森の中のティータイム

離婚を経験し子供達も独立 
暮らしの小さな発見をノートに。

ターシャの遺したもの

2008-06-25 | 思い・つれづれ
6月18日、ターシャ・テューダーさんが亡くなった。
私にはガーデニングの知識など全くないけれど、人の手を加え過ぎず、
自然を生かしたあの庭の雰囲気が好きで、何度も繰り返し観た。

コーギー犬との暮らしは、観ているこちら側まで幸せにしてくれ、
心が癒された。
彼女にもたくさんの悲しい別れがあったと聞くが、幸せな人生だったと
いうのは本当だと思う。

彼女の言葉で一番心に響いたのは「歓びは自分で創り出すものよ」
という部分。
これは、何か特別創造的なことではなく、全ての人に可能なのだと。
生きていく上での、あらゆる事柄に当てはめて考えられる。



「悲しみとは、出来事から生まれるものではなく、人の心のなかで
作り出されるものだ」と、別の誰かの本で読んだことがある。
二つの主張は逆の目線から捉えたものだけれど、同じ意味だと感じる。

必要以上を望まず、自分が持っているものに感謝し、
日々を丁寧に生きることで人は幸せを感じるという意味でもある。

昔、苦しい時に読み、心に深く刻まれている言葉がある。
「感謝する心は、自分を卑下することなく謙虚な気持ちを持ち
良いこともそうでないことも、全てのことをありのまま観る、
心の視力を磨くことで得られる」

これは言葉以上に母の生き方に学んだことでもある。
たとえ貧しくとも、人を助け年寄りを敬い、親切で真面目で
悪いことには毅然と立ち向かい、なのにいつも謙虚だった。
父とのことで苦しい思いをしても、恨むことなくいつも前を向いて
生きていた。

死ぬ間際まで母の一番の望みは、草花の手入れを続けることだった。
ターシャも花たちに囲まれて最期を迎えただろうか。
母にはターシャのような絵の才能はなかったけれど、
何より生きることを楽しむことに長けていた。

人の幸せとは、「心の充足感」に尽きるということを、
私はそんな母に教わった気がする。


戴く前に飾られる、亡くなった母の庭から収穫されたミツバ

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子を思う母猫に・・

2008-06-24 | 動物
雨の続く日々。
私の住む集合住宅では、何故か毎年この時期に
住民総出で大がかりな一斉掃除をやる。
この日曜日、雨のための延期で一週間前にやるはずだった
恒例のこの行事が、小雨の中決行された。

エレベータホール・非常階段・中央階段・各階の通路
そして前庭裏庭の雑草取り・簡単な樹木の剪定等々。

この他にも多種の掃除予定が組まれていて、共益費をもう少し
上げてもいいから、もっと減らしてよーと、みんなぼやいている。

そんな、ついぼやきたくなる雨の日々の中(笑)
ちょっと温かな気持ちになれるニュースが。





子供を全く叱らずに生きられるほど、世の中安全じゃない。
一つ一つ、そういう経験毎に教えるのが親の愛なのだと
この猫のお母さんは、私たち人間にも教えてくれている。

良かったね!気をつけるんだよ☆
新聞を読みながら私も子猫に呟いていた。


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グーグーだって猫である Part2  

2008-06-17 | 映画ドラマ


このブログでも触れた「グーグーだって猫である」の作者、大島弓子さん。
もう覚えてもいないくらい昔から、私はずっとずっとこの人のファン。


今回受賞した手塚治虫文化賞の贈呈式では小泉今日子さんが代理として
出席し、「大島弓子さんの漫画が世界で一番好き」と言っていたという。
この映画の主演だからでなく本当なら嬉しい(笑)

彼女の本は結構映画化されているけど、それにしても何故
映画化するには難しそうな、このエッセイ漫画を選んだのかな?

大昔の作品には、外国映画のようなストーリーがいっぱい
あって、私はいつも漫画だけでは勿体ないと思いながら
頭の中にシーンを思い浮かべつつ、読みふけっていた。
それらが映画化されても、想像が壊れると悲しいかな。

今回は、猫フードのメーカーさんとのタイアップで、ブログパーツなども
配布されているようだけど、欲のない大島さんがどんなお気持ちでいるのか
ちょっと知りたいかも(笑) いずれにせよ、彼女がこれからも猫たちと
ずっと幸せに暮らせますように・・・いつもファンは祈っています。
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秋葉原の殺傷事件

2008-06-13 | 思い・つれづれ
障害犬タローを育てておられる小森先生のブログ
今の子供達に与えたいものが書かれてあった。
恐らく先日の秋葉原殺傷事件を初め、頻発する同様の
事件を憂うお気持ちからだろう。

私もこれらの無差別な怒りの発散は、絶対に許せないけれど、
格差社会の中で今の若い世代の多くが置かれた状況を思うと
その孤立感・劣等感に、大人達が目を向ける時が来たと
思っている。これを無視してはいけない。

先生の仰るように、子供時代に必要なのは心を育ててくれる
大人たちの存在だと思う。
愛を、時間をかけて大切に紡いでくれる親たちだけでなく
「こんな大人になりたい」と思わせる人の存在なのだ。

そして、若者たちに今必要なものは、安心して生活できる
将来の展望なのだと思う。
今朝の朝日新聞の記事の中でも、語学力のある大学院中退の
ある男性が、日雇い派遣された先で穴の開いた作業着さえ
替えを貰えぬという惨めさを伝えていた。

でも、だからと言って何も関係ない人に刃を向けてはいけない。
もし、誰かのやり方に不満があるなら、何も変わらないと
思っても当事者に伝えるべきだと、私は思う。

しっかり言葉を選んで、不満に思う(怒りの)正当性を
伝えられれば、相手が万が一でも変わる可能性がないとは
言い切れない。

或いは首になったり、逆ギレされたとしても、誰かを
殺すよりはましだ。
もしかしたら、同調してくれる仲間がいるかもしれない。
大勢で立ち向かうなら、何かが変わるかもしれない。

でも、殆どの人はどちらもできないでいるのが現実。
生活の糧を失えないし、手本を示す勇気ある大人もいない。
じっと我慢して、彼等の胸の底で不満と怒りが堆積していく。

先日の本は、この「怒りの感情への処し方」が主な内容だった。
考え方の基本にあるのは、「罪を憎んで人を憎まず」
たまに忘れることがあるけど(笑)私自身の信条の一つでもある。

この中には、相手が自分に対して行う嫌な行動だけを見て、
相手自身を否定するのではなく、その行為そのものを
「嫌だ」と表現するテクニックも書かれてあり、とても
参考になった。

また逆に、相手と上手く付き合うために、自分に対する相手の
嫌な行為を、黙って受け入れる人は気をつけなければならない。
それは、いつかきっと恨みとなって相手だけでなく自分自身を
傷つける結果になる、とある。

但し、何度か告げても相手がそれを認めなかったり止めないなら
自分自身の心の健康のために、相手から離れようとあった。
多かれ少なかれ、誰もが毎日こういう葛藤にあえいでいる。
秋葉原の事件の青年が、もし「自分が思うほど自分だけが
不幸なのではない」と気付いていたら、周りが見えていたら
と、残念でならない。
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読んでいる本から

2008-06-11 | 思い・つれづれ
いつも傍に本がある。
家族全員が書店や古本屋と仲良しなので、
ジャンルは様々だけど、その分、自分の好みに偏らない。

同時進行で、それぞれを少しずつ読むことも多い。
集中力に欠けるかと思ったけれど、こうすると
著者や作家の考えで自分の思考が塗り替えられる危険も
少なくて、私には合っているようだ。

今読んでいる一冊は、古本屋で偶然手に取った海外の精神分析医が
書いた3年前の本。
その本には、人の憎しみや怒りがどういう影響を自分や相手に
及ぼすかについても丁寧に書かれてあった。

私は人から「あまり怒ったところを見たことがない」とか
「もっと怒るべきだ」とか言われる。子供の時から温厚だと
言われてきたし、どの時代の友人とも縁を切ったこともない。

別れた夫はあまりにも怒りやすかった。でも、私の方が少しでも
不満を口にしよう物ならそれこそ逆ギレし、どう対処したらいいか
初めは本当に困惑した。

その内、夫の怒りは思い違いや勘違いによるところが多いことに
気付き、なるべく刺激しないよう丁寧に言葉を選ぶようになった。
夫が遊びにお金を使い放題使い、DVにまで発展した時でさえ
私の中で燻っていた怒りは噴出するどころか、一気に冷え切り
この人と縁を切りたいと決意したのだ。

だから以前にも書いたように、意味も解らず怒る人が怖い。
この本には、怒りの正当性について考えることが難しい人
例えばすぐキレる人や怒りを上手に表現できない人へのアドバイスが
書かれていて興味深い。
これからそういう人に出会ってしまった時、どう対処したら
良いか参考にしたい。

(続きは、本にあったとおり個人的なヒーリングのために書きましたが、
私の中ではもう忘れたいことで、例え相手も含め、殆どの周囲の
人間にここを教えていないとしても、尚更第三者には言うべきでは
ないことと判断し、削除しました。)
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昨日のウルルン

2008-06-09 | 動物
昨日の「世界ウルルン滞在記」は、KABA.ちゃん三度目の
タイでの取材だった。

放送自体は2度目なのかもしれないが、最初の放送で
たくさんの寄付金が集まり、それを元に不幸な犬たちの家を
建て替える矢先に水害に遭ったという。

でも、犬たちのために負けずに奔走する主宰者の願いが
これを乗り越えさせていた。
自分以外の弱いものたちの為に働く尊い思いは、多分どんな
欲望よりも強い力があるのだと思う。
彼女のような強さを、私も欲しい。

交通事故に遭い、前回歩けなかったWISHというわんこが
今回、みんなの愛で歩けるようになっていた。
観ているこちらまでもが、温かい気持ちになる。

これを、ただの一施設の話として終わらせないで、国内の
シェルター作りを目指すボランティアの団体の方々にも
同様に支援の目を心を、向けて欲しいと心から願う。

近くの公園猫3匹の内、弱っていた雌猫があの直後から
来なくなった。何処かでひっそりと死んでしまったのかも
しれないと思うと、せっかく冬を乗り越えたのにどうにか
助けられなかったものかと悔やんだ。

その後、仲良しの残り2匹の間に子供が出来た。
お腹が大きくなり、萎んだ頃にはご飯を慌てて掻き込んで
いつも何処かに消えていた。


       子供の両親

子供の姿は2ヶ月近く見られなかったが、
最近やっとその姿を見せるようになり、3匹いるのを確認。
2匹はお父さん猫の黒ちゃんにそっくりで、1匹はお母さん似。

まだまだお母さんも子供だったのに、今ではすっかりやせ細り
来なくなった雌猫にそっくりになった。
(もしかしたら、あの雌猫は、この子の母猫だったのかもしれない)
避妊手術できるくらいに慣れてくれていたら何とかできるのにと
思うが、彼女はなかなか心を許してはくれない。  色々悩むところ
だけれど、母猫のご飯タイムに子猫たちにそっとご飯を置いてくるこ
とが日課になった。

昨日買った「グーグーだって猫である-4」の中に、
外猫たちが遭遇する様々な試練が描いてあった。
野良はそれ以上だと思う。

彼等が平和に、できるだけ永く生きられるよう見守りながら、
後は祈ることだけが今の自分にできることなのだろうか。

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好きと思う人たち 2

2008-06-04 | DIY・ハンドメイド・クラフト
この数ヶ月、アンティークを扱う店も含め、次々にオープンした
若い主婦の手作り感覚のショップを数多く訪ねた。
人の手作りを見るのは大好きだし、自分も下手ながら作ることが
好きだからもちろん楽しい。

多分そういう手作りの温もりを売ることが目的だろうと思われる
ある店で、私が身につけていたリフォームの服やアクセを
オーナーさんに誉めていただいたことがあり、
「置いてみませんか」と声をかけて貰ったことがある。
でも即座に自分には無理だとお断りした。

「こんな物があったら」とか「ここがこうだったらもっと
素敵なのに」と、アイデア「だけ」は日々たくさん思いつく
けれど、それに伴う「技術」が私には無い。
確かに商品の中には私レベルの技術で堂々と売られている物
もあるけれど、私が友人や家族、自分の楽しみの範囲での手
作りに留めている理由はそれなのだ。

実店舗も含めあちこちのお店サイト等を見て疑問に思うのは、
ジャンクな商品に付けられた、どう考えても妥当ではない
法外な値段のこと。
少しでも雑貨の原価を知っていたなら、その店の
姿勢が良心的かどうか判断できる。

ジャンクは大好きだけれど、手軽に求められる値段であって欲しい。
そんな中、趣味の良いガーデニングセンスを生かし
色味を抑えたオーナーさん手作りのリースと植物、
長年好きで集めておられたというジャンクなアンティークなどを、
納得できる価格で売る「arbre」さんが、他店と一線を画している。

私よりやや上くらいの年齢とお見受けしたそのオーナーさんは、
商売をされるには少し素人っぽい感じで、そこがまたいい。
店のたたずまいからして、落ち着きのあるオーナーさんの
お人柄と、流行を追わない姿勢が垣間見られる。

残念ながら週に3日くらいしかオープンしていないけれど、
先日訪ねた時に、少しだけオーナーさんのこだわりについても
お話を伺った。

お店を開かれる前には敢えて雑誌や他店などは見ず、
ご自分スタイルに徹することに集中されたという。
かといって決して傲慢ではなく、少し前にカリスマと呼ばれる人が
遠くから訪ねて来られた時には、その方にお会いしたくなくて
逃げていたそうだ(笑)

カリスマと呼ばれる人に媚びを売るように群がり、自分も
真似をしてカリスマになりたいと思う人のことが、理解
できないと仰る。
全く同感。本当のカリスマは、魅せられた周囲の人たちが
押し上げ自然発生的に生まれるものだから。
それ以前に、そっくり真似して何が楽しいのだろうとも思う。

話の中で、日頃素敵だと感じて足を運ぶことの多いお店たちと
そのオーナーとの、意外な繋がりや人脈なども偶然判り
この方を素敵だと思う理由が解ってきた気がする☆

好きだと思う物や人たちって、何故かどこかで繋がっていたり
するので、不思議だ。
男女の別なく、謙虚さと自信がバランスよく共存する人には
惹きつけられる。
逆に、自分自身を必要以上に大きく見せようとする人や、
カッコつける人がどうやら私は苦手らしく、親しくなれない。

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先週金曜日、一日で作ったワンピース。簡単な作りでも
技術のない私には大変な作業だった;何とか着られるので
アップしてみる(笑)





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好きと思う人たち 1

2008-06-02 | 映画ドラマ
あまり日本のドラマは観ないけど、「around40」は観ている。
筒井道隆さんが好きだから見始めたけれど、
天海祐希さんの演技も良くて、役どころも
ありがちな「働く女性のかっこよさ」を気取るとか
強調したものではない、その年齢の女性たちの悩みや
周囲の状況をありのままに近く描いていて、観ていて
頷けることが多い。

そしてやはりマー君役の筒井さんは、仕草や話し方に
シャイで飾らない素の部分が浮き出ていて、いい(笑)
「鶴瓶の家族に乾杯」に登場した時も、俳優さんなのに
普通の人以上にシャイで、大丈夫かと心配したほどだ(笑)
「商店街をさまよう筒井道隆に救世主か?」というサブタイトル
がついたくらいに全くオクテな感じで。
インタビューを読んでもその人柄が滲み出ている。

『結婚願望はあるんですけど、なかなか踏み出せないですよね。どうせするんだったら別れたくないので。だから、凄く慎重になりすぎて出来ないみたいなことなんですよ。するんだったら絶対に別れたくないので、付き合っている人がいたら「慎重になってもいいですか?」って聞きますね。どうせ最後まで一緒にいるんだからね。ダメな部分を直していかないと。お互い、ここがダメだよねとか、このくらいだったら我慢できるよねとか。』(番組HPより)

ご本人はモテないと言っているそうだけど、実はファンは多い。
あの実直さや、普通っぽさが好きと言う人が殆どだ。
彼の演じた役どころで一番好きだったのは、松本清張の作品を
ドラマ化した「或る『小倉日記』伝」の主人公耕作だ。

重い障害を抱えながらも、森鴎外の失われた小倉時代を辿る
頭脳明晰な青年を見事に演じていた。
それから新聞小説をドラマ化した作品「丘の上の向日葵」でも障害のある青年を
演じていたし、彼を一躍有名にした「あすなろ白書」では
奔放で自堕落な母親に振り回されながらも、一生懸命に働き
大学に通う青年がハマリ役だった。

キムタクはこのドラマでブレイクしたけれど、私は筒井君演じる
カケイ君こそが、このドラマにリアリティをもたらしていると
思った。でも或いはふわふわした生き方の学生の方が、
もしかしたら今の「現実」だったのかもしれない。
当時でさえ「勤労学生」はもはや死語になっていた。

マー君役のセリフ「人間見た目じゃなくて、大事なのは
中身なんじゃないのか?」という部分が、この人だから
嘘臭くなく聞こえる。
きっと彼に素敵な女性が見つかると信じます☆
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