森の中のティータイム

離婚を経験し子供達も独立 
暮らしの小さな発見をノートに。

マイケル・トリビュート曲 Cry Out of Joy by Akon 日本語訳

2009-07-31 | マイケル・ジャクソン
マイケル・トリビュート曲 Cry Out of Joy by Akon 日本語訳


youtubeにあげられたのを聴いて、和訳して欲しいなと
思っていたら、さっき友人がニコ動で見つけてくれました。
ファンの私たちの思いをも汲み取ってくれたAkon、
マイケルの本当の姿を伝えてくれって曲の中でも言ってくれた
ことが、本当に嬉しい。

マイケルとの曲、Hold my hand も大好き!
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偏見と人種差別との戦い

2009-07-28 | マイケル・ジャクソン
日曜日、スリランカに嫁いだマイケルファンのTちゃんから
私のところにも電話があった。話をするのは何年ぶりだろう!
自宅にも遊びに来てくれたし、東京ドームも福岡ドームでも
一緒にコンサートを見た懐かしい友人。


マイケルが亡くなった直後、彼女の12歳になるお子さんが
通う中高一貫校では(あちらは12歳で中学生になるとのこと)
上級生の呼びかけで講堂に集まりWill you be thereを
歌って追悼したとのこと。

想像するだけで涙が出そうになる。
戦いに疲れ、時にはくじけそうになるマイケルの、神に対する
思いや祈りが、今はより心に響く。

偏見や差別と戦っていたマイケルのことを、私たちファンの中にも
当時はそれとは認めない人たちがいた。
今、多くの人たちが、マイケルが戦っていたのはとてつもなく大きな
壁だったことを知るようになった。

けれどいつどんな時でも、彼は汚い言葉を使わずに堂々と
声を上げていた。敬愛するキング牧師のように、怖れずに
主張した。自分だけのためではなく、多くの搾取された立場の
人たちのためにも。

友人がmixiに貼ってくれたこちらは、ニコ動に
訳があるので解りやすいかと。(ログインしてみてね)

集会映像

Black or white でも、「差別や偏見という壁を
打ち破るんだというメッセージを書いた」と自身がインタビュー
で答えた映像もある。

起こされた裁判が、それと無関係だったとは言い切れない。
彼は間違いなく、黒人が超えてはならない一線を越えたから。
黒人が持ってはならないとされる力を持ったから。

亡くなった直後の日記に、残ったファンは「ある意味戦友
だった」と書いたのは、そういう意味だ。

(余談ですが)追悼の番組で、ナオミ・キャンベルが言ってた。
「彼はとてもシャイなの。悪い言葉を使っちゃダメって、
叱られたわ」って。多分、ナオミがイケナイ言葉でマイケル
をからかったんだと思うけど(笑)

今や彼を慕う多くの人たちが、言葉の壁を越えて
彼への愛を示してる様に見える。世界中のどの国でも。
どれだけメディアが必死になって偏向報道をしようとも
愛のパワーがそれを圧倒する。

ストックホルムでのムーブメント

リバプールでのムーブメント
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マイケル・トリビュート曲 The King Full Stop 日本語訳

2009-07-24 | マイケル・ジャクソン
マイケル・トリビュート曲 The King Full Stop 日本語訳


友人がmixiに貼ってくれてて、涙で字幕が読めなかった。
有名な人でも、そうじゃない私たちと同じ。
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永遠の皆既日食

2009-07-22 | マイケル・ジャクソン
その夜は眠れず、うつらうつらし始めて間も無くのこと
身体の痙攣で突然目が醒めた。
その6月26日の朝、マイケルの訃報を聞いた。
アメリカ時間で25日。

その日から思考を停止したためか、4日間くらいは毎日
短時間だけれども、ぐっすり眠ることができた。
でもやはりそれは長続きせず、その後また前より酷い不眠に
悩まされている。

当然体調は優れず、身体は浮腫み、信じられないほどの
肩の痛みにも襲われる。心の痛みはもっと厄介で、処すべき
方法があるのかどうかも分からない。

投げやりな気持ちなんかではなく、今まで楽しみだったことの
全てが無意味に思えて、どう足掻いても気力そのものが湧いて
こない。
心にぽっかり穴が開いたというのはこの事かと、多分マイケルの
ファンの殆どが、今まさにそう感じているのだろうと思う。

ふらふらと用事を済ませて道を歩いていると、うっかり事故に遭
いそうになったり、つい火の始末を忘れそうになるやらで、慌てて
身を引き締める。こんなんで「後追い」なんて言われたら、子供が
恥ずかしいに違いない(笑)

マイケルのファンの殆どは、後追いなど考えないと思う。
マイケルの思想に反するし、同じ場所に行けないと思うからだ。
でも、この世に生きていても仕方ないような気さえするのは
どうにも否めない。

皆既日食に人々が大騒ぎする中、私には光が二度と
戻らないような気さえする。
太陽を失くしたも同然の私たちに、希望などない。
人は希望なくしては、生きられないのだ。

私の場合、もう子供たちは一人立ちできる年齢だ。
一番心配だった離れて暮らす息子は、先日の電話でも
話す時間さえ無駄そうに「用件だけにして」と言った(笑)

だからと言ってはアレだけど、このまま弱るならそれはそれで
自然の成り行きに他ならない。あるがまま、天に任せようと。


福太郎には娘たちがいるけど、シッポは私が居なければ
生きていけないだろうから、シッポちゃんが生きてるうちは、
何とか頑張らねば。



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もうすぐ3週間経つのですね

2009-07-15 | マイケル・ジャクソン

(このところ、マイケルという名を出して大勢の人が
ブログを書いているようなので、検索に引っかかる事も
少ないのではと、油断してます)

マイケルの死の報道直後から、昔のマイケル友達(彼からは既に
離れた人)より電話が入り始めている。
ある人は泣きながら、ある人は「あなたの気持ちを思うと
すぐには電話できなくて」と言ってくれた。

これまでマイケルについてあまり話したことがなかったはずの姉も、
何度も電話をかけてくる。
追悼式以来泣きすぎて瞼の腫れが引かず、10歳も老けて見える
らしい私を、心配してくれているのだ。
      
私同様に、ファンの一人一人が、まるで身内を失ったかのように、
かけがえのない大切な人の死を受け止められずに、この数週間、
戸惑い彷徨ったと思う。

これが世界中のあちこちで起こっている現象だと、ファンじゃ
ない人は信じないと思うけど、本当なのだ。
昨日は最も親しい仲間の家にも、スリランカに嫁いだファンから
泣きながらの電話があったそうだ。  前の日記に書いた、当時
16歳だった彼女だが、今は30代で子供も居る。

そして、暫く事情があって連絡がとれなかったもうひとりの
大切な友人からも、昨日電話をもらった。
連絡が途絶えても、私たちが一番に分かち合いたいと思った相手
からの電話。
奇しくも2年ぶりのそれが、「マイケルの死」だったことが悔や
まれる。

その友人のアドレスを、母娘でファンだった昔のファン仲間の娘さんが
知りたいらしく、教えて欲しいと母親の方から私に電話があったり・・。
様々な場所で、分かち合いたい思いが、途切れたつながりを無意識
に探り、手繰り寄せようとしている。
これが、世界中にループし、一つの輪のように繋がっていくような
気さえしてくる。


わだかまりや誤解は、全て彼の死によって流され、消え去り、
残るのは彼から受け取った喜びの数々。
思えば、これがマイケルの遺してくれた最も尊い贈り物なのだ。
私たちが、国や年齢や立場を超えて愛し合い、互いを思いやること。
マイケルのメッセージの全ては、そこに行き着くと、今実感している。

マイケルとは、それぞれにとって物理的には遠くても
なぜか誰より近くに感じられる、不思議な存在なのだ。
彼の、様々な人への優しさ慈しみは、それぞれの心に沁み込み
行き渡り、永遠に受け継がれていくと思う。

綺麗事に聞こえるかもしれないけど、不思議なことに同じ様な
表現をして、意外な人々が、心からの哀悼の思いを捧げている。
その多くが、思わず「天使」という言葉を使ってしまうほど、
マイケルという人は、特別な人として慕われていた。




特に私の場合、音楽という媒体を用いて表現されると、殊のほか
琴線に触れてしまうので、堪えきれなくなる・・(涙)

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認めなければならないこと

2009-07-12 | マイケル・ジャクソン
マイケル・ジャンクソンの死を、否が応でも認めねばならない追悼式。

ネット中継以外で生中継を観る事ができなかったことは、私にとって
或いは「良かったかも」と思っていた。
後日 、友人が録画して持ってきてくれた一部始終を見終えて
それが間違いだったことを悟った。

「マイケルジャクソンという存在」は、人々の前から間違いなく消えたのだ。
その死から、様々な憶測が飛び交うけれど、もう彼がそれに苦しむことは
ないし、「眠れぬ夜」はもう「永遠の安らかな眠り」に変わったのだ。

以前からファンの中には、そのファン暦の長さを自慢する人がいた。
たとえ途中忘れていたとしても、その期間を含めて「30年」という人や
マイケルの音楽を聴いたことがあるだけで、そこからファンと証する人も。
それなら私のトシの洋楽好きは略40年近いファン暦だ。
デビューしたときから、マイケルの可愛い声には惹きつけられたから。
教科書に落書きして、先生に叱られたこともあるくらい(笑)

でも、多くのファンクラブメンバーは、私同様ファン暦22年だった。
きっちりそう断言できるのは、87年のバッドツアーで来日した時の
放送を観て、その素晴らしさに魅せられた瞬間を自覚しているから。


でも、本当はファン暦の長さなんて全く関係ない。
年齢も性別も、どうでもいい。
彼を好きならたちまち意気投合し、初めて会った人でも
すぐに友人になれた。同じ映像を見て歓び、協力してビデオを
手に入れ、譲り譲り合い、大人までもがワクワクする特別な時間を
共有した。

協力し合って並び、全てのツアーチケットを手に入れることができ、
新幹線に乗り合わせてコンサートを観るための旅もした。
下は16歳から上は70歳までが一緒に友達として旅するなんて!

やがてネットという便利な媒体が出来たお陰で、簡単に映像も
手に入れられるようになったし、動かずしてチケットもやりとり
出来るようになった。代わりに、少しずつ、ファンの形も変わっ
た。仕方ないことなのだろうけど。

ファンサイトが出来ては消え、残りのきちんとした統率力のある
管理人の所へも、時折「アンチ」が出現しては争いに発展した。
便利さと裏腹にこの手のものが出てくるのは仕方ないけれど、そ
うではない人の中にも、違和感を感じることがあった。

裁判中にはアメリカに飛んだというだけで、何故かエラくなったと
勘違いし、現地に来ないファンを攻撃するような言葉を繰り返す人が
いたり、見栄えの良くない人をあからさまに仲間はずれにしたりと
いうことが、もれ伝わってきたことも。

また、「ファン界での、私の位置づけは・・」などと、意味も
ないことに価値を求めるファンも現れ、一部のファンに媚びる
ファンも出てきた。
自分の求めるものとの違いを感じた私は、ブログを始める時、
この場ではそれらのしがらみを一切断ち切ろうと思った。

もちろん私自身が「マイケル」という人から離れることなどあり
得ないけれど、その名を出すと、検索で知り合いのファンに見つ
かるという懸念から、これまで一度も名前を出さずにきた。
そう、亡くなった直後のあの日まで。

でも、その名抜きで自分の生活を語ることが、どれほど困
難なものか、このブログを綴り始めてすぐ気付かされた私は、
以後、その人とかスーパースターという呼び方で日記に綴った。

それくらい日常に「マイケル」が沁み込んだ中で育った娘が言う。
「お母さんたちほどのファンが行かんなら、誰が追悼式に行くん?」
確かにそうも思う。

チケットを手にしたのは、必ずしもファンばかりではなかったかも
しれない。
でも世界中には私たち同様、行けずとも「心が」その場にいたファンが、
大勢存在したことも事実だ。


スピーチやパフォーマンスはほぼ黒人で固められ、彼の人柄を語る
人たちの感動的な言葉にも涙したが、とりわけ胸にこみ上げたのは
その合間の僅かな静寂の中で会場のファンが「Michael,I love 
you!」と叫ぶとまた別のファンが「I love you more!」と
返すシーンだった。

これはファンなら誰もが知っている、マイケルとファンが交わした
お決まりのやり取りなのだ。
彼はいつの時代もファンに優しかった。
優しすぎて勘違いする人もいたくらい。
しかし何年経とうとも、スターに有りがちな「ファンとの特別な関係」
など結ばないことも、私がマイケルを好きな理由のひとつだった。

この追悼式全てを観ることによって、私は彼の死を受け止めることが
できた。でも、これからも変わらず心の中に彼は存在し続けるし、
誰かのようにファン暦を数えたいなら、これからも一年一年増えてい
くのは確実だ(笑)

大切にしたいのは、きらめくような思い出だ。
私たちは共に裁判の勝利を願ってキャンドルに火を灯し、
メールでエールを送り、無実の主張に署名し、絵を描き
写真を送った。
また、報道の不正確さに抗議し、テレビ局にメールを送り
本番中にも何度も何度も電話で抗議した。

けれど、それは悉く無視され一蹴された。彼が死んでしまう
その日まで。
裁判中、私が分厚い封書で裁判の詳細をコピーして送ったO氏が
先日、番組の中で「マイケルジャクソン裁判」を読んだという。

彼ははじめて知ったことのように「彼はメディアにかなり叩かれたん
だねー」と、まるで他人事の 様に言った。
自分たちがその片棒を担いだことには気付いていないのだ。
どちらにしても、もうマイケルは帰ってこないが、追悼式に
バーバラ・ウォルターズが出席していたことが、彼女が同様の番組作り
を批判し降板したことを今でも悔いていないという証明だと思った。

ただ悲しく気の毒なのは、純粋な「新しいファン」の人たちに
二度と生のステージでの彼を見せてあげられないことだ。
彼らに「伝説」を伝えて欲しかった。
コメント

サンシャイン スマイル

2009-07-07 | マイケル・ジャクソン


コメント

静かな「とき」の中で

2009-07-02 | 絵・アート
 
テレビでは連日、「日本で一番、彼を知らない男」が出てきて
生きている時と変わらず、デマばかりを撒き散らしています。

一方で、
真実の彼を知っている人たちが、未だ悲しみが押し寄せる前の、
静かで不思議な感覚の時間を過ごしているというのに。

彼がどうしてこれほどファンに愛されるのか、
そうでない人たちには理解できないかもしれません。
「メディアの流す醜聞まみれの人」と、「私たちの知っている彼」
とが、あまりにかけ離れすぎていて。

誰もが認める「類まれな才能」だけなら、これ程、痛みが大きい
わけはありません。
一人の人間として、彼は、本当に愛すべき人でした。


成人した男性に、このような表現はおかしいのかもしれないけど
「チャーミング」な人でした。

恥ずかしがりやなのに気が強いところもあって
好きなものは頑固に守り続け
情にもろく、ゆえに騙されやすく
子供のようだけれど、頭の切れる人

22年の間彼を見てきて、ずっと変わらず
「愛らしい人」のままでした。
 
彼は、私の絶望のときに現れた「光」でした。
そして、彼から沢山のものを貰いました。
3人の子供と共に生きる勇気を
もちろんその才能がもたらしてくれる感動と歓びを
そして何より大きかったのが、
「人生を分かち合える友」を得たことです。

去ってしまった人もいるけれど、でも今でも友人です。
残っているファンは、ある意味「戦友」だったかもしれません。
最後の日まで、「偏見」という敵と、一緒に戦った・・。




この絵は今も海外ファンの画家さんのサイトに
掲載されているようですが、メールで許可を求められたのは
掲載のだいぶ後でした(笑)
大好きな「手」です。
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