6月18日、ターシャ・テューダーさんが亡くなった。
私にはガーデニングの知識など全くないけれど、人の手を加え過ぎず、
自然を生かしたあの庭の雰囲気が好きで、何度も繰り返し観た。
コーギー犬との暮らしは、観ているこちら側まで幸せにしてくれ、
心が癒された。
彼女にもたくさんの悲しい別れがあったと聞くが、幸せな人生だったと
いうのは本当だと思う。
彼女の言葉で一番心に響いたのは「歓びは自分で創り出すものよ」
という部分。
これは、何か特別創造的なことではなく、全ての人に可能なのだと。
生きていく上での、あらゆる事柄に当てはめて考えられる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/3b/e0fa5a1f769172de6b6b52da300ed080.jpg)
「悲しみとは、出来事から生まれるものではなく、人の心のなかで
作り出されるものだ」と、別の誰かの本で読んだことがある。
二つの主張は逆の目線から捉えたものだけれど、同じ意味だと感じる。
必要以上を望まず、自分が持っているものに感謝し、
日々を丁寧に生きることで人は幸せを感じるという意味でもある。
昔、苦しい時に読み、心に深く刻まれている言葉がある。
「感謝する心は、自分を卑下することなく謙虚な気持ちを持ち
良いこともそうでないことも、全てのことをありのまま観る、
心の視力を磨くことで得られる」
これは言葉以上に母の生き方に学んだことでもある。
たとえ貧しくとも、人を助け年寄りを敬い、親切で真面目で
悪いことには毅然と立ち向かい、なのにいつも謙虚だった。
父とのことで苦しい思いをしても、恨むことなくいつも前を向いて
生きていた。
死ぬ間際まで母の一番の望みは、草花の手入れを続けることだった。
ターシャも花たちに囲まれて最期を迎えただろうか。
母にはターシャのような絵の才能はなかったけれど、
何より生きることを楽しむことに長けていた。
人の幸せとは、「心の充足感」に尽きるということを、
私はそんな母に教わった気がする。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/02/d0ce8b744ff4cb6600846d7139506c1b.jpg)
戴く前に飾られる、亡くなった母の庭から収穫されたミツバ
私にはガーデニングの知識など全くないけれど、人の手を加え過ぎず、
自然を生かしたあの庭の雰囲気が好きで、何度も繰り返し観た。
コーギー犬との暮らしは、観ているこちら側まで幸せにしてくれ、
心が癒された。
彼女にもたくさんの悲しい別れがあったと聞くが、幸せな人生だったと
いうのは本当だと思う。
彼女の言葉で一番心に響いたのは「歓びは自分で創り出すものよ」
という部分。
これは、何か特別創造的なことではなく、全ての人に可能なのだと。
生きていく上での、あらゆる事柄に当てはめて考えられる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/3b/e0fa5a1f769172de6b6b52da300ed080.jpg)
「悲しみとは、出来事から生まれるものではなく、人の心のなかで
作り出されるものだ」と、別の誰かの本で読んだことがある。
二つの主張は逆の目線から捉えたものだけれど、同じ意味だと感じる。
必要以上を望まず、自分が持っているものに感謝し、
日々を丁寧に生きることで人は幸せを感じるという意味でもある。
昔、苦しい時に読み、心に深く刻まれている言葉がある。
「感謝する心は、自分を卑下することなく謙虚な気持ちを持ち
良いこともそうでないことも、全てのことをありのまま観る、
心の視力を磨くことで得られる」
これは言葉以上に母の生き方に学んだことでもある。
たとえ貧しくとも、人を助け年寄りを敬い、親切で真面目で
悪いことには毅然と立ち向かい、なのにいつも謙虚だった。
父とのことで苦しい思いをしても、恨むことなくいつも前を向いて
生きていた。
死ぬ間際まで母の一番の望みは、草花の手入れを続けることだった。
ターシャも花たちに囲まれて最期を迎えただろうか。
母にはターシャのような絵の才能はなかったけれど、
何より生きることを楽しむことに長けていた。
人の幸せとは、「心の充足感」に尽きるということを、
私はそんな母に教わった気がする。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/02/d0ce8b744ff4cb6600846d7139506c1b.jpg)
戴く前に飾られる、亡くなった母の庭から収穫されたミツバ