去年と同じく今年も行けなかったなぁと思っていた「新緑の森」へのドライブ。
少し遅かったけど、先日行くことが出来ました☆
ひとつ前の日記でピクニックに行ったと記したのはこのダム湖「河内貯水池」のことです。
今回は幼い子を連れているので、まさか例年のように大きな池の周りを一周する
なんて思ってもみず、普段家に縛られている状態の娘の希望による、まさかの長
距離ハイキング?となりました。
姉が作ってくれた「ホタテ入りおむすび」が美味しかったです♪

ハモやモズクの入った柔らかバーグも美味☆

景色の良さが何よりのご馳走です☆

ベビー用虫よけを塗られたふうちゃんも、持ってきた離乳食を完食^^

デザートが済んだら出発!







池のほとりには大きな建物の跡が幾つかあり、その殆どが今は閉鎖されているようです。


↓中央あたりに見える黒っぽいロープのようなものは蛇;


水辺を見下ろす形で撮る写真が多いのは、そういう場所が好きだからでしょうね(笑)



この木にはたくさんの蝶がいました(見えるかな)




ふうちゃんはご機嫌(笑)





木漏れ日は、コンデジでは巧く撮れないのかな(いいえ腕が悪いんです)










石造りの堰堤(上が橋のようになっていて、渡ることができる)まできたら、
ようやく出発点に到着できます。そこから観るダム湖側とダムの下流側。

見下ろすと、そこにも小さな池が。


渡り終えて少し上り坂を行くとゴール(出発点)☆
姉と私の娘と私、大人三人は思いっきり森林浴を満喫!


ふうちゃんもお疲れ様~(でもずっとベビーカーの上だから・笑)
タイムリーにも先日この河内貯水池を、地元のテレビ番組が取りあげていました。

北九州の歴史遺産でもあるこの石造りの建物は、昭和二年、ライン川のほとりに浮か
ぶお城をイメージして作られたそうです。



様々な都市伝説もあるようですが

何より印象に残るエピソードは、これを任された八幡製鉄所技師だった沼田尚徳さん
にまつわるお話。彼の美しさへのあまりの拘りに、8年もの工期がかかり、こんな余
計なことをしているからと批判も出たそうで、それでも沼田さんはひるまなかったと
のこと。
結局、この工事のために一人の死者も出さずに済んだけれども、彼の家族は次々に病
に倒れ、工事の完了と前後して妻もこの世を去ったということです。
彼は貯水池を見守る高台の土地を自費で買い求め、妻への感謝を込めた慰霊碑を建て
たのち、全ての職を辞したとのことでした・・・。

栄光の影には、尊い家族の犠牲が払われていたのですね。
この湖の底にはそういう様々な悲しみも一緒に沈んでいるのかもしれません。
少し遅かったけど、先日行くことが出来ました☆
ひとつ前の日記でピクニックに行ったと記したのはこのダム湖「河内貯水池」のことです。
今回は幼い子を連れているので、まさか例年のように大きな池の周りを一周する
なんて思ってもみず、普段家に縛られている状態の娘の希望による、まさかの長
距離ハイキング?となりました。
姉が作ってくれた「ホタテ入りおむすび」が美味しかったです♪


ハモやモズクの入った柔らかバーグも美味☆


景色の良さが何よりのご馳走です☆


ベビー用虫よけを塗られたふうちゃんも、持ってきた離乳食を完食^^


デザートが済んだら出発!














池のほとりには大きな建物の跡が幾つかあり、その殆どが今は閉鎖されているようです。




↓中央あたりに見える黒っぽいロープのようなものは蛇;




水辺を見下ろす形で撮る写真が多いのは、そういう場所が好きだからでしょうね(笑)






この木にはたくさんの蝶がいました(見えるかな)








ふうちゃんはご機嫌(笑)










木漏れ日は、コンデジでは巧く撮れないのかな(いいえ腕が悪いんです)




















石造りの堰堤(上が橋のようになっていて、渡ることができる)まできたら、
ようやく出発点に到着できます。そこから観るダム湖側とダムの下流側。


見下ろすと、そこにも小さな池が。




渡り終えて少し上り坂を行くとゴール(出発点)☆
姉と私の娘と私、大人三人は思いっきり森林浴を満喫!




ふうちゃんもお疲れ様~(でもずっとベビーカーの上だから・笑)
タイムリーにも先日この河内貯水池を、地元のテレビ番組が取りあげていました。


北九州の歴史遺産でもあるこの石造りの建物は、昭和二年、ライン川のほとりに浮か
ぶお城をイメージして作られたそうです。






様々な都市伝説もあるようですが


何より印象に残るエピソードは、これを任された八幡製鉄所技師だった沼田尚徳さん
にまつわるお話。彼の美しさへのあまりの拘りに、8年もの工期がかかり、こんな余
計なことをしているからと批判も出たそうで、それでも沼田さんはひるまなかったと
のこと。
結局、この工事のために一人の死者も出さずに済んだけれども、彼の家族は次々に病
に倒れ、工事の完了と前後して妻もこの世を去ったということです。
彼は貯水池を見守る高台の土地を自費で買い求め、妻への感謝を込めた慰霊碑を建て
たのち、全ての職を辞したとのことでした・・・。


栄光の影には、尊い家族の犠牲が払われていたのですね。
この湖の底にはそういう様々な悲しみも一緒に沈んでいるのかもしれません。