ぶらり東京~23区巡り~

東京23区をぶらりと歩いた記録です。
が他にもいろいろ出歩いてますけど

相撲~国技館の変遷~

2007年05月27日 | ぶらり
熱戦が連日繰り広げられた大相撲ですが
今場所の賜杯レースもほぼ予想通りで波乱は少なかった中
新横綱誕生というめでたい場所でした。

さて今回の相撲記事は国技館の歴史を振り返りたいと思います。
富岡八幡宮と相撲の記事中に以下の件があります。
『富岡八幡宮と相撲との関わりは江戸時代に遡ります。
貞享元年(1684)幕府より春と秋の2場所の勧進相撲がこの境内で始まりました。
以降約100年間は続きましたが回向院に移っていきました。』

その回向院は両国にあります。
年3回(1、5、9月)に開催される両国国技館から線路を隔てた反対側に位置している。
ここで1833年から年2回の定期的な場所となりました。
参考までに回向院の読み方は「えこういん」です。


回向院
ここからが実質的な国技館の歴史となります。

回向院の脇に国技館が建設されたのが1909年(明治42)の事であります。
外観は円形のドーム状であったようです。
この国技館は時代に翻弄された歴史でもあります。
関東大震災、東京大空襲で焼失、戦後は進駐軍に接収され昭和21年の秋場所が最後の興行となりました。
返還後はスケートリンクになり、さらに日大に買収されたりした後昭和58年に解体されました。
現在の姿は↓このようになっています。
両国シティコアで住宅、店舗、オフィス等の複合施設になっています。


その後の興行は転々としながらも昭和29年に蔵前国技館が完成した。
そして昭和59年9月場所を最後に閉館された。
短い歴史でしたが大鵬などの大横綱が活躍した時代でした。
跡地↓には東京都下水道局の処理場となっていて全く相撲とは縁のない建物へ化しています。

蔵前国技館
近くには隅田川が流れていて蔵前橋が架けられています。
橋からは蔵前国技館、現両国国技館の両方を見る事が出来ます。
また橋の欄干に力士が見えますね(小さくてわかりづらいですが左の方)
相撲の町であることをさり気なくアピールしています。


そして昭和60年一月場所から再び国技館が両国の地へ戻ってきました。
これは説明するまでもないお馴染みの両国国技館ですね
いつか老朽化で建替えする頃にこの記事に対する追記版を書かなくてもなりませんね


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場所中の両国は非常に活気に満ちいています。
往来する力士を一目見ようと多くの人が通路を陣取っている
北の湖理事長、安馬、そして朝青龍にいじめられて一躍有名人になった豊ノ島を見れました(↓写真)