森の中のティータイム

離婚を経験し子供達も独立 
暮らしの小さな発見をノートに。

痛恨のミス

2014-09-24 | 思い・つれづれ
二度目の社会復帰して一か月半経ち、ようやく少しだけ慣れたこの頃。
休日だった先週のある日、行きたかったカリグラファーズ・ギルドの
作品展
に行ってきました。

やはりギルド会員さんの仕上げられた力作だけあって、絵画的要素を含んだ
見事な力作ばかりで、大いに刺激を受けました。
カリグラフィーで表現されたそれぞれの言葉の意味にも感銘を受けましたが
中でも私が読み進めることを断念してしまった「失われた時を求めて」の著者
マルセル・プルーストの言葉「発見の旅とは、新しい景色を探すことではない。
新しい目を持つことなのだ。」が、強く心に響きました。

          
          会場で戴いたカリグラフィーの栞


お陰で休み明けはいつもより少しだけリフレッシュして、仕事に取り組むこと
が出来た筈が・・
何故かここ数年で一番の、落ち込む結果を生むこととなりました。
しかもなぜそうなったか、いくら考えても私には覚えがないのです。
失敗してもミスの原因がわからなければ気を付けようがありません。
そのことがミスをしたことよりもずっと怖いと思う私は、同僚が代わる代わる
慰めてくれても未だ浮上できずにいます・・。

上司からいつものように厳しく注意された方がまだ気が楽だったかもしれません
が、皆にもよくあるこれまでの小さなミスの時と違って「報告書」と「反省文」
を書くと言うことのほか、直接の注意はありませんでした。けれども上司にも
迷惑をかけたことは確かですから、こちらとしてはより申し訳なく・・・。

数日前には「もう僕は辞めるかもしれません」と27歳の男子同僚から言われ
私と一番近い年令(と言っても7つも若い)の女性と二人で話を聴いた時にも
やはり上司から叱られたことが原因でしたが、「叱ったりされるのは貴男のこ
とに期待しているからよ!」と諭したものでした。
それは決してその場しのぎの慰めではなく、心からそう思うからでした。

なので、今回はかなりへこんでいるのですが、(やはりとっさの判断勝負の仕
事を、若い人たちと肩を並べてやらねばならないことに無理があるのかなぁと
思わなくもないのですが)汚名返上のチャンスをもらえそうなのでもう少し頑
張ろうかと・・;
以前から「休日を増やしてください」とお願いしていたシフトに、来月からや
っと変更可能だそうで、それが少しだけ嬉しい私です☆

コメント (7)

花子の変化

2014-09-10 | 思い・つれづれ
少し前からとうとう戦争に突入した朝ドラ「花子とアン」

知らず知らずのうちに時代の波に飲み込まれていく花子や妹とは対照的に
その過激な発言により白蓮こと蓮子が国家に目を付けられることを恐れた
花子。それを蓮子に注意すると、「わたくしを誰だと思って?」ときっぱ
り言ってのけたその時、ふたりの友情は終わりを告げたかに見えた。

恐らくこの先、花子たちも戦争の本当の残酷さを知ることとなるのだろう
けれど、ラジオのおばさんを辞めた時点で既に花子は「子供たちにまで戦
意を煽ることの危険性」や自分の思想と相いれない矛盾点に気付いていた
のだと判る。蓮子とその夫の「一日も早く戦争をやめて平和国家を目指す
べき」という、他者に影響を与える立場にある者の「強い意志を貫く尊さ」
を知る日も近いのでは・・と思う。

さて、先日の安倍内閣の新たな組閣構成を観て、私はこの面々に「あの時
代」の危険をはらんだ臭いを感じてしまった・・。また、いくら女性を起
用することを一つの目玉としていたとは言え、「あの」高市氏を望む人が
いったい国民にどのくらい居るのだろうかと、そちらも首を傾げたくもな
る・・。


そう言えば、今朝チェックした竹田圭吾さんのツイッターからどなたかの
発言の中のリンクよりこんな「まとめ」に行きつくことに・・。
せっかくの休みだけど、家事を済ませた後子供たちの将来にふと感じた不
安が頭から離れない・・。



  被り物好きなふうちゃん、取った後のアタマが金正日氏になってて笑えます。
           

コメント (2)

私の仕事遍歴(笑)

2014-09-05 | 思い・つれづれ
独身の頃勤めていた会社経理は、ある意味生真面目な私には向い
ていたかもしれないけれど、もうやりたくないと私自身は思っていた。
夫と別居後一番初めに就いた写真屋での仕事は、接客と写真作成する
ラボの機械操作が半々で、当時の機械はちょっとしたコツで写真の仕
上がりも変わることなどから技術を信頼してくれるお客さんも付くよ
うになり、閉店に至るまでの8年間、一度も飽きることなく勤めるこ
とができた。

その後、写真屋での経験から某ホテルの有名写真館に勤めること
になったとき、クオリティ以上の価格での営業力を求められ原価
を知っている私には「無理」だと早々に判断した。
早期判断で辞退した職は他にも幾つかあって、デパートの輸入雑
貨屋、婦人服のブティック、他社のミニラボの店舗等々・・。

ちょっと変わったところでは大手結婚紹介所。
数十万の入会金を払っても、結局は三高の人ばかりに紹介希望が
集中し、望む人とのマッチングはかなり難しく、パーティーには
無料入会した医者や経営者がサクラとして招かれる実態を知った。
一緒に入社した女性は一か月の研修期間にうつ病からくる無感覚
症状に陥り、私もそのからくりを隠す「営業トーク」を憶えたくなくて
結局二人して二か月目に辞職した。

ちょうどそのころ母の癌が発覚し、私はいつでも駆けつけられる
すぐ近くの場所に勤めることにした。一か月後にオープンするス
ーパーで初めてのチェッカー(レジ)の仕事だった。

それまでデスク仕事の方が多かった私は、写真屋でレジ打ちはし
たことがあったものの、バーコードを通す形の最新のレジは初め
て。それでも一か月もの研修を経て、チェッカーレディコンテスト
で準優勝し賞品のラ・フランスを一ケース貰うまでに(笑)

時にはお客さんに接客を褒めていただいたり、商品の花を買われ
た老紳士からそのまま「これは貴女に」とその花を戴いたり;
その紳士曰く当時の朝ドラに出ていた原日出子さんに私が似てい
るとかで、その後幾度かお花をプレゼントされ皆に冷やかされる
ことも度々(全然似てないんですけど・笑)

仕事はしんどかったけれど、40代半ばにして私には「嘘をつか
なくてよい接客」が合っていることを知った。母も同じ感想で喜
んでくれていたが、腕を痛めてそれも半年で辞めることになった。

その後母の死を挟んで、インポート物の雑貨屋や服飾雑貨販売
のいくつかの店に勤めた。
ある店ではオーナーがディスプレイを褒めてくれやりがいも感じ
られたけれど閉店になってしまったり、別の店ではオーナーがフ
ェアトレードを売りにしながらアジア工場で現地の人に物を投げ
たりすることを知り、尚且つ私が制作段階のデザインを担当した
にも拘らず出来上がったものは別の店舗で売り、「あれは商品に
ならなかったのよー」と嘘をつかれたり。

またある店ではディスプレイをオーナーが私に担当するように言
ったとたん、それまでディスプレイを担っていた先輩から執拗な
イジメに遭い果ては家にまで電話してくることも。オーナーから
その人を辞めさせると残ってくれるかと問われたけれど、私が辞
める選択をした。

彼女も離婚経験があるとかで、初め私に好意的に接してくれていた。
ある時、「あなた相談相手いる?」と問われ「はい友達が」と答え
ると「そうじゃなくて、ホラ経済的に頼れるヒト・・」
それでやっとパトロン男性のことを指して訊かれたことに気付いた
鈍い私(笑)

結局彼女はその後店に居られなくなり、パトロンから援助を受けて
あろうことか店のすぐ近くに同じ類の自分の店を構えた。
オーナーは店を閉じることを余儀なくされ、彼女の店は今も営業中@@;
そののち私は人が怖くなり、長いブランクに陥ることとなり今に至る。

母子家庭や離婚者に限らず、人には色々な隠し事や遍歴がある。
先日何か思うところあったらしい娘から、「お母さんは(男性関係や
金銭的トラブルなど)一切ないねぇ・・」としみじみ言われた。
確かに金銭的な面は良いとしても、ちょっと淋しいくらい何もない。
それはそれで大変だったんだけどね(笑)

でも「子供とマイケル」それだけで充分だったのは確かかも☆

 

最近、照れるとこんな顔をするふうちゃん。
目を閉じたら「そこに居ないことになった」気がするらしい(笑)
それにしても、生んだ娘より息子の小さな頃に激似でびっくり!!

 


コメント (6)