人生修行の旅

「笑って、野垂れ死ぬ!!」
そのために、この人生をどう生きて、この命を何に使うか?人生一度きりの生き方を実験中!!

出羽三山周遊97km体験記 後編

2023年06月21日 | 挑戦
*6月10.11日の出羽三山周遊97kmの冒険の記録です。
*様々なサポート、お力を得て安心・安全に実施しています。スリリングな気持ちをお楽しみいただけるように表現上オーバーに書いています。

月山から西へ8kmのところにある湯殿山神社。



残り30分程度の道に1時間半もかかるとは思いませんでした。

急に現れた長い梯子。



それを何度か降りることを繰り返し、目の前に立ちはだかる急斜面の雪。



道がない。

えっ。。。

GPSで方向を指し示すのは斜面の数十メートル下の方。

崖っぷちの局面に何だか笑みが出てきます。日本の三大修験道の一つがそう簡単に終わるはずありません。

ちょっとでもミスをしたら、あの世へ直行。

装備を整えて、気合いを入れて集中します。

道はないけれど、どこかにきっと道はあるはずです。

うっすらとか細く光る雪の斜面を慎重に慎重に歩き、数十メートル先の雪から飛び出した木に必死に掴まる。隙間から顔を出している木や竹を掴みながら、ゆっくりゆっくりと下っていきます。

これは人生史上一番集中しよう。

今までまあまあストイックに日々修行として鍛錬してきたのは、これを乗り越えるためなのかもしれない。

12時間動き続けてきた疲労は吹き飛び、身体中からエネルギーが漲ってきます。

木に捕まりながら立ち上がり下を覗き見ると

数十メートル下ったけれど、先はまだまだ長い。

山の中で立っている自分が天狗に思えてきました。

天狗とは山伏や行者や修験者が想い描く姿を表したものという一説もあります。

羽で空を飛び、木々をぴょんぴょん跳んでいけたら、この道も簡単に違いない。

よし、私も空を飛んでみよう!!

と思ったけど、そのままお空に行っちゃいそうなため思い止まることにしました。

汗だくになりながら、さらに数十メートルをなんとか下るとまた道がありません。

目の前にあるのは膝ぐらいの水深の急斜面の小川。雪解け水が集まり、川になり、斜面を流れています。

地図とGPSを確認すると指し示すのは小川。
今度は沢下りかと、横に生えている木々に捕まりながら慎重に慎重に冷たい水の中を下っていきます。

ジャブジャブと10分ほど歩き、足が冷え切るとようやく道が開け、100m先には車が見える。

助かった!!

と思いきや最後の難関が待っていました。

谷底は雪解け水が合わさり急流な川。
目の前は雪の急斜面。
一瞬途切れた集中とクタクタの身体。

つい数十分前を凌駕する、人生史上最大の難所でした。

「集中しろ!集中しろ!集中しろ!」
何度も何度も声を出し、もう一度集中を高めます。

微かに見えた光の雪道を少しずつ少しずつ慎重に慎重に進みました。

下はまだまだ谷底です。

今、私は死地に立っている。
ふと何かが私にやってきて、何か嫌な気配がします。

「いつ死んでもいいと思っているけど、そう簡単には死んでやらない。生きる場所を決めて生きてきたのだから、死に場所も自分で決める。ここは私の死に場所では断じてない!!」

大きな声で叫ぶと何かは遠ざかっていきました。

もう5メートル進めば私は助かる。
それでも、もうこれ以上進むのは正直難しくなってきた。

そこからの出来事は衝撃的でした。


湯殿山は「語るなかれ」「聞くなかれ」と戒められた清浄神秘の世界のようです。


ここで見たこと、体験したことは、その人だけのもの。


「生きているんじゃない!お前は生かされたんだ!!」


湯殿山は生まれかわりを祈る未来の山。

42歳になった翌日の私は、
一度死に、生まれ変わったのかもしれません。

湯殿山神社に着くと、目から汗が噴き出て、生かされている事に感謝の気持ちが溢れてきました。





その後、湯殿山参籠所という場所に泊まり、御神湯に浸かり、痛めた足をさすりながらもう1日だけ動いてくれるように必死に祈りました。大きく腫れて座る事もできない状態も、7時間後にはまた再び走れるようになっていました。





明朝4時に出発し、六十里越街道を走りました。膝ぐらいまである小川を渡るのも、道なき道をたまに進むのも、誰かに背中を押されているんじゃないかというほど快適に進みました。







ブナの木が大正生まれの先人達の伝言板として使われていることや、弘法大師が護摩祈祷を行った場所などを通過して、最後は13kmのアスファルトを走り鶴岡駅に戻ってきた。コースタイム15時間を8時間ほどで踏破。


























一年に一度のバースデーチャレンジ。
おかげ様で生まれ変わりの旅ができました。

生かされた事に感謝して、誰かの何かのお役に立てるように日々精進します。

長文を読んでくださった方、ありがとうございました🙏

おしまい。

PS 初日の最後で痛めたお尻は、あれから10日経っても腫れが引かず。傷を見た方は、病院に行けばと言ってくれますが、修験道で痛めたのにそれはちょっと違うかなと思いそのままに。初日の最後に起きたあの出来事は現実だったのか?痛くなるたびに考えます。導かれるようにしてやってきた出羽三山。その意味がちょっと分かりかけたような気がします。修験道は、やはり修験道でした。




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出羽三山周遊97km体験記 前編

2023年06月21日 | 挑戦
*6月10.11日に敢行した冒険の記録です。

今回のコースは鶴岡駅が起点。



出羽三山を巡りたいと考えてまずは5ヶ月前に地図を購入。

地図とにらめっこをして、1泊2日で行けるコースはないかと考えて探した道。

道はあるけれど、ネットでの情報は少ないので、大まかなルートとポイントの通過目安時間だけざっくり決めて後は臨機応変に対応しようといういつもながらの作戦です。

最初に目指すは羽黒山神社。

約14kmのロードを2時間かけて移動して一息。







観光地のため自動販売機もあり水を数本購入。

東北の仏教文化の中心地であるだけに門から神社がいたるところにあります。持ってきた数十枚の御賽銭用の小銭も羽黒山で底をつきました。まさかこんなに御賽銭箱があるとは、、、









2446段の階段をササッと登り終えると標高414mの羽黒山神社があります。

1,400年以上前に天皇の皇子であった蜂子皇子が出家。その後羽黒山にたどり着き、修行の末羽黒山頂に社を創建したことが始まりと言われています。

ちなみに「羽黒山」は蜂子皇子が“羽の黒い鳥”に導かれてたどり着いたことから名付けられたとのこと。



さらには「修験道」とは、古来より山に入りそこで得た力で人々を助ける「山岳信仰」と「仏教」が組み合わさってできたものとされています。

つまりは山や木、滝などの自然崇拝と、仏様への偶像崇拝の両方の側面を併せ持つ、いわゆる“神仏習合”。

私の住んでいる四畳半の部屋にはなぜかビビッときて10年前に購入した仏壇の中に(世界を旅して見つけた)様々な神さまが並んでいるのは、型にはまらないおおらかな修験道を無意識に引き寄せていたのかもしれません。

そんな昔からある場所に想いを馳せている時間はなく、次なる目的地月山へ。

今回の行程は、地図とスマホのGPSと現地にある案内の3つをバランスよく駆使しながら向かいます。

東北自然歩道と呼ばれる道が途中から分からなくなり迷子。



迷った時にお坊さんが現れて、聞くと丁寧に教えてくれます。この日は3回ほどどちらに進むか悩んだのですが、不思議と誰かが居合わせて話しを聞いて次に導かれるように進んでいきました。

「道はあると言えばあるけれど、最近は誰も通ってないから荒れてますよ。倒木もありますよ。」







江戸時代には15万人もの人が歩いて参拝に通っていた道も、今は誰も通らず、知られていない存在。

「忘れ去られた道を歩いて風を通します。日々、鍛錬してあるから大丈夫です。」

帽子をとって頭を見せると、お坊さんは微笑みながら、
「あなたも修行中でしたか。お気をつけて。」

と見送られました。

葉っぱに覆われた道は足元がぐしょぐしょになるため、防水パンツとロングTシャツを着て進みます。

周囲の様子にも気を配りながら、
道なき道は強い気持ちが大切だ!

そんな気概も1時間程度で終わり、このままだと目的地への時間に全然間に合わないので、アスファルトの延々と続く登り坂へ変更。

荒れた道でびしょびしょになった靴下を乾かすためにサンダルに履き替え、ふやけた足の皮膚と濡れた衣類を歩きながら乾かします。



二手に分かれた道。

右に行くか?

左に行くか?

ちょうど地元の方がいて、現地情報をいただきました。ネットの情報とは違う生の情報があり、参考にさせてもらいながらも最終的には自分の判断で決断をします。

自分で選んだ道ならば、後でどうなろうと納得できるはず。

選んだ道はアスファルトの登り坂を18km。

ところどころに白い蝶がたくさん舞っている木々があることに気付きました。

白い蝶は何のメッセージなのか、
何かのサインだろうか?



いずれにしても何か縁起のよさそうな気がしますが、ゆっくりみる余裕はなく先を急ぎます。

過去の世を表す山と言われる月山。

延々と続く道。

ずっとしんどくて、ずっと苦しい。

私が今の私に変わる前はこんな感じだった気がする。

今となればその闇があったおかげさまと言えるけど、今そう思えるのも、それは単に運が良かっただけとも言える。

人生とはまったくもって不思議なものであると私は思う。

山頂が近くなるにつれて雪が積もり、アイゼンという鉄の爪みたいなストッパーを足裏につけて歩きます。











雪道はどれがルートかも分からないので、地図とGPSを頼りに進み、ようやく山頂へ。

孤独さと荒々しさを感じる誰もいない月山と月山神社。

山頂には月の形をした石が置いてありました。

今年は卯年。

古くから兎は月山神のお使い、月の精とされていたと伝えられ、卯年に参拝すると12年分の御利益があるとか。

ここが出羽三山の最高峰1984mで、ここからは下りが続きます。

遠くのスキー場から音楽と放送が流れてきて、楽しそうな雰囲気が伝わってきますが、それを横目に進みます。

19時到着予定でしたが、大峯奥駈道に比べたら全然余裕だし、この調子だと17時台にはつけるかもと思い始めた頃に、それは突然がやってきました。

つづく
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出羽三山周遊終わりました

2023年06月12日 | 挑戦
昨日に出羽三山周遊を終えました。

鶴岡駅をスタートして、
初日に羽黒山、月山、湯殿山と登り
2日目は六十里越街道を通り戻ってきました。














初日、2日目の距離は計97km(初日約56km、2日目約41km)で、想定以上に大変でしたが、様々な御加護や応援があり、天候にも恵まれ運良く無事に巡ってこれました。
本当にありがとうございます!

現在(羽黒山)・過去(月山)・未来(湯殿山)を巡る「生まれかわりの旅」と言われている出羽三山ですが、

生きているというよりも
生かされているという感覚を強く強く個人的には感じました。

なんだか生まれ変わった気がします。
具体的には説明はできないですが。。。

古から続く修験の山は、言葉に言い尽くせず頭も回りません。

とりあえず全てを出して精魂尽き果てたので休みます。
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出羽三山からの挑戦状

2023年06月10日 | 挑戦
昨年、仕事がなくなった時期があり、「これはチャンスだ!」と思い立って1300年前から続くと言われる修験道"大峯奥駈道"に挑みました。

常にアップダウンのある約100kmの道は、予想を遥かに上回るきつさで、約15〜20kg弱のザックを背負いながら進みました。たまたま山奥の避難小屋で一緒になった方とタッグを組んだおかげで2泊3日で運良くたまたま踏破ができました。

その3日目の道中に、

『玉置神社からの奥駈道。
日本酒の四合瓶が落ちている。
拾いたいけど、
これ以上荷物はザックに入らないけど、
えーーーい、拾っちゃえ!
「月山」という名前の日本酒だった。』






という出来事がありました。

次は月山だ!!
出羽三山が挑戦状を出したに違いない!!

という勝手な思い込みに身を任せて、準備を進めること約1年。




クマ対策として蟲笛の練習を行い、
(風の谷のナウシカ先生を真似て)

魔除け対策としての法螺貝は騒音になり練習できず。ドンマイ。。。

お化けが出ないかが心配です。

とりあえず東京から夜行バスに乗り、鶴岡駅近くへ。






これから月山、羽黒山、湯殿山の出羽三山を巡ってきます。

歩いたり走ったり休んだりしながら、1泊2日(多分80kmくらい)の行程です。

道中何がやってきてくれるのか?

年に1度のバースデーチャレンジのスタート!!

PS  余談ですが、約1ヶ月前に「その月山は島根県のですよ」と居酒屋でたまたま隣りの席に座った山好きの方が私の話しを聞いて教えてくれました。「私は山形出身で、ちょうど山形の月山(銀嶺月山)を持ってきましたから。」と山形の月山を飲ませていただきました。また導かれているようです。
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戦闘力が上がる

2022年12月28日 | 挑戦
ちょっと真面目な話ですが、

長年、様々な挑戦を続けてなんとか生きています。

経験から不思議だなと感じるのが、

何かに挑戦しようとすると良い流れがやってきたり、思っていることが叶うことが多々ありました。

ドラゴンボール世代のため、

マンガ風に言うと、

戦闘力が上がると感じています。

(他の言葉を使うならば、「気」や「波動」などのエネルギーが高まるのかもしれません。)

ちょっと前に秩父34巡礼ウルトラマラニックを最終回にすると決めて、

最後は私も全部サポート(約110㎞)できたらと考えていたのですが、正直、体力に自信がありませんでした。
(自身のハードなことは今年の6月の熊野古道からはしていないため)

折れやすいちっぽけな自信も時としては役に立つので、再び自信を得ようとまだ未知である飯能アルプスをトレッキングしようと決めたのはいいですが、なかなかスイッチが入りませんでした。

それが飯能アルプス前日に思いもよらないオファー(移動式銭湯の水スポンサー)を受けて、

始発で行って、本気でトレッキングすれば(道に迷わず、トラブルもなければ)諸々間に合うかもと思ったところからスイッチが入りました。

おかげ様で戦闘力が上がり、良き出会いやご協力のお陰様で、今にも切れそうなクリスマス・イブの吊橋をなんとか渡りきることができました^ ^

実体験を通しての学びから、私にとっては何かに挑む時に戦闘力が上がるようです。
(ただ、様々な人を見てきましたが、挑戦で上がる人もいれば下がる人もいると感じているのでそこは人それぞれだと私は思います。なので人に挑戦は勧めてないですが)

自らやりたいと言って一歩踏み出した方のサポートはできる限り行わせていただいてます。

ただ参加費や宿泊費、交通費、食費等お金もかかる事なので、難しい事や大変な事も多々あると思います。

それでも『体験も貴重な財産になる』という考え方もあるので、

なんとか参加してみたい!!という方は、この機会にご検討いただければ幸いです。

*お金の捻出が難しく、参加を踏みとどまっているのであれば、

遠慮なくご相談ください。私も苦労している時期が多々あり、

色々と助けてもらったことはたくさんあるので、できる限り臨機応変に対応致します。

ちなみに1月7,8日に開催予定の秩父34巡礼ウルトラマラニックですが、

現在のところ参加者は40代から70代の方でほぼ女性です。

2日間を通して110㎞を達成した方は参加者の約10%。

多くの方が無理ない範囲で自身の能力のやればできるところまでやっています。

コースのほとんど(約9割くらい)がアスファルトで、バスの停留所も各所にあり、

ある程度のところで終わりにして安全に帰ることができますので、安心してご参加いただけます^^
宿の予約等の関係から申込締め切りを12月27日(火)の23時59分までとさせていただきますと案内を流したら、何名か申し込んでくださりました。

今回もギリギリです笑
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大峯奥駈道2泊3日⑦番外編〜桃源郷〜

2022年06月09日 | 挑戦
友人から紹介されたゲストハウスの人が迎えに来てくれました。

熊野本宮大社から車で20分、

道の一番奥にあるという宿の名前は、

縁ga環ゲストハウス。


熊野の山奥で自然に寄り添う暮らしをしながら、

千葉から熊野に移住したご家族が営んでいます。

「とりあえず着替えて、そしたらお風呂案内するよー。風呂が終わったら食事を出すね」

とフランクに案内してくれるのが一家の長である内山さん。

お風呂は外にある五右衛門風呂!!




そして夕食は、内山さんの畑で採れた野菜と生地にもこだわった自家製ピザとカレーライス。





真心込めて作られた優しい食べ物が細胞に広がっていきます。

内山さんや子ども達も時々食堂に現れては、

無邪気にはしゃいでくれます。

内山さん、宇原さん、私と40代のおっさん3人で、飲みながら寛ぎのひと時を過ごしました。

翌朝、ニワトリの声で目覚めると、
朝陽が眩しく照らしてくれます。




敷地内でヤギやニワトリを飼い、
美味しい沢の水を引き、
庭にあるマルベリーを採っては、
朝食のデザートへ。

















庭では手作りのブランコに乗り、
自由に遊びまわる子ども達。




友人が、
「あそこは桃源郷ですよ!!」
と言っていた意味がよく分かりました^ ^

内山さんに縁ga環ゲストハウスの名前を尋ねると、

「人間、みんな兄弟だよね。それぞれ価値観は違ってても最後は同じだよ。結局は、ご縁が繋がって環になっていくよね。」

と話してくれました。

熊野本宮大社から約20分の

道の一番奥にある縁ga環ゲストハウスは、

最幸に素晴らしい場所でした^ ^

内山さん一家、

紹介してくれたファイヤーマン、

ありがゴールド!!

大峯奥駈道編 おしまい





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大峯奥駈道2泊3日⑥〜修行の終焉〜

2022年06月09日 | 挑戦
玉置神社からの奥駈道。

日本酒の四合瓶が落ちている。

拾いたいけど、

これ以上荷物はザックに入らないけど、

えーーーい、拾っちゃえ!

「月山」という名前の日本酒だった。

急登りが最後と予想する大森山を上っていると、不思議な感覚になる。

私を囲むように同じ"匂い"のする数名の方たちが歩いていて、

「待ってたよ」

と言われる。

どうやら幻覚や幻聴が始まってしまったようだけど、

このままにしていたい。

きつくてしんどくても足が動き続けてくれる。

ありがとう身体。

2日目に痛めた左手首の痛みも不思議と消えている。

さっきまでペットボトルを開けるのも痛かったのに。






1300年前に役行者という超人が切り開いた奥駈道という修験道。

そこは来る者拒まず、
誰でも受け入れてくれる。

ただし、おろそかにしてはならない本義があるという。

「本来、修験道というのは山に分け入って、そして山の霊験霊気を頂いて、いろんな力、パワーを頂いて、人々をお救いするというのが本義なんです。」引用 熊野修験「奥駈け」同行記 高木亮英さんの言葉

道中、靡(なびき)と呼ばれる霊地(江戸時代以前は距離の役割を果たしていという説もある)がいたるところ(75ヶ所)にあり、どんなに急いでいても、疲れていても、宇原さんも私も立ちどまり手を合わせていた。




熊野本宮まで9kmちょっとの標識を最後に、距離の表示がなくなった。

大峯奥駈道の後半の道は、ネットなどにはほとんど情報がなかった。

もう下りだけと思っていた私たちの予想を覆し、

ロープを使っての急坂、

繰り返されるアップダウン。








日本古来から続く修行の道が楽なわけがない。

そんな道を今歩けていることに感無量な気持ちになる。

最後の力を振り絞り、






上り下りを繰り返し、

予定より2時間ほど遅れて18時20分に熊野川に到着。

短パンとサンダルに履き替えて川を渡り、

熊野本宮大社に無事に辿り着きました。








自信を持って言えることは、
自分の力では大峯奥駈道は踏破できなかった。

明らかに力不足だった。

ただ、それでも様々な力と導きと助けによって踏破ができた。

宇原さんとの出逢いと同行、
(タイム等、大峯奥駈道を今後の参考にしたい方はhttps://yamap.com/activities/17717947をご覧ください。宇原さんが書いてくれています)
鈴の音を鳴らしてくれた方、
奥駈道を整備、避難小屋の管理をされている新宮山彦グループやボランティアの方々、
3日間の好天、草木、動物、
快く送り出してくれた家族、
今回の大峯奥駈道の挑戦に色々と支援・応援してくださった方々、
奥駈道を切り開いた役行者、また道を紡いできた修験者、行者、登山者の方々、

たくさんの方々のおかげ様です。

本当にありがとうございました🙏

報恩感謝

こうして貴重な体験をさせてもらった恩を

周囲にも紡いでいきたいと思います。

1人でも多くの方が

いい人生だなと思えるような体験創出や

元気に笑顔で毎日を過ごせるための健康サポートを

していこうという気持ちが深まりました。

いいタイミングで挑戦できました。

まだまだ道は続きますが、

何かでご縁があった際にはどうぞ宜しくお願いします!

長文お読みいただきありがとうございました。
暇つぶしになったならば幸いです^ ^

2022年6月1日〜3日
大峯奥駈道2泊3日の記録 おしまい

PS 最後に番外編がもう一つあります^ ^
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大峯奥駈道2泊3日⑤〜同行二人〜

2022年06月09日 | 挑戦
「よければ2泊3日で一緒に大峯奥駈道を踏破しませんか?」

思い切って宇原さんに提案してみた。

「それ、私も思いました。人生でこんなに一生懸命になって何かを成し遂げようとするのは初かもしれません。山口さんと出逢ったのも何かの縁で、お導きだと思うようになりました。一緒に目指しましょう!」

「明日は夕方くらいには熊野本宮に着きますよ!宿は予約してあります。人数の変更とかもきっとなんとかなりますよ!ご縁に感謝して、流れに身を任せていきましょう!」

4時間先にある行仙の山小屋を変更して、1時間先にある平治の山小屋へ向かう。










18時頃、誰もいない小屋に入り、

志納金2000円を箱に入れて休ませていただく。

「アテテッ、アテテッ、明日また歩けるようになるために、最大限の回復を図りましょう。アテテッ。」

2人で食料を出し合い、

明日食べる分を残し、

あとは食べてしまおうという調理をし、

超回復のために特殊配合したサプリも残り6セットも3セットずつ分けあった。










宇原さんのダメージの残る脚をケアし、回復するように緩めた。

今日の様子から明日のコースタイムと自分たちの能力を客観的に分析して、1時半に起床して2時半に出発。






暗い登山道は私が先頭で直感でどんどん進む。約4時間の睡眠とたくさん食べたことで、驚くほど身体も回復している。

道に悩むとすぐに宇原さんに伝え、すぐさまスマホで位置を確認して方向を指し示し、私が踏み跡や目印を見つけるという分担作業で、暗闇の中、コースタイムを大幅に短縮している。

4時30分過ぎに行仙の山小屋に着くと3名の登山者がいた。








「こんな朝早くにやって来るなんて!何日で奥駈道をしようとしているの?」

「2泊3日です」

「それはスーパーマンみたいなことしているね」

目を見開いて驚いた後に、優しく見守るような眼差しになる年配の登山者たち。

「やりたくてもやれない事をあなたはやってるんだから、私たちの分も背負ってね」

と言って送り出した方々のまなざしと重なってくる。

傘捨山を登り、垂直の上り下りが続く一番の難所、槍ヶ岳と地蔵岳が続く。
















急がず慌てずに本日一番の集中をする。

今は鎖があるからまだいいけど、
昔は鎖などなかったことを想像してみる。

修験者とは何者なのだろう。

下りは宇原さんが速く、先行して導いてくれる。

上りは私が前に出て淡々と上っていく。

交互に先頭を代わることでエネルギーを温存しながら進むことができる。

仕事以外で誰かと山に上ることはあまりなかったけど、こんなにも能力が引き出されるとは思いもしなかった。

午前11時近くに予定通り玉置山と玉置神社に到着した。




















最後の長めの休憩で食料をほぼ食べ終えて、水を2リットル汲んだ。

ここからは比較的下山が続くはずである。

熊野本宮大社までは約15km。

ゴールが見えてきた!

つづく


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大峯奥駈道2泊3日④〜覚悟の道〜

2022年06月09日 | 挑戦
2時50分に起きて、3時30分に出発。

まだ暗い中を全身の力を抜いて、楽に楽に歩いていく。

こうすればスピードは出ないが、

体力の消耗は抑えられて、

水分補給も最小限で済む。

「1週間前にこの山(弥山)へは登りました。運良く山頂の山小屋が営業していれば、水を購入できますし、営業してなくても雨水をためたタンクに水が大量に入っています。」

生の情報は本当に有り難い。

コースタイム4時間を3時間かけて登り、山頂の山小屋に着くとボイラーの音がする。

「どうやら営業しているようです」

「助かりました!!」

水2リットルとコーラ500mlを購入して、

その場で1リットル近く飲むと、

復活!!!!

「よーーーし、行きましょう!!!」













約20分ほどして近畿最高峰の八経ヶ岳(1914m)に到着すると、宇原さんが足を気にしていることに気付く。

「以前に腸脛靭帯炎になり、今ちょっとうずいているんです」

「よければ脚をケアさせてください!命の水の僅かばかりの御礼です。」

痛めている箇所から原因と思われる筋肉をケアして、テーピングを施し、歩き方のアドバイスをすると、

「うずきがなくなりました!これなら大丈夫です!!!」

と宇原さんも復活!!

報恩感謝

八経ヶ岳から3時間かけて、

ロープを使った急登りを繰り返して辿り着いたのは釈迦ヶ岳。

山頂には、日帰りの登山者が多数いる。










「裏から来られたということは奥駈道ですか?」

表の穏やかな道から上がってきた年配の登山者たちが聞いてくる。

「そうです!私は3泊4日、彼は2泊3日で踏破しようと挑んでます。」

周りにいる方々も聞く耳を立てて、

笑顔で見つめてくる。

地元の登山者にとって、

その困難さを十分に理解しているがゆえに、

大峯奥駈道に挑んでいるということだけで、

畏敬の念を抱くようだ。

「釈迦ヶ岳のちょっと下るとかくし水と呼ばれる場所があります。そこで補給して、休憩しましょう」

豊富な水量のため水をたくさん飲み、

2リットルほど補給していると、

そこでも登山者たちが話しかけてきてくれる。

みんないつかはやりたいとは思っていても、

実際には足を踏み出すことは難しい。

そこから30分ほど進むと、

「大峯奥駈道の前半部分終了です。ここからは未知のエリアです。実を言うと、腸脛靭帯炎のうずきで、途中で引き返せる最後が釈迦ヶ岳で終わりにしようと思ってました。ここからは電波も入らず、エスケープルートもない、覚悟のある人しか行かない道です。」

「だから人が誰もいないんですね!覚悟がなかったら、埼玉からわざわざ来ませんよ!行きましょう!」










人のいる気配もなく、
人が歩いた痕跡も少ない道。

天狗岳、奥守岳、地蔵岳、般若岳、涅槃岳、証誠無漏岳、阿須迦利岳...

これでもかというほど繰り返されるアップダウンに、

約17kgのザックを背負って13時間以上歩き続けた身体と心はクタクタになっていた。

時刻は17時。

そろそろ宇原さんの宿泊予定地である山小屋、持経の宿が近づいてくる。

私の予定地はそこからコースタイム4時間先の行仙の宿である。

果たして無事に辿り着けるのだろうか。

つづく
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大峯奥駈道2泊3日③〜命の水〜

2022年06月09日 | 挑戦
「足を踏み外したら、さようならー♫」とすっかり暗くなった道をヘッドランプの明かりを頼りに歩く。

壊れかけた梯子や崩落した道を集中して通り、19時45分に行者還避難小屋に到着。




避難小屋の前に明かりがあり、人がいる!

「こんばんはー。生きている人間です。」

「こんな時間に来られるなんてびっくりしました!」

「途中、サングラスを落としましたか?」

「そうなんですよ。気付かないうちに落としてしまって。」

ザックからサングラスを出すと、

大喜びをしてくれる。

とにかく急いで水の確保をしたかったので、

「すみません、水場はどこにありますか?」

「それが色々と探したのですが、ないんです。ここ数日の好天で枯れてしまったようです。小屋の中の雨水を溜めているタンクなども確認しましたが、ありませんでした、、、」

「本当ですか!?ネットの情報では、水があると書いてあったのですが、、、」

とりあえず避難小屋に入り、
衣類を替えてこれからどうしようか思案する。

水の残りは緊急脱出用の500mlのみ。

全速力でここまでやってきたために1リットルは一気に飲める状態である。

引き返すか、どこかへエスケープするか。。。

「よければ水、いりませんか?」

「いえいえ、ここでは命の水ですからもらえませんよ」

「私はまだ水に余力がありますから、サングラスの御礼をさせてください!!」

ありがたい申し出を受けて、300mlを分けていただいた。

その水でアルファ米のご飯と焼きビーフンを食べ、超回復用に特別調合したサプリを飲むことができた。

落ち着いて自己紹介をすると、

水を分けてくれたのは、地元在住で44歳の会社員の宇原さん。

週に1度は登山をして、この辺りの地理にもあかるい。2児の父でもあった。

今回は3泊4日か4泊5日を目安に大峯奥駈道に挑戦をしているとのこと。

「ここまでどのくらいかかりましたか?」

「ちょうど11時間です」

「私もちょうど11時間です」

私は2泊3日の行程であったが、

スピードが同じそうなので、

よければ行ける場所まで一緒に行きましょう

という話になり眠りについた。




もしここで水が手に入らなかったらどうしただろうか?

"ある"はずの水がなく、

1人でパニックになっていたかもしれない。

いずれにしても山深い場所で人と出会い、

水を分けてもらえ、

まだ先に進めるチャンスが生まれた。

ずっと助けられている。人生と同じだな。。。

クタクタですぐに眠れるかと思いきや、

脳が興奮状態で全く眠れずに、

身体も水を欲していて全然眠れない。

14歳から24歳まで柔道で減量をしていたので、飢えには比較的慣れている。

久々の感覚に懐かしさを味わいながらも、

いつの間にか弱くなってしまっている自分に活を入れるため必殺技「辛抱・我慢」を唱えるが、

余計に眠れなくなる。

こんな時は羊ならぬゴールド・マンを数えよう、

「ゴールド・マンが1匹、2匹、3匹、、、」

つづく
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