人生修行の旅

「笑って、野垂れ死ぬ!!」
そのために、この人生をどう生きて、この命を何に使うか?人生一度きりの生き方を実験中!!

久々のバックパック

2007年11月28日 | Weblog
 明後日の早朝に旅立つのに、何も準備していない。
なんとかなるさ!!と思いつつも内心焦る自分。
よく聞かれる「何しに行くの?」
答えは、バカンス・・・その人にとって心がワクワクすればそれはバカンスとなる。
よく聞かれる「そんなに休みが取れるの?」
現在は、まだまだ使えない私は、契約社員・・・だから、海外に行くためではなく、まだまだ能力が低いから、正社員にはなれません。恐るべし、マイカンパニー。
よく聞かれる「よくそんなに金あるね?」
ギャンブルをしていないので、月に1万溜まります。
タバコを吸わないので、月に1万溜まります。
エロ本を買うので月に500円減ります。
トータル1万9500円は浮いているのだ。そう思うと、お金は何に比重を置いて使うかだ。
よく聞かれる「危なくないの?」
危ないと思えば危ない、危なくないと思えば危なくない。要は、「覚悟」があるかどうか。

以上、旅は素敵だ。
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再会の裏話

2007年11月26日 | Weblog
1、松本市が一千万、講道館が一千万、ネパールが420万出して建てた立派な武道館がカトマンドゥにある。普段は柔道や剣道の稽古に使用するが、たまにマオイストという組織の集会に使われる。かくいう私は、何も知らずに集会に参加して、ご飯などを無料で食べてしまった。無知とは怖いと実感した。

2、今回、松本市が負担している分は子供と政府の役人の分。私の友人のダルマ先生は自腹だ。日本とネパールの往復は、ネパールの一年分の給料に値する。

3、施設の子は来れない。親のいない子供たちはパスポートが作れないようだ。
4、柔道クラブの数は約250名。毎日練習をするため、実際に皆勤な子供は70名。柔道着の数は足りていない。

5、ネパールの人は柔道の段を取りたくても取ることができない。柔道の総本山、日本の講道館は5~7年に一度しかネパールに来なくて、昇段審査を受けられない。

6、ダルマ先生がボランティアしているストリートチルドレンの施設では、子供たちの教育の一つとして柔道をしている。

そんな裏話は、松本市の方は知る由もない。
それを記者に話したら、とても記事にしたいと言ってくれた。

誰かが何かをしないと動かない。

そんな中、ネパールチームのホームステイ先に家を提供してくれている懇心会という柔道クラブの広瀬先生は、本気でなんとかしようと松本市に掛け合っていた。国士舘も紹介していた。むしろ、俺が三年くらい教えに言ってくると熱く言っていた。齢60を越えているが、年は関係ない。
大切なのは「心」なのだということを教わった。
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半年ぶりの奇跡の再会

2007年11月25日 | Weblog
24日
松本市に着き、バスで体育館に到着。今日は練習試合と開会式のみだが、たくさんの子供たちが試合をしている。今回の参加者は3000人を越えるというビッグな醍醐敏郎杯だ。
会場の二階席で何周も見回すも、発見はできない。うーん、本当にいるのだろうか、疑問になってくる。とりあえず、待つこと一時間。館内を見回してもいない。「チャンスは動いて待て」動くことにした。
下におりると協賛でJTBがあり、もしやと思って声を掛けると隣に市役所の方がいた。事情を説明するとトントン拍子で話が進み、案内することになる。
道場に入り、人込みを抜けること1分。そこに、ダルマ先生率いる、カトマンズ柔道チームがいた。
ダルマ先生は突然の訪問を喜んでくれた。固い握手をし、再会した。
そして、カトマンズチームは、開会式の後にエキシビジョンで試合をするようだ。市役所の担当者も良かったら参加してくださいというので、大会役員のカトマンズチームの席に座り、開会式に出た。そして、今回はネパールのスポークスマンとして、写真を取った。試合が終わると、信濃毎日新聞の記者に取材を受けた。この偶然、本当にあり得ない話だとびっくりしている。確率的には、道端で一万円札を拾うくらい少ないだろう。私はまだ5千円札しかないが。。

ダルマ先生は、三人の政府の方と10人の子供たちで来ていた。私が思い出深い、施設の子供たちはいなかった。親がいないのでパスポートがおりなかったということだ。日本には、親がいないとダメなのかと憤慨した。表向きの美談、裏の現実の話、ダルマ先生とは、半年前ぶりの対面にも関わらず、昔からの友人のような気がしてならない。不思議だ。

帰りは取材をしてくれた記者さんに安いホテルまで送ってもらい、一日が過ぎた。

25日
午前は私の母校である国学院栃木も出場していたので、応援をし、昼ごろにネパールチームと合流。係の方も自分が試合会場のストラップを持っていなくても、私の名前を行って中に入ってくださいととても協力してくれる。サンキュー柔道家!
ダルマ先生は自費できていること知り驚いた。なぜなら、日本とネパールの往復の交通費は、ネパールの年収一年間に値する。二人で会場内にあった柔道グッズのお店に行った。最初は、日の丸のついたネクタイのピンを買おうとして、店員が600円と言い、ダルマ先生は一瞬寂しげな顔色になり、「エクスペンシブ…」と呟いた。せっかくのチャンスで、憧れの地、日本に来て物価の差から何も買えないでいる。一人の裕福な国の日本人として、そして柔道を愛する仲間として、これはプレゼントすべきではないかと思った。ネパールにいる仲間の先生二人とダルマ先生に、講道館柔道のTシャツ三枚とネクタイピンをプレゼントした。
私も交通費がギリギリであったため、必死で事情を説明したが、一枚2500円の定価から一向に安くならなかった。講道館のTシャツ販売の方、少しは協力してください!!とぼやいた。帰りの電車賃の心配は、頭のなかに、小島よしおが出てきて「そんなの関係ねぇ~」と言ってくれたので大丈夫。ここは日本。なんとでもなる。
それよりも、講道館Tシャツを手にしたダルマ先生はとても嬉しそうだった。その顔が私にとっては、金には代えがたいものだ。
私が旅をする時も、何人かの方が出資してくれた。見返りは期待していないという。金に対する代償は、シンプルなのかもしれない。
そして、最後は私の母校の国学院栃木の試合を観戦した。相手は強敵、桐蔭学園。私の同期が高校のコーチをしていて、醍醐杯の詳細は彼から聞いている。これにも不思議な縁を感じる。二校とも超中学生級である。お互い一歩も譲らぬ展開で、代表戦にもつれ込んだ。
そうすると、さっきまで退屈そうに見学していたネパールのちびっこ達も興奮気味の近寄ってきて、どっちがあなたのチームと聞いて、赤のベルトと説明して一緒に応援してくれた。最初、技ありをとられたが残り10秒くらいで取り返し、勝負は判定にもつれ込んだ。赤い旗が二本あがり、勝つことができた。
その瞬間、ダルマ先生、ネパールの子供たち、松本市役所の方も一緒になって喜んでくれた。皆が一体になった瞬間だ。ありがとう、母校の中学生たちよ!

最後に、皆と最後の握手をした。今度はいつネパールに来るの?と聞かれた。
そのうちね!
近年は無理でも、また必ず行くだろう。

二日間だったが、素敵な時を過ごせた。

帰りの電車賃??
そんなの関係ねぇ~。

PS 柔道関係者で、いらない柔道の本やDVDをお持ちの方は、是非御一報ください。ネパールに送りたいと思います。
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義理と人情と海外で受けた恩

2007年11月25日 | Weblog
今、私は海外に向かっている。チャイおごってくれたネパール人柔道家に、笑顔をくれた子供たちに、お礼をするためである。

どこに行っても、たくさんの人から、たくさんの親切と優しさと笑顔をもらった。

〓初めての一人旅、タイの高校に行ったら、ぼろぼろの道着を貸してくれて、練習に参加した。帰りぎわ、先生が家に泊まれと申し出てくれた。予定があったので丁重にお断わりしたが、今度チェンマイに来るときは、宿は取るな。家に泊まれと申し出てくれた。とても嬉しかった。
ちなみに先生には高校生の娘がいて、柔道部のキャプテンで、美人で強かった。
〓ベトナムの柔道クラブ。私が訪ねて、着替えが終わって戻ると皆周りに座っていた。向こうのエース「サムライ」と試合をさせてくれた。正直力強かったが、運良く寝技に持ち込み勝つことができた。その後の練習で子分達がどんどんかかってきたが、なんとか撃破した。練習は敵対心むき出しだったが、練習後はジュースに誘ってくれた。
七人の高校生の行きつけの露店でサトウキビジュースを飲んだ。簡単な英語でコミュニケーションを図り、いい時間を過ごした。私がお金を払おうとすると、皆が断った。高校生のその心意気、ベトナムで飲んだサトウキビジュースは生涯忘れられない。帰りは宿までバイクで乗せてくれた。もちろんノーヘル、信号無視、クラクションならしっぱなしだ。

〓ネパールの柔道クラブ。着替えるやいなや、子供たちの真ん中で技の講習をした。すぐに皆に溶け込み、技を伝授できた。そこの先生たちは朝と夕方、子供たちを指導する。お金は出ていない。中には、仕事がなくなり無職の方もいる。それでも、練習が終わるとチャイをおごってくれる。
甘さが体の芯まで染み込んだ。

修羅の刻というマンガで、「富んでいるものに恩を受けたなら、感謝する。そうでないものに受けたなら、恩を返す」という内容の文があった。

恩を返すときがやってきた!
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ネパール人からの電話

2007年11月23日 | Weblog
 昨夜、忘年会の下調べで、居酒屋を偵察していると、見知らぬ番号から電話がかかってくる。出ると「ハロー」と英語で話してくる。外国人の友達は最近はいないので、いたずらかと思ったが、すぐに誰か分かった。ネパールの時に知り合った、柔道の「ダルマ先生」である。私のつたない英語で会話を進めていくと、なんと今は日本に来ていて、そして明後日の小学生の柔道大会に参加するらしい。私が5ヶ月前に旅をして、立ち寄って稽古をしたところのクラブが、日本に来ているのだ。
日本に来ることが難しいことは、十分承知しているので、。これは奇跡に近いことである。

海外に何万という柔道クラブがあるが、その中でもたまたま行った(青年海外派遣でも、NPOでもなく完全プライベート)ところが日本にくるのだ。更には、そこのチームは、施設の子供たちである。つまり、孤児院の子供たちなのだ。子供たちは、更正のために、教育のために、柔道を行い、強く礼儀正しくなっていく。
もともと本来の柔道の意味である「道」がそこにあった。

そして、そこの先生たちは、私にチャイをおごってくれた。先生たちの中には、騙されて無職になってお金もほとんどないのにも関わらずだ。だからこそ、その恩返しに行こう。
とある桐蔭学園という超強豪柔道部のコーチをしている大学時代の友人に、試合場と試合時間などを調べてもらった。そして、私が、海外に行くときなど力を貸してくれる素敵な方から、子供たちへのたくさんのプレゼントを寄付していただいた。
本当に感謝・感激だ。

最後に、今月末に、旅に出ることに決めた。とりあえず、タイの往復便を取った。そして、タイとミャンマーの国境付近に行く予定だ。そして、予定は未定だ!
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ネパール回想紀~出発~

2007年11月20日 | Weblog
ストライキで町中の交通がダウンしても、なんとか行くことができるだろうと小さな乗り合いバスに声を掛ける。が、しかしパクタブル行きは一台もない。タクシーに声を掛けるととても高い。
困った。ふと我に返り考えると、なぜ私は急いでいるのだろう。誰かが待っているわけでもなく、約束があるわけでもない。日本にいると時間通りが当たり前だが、ここでは時間どおりいかないのが当たり前なのだ。
行かぬなら、行くまで待とうパクタブル。コーラを飲みながら、一句書いていると徐々に車が動きだしている。当然、パクタブル行きも動いている。
ちびっこが道路に飛び出すようにバス追い掛けた。
先程の若い兄ちゃんが、飛び乗りなと合図し、乗車。すると次から次へ人が乗ってくる。挙げ句の果てには運転手の横はもちろん、屋根にも乗っている。ネパールのバスは100人のっても大丈夫と言わんばかり、満員だ。


パクタブルに着くと、次はナガルコット行きのバスに乗り換えようとしたが、どうやらここにはそこへ行くバスはない。どうしようか考えていると、英語の話せるネパールの大学生が話し掛けてきてくれた。
そして、どのバスに乗るといいか教えてくれ、彼らも乗り込んでくれ乗車賃を払ってくれた。そしてナガルコット行きのターミナルでバスが発車する迄しばしの休憩。

必要なとき、必要な人が現れ助けてくれる。旅とは必然の集合体だと感じた。

そして旅は道連れということで、三人でエベレストの麓に行くことになった。バスに乗り込む。ではなく、屋根に登り山道を行く。まるで小学生に戻ったかのようにワクワクした。そしたら、小学校の前で子供たちが勝手に乗ってくる。下校途中に無賃乗車だ。日本なら、ニュースで問題になるが、ここはネパール。色々なことがある。
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マラソン大会

2007年11月19日 | Weblog
戸田マラソンに参加。5キロ、10キロ、ハーフとあるが、今回は5キロに出場。それはもちろん、世界陸上銀メダリストの市橋選手と一緒に走るためである。

というのは、スタートの時に市橋選手が近くにいたから思ったわけであり、練習できていない状況を踏まえ5キロにした。

久々に苦しい17分52秒を過ごした。やっているときはこんなに苦しいのにと思っているのに、スタート前はワクワクして、ゴール後は爽快だ。
以前のさいたま市体育館のお客さんが、一位と二位になっていた。嬉しい反面、負けず嫌いの私はかなり悔しい。。。
苦しいことは、楽しい!
が、負けることは、悔しい。
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ネパール回想記~いざエベレスト~

2007年11月15日 | Weblog
宿に戻り、しばしの休憩・・・いつものように5分ほど休憩すると、さっそく荷物をまとめて、エベレストの麓にトレッキングに行こうとする。
宿の受付で、ガイドを勧められ料金を聞くと交通費やガイド、宿代などすべて込みで110ドル。まあ、山へ行くわけだし、命は金に代えられないからと、


そんな分けもなく、一人で行くことに決定!周りのネパール人に「お前迷うぞ!」と言われたが、「人生に迷ってますから^^」

とりあえず、カトマンドゥの中心部に向いパクタブル行きのバスを探す。街の人に聞きながら、進むと若い兄ちゃん「パクタブル、パクタブル!!」と威勢のいい声をあげている。颯爽と乗り込んだ。15人ぐらいのミニバスだった。なんとか座ることができて、10分後にバスはパクタブルに向かって、出発した。通りを走ること3分、前に進まなくなった。そして、10分後、バスはあろうことかバックを始めた。人がわんさかいる通りを、ひいたらごめんねとばかりにバック走する。
どうやら、前で事故が起こりこの道はダメなようで、引き返して違う道を行くようだ。がしかし、5分後・・・また止まってしまった。今後はうんともすんとも言わない。
隣には、英語のしゃべれるネパールの大学生が座り、聞いてみるとストライキのようだ。そういえば、さっきまで走っていた車が全て一斉に止まっていた。先ほどまでのクラクションがうそのように静まり返っている。乗客がどんどん降りだした。私は、どうしていいのか途方にくれた。運賃係の少年に聞いても、さっぱりと言う感じでいつ走るか分からないようだ。とりあえず、私も降りて、違う方法を探そうと通りを歩いた。そうすると、警察官とタクシーの運転手達が集まってもめている。私も、通りの上から観察。こんなことが日常茶飯事なんて、大変だなーそしていけるのか、俺・・・
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愛知出張

2007年11月12日 | Weblog
最近、体調を崩していてブログが滞ってしまった。とりわけ、風邪を引いたわけではないのだが、疲れが取れず、口内炎や舌炎ができてしまっていた。マラソン大会が近いから、練習をしすぎてしまったのだろうか。練習はできていないが、本番に掛けるしかない。。。
そして、久々に愛知へ。
第三の故郷とも言える。
愛知に来たのはちょうど一年前。当時の私は、今思い返すと、本当に何も知らなかった。
どのくらい知らなかったというと、電話の対応を知らない。運動の知識のみで知っていることがないというくらい新社会人として恥ずかしいくらいだった。そして、フィットネスクラブで研修ができる立場でもなかった。

それが今、他社のスタッフの方の研修のために愛知に来ている。自分で言うのも変だが、本当に不思議である。

そういえば、今回は愛知の西尾に来ているのだが、私が以前、一色島で釣りを一緒にしたお爺さんは西尾に住んでいるといった。さらに、建築会社の社長をしていると・・・。今回のジムの親会社も建築関連。
まさか、あのお爺さんが、なんてことを思い出していた。

そして、施設には一年前に私の上司だった方と対面。その方のマシンの使い方は常識を遥かに越えていた。股関節周辺の金群に効果的だ。知りたい方は言ってください(笑)

などと支離滅裂の文であった。

いつの間にか体調も良くなっている!ラッキー!
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ネパール回想紀~ちびっこ柔道~

2007年11月09日 | Weblog
道に迷っていると、ギリシャのナショナルジャンパーをきたいかにも格闘家のようなネパール人に柔道場に案内してくれる。道を曲がり、曲がり裏に入っていくと、
「匂ってきたー」
柔道の匂いがする。筋肉臭いような、汗臭いような、そんな独特の匂いが私の嗅覚を刺激して興奮する。

道場にはちびっこ、ちびっこ、時たま大人。
噂によると、日本人指導者がいるらしい。どの人か分からないためとりあえず、日本語で挨拶。しかし、日本人指導者は見当たらなかった。とりあえず、更衣室で着替えて道場に戻ると、ちびっこ達が円になっている。おしくらまんじゅうでもしてるのかと思ったが、そうではないようだ。
いきなり、円の中心に連れていかれ、ジャニーズ先生と紹介され、技の講義をしてくれという。マジ!?久々だし、それは考えてなかったから丁重にお断わりをしようと…

そんなことできるわけない!だって、子供たちの目がキラキラしてるだもん。

柔道歴20年、数秒の間に柔道人生で一番頭を働かせた。
子供たちにも出来て、基本にのっとっていてちょっぴりすごい技。
まずは、消える体落とし。いつの間にか相手から消えて技を出す必殺技。どうだ?と思ったが、反応はイマイチ。ちょっと難しいかな。だって、私も大学時代に盗んだ技だし。ちびっこにはまだ早すぎる。
やはりここは、背負い投げと小内というお決まりのパターンに少しアレンジした。

子供たちがこれでいいのと聞いてくる。とっても熱心だ。昔を思い出し、熱血指導をした。
柔道をやってよかったと思うのは海外にきてからだ。これは、ものごごろついた時から、強制収容所なみの圧力で柔道をやらせてくれた両親のおかげだ。感謝しなくては。

そして、九時近くになると、子供たちはセンセ、アリガトーと言い走り去っていった。

そして、帰りにネパールの柔道家たちは私にチャイをごちそうしてくれた。空腹の甘さはと親切が心に染みた。
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