横浜開港150年記念事業として、藤本實也の稿本『原三溪翁伝』を1年間にわたって読み解き、2009年に翻刻をめざす「原三溪市民研究会」に伝道師のN、T、Hの3氏が参加しています。
横浜「三溪園」は富岡製糸場を明治から昭和まで経営していた原合名会社の社長原三溪(富太郎)の自宅が開放されいる名園です。
富岡製糸場と縁のある人物の生涯を知ると共に、群馬と横浜の生糸をとおしての深い繋がりを学ぶことにも意義があります。
10月13日に2回目の勉強会があり、担当の内海孝氏(東京外語大学教授)より提案がありました。
横浜「三溪園」と群馬「富岡製糸場」のつながり、生糸をとおしての群馬と横浜についてのレクチャーを、と。
急遽、T伝道師が約30名の横浜市民をまえに15分ほど話しをしました。
原三溪が富岡製糸場を明治35年(1902)から昭和13年(1938)まで36年間経営していたことが今日の世界遺産をめざす富岡製糸場につながっていること。製糸場で作られた生糸はもちろんのこと群馬の生糸は横浜を通して海外に輸出されたこと。多くの群馬県人が開港以前より横浜で生糸に関わり活躍していること。等々。
急の提案だったため、チラシやパネルの用意もなく行いましたが、熱心に聴いてくださり、これから一年間共に勉強していく横浜の方たちにしっかり伝わったとおもいます。
T伝道師ご苦労さまでした。(報告者M.H伝道師)