように☆

Michael Jackson - One Day In Your Life (Subtitulado)


 

 

 

福兄ちゃんに箱を奪われて拗ねるコタ

 
大き目の箱だと、どうもつまらないらしい

↓福太郎には珍しい、お膝でパッカーンと開いたお腹の図 ^^


(短パンの足には注目しないでほしい・・)
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