人生修行の旅

「笑って、野垂れ死ぬ!!」
そのために、この人生をどう生きて、この命を何に使うか?人生一度きりの生き方を実験中!!

ネパール回想紀~床屋でシェイブ

2007年10月30日 | Weblog
ネパールのトレーニングジムは、日本でいう公共の体育館などにあるトレーニング室のようなものだ。無機質ではあるが、嫌いではない。19歳の浪人時代に通った経緯がある。100円払って使えるのだが、当然誰もいない。70キロのベンチプレスを行い、途中で持ち上がらなくなり、ひやひやした経験がある。浪人時代、まだ見えない将来を見据え無機質なジムでのトレーニングは自主性とハングリー精神を養うには十分すぎた。ネパールの地で、淡く苦い思い出が脳をかすめた。

その後、ぶっきらぼうに伸びた髭を剃るために床屋に向かった。海外の床屋、そこは未知の世界。椅子に座り、「オンリーシェービング&もみあげカットイズスウッとカット」
日本語混じりの英語で頼んだ。店員は、無言だ。。。伝わったのか、伝わらないのか分からない。郷に入っては郷に従え、まな板のうえの鯉になった。
無造作に顎中に泡が塗られ、パフォーマンスなのか剃刀を軽快に動かす。私は、警戒した。相変わらず、店員は無言で剃り続ける。いつの間にか眠ってしまった。
そして、肩を叩かれて起きるとすっきり髭が剃られていた。この店員は最後まで無言だったが、私が最後に「ユアープロフェッショナル」と伝えると、はにかみながらサンキューと答えてくれた。職人は技術で語るのだ。
そして、ラスさん宅へと向かう。
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ネパール回想記~類は友を呼ぶ~

2007年10月29日 | Weblog
ネパール人の友達の兄弟である、ラスさんは私を早速とある場所に連れてきてくれた。なんだか、いかつい人がたくさんいる。しかも、タンクトップに、黒い肌って、ネパール人はみんな黒いか。
無機質な重りが、たくさんある空間=トレーニングジムである。
彼の仕事は、なんとジムの経営者。あなたの仕事は何ですかと聞かれ「ジムのトレーナーです」と答えた。さすがの、ネパール人も唖然としてしていた。まさか、ここでジムつながりができるとは。
そして、写真に写っている方々は、ミスターネパール。元国内チャンピオン達だそうだ。筋トレをしようとしたが、あまりにも重さが違いそうなので、今回ヤメどきだ。ジム時々敗北。
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10月の日々

2007年10月28日 | Weblog
月日が流れるのは、早いものであっという間に10月も終わりかかっている。
8月は、嫌々だったタオル畳の仕事も、次第に好きになってきた。色即是空、心がけ一つで、同じことでもまったく違うものに変わる。きれいに畳むと、心もきれいになる、気がする。タオル君も、嬉しそうに話しかけてくる。「僕のこときれいにおってくれてありがとう」私の心は、きれいには折れませんよ!!

そして、週2回の東大和市のジムで、キネシスのパーソナルを担当して、徐々に受けてくれる方が増えている。ラッキー俺!

また、嬉しい知らせも続々と続く。愛知のジムにいたときのスタッフが教員採用試験に受かったと言う知らせ。彼は、私に「我以外皆師」という素敵な言葉を教えてくれた。私の伝説の一発芸「ほ○る」を伝授しているため、教員の飲み会では控えることを願いたい。そんな、私も新しい一発芸が増えた。「テジナーニャ」と「大文字焼き」である。まだ、一度しか試していないが、「ほ○る」に勝るとも劣らないだろう。何は、ともあれ、良い部分を伸ばしつつ、いい教師になってほしい。
そして、高校の後輩が、インドでダライラマのSP部隊に柔道を教えに行くということ。なんとも、素晴らしい運に恵まれている。インドで、日本柔道の魂を見せてほしい。

月末は、2年前の富士山の冒険で一緒だった仲間の結婚式に参加。まさに美男美女!運命とはこういう二人のことを言うのだろうと感じた。
そして、10月最後は、フリマに出店。
自分の着ない服を出すとともに、海外の写真も出してみた。
そうすると、行く人々が写真を見てくれた。意外にも、多かったのが年配の男性だった。みんな、うらやましいと口々に言っていた。若い頃に、やりたかったようだ。それができている私は、本当に幸せだ。そして、写真を1枚50円で販売。約20枚が売れ、その売り上げ基金はネパールの孤児院に寄付予定。ちょっと、ブログが滞っているが、ネパールの孤児院で柔道指導をしたので、そことは交流が続いている。
って、写真ばっかで、肝心の品物の売れ行きは・・・。

そんなこんなで10月も過ぎようとしている。11月は、中旬にマラソン大会。そして、下旬には、旅に出る予定。というか、出たい、というより、出る!!
今度は、どこに行こう。
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ネパール回想紀~世界は狭し~

2007年10月23日 | Weblog
今回の宿は、「シエスタゲストハウス」、地球の歩き方によると日本語も通じ、ボランティア活動をしていると書いてあった。それゆえに、なんとなくここにひかれた。とりあえず中を見せてもらうと、ベットが二つあり広さは10畳ほどはあり、ちゃんとシャワーもついていて、かなり快適である。早速、値段交渉をして四泊で2000ルピー、日本円にして約4000円。安くも高くもない値段だ。
とりあえず荷物を部屋におろし、電話を掛けることにした。
愛知にいた時に、ネパール人と出会い、もしネパールに行くならばここに電話してくださいと言われていたのだ。フロントで電話してみる。とりあえず、英語でアイムジャパニーズと名乗ってみる。続いて、こんにちはと言ってみると、通じる!!海外の思わぬ場所で日本語が通じるのは、ドラクエ4で小さなメダルを見つけたような気分だ。
そして、宿の主人に代わりここの住所を話してもらうと、なんと歩いて5分のところに家があるそうだ。こんな偶然なんてあるのだろうか?いや、これは偶然ではなくすべて必然なんだろう。また、歯車が回りだした!
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ネパール回想紀~歪んだハート~

2007年10月16日 | Weblog
慎重な荷物検査を受け、今度は荷物を盗まれまいと用心して飛行機に乗り込んだ。飛行機からは、優雅にエベレストを見ようと心ワクワクしていたが、乗り込んで三分後には、眠りにつき、2分後にはネパールについていた。あれ?いつの間にかワープしていた。
そして、無事に入国すると空港にはネパール人の客引きたちが日本語で話し掛けてくる。だまされ続けた私は、完全に無視だ。帰りのチケットはまだ持っていないため、空港の隣にある航空会社でチケットをもらおうとすると、門前払い。それでも食い下がると、市内の支店を案内してくれた。また外に出ると、たくさんの客引きがいる。とりあえず、市内の航空会社の支店まで、タクシー代わりに乗ることにした。なぜか、関係のないネパール人も乗り込み色々と話し掛けてくる。インドはどうだった?泊まる宿は決まっているのか?俺たちは安全だから、安心しろ!

はっきり言って、私は海外で日本語を操り、積極的に話し掛けてくるやつによい人はいないと思っていた。
タクシー代わりに車から降りて、支店でチケットをゲットすると、私は彼らの誘いを無視して、安宿街に向かって、一人で歩きだした。

地図で見た感じでは、近いと思ったが、実際に歩くと思ったよりも遠かった。さらには重たいバックパックまで背負っている。
そして、話し掛けてくるネパール人を無視している自分に気が付いた。

ここまでの度重なる騙しによって私は知らぬ間に心を閉ざしていた。私は、何をしにここまで来たのだ。世界の人と交流をして、生きていることのすばらしさ、楽しさを身をもって感じるために来ているのだ。ネパールに来てからの自分の行いを恥じた。
騙されるなら、騙されてみよう、ホトトギス。
私の心のバリアは、崩れ去った。

そして、地球の歩き方にのっていて、なんとなくピンと来たゲストハウスは、なくなっていた。自業自得。ここまでの行いが、そうさせたのだ。悔いを改め、道行く人に聞くとどうやら、どっかに移転してしまったようだ。引っ越したなんて地球の歩き方には書いてなかった。私は、もうどこでもいっかとまた歩きだした。そして客引きが話し掛けてくる。そして笑顔で答える。
そうすると、なんと私が探し歩いていたゲストハウスの客引きだった。サンキューミスター!喜んでついていくよ!
私の運はまだまだ尽きていなかったようだ!

そしてさらなる幸運がこのネパールでは待っていた。
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電車が来ない!

2007年10月16日 | Weblog
昨夜、線路に人が立ち入った影響で電車が遅れていた。
かれこれ、40分以上来ていない。
これをイライラしながら、待つか?プラスに考えるか?
最近、心理学の勉強にこっているので、後者を選択して、無事にインド編のブログを書き終えた。
椅子に座れたし、最後のインド編をのんびりと書くことが出来、ラッキーと感じた。
ちなみに、私がイライラするときは、お腹が痛く急いでいる時にエスカレーターでカップルが横に並んでいちゃついている時。早くトイレに行きたいのに、抜かせない。私もお尻の栓を抜かせないように必死だ。
もう一つは、トイレが一つしかなく、更に人が入っている場合。お願いだから、二つ作ってくれと、脂汗でイライラする。
うんこの話をしていると、お腹が痛くなってきた。。。辛抱我慢!
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インド回想紀~ビールと最後の夜

2007年10月15日 | Weblog
インド最後の夜は、まだ飲んでいないインドビールを飲むことにした。
簡単に見つかると思いきや、なかなか見つからない。インド人に聞いても、分からないという。みんなの話をまとめると、ここは聖なる場所で、半径2キロはアルコールは売ってないそうだ。とりあえず、真也君と適当に飯を食い、ゲストハウスに戻った。
主人にビールってなかなかないですねって、愚痴をこぼすと、「うちのレストランに置いてあるよ」と一言。うちのレストラン??
上を指差すので、ゲストハウスの上まで行ってみると、なんとそこはお客は一人もいないレストランだった。
一本、100ルピー!!一食が20~30ルピーの物価なので、この値段はとても高い。日本の居酒屋では一杯2000円と位の価値だ。普通では、頼まないかもしれないが、インド最後の夜。飲まないわけにはいかない。真也君に対しても、今日は俺の奢りだからたらふく飲めと伝えた。
かの高田純次の適当論という本に、『おごってくれる人はいい人だ』と書いてあった。シンプルでとても分かりやすい。私がお金が貯まらないのはこれが原因かも知れないと、ふと思った。
私が2年前、ベトナムを一人で旅したとき、クチトンネルツアーで、日本人三人組と仲良くなり、夜に屋台でビールをたらふく奢ってもらったのを思い出した。その時、私は24歳で、彼らは26歳だった。そして今、私は26歳となり、真也君は24歳。あの時の恩は、こんな形で返すことができた。彼は、お金少しは払いますと言ったが、また旅に出たときに、学生にビールをたらふく飲ませてやってくれと伝えた。輪廻天性、歴史は繰り返されるのだから。

そして、彼はなんと関西の名門K大学。旅も初めてであり、社会に出る前に勢いをつけたかったらしい。
そして、夢は海外の途上国でお金の回る大きな仕組みを作ることだった。目の前のことだけを見てしまっていた私にとっては新しい発想で、自分にはないものだった。海外について、経済について、酔いも入り、様々なことを熱心に語り合った。
インド最後の夜は、こうして幕を閉じた。
明日から、エベレストの庭とも言えるネパール。
今度は何を待ち受けているのだろう!
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インド回想紀~悪ガキから学ぶ~

2007年10月11日 | Weblog
ガンジス河に身を清めると、新しい自分があった。混沌としたインドの一部になれたそんな気がした。
はいているふんどしは、愛知のジムのお客さまたちからのプレゼントだった。寄せ書きの中に、あったメッセージ『世界を変えて』確かに、今私の世界は変わりました!皆様の想いは私の股間を包みながら、このガンジスに浸っています。ありがとう!

とりあえず、ゲストハウス「富士ガンガー」に戻りしばしの休息をとることにする。ゲストハウスの主人は、以前日本の三重にいたことがあり、日本語がペラペラだ。適度に親切で、適度に怪しい。そして、やる気はあまりない。

優秀であるがゆえに、日本を見て、インドを見て、現状を感じ、体全体からエネルギーはなかった。物質的な豊かさ、安全とどうにもならないカースト、貧困…。主人の本心はみることができなかった。まあ、このゲストハウスを経営していくだけで、十分に食っていけるだろう。

ちなみに、海外に行くとかなり興奮する。エッチな意味の興奮ではなく、何が起きるか分からないドキドキと不安が錯綜する高揚感である。だから、身体が疲れているのも忘れて動き回っていると、でかい落し穴が待っている。体調不良である。
だからこそ、無理に休まなくてはならない。海外に出ようとしている人は、ぜひ教訓にしてほしい。

そして、昨晩に引き続き、プージャに出かけた。今度はボートに乗らずに、川岸で見ることにする。毎日が祭りのようなプージャは人で溢れかえっている。なんとか場所を見つけ、腰を下ろした。
ここで、日本の祭りを思い返してほしい。家族連れ、カップル、子供たち、が楽しそうに振る舞っている。そんな中、なぜか悪ガキ達も一緒になり、たむろっている。
そう、ここインドでも同じ現象が起きている。色々な悪ガキグループが虎視眈々と私たちを狙っている。一人が日本語で話し掛けてくると、私と日本人学生の真也君はなるべくトラブルをさけるべく、最初は相手にしなかった。しかし、次から次へとやってくる。そんな状況で、私はあることに疑問を持った。なんでそんなに日本語が話せるのだろうかと。そして、実はほとんど教育を受けていないにも関わらず、そんなに話せるなんて影で相当な努力をしたのだろうと、なんだか悪ガキに尊敬の念を抱いた。
そして、一人の青年と向き合って話をした。そして、素直に彼の目を見て誉めた。そうすると、さっきまでの邪悪な雰囲気が消えた。そして、彼は私に色々と語ってくれた。インドではカーストがあり、なりたいものになれないこと、貧困なこと、けれどそんな彼は私に『どんな状況でもあきらめちゃいけない。一生懸命頑張っていればいつかうまくいく』ということを力説してくれた。まだ、13歳にも関わらず、彼は我が師となった。
ちなみに、彼はみきちゃんという日本人の彼女がいてインドで迎えに来てくれるのを待っている。
隣の真也君もまたインドの悪ガキ青年と分かり合っていた。最後に、私と話していた青年は警察官にいきなり吹き飛ばされ人込みに紛れていった。そんな彼の姿、数ヵ月後にまた見ることができた。
そして、真也君と話していた青年は、この辺は悪い奴らが多いから気を付けてくださいとアドバイスしてくれた。お前だろって、笑いながら言おうと思ったが、飲み込んだ。今の彼らは、「いいやつら」だった。
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合格×2

2007年10月10日 | Weblog
最近受けた、日本関節アプローチ協会の結果が分かった。

結果は、合格!

何はともあれ、合格するのは非常に嬉しい。

関節アプローチとストレッチのマスタートレーナー。名前負けしないように、日々修行を積まなくてはならない。

現在、行っているジムのキネシスも徐々に埋まりだしている。やはり、チャンスは動いて待たなきゃいけない。そして、人生は修行中。

噂によると今度H-1(変態)なるものが開催されるらしい。是非とも、グランプリを取らねば。
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若き才能

2007年10月10日 | Weblog
『これは幼稚園児の絵ですか』私が絵を描いた後に言われる言葉である。絵をうまく描くという能力が欠落してしまっているようだ。だから、純粋に絵をうまくかける人、絵で表現のできる人、絵で感動させられる人はすごいと思う。

私の働いているジムのスタッフに、画家がいる。歳は自分と同じである。個展を開くというので足を運んだ。
正直絵のことがよく分かる人間ではない。ただ、その彼がいつものジムで働いている時とは違い、そこにいるのが自然で生き生きしているのが感じられた。

自分の好きなことができ、表現でき、それで食べていけたら最高だと思う。

絵を見ながらそんなことを考えた今日この頃。
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