人生修行の旅

「笑って、野垂れ死ぬ!!」
そのために、この人生をどう生きて、この命を何に使うか?人生一度きりの生き方を実験中!!

ボリビア旅行記⑩~共通の“何か”は国境を越える!?~

2012年03月28日 | 
 すぐ横にあるチェ・ゲバラの資料館を見た。20畳ほどの広さの中に歴史などが書かれている。








「ガタガタガタガタ…」おんぼろの車の中から、ドレッドヘアーの旅人が出て中に入ってきた。

出逢った瞬間、私と彼はなぜか硬い握手を交わした。

言葉は一切通じないが、

「よくこんな遠いところまで来たな友よ!!」

と言って分かりあえた気がした。




遠い離れた異国の山奥の村で、言葉も国も分からない者同士が、一瞬にして硬い握手を交わすというのは凄いことだ。

チェ・ゲバラという漢に惹かれた者達だけが分かりあえる“何か”がそこに存在した。

言葉もお互いに分からないのに、近くの食堂で一緒にご飯を食べ、そして付近を歩いた。

余談ではあるが、日本から持ってきた味噌汁を皆で飲んだ。ここでも好評であった。





















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ボリビア旅行記⑨~チェ・ゲバラとふんどし~

2012年03月28日 | 
 青々とした空の下を進んでいく。

サンルーフを開け、顔を出した。

雄大な山々が迎えてくれている。

天気は快晴。運よく迎え入れてもらった。





ガタガタの道を立ちながらバランスを取り、コアを入れてトレーニングをした。

いつの間にか「コンドルは飛んでいく」を口ずさんでいた。

山奥のイゲラ村に到着。



チェ・ゲバラの銅像がそびえ立っている。

一つの国を変えた男が、自分の信念に基づき生き、そして終わった場所。

チェ・ゲバラについてそれほど詳しくはないが、死んでもなお生き続けているのは凄いことだと思う。

現にこうして、こんな山奥の小さな村に1日3人~5人は、世界中から人が訪れる。

私も日本で健康革命家という屋号で運動指導をしている。

“革命家つながりの先輩に挨拶をする”これが今回の私の旅の目的だった。

3年前、チェ・ゲバラの映画を見た後に、私は会社を辞めることを決心した。

そして、独立して3年。何とか続けることができている。

様々な感謝の意を込めて、祈りそして日本の正装で一緒に撮影をさせてもらった。





「ありがとう!!」

青々とした空に向かって言い放った。
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ボリビア旅行記⑧~精神を開放せよ~

2012年03月27日 | 
 「カーン、カーン、カーン…」鐘の音が響いた。

腕時計を見ると6時半。

昨夜、就寝する際に早朝ランニングをしようと5時半に目覚まし時計をセットしていたのだが、針が途中で止まっていた。

滞在中、腕時計に続き2度目の時計の故障だ。
 
 時間に縛られるな!!と誰かの声がした。

そして、次々に、

「変なプライドを身につけてしまってないか?プライドなんてあっても邪魔だろ!」

「“溶け込む気持ち”はどこに消えた?」

「こっちからガンガンいかなくてどうする?」

「今、お前ができることは何だ?」

「人を喜ばせる道具はあるのだろ?」

「いつから待つようになったんだ!!」

「人生修行の旅人だろ!!」

聞こえてくる。

以前の旅でも、こんな声が聞こえて来た時がある。

タイの山奥でガスも電気もない村に行き、カルチャーショックで言葉を失った時や

北京で46時間の硬座の席に座っている時だ。



肌寒い中、お湯の出ないシャワーを浴びた。

心のチリが取れた気がした。

フワッと身体が軽くなり、楽になった。

おばあちゃんの朝食を食べていると、宿泊客であるスペインの若者がやってきた。

「オラ」

私から声を掛けた。

「オラ」声が返ってくる。

そして、英語で会話をした。

なんでこんな山奥の村に泊まっているのか尋ねると、テレビのシナリオライターらしく、その関係でNGOに密着取材をしているとのことだった。

スペインの若者は日本の「火山」に興味があるらしく、日本の山について私が知っている事を伝えた。

そして、世界の国々を旅したことを話すなどして楽しい朝食を取った。

こちらが心を開けば、向こうも開く。

基本的なことを忘れてしまっていた。

日本から持ってきた味噌汁をおばあちゃんにプレゼントした。恐る恐る飲んだ後、


「GOOD!!」

笑顔になった。

そして、ポットにお湯を入れてくれ、お椀を貸してくれた。チェ・ゲバラの最後の村に行ったら味噌汁飲もうと思った。
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ボリビア旅行記⑦~ファニータおばあちゃんの宿~

2012年03月27日 | 
 時間は午後2時。

 チェ・ゲバラの銅像のあるイゲラ村まで後2~3時間あるということで、バイアグランデ村というところに宿をとる。

当然、英語が通じる訳もなく、ジェスチャーでのやり取り。紙に値段を書いてもらい、そこに決めた。

宿を選ぶ際に私が大切にしているポイントは、

○フロントの方の雰囲気

○最初に提示してくる金額

である。
 
私が泊まった宿は、おばあちゃんファニータさんが1人で切り盛りしている宿だった。


どっかで見たことのある顔だなと思ったら、私の祖母に似ている。だから、何となく安心感がある。

さっそくチェックインを済ませ、荷物を置き、ドライバーの言うなりに車に乗り込んだ。言葉の分からない私はどこに連れていかれるのか全く分からない。




 道中、1人の男性が車に乗り込んで向かった先は、チェ・ゲバラが埋められていた場所?
(英語で説明があったが、私の理解力不足で半分ほどしか聞き取れなかった)に行き、




一緒に戦った革命戦士が眠っていると聞き、手を合わせた。

 その他にもいくつかチェ・ゲバラ関連の場所を案内してくれた。





ガイドをしてくれた男に丁重に礼を言い、ドライバーとも別れ、村を独り歩きした。

バイアグランデは田舎の大きい村という感じで、日曜の市場は人で溢れ返っていた。

山積みにされた野菜、衣類の数々、市場の食堂など日常の“匂い”が私の細胞を刺激する。
 
 今までアジアを中心に多く旅してきて、風景は同じように見えるが、何かが違う。

 何が違うのだろう。
 
東南アジアを旅すると、必ず誰かが話しかけてくる。

騙そうとする輩も少なくないが、コミュニケーションをとることで物事が動き出すのが常だった。

 しかし、ボリビアに来てから長い時間独り歩きをしているが、誰も話し掛けてきてくれない。

写真を撮影しようとすると、首を横に振られ怪訝な顔をされる。市場でご飯を食べても、誰も話し掛けてきてくれない。

虚しさが襲ってきた。日本の反対側の遠い異国の地で感じるこの“寂しさ”もまた旅の一つだ。

小さな商店でビールを2本買い、宿に戻り1人で飲みながらいつの間にかシャワーも浴びずに寝てしまっていた。
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ボリビア旅行記⑥~酔えば酔うほど強くなる~

2012年03月27日 | 
 サマイパタを出発。

山道を猛スピードで移動するため、途中車を止めてもらっては、嘔吐を繰り返した。

何を隠そう私は乗り物酔いをよくする。

嘔吐のたびに「こんな苦しい思いをしてまで何しているんだ。」という思いにかられる。

しかし、ジャッキーチェンの映画「酔拳」では酔えば酔うほど強くなる。

車酔いをすればするほど、俺は強くなる!!昼のホットドッグを大地にプレゼントしながら微笑んだ。




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ボリビア旅行記⑤~ボディーランゲージで腕時計購入~

2012年03月27日 | 
 朝7時に頼んでいた車とドライバーが迎えに来てくれた。

スペイン語しか話せない方なので、コミュニケーションはもちろん“ボディーランゲージ”。

きっと何とかなるだろう。





約3時間半の快適な道を経て、途中のサマイパタという村に到着。

軽い食事をするが、私は道中、車酔いで全て吐いてしまっているため気分が悪い。

それでも何かお腹に入れなければと思い、無難なホットドッグを注文した。

待っていると、斜め向かいの席に座ったカップルがスペイン語で会話していたと思いきや、日本語も話しだした。

「日本人ですか?」と話し掛けると、「そうです!!」と返ってくる。

こんな場所で日本語が通じると何だか嬉しくなる。

私がチェ・ゲバラの所に行くというと、

「まだまだ遠いですよ~。道も悪いから気をつけてくださいね。あっ腕時計を買いたいならその先に行って、右に行くと市場がありますよ」

とアドバイスをくれた。ちょうど朝から6年間使用している愛用腕時計G-SHOCKの電池が切れてしまって時間が分からなくなっていた。

日系3系カップルの会話は、スペイン語と日本語が入り混じり、楽しいひと時を過ごしていた。

市場に行くと、露店のお店がずらり並んでいる。野菜、果物、チーズ、などから衣類なども置かれ、日本のフリーマーケットのようである。

ちょうど、ドライバーのメルティアさんとも会い、腕時計を買いたいことをジェスチャーで伝える。

手首を指差して、その後に両手を横にして?という感じで伝えると理解してくれたようだ。雑貨屋さんを案内してくれた。

言葉は通じなくても、ある程度は何とかなるようだ。




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ボリビア旅行記④~治安はいいの?悪いの?~

2012年03月26日 | 
 一泊120Bs(約17ドル)の宿を取った。

スペイン語しか通じないが、たまたま居合わせたアメリカ人が通訳をしてくれ、シングルの部屋を借りる。お湯の出るシャワーがついており、とてもいい。

汗だくのTシャツを脱ぎ、3日ぶりくらいのシャワーを浴びた。

タンクトップとナイロンパンツに着替え街に出た。お金は4つの場所に分散して持ち歩いている。

ボリビアの治安のことをネットで検索すると、あまりいい情報はない。

本当なのかどうかは、運もあるだろうし、実際に目で見てみない事には分からない。ただ、過去最大限の注意は払おうと思う。

地図と勘を頼りにボリビアのサンタクルスの街を楽しむべく歩いた。

通りには名前がつけられているので迷う心配は少ない。

通り沿いには似通った店が並んでいる。衣類が売っている通り、床屋が多い通り、日本のお店が多い通りなど通り毎に特徴がある。

これは私が今まで行ったアジアの国でも多かったと思う。それぞれが競争するでもなく、そこに共存している。

過度なサービス競争等はどのお店もなく、マイペースにのんびり仕事をしている様子が見受けられた。

途中、現地の食堂に入り、頼み方も分からないがとりあえず1(ウノ)と言ってみて、

何が出てくるかを楽しんだ。


 
歩き続けること3時間。昼間のボリビアのサンタクルスは平和のようだ。




ただ、誰も話し掛けてきてくれない。

大概、今までの東南アジアなどでは必ず誰かが話しかけてきてくれ、良くも悪くも何かが起きていった。

しかし、ここにはそれがなく、私は無言のまま歩き続けた。
 
 部屋に戻ると17時だった。夕飯を食べに行くには少し早い。1時間ほどゆっくりしようとベッドに横になる。

目覚まし時計が鳴るものの、遠くへ音が追いやられる。

いつの間にか20時になっていた。外はすでに暗い。

夜の外出は控えるように書いてあったのに、外出しなければいけない状況。


普段はサンダルが多いのだが今回は靴にして、いつでも逃げられる態勢を取った。さらに比較的、電灯の多い通りを歩くことにした。

たまたま飲食街で昼間に少し話をした現地在住の日系人の方に出くわした。

運良く一緒に食事を取らせてもらいながら情報をもらった。


ここサンタクルスは、近年発展してきたとともに治安も悪くなり、強盗などが増えているようだ。

悪質なことに銃を持っているケースが増え、殺人に至るケースも出ている事を教えてくれた。

タクシーもまた、安易に乗ってしまうとどこかに連れていかれお金を奪われるケースがあるため、

その方も乗る時は信頼できるタクシー会社を呼んで乗っているそうだ。

4~5年前は安全だったのに、発展途上の国において経済発展とともに都市部の治安が悪くなるのは同じな気がする。

常に後ろを振り返りながら付けられていないか注意する。

金目のものは出さないようにする。通りの暗い道は歩かない。お店からホテルに帰る場合は、

タクシーを呼んでもらうなどアドバイスをくれた。

昼間の様子から、実はそんなに危なくないのでは?とちょっと甘く見ていただけに、現地在住の方のお話には説得力があった。
 
それ以外にも、ボリビアの経済事情(一般の方の月収は大体300~400ドル)や政治の話(もしばれたらアウトだが、日本語のためOK)を

聴き、コロコロと法律が決まる体制などを教えてくれた。

軽い食事の後、お礼を伝え、また夜の街を歩いた。
(さっきのアドバイスはなんだったんだと思うが、スペイン語が全く話せないし、分からない自分にとっては歩いた方が安全な気がする)

美味しいと評判のお店まで約1.5kmの道のりを、適宜後ろを振り返りながら歩く。お店に到着したが、ちょっと高級そうなお店のため店内を

見学しただけで退却。私のモットーは地元の人々と同じものを食すること。つまり、屋台や大衆食堂で食べることを基本的にルールにしている。

宿までは約2km以上はあるが、ここもウォーキングだ。歩いた方が健康にいい。電灯のない道は歩かなければ大丈夫そうだ。


もし、何かあれば、走って逃げればいい。23時を過ぎていたが、幸いにも誰にも付けられることはなかった。宿の近所の屋台で食事をとり、ビールを飲み就寝した。
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ボリビア旅行記③~諦めない力~

2012年03月26日 | 
 地図を見ながら、言葉も分からず身振り手振りで汗でびっしょりになりながら、

何とかガイドブックに載っている旅行会社を見つけた。本当は宿にチェックインしてから行いたいのだが、

昼の12時30分には営業が終わってしまうようなので、残り1時間30分の間に探さなければならなかった。

旅行会社の方に、今回の旅の目的である革命家として世界的に有名なチェ・ゲバラの眠った土地を訪ねたい旨を告げた。

その返事は「その場所は道も悪く遠くて、最近まで雨が降っていたため車は出せない」と言われてしまった。というか、行く国がどん
な季節なのかも知らずに来てしまう自分に呆れてしまう。

ドンマイ、俺!!

「何とかなりませんか?」得意の粘りの交渉も通じずに、今回は諦めた…

 最初から天気や時期など調べていない自分が悪いのだが、そんなの気にして旅するタイプでもないのでしょうがない。

 しかし、旅の目的を果たせないと考えると何のために30時間以上かけてボリビアに来たのか分からなくなる。

諦めるのは、まだ早い。解決の糸口はきっとどこかにあるはずだと思いこんだ。
 
 土曜日の午前11時30分。サンタクルス市内の会社の営業終了まで1時間。今日決まらなければ、日曜は休みだから月曜になってします。私の滞在は日曜のため、すぐにでも出発したい。

今いる場所がどこなのか?言葉も通じない状況、限られた時間の中で今できる最大限のことを考えた。

「正門がダメなら、西門から入ればいい」チベットの大学に潜入する際に、正門では警備に見つかり侵入を拒まれたが、

比較的警備の薄い西門から侵入できたことを思い出した。


きっと違う旅行会社に行けば何とかなるに違いない。

動かなければ、状況は変わらない。

地図で旅行会社を調べて、すぐに行動を開始。

タクシーの方が早いのだが、言葉も分からず、地図を見ても分からない可能性が高い。

さらには大きなバックパックを背負い、言葉も全然話せず、肌がまだ白い私は悪徳ドライバーから見れば、ねぎをしょったカモである。
 
どこかに連れていかれて、法外なお金を請求される可能性もある。

この現状では徒歩が一番と判断。頼れるのは、己の肉体である。地図を頼りに大きなバックパックを背負い軽く走った。

迷いながらも別の旅行会社に到着。旅の目的を再度話すと、車を出すことが可能かどうか電話してくれた。

祈りながら待つこと5分。「OK」との返事が出された。

料金は高く、何とか引き下げようと色々と試みたが一向に首が縦に動く気配はなかった。

ここは行けることで良しとしようと自分を納得させ、2泊3日で契約で車一台とドライバー1名をお願いした。

長い旅になれば、現地のバスで移動などできて大幅にお金を安くすることが可能だが、

言葉も分からずに短期の旅の場合は、最初にお金がかかってしまうことが少なくない。

私は限られた“時間”をお金で買った。

諦めなければ道は見つかる!!


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ボリビア旅行記②~災い転じて福となす~

2012年03月19日 | 
 飛行機を乗り継ぎ、約30時間以上かけて、ボリビアの都市サンタクルスに到着。

ボリビアは日本の3倍の国土があり、四季を土地を移動することで感じることができる国である。

首都のあるラ・パスが、標高約3650メートルにある。世界で最も高いところにある首都だ。

しかし、今回私が選んだ場所はラ・パスではなく第2の都市であるサンタクルス。そこは、標高も高くなく、過ごしやすい気候で、夏を感じさせてくれる。

 この1~2年にネパールへ2度ほど訪問しているが、心友のダルマ先生が空港に迎えに来てくれて、
そのまま色々と連れて行ってくれる至れり尽くせりだった。
 
 今回の一人旅は、3年ぶり。誰も待っていない空港。まず第一にすることと言えば、

 トイレで気合を入れること!!

 飛行機を降りた直後はボケ~っとしていることが少なくないため、まずは気合を入れなくてはならない。

旅の資金とパスポートなど貴重品を全て持ち歩いているから、ふとした油断で紛失しないように気を張る。

以前どこかの空港で荷物を全て置き忘れてしまい、空港職員に指摘されることがあって以来、空港から気合を入れるようにしている。

さらには、出発前に手持ちのカード会社に問い合わせたら、キャッシングの機能をつけていないことが判明。

異国の地で、お金を引き出すことができない。

つまり、現金を盗まれたりしたら、“アウト”!!盗まれたり、無くさなければいいということだ。

 トイレの水で顔を濡らし、軽く両手で頬をはたいた。

 当面の資金として、150ドルをボリビアのお金に両替し、タクシー乗り場に向かう。

タクシーに乗ってさっそく“地球の歩き方”に載っている旅行会社をお願いした。

全く英語が通じず、スペイン語を私が話せないため、身振り手振りで本の目印を頼りに近くで降ろしてもらった。

料金は50B.s(1ドル=6.8B.s=83円 2012年の3月)のはずだったが、さらに20B.sも請求された。

これは、水増し請求に違いない。が、初の南米でここがどこかもよく分かっていない状況と、旅の感覚が掴めていないため、

しぶしぶと渡した。旅の最初は脇が甘い。腑には落ちないまま、車を降りて少し歩くとクラクションが鳴らされた。

「お~い、車の中にカメラのメモリーを忘れているぞ!!」と言うように、小さなSDカードを見つけて渡してくれた。

 ありがとう!!通常、タクシーの運転手とは、料金で揉めるケースは少なくない。というか、たいがい揉める。

今回は、素直に払ったことで届けてくれたのだろう。

災い転じて福となす。今回の旅もツイテル気がした。


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ボリビア旅行記①~7年前と立場逆転~

2012年03月16日 | イベント
 日本出発から約15時間。マイアミからボリビア行きの飛行機に乗り込んだ。


珍しく隣の席が日本の若者だ。大学の卒業旅行で南米に来ていた。

カメラマンを目指すこの若者は、4月から中小企業に営業兼カメラマンとして入社することが決まっていた。

自然に話が弾んだ。若者が色々聞いてきてくれたからだ。少しだけ早く先に社会人になっているのでその経験させてもらったことを話した。

会社員を辞めて、独立した時のこと。独立してからの今までの軌跡。

決してお手本にはならないけど、彼はメモを取りながら「こんな場所で、生の話を聴けるとは思いませんでした。勉強になります。」
と私の講義?を喜んで聴いてくれた。


 その若者からも、世界情勢に対する歴史の話を池上彰さんのようにめちゃくちゃ分かりやすく話してくれた。

特に聖地メッカのある問題も過去の民族対立を踏まえて、現在に至るまで冷静かつ客観的な視点で話してくれた。

そして、エルサレムに実際に訪れた視点からの自分の意見も最後にあり、とても面白い話を聴くことができた。

やはり、どんなに勉強しても、その場所に実際に行き、肌でリアルに感じない事には物事の“本質”は見えない思う。
情報は時として、操作されることがあり、正しい情報も伝わってくることもままならない。

そのことを直感で感じ、大学生にして、そんな視点から海外に飛び出すとはすごいと純粋に思った。

少なくとも、7年前の私は、大学4年の3月にして就職先も決まらなく、4月からアルバイトで働く場所も正式には決まっていなかった。

将来も決まらず、不安100%。海外に行けば死ぬんじゃないかという思いと、何か“アホ”なことをしたいという思いとが交錯するバカな若者として、日本を飛び立ったのが7年前。
私も30歳ちょっとの社会人の方に、旅の途中、色々と教えてもらい勉強になった。

7年の時を経て、完全に立場が逆転している。

「恩送り」

前から頂いた恩は、後ろへ引き継がれる。


皆が寝静まっているから静かにして!!とCAから注意され、深夜の座談会を終えて、眠りについた。

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