森の中のティータイム

離婚を経験し子供達も独立 
暮らしの小さな発見をノートに。

おさんぽマルシェ PART2

2010-04-26 | 雑貨インテリア
(PART1からの続き)









こちらはイギリスアンティークなのに、3万以下。お買い得☆



懐かしい、ロイドルームチェア



手作りのため8000円と安いが、我が家にはちょいデコラティブかも;





クッキーやプレートのカフェご飯、手作りパンなども販売。




でも、私たちがご飯を食べた場所はテントの裏手(笑)


本格カフェのバールが出てたので、売り物のアンティークの椅子で
コーヒーを頂く。



生ジュースのスタンドも



ワンちゃんもお疲れ?



姉が買った中の一つ、カナダ人の家具職人さんが作った素敵な棚が、たった1500円@@;



私が買った別の手作り家具作家さん作60センチ四方くらいのこの棚は、何と3000円!



他にはこれだけ。





アルファベットはネット上では売り切れていたため、買い足し。
欲しくてサイズを探していた真鍮の取っ手は、愉快な業者のおじさんに
2個100円にしてもらい、大好きで集めている古いはさみは、5百円♪
もちろん、ちゃんと切れるか確かめて。
木製の棚受けは、白ペンキがちょっと剥がれていたので500円を400円に。
こんな風に、ちょっとだけ値切るのが蚤の市らしくて楽しい。

木のくりぬきトレーが欲しくてずっと探していたけど、高くて手が出な
かったので、お手頃な値段のものを見つけてゲット。
これが一番嬉しかった♪

「買わない習慣」(前々回の日記)には、反してないよね?
と、一つ一つ自分に問いながら(笑)
4時までなんてちょっと短いと思ったけれど、これ以上居たら
やはり衝動買いしそうだから、ちょうどいいかも。

去年の9月に来た時は、楽しむ気分じゃなかったことを思えば、
これくらいで元気をもらえるなら・・と、自分を許してやらねば。

帰りはレンタルサイクリングに来た娘たちも合流して、
姉の車で九州最北端?の海辺までドライブ。



程よく疲れて、いい一日だった。
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おさんぽマルシェ PART1

2010-04-26 | 雑貨インテリア
日曜日、年二回開催される「おさんぽマルシェ」に行った。
めずらしく体調も良く朝早く洗濯を済ませ、猫にご飯をやり
休日で朝寝坊中の娘達の朝食の仕度をして、家を出た。

晴天に恵まれ、ラフィアの帽子を被るにはまだ早いかもと
ためらったが、やはり丁度良いくらいの気温。
20分歩いて駅に向かう。

JRの駅を二つ先で降り、イベント会場へ。
近づくにつれ、何だか派手なテントがいっぱい見える。
おさんぽとか蚤の市とか言うより、祭りだな・・って感じ;
明らかにこれまでと違う規模になっていて、びっくり@@
後で来る予定の姉と、合流できるか不安になる。



以下、来られなかった友人が見たいというので、
ひたすら写真のアップですが(笑)、良かったらどうぞ。










 
マルシェカゴもいっぱい



土地柄、昔から多い古い西洋アンティークたち



古い楽譜





アンティークレースの子供服

















( PART2へ続く)

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元クリントン大統領 ?

2010-04-23 | 番組
昨夜。
私が食事の後片付け中、滅多に観ない「ゴチになります」を
観ていた娘たちが爆笑していた。

訊けば、ナレーターの男性が
元クリントン大統領・・云々」と、解説したとか。

そのまま何事もなく進行していく番組をよそに
「なら、現クリントン大統領も、居たりしてー」
などと、嬉しそうにテレビに突っ込んでいる。

恐らく彼は
クリントン元大統領と言ったつもりだと。
多分。


でも、もしかして。
今、アメリカには
「クリントン大統領」というポジション
存在するのかもしれない。
なんてねw

こういうの大好きな一家なんです(笑)
ぐるナイさん、楽しませてくれてありがとう♪

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買わない習慣

2010-04-19 | 雑貨インテリア
家具などは最小限に抑えて、「シンプルな生活」を心がけてきたつもりの私だが
収納場所の少ない分、ちょっと油断すると、家族の衝動買いや戴き物の類に
いつの間にか狭い部屋が少しずつ侵略されていく。

私自身も雑貨が好きで、これだけは今も衝動買いに陥りやすく、
それらを、泣く泣く処分しなければならなくなると、罪悪感に苛まれることに。

これまで、「少ないもので豊かに暮らす」とか「持たない暮らし」を提案した本は
何冊か読んだし、消費一辺倒だったバブリーな時代への反省ともいえるこの傾向には
もちろん共感できる。

けれども、「捨てる技術」などと言われると、ちょっと考え込んでしまう。
それは私の目指す「脱・消費的生活」とは、ちょっと違うのではないか。
「丁寧に生きること」とも、どこか違うのでは?と。

なので、「買わない習慣」という金子由紀子さんの本を読んだときは、
「私が思っていたのはこういうこと」と、即納得できた。
最初から買わなければ「捨てるストレス」も感じなくていいのだ。

全くものを買わないで生きていくのは、もちろん不可能だが、
この著者が提案するのは「つまらないものを買わない」という生活習慣を身に着けること。
何かといえばコンビニを利用することの多い現代の若者にとっては、これがかなり難しいのだが
弁当男子や水筒持参の会社員も、少しずつだが増えている。(娘たちもそうだ)


私たちは、買わなくていいものを買っていないだろうか?
自分の生活をじっくり見つめてみると、小さな無駄や身体に良くない嗜好の多いことが分かる。
どんな小さなものでも、買う前に少し考えると、いろんなことが見えてくる。

モノを買わずに互いに分け合うことなどで、今まで煩わしいと排除してきた
人とのかかわりや人との繋がりの大切さに気付くかもしれない。
買うものも、これまでより慎重に選ぶことで、大事に扱うかもしれない。

そして、必要なモノを、自分で作れるなら作ってしまおう・・という、
人として最も自然な営みを思い出させてくれるかもしれないし、
また捨てる前に、手を加えれば再び使えることもあると知る。


「買わない」という選択は、必ずしも「貧しい生活」を意味するわけではないこと。
今、持っているものを大事にすることで、モノや流行に振り回されない生活を
手に入れることもできるということ。
「お金は、自分を豊かにしてくれるモノ(こと)にこそ遣おう」という提案が、
この本の、最も言いたかったことだろう。

人の基本に立ち返り?私も下手な大工仕事で、小さな棚を作った。
材料費は1000円弱♪ 買うよりジャストサイズだし、何より楽しい♪





余った材木で・・これも作り替えた。




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午後の憂鬱

2010-04-13 | 絵・アート
このところ、「今日こそ外に出よう」と思いながら
何だか毎日のように午前中をだらだらと過ごしてしまい、
午後は面倒になって決心が鈍る。

デッサンをやり直そうと、古い絵のコピーを出してみる。
この絵を描いた頃はまだパステルに慣れてなくて、
今見るとあちこちやり直したくなるけれど、
あの頃はまだまだやる気もみなぎっていたな~とか、
懐かしく思い出してしまう。





96年の福岡ドームで、それまで描きためた絵と一緒に
側近だったウェインに預けたけれど、マイケルは観てくれただろうか。
贈り物はいっぱい受け取るし、ライブ前だったから無理だったかもしれない。

でも、ウェインが一枚一枚感想を言いながら見てくれ、
あとで必ずマイケルに渡すからと約束してくれただけで、
私は大満足だった。
ただ、友人たちから促されなかったら、とても一人では渡せなかったと思う。

その友人の一人が、やはり遠い昔、この絵のほか数枚を
当時海外でも一番大きかったファンサイトの掲示板に貼り付けてくれたことがある。

「Sooooo Beautiful!!」とか「AMAZING」とか、優しい海外のファンが
いっぱいレスを書き込んでくれ、中には「買いたいけど、買えるの?」と
言ってくれた人もいて、メールも沢山戴いた。

海外ファンと思しき人に、自分が出版する本に載せてもよいかと問われ
何も分からない私は、ただただ「絵は言葉の壁を越えるんだな」と嬉しくて、
承諾のメールを出した(と思う・笑)
あれは一体どうなったのだろう?

その後も、某画家さんが主催する海外のアートサイトに、私の描いた
他の絵が無断掲載されているよと知人から教えられ行って見た。
当時、友人のサイトのカテゴリーのひとつだった私のギャラリーから、
幾つか選んで持って行ったというその画家さんからの英文メールが、
予想外にとても好感が持てたし、見てくれる人のコメントも嬉しくて、それも快諾(単純です;)

「あの来日イベント」の趣旨に反対した自分には、「あのアートコンテスト」には
もちろん出品するはずもなかったけど。
今となっては、一番見て欲しかったマイケルに見てもらったと信じたいが
こればかりは分からないまま。

ただたとえ見てもらったとしても、マイケルはデフォルメされたアニメっぽい
イラストとかゲームキャラっぽい画風が好きだったし、恐らく友人の言う
「そういうセンスがちょっと違う」から(笑)、気に入らなかったかも。

マイケルの服のセンスや猫足の家具などの好みは、
何かとシンプル好きな私とは、こればかりは合わなかったな~(爆)
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夜の桜に想う

2010-04-05 | マイケル・ジャクソン
先週だったかな?
日テレの情報番組「スッキリ」では、マドンナのツアーライブ前の
リハーサルの様子を、少しだけ取り上げていた。

マドンナもマイケル同様、自分のライブに関して高い自己基準を定め、
いつもとても真剣に取り組むことで有名だ。 この日の映像でも
イメージどおりにステージを作りあげようと、懸命な様子が見て取れ、
その迫力には圧倒された。

けれどマイケルと決定的に違っていたのは、「あなたのせいよ!!」
みたいなセリフが、スタッフに向けてバンバン飛び出していたこと。
これもマドンナらしくて私は嫌いじゃないけど(笑)。

ただ、いけないと思いながらつい比べてしまうのがファンの悪い癖で、
これまでマイケルのメイキング映像を見る限り、(もちろん映画に
なるはずじゃなかったあの「TII」の中でさえも)
マイケルは決してこのような言葉を、他人に浴びせることがなかったという
ことを再確認してしまった・・。

   ・・・・・・・・・・・・・・・

先日、オプラの番組でジャネットが、「マイケルの処方薬依存」について
語ったらしい。
「家族は何度もやめさせようとした」けれど、マイケルが認めなかった
という。

もちろん、過去にも痛みに対して処方された鎮痛剤などの、
合法的薬物への依存があったことを、マイケルは認めているが、
その後ずっと依存が続いたとは考えにくい。
でも「TII」公演が発表された時や、それ以前40万パーティーで来日した時の彼は
確かにハイテンションで、以前の彼とどこか違っていた。

それでも、薬が変えうる範囲を超えて本質的なものは変わらないことを、
映画がハッキリ証明している。
何も知らない人は、本来の姿よりちょっとハイな彼にさえ、
傲慢さや横暴さのかけらも見つけられなくて、ただその姿に感動したのだ。

これはある意味、マイケルという人が「心底高潔な魂の持ち主だった」と
いうことの証明じゃないかな・・。
もちろん薬物に依存すること自体は、賛成できないし悲しいことだけど
それが「最後のあの薬」に結びついたとは、どうしても思えない。
彼はそんなバカじゃないはず。



満開の
桜の下に
君亡き春の
夜空を仰ぐ

舞い散る千の花びら
儚き夢の
かけらの如く

うつくしくしづかに
わが身を宥め
降りそそぐ

(娘が撮った写真があまりに幻想的で、つい下手な詩まで;笑)

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「悪魔のように踊り、天使のように歌う」マイケル

2010-04-01 | マイケル・ジャクソン
タイトルの言葉を誰が言ったのかは憶えていないけれど、
大昔、「アーティストとしてのマイケル・ジャクソン」を
アメリカの新聞が表現した言葉だ。

もちろんマイケルを知る人の殆どは、彼そのものの性格が
「悪魔的」なものとは対極にあることを分かっている。
この場合の「悪魔」とは恐らく、一度目にしたら逃れられないほど
「魅惑的」だという意味だろう。

彼が一旦踊り始めると、間違いなくその魅力の虜になるのは、
「悪魔に魅入られたような感覚」と表現した方が、ぴったりくる。

悪魔と言えば、2000年代に入って●ニーのトミー・モトーラを
悪魔に見立て角を描いたプラカードを、ファンから手渡されたマイケルが、
それをバスの上で掲げた画像が、出回ったことがある。

当時、マイケルが大きな集会を開いてまで訴えてきたことは、
ファンの中にも疑問視する人が多く、中には集会のために現れるマイケルを、
イギリスやアメリカまで追っかけながらも、その言い分自体には批判的で
「対岸の火事」とまで言い切った人もいた。

けれども、フリーメイソン関係の本が書店にたくさん並ぶような今では、
マイケルのファンサイトでも、「マイケルは既にあの当時から、
このような組織と戦っていたのでは?」という内容のスレッドが立っている。

あの忌まわしい6月の出来事から一ヶ月くらい後には、
これまでタブー視されていた「ある組織が企てた陰謀によって
マイケルは殺された」という噂が、ファンの間に広がっていた。

私たちはあの裁判の最中にも、様々な不条理と不公平さに
一地方検事や判事の権限を越えた、「不気味な力」を感じていた。
重要な証言が全て取り上げられず、反対に相手方の辻褄の合わない証言が
同情的に真実であるかのように報道されることに憤っていた。

今日拝読した、こちらのブログで取り上げてくれている裁判初めのラリー・キングの
重要証言についても、当時USレポートでいち早く知り、心底腹立たしかったことを
憶えている。

当時のスケトウダラ(ラリー・フェルドマン悪徳弁護士を、93年事件から
仲間内ではこう呼んでいた;)が、ラリー・キングに漏らしたことがらは
事件の核心に触れる重要な内容だった。にも拘らず、判事が陪審員の前で
キングに証言させなかったことについて、こちら「マイケルのココロ--
FOREVERLAND」さんが分かりやすく説明してくれているので、興味のある方は
ぜひご覧になって欲しい。

ラリー・キングは、長い間報道ライブのホストを勤める、ある意味公的立場の人
だけれど、番組での彼からはいつも、相手から核心に触れる事柄を引き
出したいという強い意図を感じられ、視聴率稼ぎのために大衆の好奇心に
阿るというアリがちなワイドショー的スタンスとは、少し異なる立場をとっている。

時には相手に釈明させる機会を与えてやりたかったり、自分が知っている
事実を相手の言葉で引き出し、視聴者に判断させようとするスタイル。

例えば不可思議なクリス・ブラウンの、リアーナへの暴行事件で、
保護観察処分になったクリスがゲストだった日。

クリスがそれまで品行方正であったことを、正直そうな彼の母親に話させ、
その母親の所に何故か事件後もリアーナが通っていることを明らかにした上で、
「なぜあの日、そのような事態になったのか」という質問をした。

クリスが事件について当初無実を主張した後、一転して罪を認め謝罪したにも関わらず、
「全くその出来事を憶えていない」という証言を引き出すためだったと思う。
あいにくその日の番組では、クリスは心機一転頑張ることを伝えるために 
出てきたようで、けんかの理由も語らず終始謝るばかり。
ラリー・キングは最後まで、この不自然な一連の出来事に納得できない様子だった。

クリスはいわずと知れたマイケルの信奉者だ。
いつも謙虚で好ましい青年だったし、こちらで昔リンクした曲を聴いても
明らかなその才能は、どんな人も認めざるを得ない。

なのにあの事件以来、彼は口を閉ざして真相を語らないし、メディアにも
余り露出せず、マイケルの葬儀でも会場の隅にぽつんといたらしい。
逆にリアーナは以前より強かに振舞い、実力以上の賞も沢山受賞した。
マイケルの大ヒット曲を作ったR・ケリーの逮捕劇も記憶に新しい。

一体、彼らは何と引き換えに?という疑問が、私の中で頭をもたげる。
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