インドでは女性に対する集団暴行が問題になっている。
以前に比べ女性の教育を受ける率が格段に上がったと言われる国で、
未だに女性蔑視が生んだ事件がこれほど起きているのかと、言葉を失ってしまう。
けれども先進国と言われる国においても、夫から妻へ、或いは妻から夫へ
そして時には恋人同士の間にも、「DV」という現実はある。
今日はちょっと重い話だけれども、書き留めておこうとPCに向かう(大袈裟;)
以前NHKで放送されていた「シングルマザーズ」というドラマを観ていた。
沢口靖子演じる主人公がDVの夫から逃れ、子供とともに人生を
取り戻していくストーリーだ。
観ていて思わず胸が詰まったのは、主人公がふとした瞬間に夫の暴力を
思い出しパニックに陥るシーン。
「ひとりママネット」という名のシングルマザーが助け合う小さな集まりに
助けられた経験から、やがて自らも他のシングルマザーたちを助けるまでに
立ち直るのだが、その後でもサークル内の女性の夫でDVと思われる男性に
対してパニックを起こしたこともあった。
そんな中、彼女が初めて自分自身の恐怖と向き合い、我慢し続けていた
過去の怒りの感情をさらけ出すできごとがあり、少しずつゆっくりだが
彼女の内側に痕をのこしていた傷が癒えていく。
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私の夫だった人がDVであることを、人に話せるようになるまでには
やはり何年もの時間が必要だった。
もちろん初めからそうだったわけではなく、夫の場合(後で気づけば
それらしい兆しはあったけれど)ギャンブル依存からそれが始まるま
では子煩悩と言われるほどの人だった。
DVを受け始めても誰にも言えず、夫の言うように自分のどこかを変え
れば暴力が治まるのではと、あらゆる努力をした。
聖書を手に取ったのもそんな時期だった。
けれども天真爛漫な末っ子気質だった私が、いつの間にか「慎重に言葉を選ぶ
女」になっただけで、夫そのものは何も変わらなかった。
「お前が~しないから」「お前が~と言ったから」「お前が~だから」
夫の暴力の理由はいつも「私」。
ドラマでも、仲間の夫だった人に対する主人公のセリフの中に
「あなた(DV男性)は、そうやって自分の言葉や態度を正当化して
いるのではないですか。全てを相手のせいにして」という意味の
言葉があった。
その男性が自分のやったことを過小評価し、相手を悪く言う姿に
ギャンブル依存からDVが始まった私の元夫と重なり、涙が出て
止まらなかった。
「もう限界。 別れてほしい」と言葉にしたとき、私は夫に
何も説明しなかった。理由は相手が一番よく解かっている筈。
そして、姉に来てもらい、初めてDVを明かした。
夫は「何もしていない」と言いつくろったが、天井に張り付いた
「肉じゃが」や散乱した魚、床にまき散らかされた「味噌汁」を
観て、姉は全てを察した。(どれも夫の好物ばかり・笑)
そして実家に連れ帰られた私の背中の大きなアザに、母とともに
「なぜ今まで言わなかった」と涙した。
それまで暗いトンネルの中に居たことさえ気づかずにいた私。
信頼できる誰かに「打ち明ける」ことで出口を見つけられ、
初めて事の
重大さを知った。当の本人がそうなのだから、夫だった人もそうだった
と思う(笑) 多くの張本人たちはそんなものだと思う。
それでも暴力を受けた心の傷は絶対に消え去ることはないし、
全ての被害女性がドラマの主人公のように立ち直ることができるとは思わないけど、
強くなるために「向き合う」努力をすることは無駄にならないと信じる。
「たとえ相手にどんな落ち度があろうと、それが暴力をふるう理由には
決してならない」
主人公が自ら、確固とした信念を持って初めて言えたこの言葉。
DVに苦しみながら自分を責め続けた全ての人に届けたい。
もちろん、全ての「DVを振るう人」にきっぱりと言いたいのは言うまでもなく。
追記:
少しでも思い当たる方は、お近くに(できれば警察以外の)公的機関や
シェルターなどがあるはずなので、ご相談されることをおすすめします。
こちら↑にあげたのはあくまでもサイトに判りやすい説明があるからで、
できればこういった組織よりも費用のかからない機関の方が良いのでは
と、個人的には思っています。