森の中のティータイム

離婚を経験し子供達も独立 
暮らしの小さな発見をノートに。

チビ猫のその後

2011-01-28 | 動物
以前、死んでしまったと思っていたチビ猫が戻ってきた時のことを
日記に綴った
が、その後、そっくりの子が3匹いることが判明(笑)
我が家のベランダに、ナナちゃんと一緒に遊びに来ていた子は、
多分、この子↓に間違いないと判った。



今では大きさがナナちゃんの2倍近くあり、チビ猫とはとても呼べない;
ご飯をあちこちでもらっているのか、我が家にはあまり来なくなったし
ナナちゃんも飼い主さんが退院してきたので、取りあえずご飯の心配は
なくなった。

冬の寒さをしのぐ為に、野良猫は自分で精一杯の知恵を働かせ雨風を
出来るだけ避けられる場所を見つけるものだが、シッポを慕ってくる
仔猫が、やや大きくはなったものの、野良教育がなされてないらしく
この寒さの中、駐輪場に住み着いてしまい、こちらはますます心配。


    遠くからの画像を拡大したので画質は悪いです;

周囲3面をトタンのようなもので辛うじて囲み、屋根も壊れかけていて
風がガタガタと音を立てる、特別寒い場所なのに・・。
誰かが座布団をバイクのステップに置いてくれて、深夜その上でうとうと
眠りかけていたところをパチリ↓



最近は、近くに住む人が段ボールの箱を置いてやっているが、地面はかなり冷える。
私もカイロや毛布を持って何度も様子を見に行くけれど、少しの時間でさえ
凍えそうなほどだ。
それを見た後では、とても気持ちよくなんて眠られるはずもなく、
このところ、寝不足が続く。早く春が来ることを祈るしかないのかな・・。


それに比べて我が家の福太郎の生活は・・;
捨てようと片付けていたものを引き摺り下ろしたり
わざと砂をばら撒いたり・・いたずらし放題。




容疑者 福子(仮名)の供述・・・「初めは遊びだったんですけどぉ・・」          
※音声は変えてあります

嘘です(笑)音声はないです


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満ち足りた気持ちでいる

2011-01-27 | 思い・つれづれ
聖書研究をやめて24年近いけれど、今も「ものみの塔」を届けてもらっている。
少し前のこの冊子のタイトルに惹かれ、しばらく読むのをサボリがちだったけれど、
一気に読んだ。

「貧しい人でも満足すれば富み、富んでいる人でも満足しなければ貧しくなる」
というベンジャミン・フランクリンの言葉を引用して
「もっと多くの物を手に入れたい。もっと大きな業績を上げたい
もっと良い生活をしたいといった欲望をかき立てる世にあっては
満ち足りた気持ちでいることが難しい」と前置きされ、具体的な事例にも触れていた。

続いて「今自分が得ている良いものについて、思いを巡らす」ように勧め、
「満足することを知らない友と一緒にいると、満ち足りた気持ちでいることは
難しくなる」とある。

       

確かに。
年末に観た「ホンマでっか」という番組でも、何かを選択する時の人の傾向について
バリー・シュワルツの研究で有名になった言葉「サティスファイサー」と「マキシマイザー」という
二つのタイプに分けて説明されていた。
その時も自分はどのタイプかな~と考えてみた。

もちろんサティスファイサーであれば、自分の選ぶものに満足感を味わうことで、裕福では
ないとしても比較的充実した生活が出来そうだ。  
以前にも書いたように「幸せのボーダーラインが低い」私は(笑)、ある面ではこのタイプだと思う。

ただ、「もっと良いものがあるはず」と思えて常に最高を追い求め、そのため満足感を得られない
タイプの「マキシマイザー」が、常に充足感を覚えることが難しく不幸であるとは限らない気がする。

自分がインテリアが好きなら、その類の物選びは慎重にする方がいいし
車好きなら車選びに。ファッションなら服や靴やバッグ。髪型なら美容院選び。
ジュエリーが好きならそれに。ガーデニングに拘るならその類に。家電好きならそれに拘ればいい。
物によって「自分にとってのマキシマム」じゃなきゃ駄目なものと、「適当」でいいものがあるはずだから
選ぶ時間とお金の掛け方も違っていいと思う。

なーんて、さっきまでゴミ箱ひとつ選ぶのに、ネットに張り付いていた私;
マキシマイザーになるのって、「時間の有効活用」には程遠いな~(笑)

ただ、その人の生活上で最も重点を置くことに対しては、こだわりに拘りぬいた方が得られる幸福感も大きいはず。
例えばそれが芸術であれば、適当な作品などで満足したり、誉められて慢心することの方が怖い。
職人さんならば、技を究めて常に向上心を持ち続けることが必要だし、人の仕事の殆どはそうじゃ
ないかなと思う。むしろ、仕事上では「マキシマイザー」でありたい。


勤めていた時は、通勤バスの中やお昼休みに読んでいた新聞を、
最近は読むのに時間をとられすぎていたので、昨年末に思い切って取るのをやめてみた。
そうすると、テレビ欄やチラシもなくて最初は不便だったけど、選んで観ている(買っている)
と思っていた物が、単に洗脳されていたり「物欲を刺激されていた」だけだったことに気付いたり
読みたいと購入した本が、新聞に載った広告の「タイトルに釣られた」だけだったことに気付かされた。
ただ、別の意味でやはり私には新聞は必要なので、再び取る日も近い予感(笑)

時間の節約や有効活用の方は、もっと奥が深そうなのでいずれまた。
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ラヴェンダーの咲く庭で

2011-01-24 | 映画ドラマ
ブログ友達のyukoedenさんの日記へのコメントに、この映画について書こうと
過去にこちらで書いた(つもりの)レビューを探すも見つからず
ブログのカテゴリー分けが、かなりいい加減だったことに気付かされた(笑)

よくよく調べれば、その時感想を書いたのは友人のサイトのブログで
見つかるわけもなく(笑)、私の日記には少し触れている程度

なのでしつこく(笑)、ここでも自分の記録の為に貼り付け。
あちらに貼ったものよりも、ピックアップシーンのチョイスが良いので
ストーリーが分かりやすいかも。


「Ladies in Lavender」 Royal Philharmonic Orchestra


私のつたない文で、百万字かけて感想など述べるよりも、
この映像だけで、この映画の雰囲気が伝わる気がする・・。
どうかyoutubeから削除されませんよう(笑)

この映画が日本で話題になったのは、イギリスで「ピアノマン」騒動があったため。
映画の上映は本国では終わっていたものの、操る楽器は違えど、ピアニストが
同じように記憶喪失状態でイギリスに流れ着いたとかで、映画のリアル版と騒がれ
大いに話題になった。

この映画の時代の古い家具や調度品、老いても身に着ければ心地良さそうな
綿のレースで作られた寝巻きや衣類。質素でありながら清潔に保たれた
小さな家の様子や、田舎の風景と海辺の景色の何もかもが私のツボ。

何より、マギー・スミスとジュディ・デンチの老姉妹役が良くて
持ち味を生かして演じている。
特に、ジュディの「一度も恋したことがない」という人生に、突然訪れた
ときめきの胸中が、観ていていじらしくも哀しくて。

それらが、美しく物悲しいバイオリンの音色と調和して、
しっとりと心に、さざ波のように押し寄せるものを感じた作品だった。
音楽と映像の結びつきが、この映画の成功の鍵の一つなのかもれない。


昔、特殊な営業をする会社で、同期に入社した女性が心身に不調をきたし、
一緒に辞めることになった。その会社のやり方に心を病みそうになった彼女の
うつ状態を克服するきっかけとなったのは「ヨーヨー・マ」の演奏に心打たれたこと。
その後、彼女から「チェロを習い始めたの」とメールがあり、電話をかけた時の
元気そうな様子に、音楽の及ぼす計り知れない力を感じた。

弦楽器は、優雅さや荘厳、悲しみを表現するのが得意な、繊細な楽器だと
認識していた私だけど、今朝、マイケルファンサイトの MOONWALKER さん
掲示板に貼られていた動画を観せてもらって、これがチェロなの@@と、びっくり。
激しくて力強い「スムクリ」に感動でした!

   *******

ヨーヨー・マと言えば、母の通夜でのこと。
直前に「お母様のお好きな曲がありましたら」と要請があり、
母が好きだと言っていたタンゴの曲を探すも見つからず、
姪が持っていたヨーヨー・マのリベル・タンゴをテープに入れて、
葬儀場の係の人に渡した。

悲しみの席で、なぜか頭出ししていたはずの曲はかからず、姪が好きだった
シャウトするB'z の曲が、会場に大音量で鳴り響いたことが、忘れられない(笑)
言うまでも無く、慌てて係の人の所へ走って行った姪っ子・・。
それで一気に場の雰囲気が和んだことを今でも思い出し、笑える
有難いエピソードだ。
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容疑者福太郎の、犯行現場に残した証拠品

2011-01-19 | DIY・ハンドメイド・クラフト
近頃、また福太郎の布を噛む癖がでて、困っている。
冬のふかふかのファブリック系が、どうにも噛みたい欲求をそそるらしい。

一人ぼっちになる時間には、そういうものをなるべく傍に置かないように
気を付けてはいるけど、皆がいるときにでもこっそりやっている現場を発見。

ある時は、去年作ったデジカメケースが



またある時は、下の娘が高校受験の前、もう病床にあって自分では
縫えなくなった母が、娘のために買ってくれた半纏を。



母の丁寧な手縫いとは違い、姪っ子が選んできてくれた安い品だし
「もう10年以上着たんだから、捨てようよ」と言っても、娘は
おばあちゃんが自分のために買ってくれた最後のプレゼントだからと
断固捨てようとしない。

気持ちは私にもよくわかるので、大きすぎて変だった娘のカットソー
のカーディガンを裏に貼り、破れた半纏の衿をカットして合わせてみた。




ついでに私の古いキルティングコートも半纏代わりにしようと、リメイク。
襟と袖口にあしらったのは、ゴムがゆるくなったドット模様のレギンス(笑)
肌に当たる部分が優しくなって、部屋着としてならOK☆




いつも容疑者(笑)の毛がいっぱい付いてしまう古いカーテンを捨て、フリークロス
として売っていた布を、(本来の用途と違うが)カーテンとして簡単ソーイング。




気に入っていたスタジオ・クリップのマフラーも、ヤラレタ;


で、これもこの部分を隠すように輪っかにしてスヌードにした。
すぐに小物(マフラーや手袋)を落としたり忘れたりする私には、スヌードって、とても便利☆
絶対に落ちないしね(笑)




下に合わせたワンピースは、オールシーズンOK。
初売りのニームで見て「素敵だねー」と姉と話していたら、気付かぬうちに
ラッピングされ、その場で姉から1月生まれの私への誕生プレゼントとして
もらったもの。

先日作ったスヌードを見て「私にも作って」と姉から言われていたことを
思い出し、お礼と言ってはささやかだけど、同じウールの布を使って
肌触りの良い別布と合わせたスヌードを作り、プレゼントした。




誕プレには、他にもカフェセットや誕生石ガーネットのストラップ(携帯ないけど・笑)をもらった。





自分自身では、普段買わない可愛いものを。どちらも100円ショップ、ダイソーで☆



100円ショップではついでに、好きなサイズにカットして使えるキッチンスポンジも購入。



どちらかと言えば、こんなものの方が嬉しい、安上がりな私(笑)
でも、だからって、戴き物は大切にしなきゃね!福太郎くん?


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「ソーシャル・ネットワーク」

2011-01-18 | 映画ドラマ
いつもなら、映画は水曜のレディスデイにしか行かないけど(笑)
先に観に行った娘から、「スゴク面白いよ」と聴いていたし、
映画館のメンバーズカードのポイントが貯まっていたので、
昨日月曜に無料で観てきた。

テンポの速さを、あちこちのレビューでも知っていたので、
「お母さんでも大丈夫そう?」と娘に尋ねると、「多分」と返してきた(笑)
で、大丈夫どころか、充分私にも楽しめたのだ。

その手の用語でまくし立てられるのは、解らない事を質問したときの
プログラマやSEといった職業の甥っ子や息子の返答で、全てを理解できずとも
慣らされていたからか(笑)

ジャスティン(ティンバーレイク)が、ちょっとアブナイ「ナップ・スター」の
創始者役を巧くこなしていたし、音楽も場面に応じての使い方が、私好みだった。
エンドロールのビートルズ「BABY YOU RE A RICH MAN」も、意外だったけど
ストーリーの余韻を味わうには合ってたかな。




そのストーリー。
友人もこれから観に行くらしいので、感想だけ少し。
ビジネスの面では、若い才能を羽ばたかせるためには「資本」が必要だけど
それを利用し、益を得ようとする資本家たちの思惑とのズレで、大抵の場合
「苦味」を味わう結果に終わるのは若い才能の方だと思う。

彼らがそれに屈して、次第に取り込まれていくパターンは、よくあるケースだ。
主人公の「ザッカーバーグ」は屈したわけでも取り込まれたわけでもなさそう
だが、相手を思いやることができない性格ゆえに、確実に大切なものを失った
ということだけは分かっていた。

弁護士?女性がラストで、彼が冒頭で交際相手から罵られた言葉を
否定してくれていることからわかる。
その「asshole」という汚い単語。字幕に集中していたせいなのか、私は
娘から言われるまで全く聴いていなかったけど;

主人公が、実際に映画と同じような「アスペルガー」的性格なのだとしたら、
それは心と言うよりも脳の問題なので批判できないが、もしかして
(或いは自分の息子たちと重ね合わせてみても)この職業にある人たちの
内側で、気付かぬうちに形成されてしまう、特徴的な人格なのかもしれない
とも思えてきた・。

娘から借りて読んだビジネス書《自分の小さな「箱」から脱出する方法》に書かれた、
「箱に入っている」状態と言えるセリフが何度も出てきて、なるほど・・と思わされた。
本によると、気付かぬうちに人の感情というものを無視したり、人を物と同じように
見てしまうことを、「箱に入る」状態と、表現されていた。

ビジネスもプライベートも、詰まる所、人の心のあり方が問題なのだ。
それに気付けば、企業も人ももっと気持ちよくいられるのかも。
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セラフィーヌの庭

2011-01-11 | 映画ドラマ
ブログの記事にしたい出来事は沢山あるのに
毎日がバタバタと過ぎてゆき、そうこうしているうちに
新鮮味も失せていく・・の繰り返し。

受動的な感動という類の感情は、賞味期限も速いなとつくづく思う。
だからこそ、忘れたくない事はその都度何処かに記して、
再び心に刻み付けたいと思うのだけれど。


この間には、古い映画をBSやCSで観たり、レンタルでも何本かの
映画を借りて観た。
その中の一本、「セラフィーヌの庭」というフランス映画は
実在した女性画家の物語とあって、これは一人で観たいと思い
私には珍しく平日の昼間に鑑賞した(殆どは夜観るので)

自分が絵を描いていても、普通の著名な画家についてさえ
ありきたりの知識くらいしか持っていない私は、時代に埋もれた
この画家の名前もその絵についても、当然知識がなかった。




いつも裸足で、やや前かがみに歩くお世辞にも美しいとは言い難い
容姿の主人公セラフィーヌ。
粗野で貧しく家族も無く、時折動物のようにさえ見える女性であるが、
この映画で初めて観た彼女の絵には「魂が宿っている」と一瞬で感じた。

あるときは洗濯女、或いは肉屋の奥で内臓を切り落とし
またある時はお屋敷の下働きとして、朝から晩まで働きながら
それらの場所で黙々と集めた物(川の底の泥や木の実、レバーの血
教会で盗み取った油など)を、せっせと家に持ち帰る主人公セラフィーヌ。

私はここでもう彼女のこの行為が何であるかを、ほぼ直感で感じていて
映画にぐんぐん惹き付けられていった。
彼女のこの行為が、彼女が描く植物や果実の、独特のタッチに必要なものだと
すぐに解る。
深夜、薄暗がりの中でこれらの絵を描く時間だけが、彼女の至福の時だった。


彼女の働く家に、ドイツ人画商ヴィルヘルム・ウーデ(ピカソを発掘し
ルソーを見出した人物)が引っ越してくることから、彼女の人生は激変する。

たまたま見てしまったウーデの嘆きの場で、彼女は言う。
「旦那様、悲しい時は田舎に行き、木に触るといいですよ。
植物や動物と話すと悲しみが消えます」
それは彼女自身、マイケルのネバーランドにあった「恵みの木」に似た木に登り、
空を仰ぎ、神に祈り、様々な苦悩を癒していたから。

あらゆる感情という感情の、どんな小さな片鱗さえも見せず生きる彼女の
初めて見せる人としての優しさ。
ウーデは偶然彼女の絵を見る機会を得、彼女の絵に惹きつけられる。

世に出そうと、支援を申し出るウーデに、初め、「一生懸命働けば、
鍋に神が見えると、聖女テレサが言います」と、受け付けなかった彼女が
次第にその力に頼ることになるのは、恐らく自分の作品が世に出ることよりも
「上から降ってくる」ままに自由に絵を描くのに必要な手段(キャンバスや
絵の具、それを得るための金銭)を得たことの方が嬉しかったからだろう。

しかし、彼女は次第に・・・(ストーリーはいつものように省きますね)

映画の中で、ウーデが彼女に「魂があるからこそ、人は悲しみを感じる
動物は悲しまないだろう?」と言えば、「いいえ、動物も悲しみます
子牛を奪われた母牛は泣きますよ」と素朴な言葉で、けれども力強い口調で
返すとき、私には彼女の胸の奥にある愛情とか悲しみとか
けして枯れてはいない感情の湖のようなものを垣間見た気がして切なかった。


(※ウーデが見出した素朴派とは“素朴”さゆえ、単純、幼稚、遠近感がないと
当初は評価されなかったが、美しい色と素直で純粋なタッチが、やがて徐々に
人気を得たとのことで、彼女の作品もこのジャンルに入るそうです

油絵をやったことがある人にはわかると思うのですが、絵の具とペインティング
オイルだけでは出せない色味や質感とかを、砂や何かの粉末などを絵の具に
混ぜてはあらゆる手を尽くし、自分なりのテクスチャーでキャンバス上に
表現する努力をしたことがある人は多いはず

また、筆に限らずナイフや手の指を使って描いたり、手製の綿棒を用いたり、
表現のための様々な努力をすることも、今では珍しいことではありません)


セラフィーヌがあの時代に独学でやっていたことは、後に多くの画家が
編み出したことと重なり、ただ純粋に魂の求めに従うという行為は
時代や人種も超えて、同じ場所に行き着くのかもしれないと
多くの絵画のようなシーンと共に、深く、それが心に刻まれる。




ラストでは、結末のそれと或いは関係ないとしても、
いつの世であっても、純粋で素朴な魂を傷つけるのもまた
自分を守るためにやむを得ずそうしてしまう人の魂なのだという現実を
突きつけられた気がする。

彼女の心が(精神が)、私たちには例えバランスを欠いているように
見えても、もしかしたら神の眼からは平安の中にあるのではないかとも思えて。
絵を描くということの最も大切な原点に、一気に戻されてしまった・・。
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ご挨拶

2011-01-01 | 動物
えーっと;編集画面が新しいので、お試しです。










   昨年中は、大変お世話になりました。
   今年もどうぞよろしくお願いします☆
コメント (8)