森の中のティータイム

離婚を経験し子供達も独立 
暮らしの小さな発見をノートに。

これからの自分

2010-01-08 | マイケル・ジャクソン
面白いもので、例え自分の考えであっても、他人に話したり
文にしてみたりして、初めて「自分はこう思っていたんだ」と
確認することがある。

昨日、友人との電話でマイケルについて話していて気付いた。
「これからは、もっとマイケル仲間のイベントに参加したい」
と言う友人とは、少し違う自分の気持ちに。

元々あまりそういうイベントに行くのが好きではないのは確か
だったけれど、それでもネットで知り合った方々に会いたくて
可能な限りは参加していた。それも3年前くらいからパッタリ
止めて、一人マイケルファンの日々を送っていた私。

それが、この日記にも書いたとおり、半年前あの出来事が起き
て、自分にファン友達がいることが大きな支えになってくれた。
この事実は恐らくこれからも変わらないだろうけど、だからと
言って全てのファンと通じ合えるわけではないのも事実。

日記に書くのは躊躇われて、胸に仕舞いこんでいたけど、
個人的な思いを書けるのも、私的なこの場だからこそ。
そう言い聞かせて、気の小さい私でも思い切って吐く(笑)

これからの私は、古い新しいは関係なく、
「同じマイケル」を見ていける人との交流を大事にしたい


思えば今までだってそうだった。
私は追っかけそのものを否定しないけれど、例え古くからのファンでも
ただ触れたいという目的だけで近づき、マイケルのことを知ろうともし
なかった人や、「マイケルは貴方たちが思っているよりも、ずっとエ●
いのよ~」などと言い、自分とは全く違う目線で見る人たちとは、親し
くならなかった。

また特定のファンに媚びることで、「自分と同じ、マイケルが大好き
な仲間」という関係ではなくなっていき、まるで上下や位置づけでも
あるかのようなスタンスを採る人たちにも、やはり違和感を覚えていた。

私にとって大切にしたいのは、あくまでも「マイケルのspirit」で
あり、それを分かち合える人たちなのだ。
そういう人たちとは、多分ずっとこれからも友達でいるだろうけど、
無理をして合わない人とのイベント参加は、これからもないと思う。

過去、それがマイケル参加のイベントでもそうだった。
私にとって唯一マイケルに会えるチャンスかもしれなかった
「アートコンテスト」が、特典として付いていた40万パーティー。
でも、参加することはこのイベントがどれだけマイケルを貶めることに
繋がるかを無視することになる。

マイケルの招聘を可能にするために、プロモーター側はマイケルが
喜びそうな、またファンにとっても特別待遇でマイケルと接すること
ができるという触れ込みで策を練った結果だろう。

その金額での開催は、当初企業向けのVIPパーティーだとされていて
マイケルはその翌日に「裁判時に支えてくれたファンにお礼が言える」
と、あまり好きでもないパーティーへの「招待を受けた」つもりだった
と思う。

現に、その後マイケルの参加を危ぶむファンたちの要請で、マイケル
本人の肉声による「お招きありがとう」と言う参加表明の言葉があった。
決して参加を促した一部のファンが言う「マイケルが困っているん
だから、それくらい払わないファンはファンじゃない」などと思った
はずがない。

助けるどころか、このパーティーの主催者がマイケルであるか
のような報道も許してしまい、むしろ、私たちが当初懸念したとおり
彼の評判を大きく落とす結果になったのを、多くの人が憶えているだろう。
そんな(マイケルにとって)微々たるお金でも欲しかったのは、
それをセッティングした人たちだったことは、明らかだ。

私が繋がりを持ちたくないのは、仕方なくそれに参加した人ではなく、
マイケルに会うためにこれを正当化し、このイベントの怪しさを
知りながら「マイケルを助けるため」と公言し推し進めたような人たちだ。
ただ、これらの人々はそのうちに淘汰されると思うけれど・・。

あのイベントでは「騙された」と、マイケル自身が言ったと伝え聞いた。
裁判後、人員を整理した後に広報担当として復帰を許され、マネージメント
まで引き受けていたレイモン・ベインが、この直後に解雇されたことをみても、
そのことに信憑性を与える。

マイケルが消えてしまった今も、その名を使って何か特別な権利が
あるかのように振舞う人もいるという。
消えてしまったこれからも、私の中で最も大事にしていたいものだ
からこそ、これからもこれらの繋がりや関わりについては拘っていたい。


私たちはマイケルに出来る限りのことをしたつもりだった。
裁判所に駆けつけることができなくとも、
折鶴を送ったり、バナーを作ったり、写真を送り、手紙を送り
海外のあらゆる署名活動にも参加した。
それぞれが出来ることを、出来る限りやったつもりでいた。

でも、もっともっとできることがあったのではと思う。
マイケルは決して責めないだろうけど、
ファンに、力を合わせてやって欲しいことが
もっとあったのではないかと。

マイケルが唯一、助けて欲しいとサインを送っていた
あの93年の衛星を通した訴えさえ、「自分たちが信じていれば
大丈夫」と、何もしなかった人たち。

今、沢山の人が考えている。悔やんでいると思いたい。
あの時、マスコミに抗議することを「大人げない」と
言い切った人も、悔いてくれているだろうか。

それぞれの胸にそれぞれの思いを抱えながら、
ゆっくりでも立ち上がり、これからを生きるための何かを
模索しなければ、これからも何も変わらない。
生きると言うことは、選び取ることだ。
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