ぶらり東京~23区巡り~

東京23区をぶらりと歩いた記録です。
が他にもいろいろ出歩いてますけど

御殿坂・紅葉坂

2007年05月03日 | 坂道
今回の坂は散歩マニアの聖地(?)である谷中界隈です。
上野に寛永時が建てられたことにより子院が谷中に次々と建てられ寺町を形成していった。
現在でも寺が数多くありますが坂道も多く隠れた坂マニアスポットです。

今回は谷中界隈の坂を一挙に二つ掲載をします。

①御殿坂
由来・・・坂下に将軍の御殿があったという説がありますが定かではないようです。
今では坂下にはJR日暮里駅になっています。
下町に御殿があったなんて歴史ロマンを感じますね
御成門があったのだろうかなどと想像してしまいます。


坂下からは江戸の息吹を感じる事は皆無で平成らしくビルを建設中です。
日暮里駅前の再開発エリアで平成20年の完成です。

実はこの写真を撮ったのは去年暮れなのでこのビルももう少しは完成度が上がっていると思います。
一枚目の写真の木々も寒々しいでしょ
御殿坂
御殿坂下は跨線橋で朝から晩まで多くの車両が通過する姿を眺める事ができます。
新幹線だけでも東北、上越、長野、秋田、山形が走ります。
写っているのは長野かな(?)


②紅葉坂
正確な由来は不詳ですが坂周辺の紅葉が綺麗であった事から名づけられたと思われる。
尚、今は紅葉するような木が見受けられない。
情緒のある名称なので辺りが紅葉すればいいと思ってしまいます。


紅葉坂上からも日暮里再開発ビルが見えます。
日暮里駅前には駄菓子問屋街が形成されていました。
再開発のあおりを受け立ち退きを強いられ現在は3軒のみが仮店舗で営業をしている状況です。



そー言えば家からそう遠い距離にない地域なのに駄菓子問屋街には行った事はありませんでした。
例え今行ったところで当時の面影はないだろうが仮店舗で“大人買い”をしてみるのもいいかもしれませんね

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行人坂

2007年04月24日 | 坂道
最近好調気味の坂道ネタ
ストックがだいぶ溜まってきているので徐々にアップしていけたらと
それにしても都内の坂って半端じゃなく多いです
すべて載せるのは無理としても最低でも100を目標にしてます

今回の坂は目黒区の「行人坂」
目黒区に出没する事自体珍しいです。

写真からも分かるかと思いますが角度はかなりあります。
登りはかなり辛く筋トレになりますよ
日々、通勤・通学で使っている方は本当にご苦労様です。



初の目黒区の坂道紹介となりました
案内板は各区で様々な形になっていてそれを見つけるのもまた楽しみ

行人坂の由来・・・寛永の頃、出羽湯殿山の大海法印が大円寺を建立し多くの行人(行者)が修行に参集したため
尚、同名の坂が市ヶ谷界隈にもあります。

その大円寺がこちらです
こじんまりとしていて何の変哲もない決して有名でないお寺ですが
歴史の表舞台に登場した事もあるんです。


明和9年(1772)2月29日に大円寺から出た火事は江戸市街の1/3くらいを焼く大惨事となりました。
犠牲者を弔う為に造られた石仏郡が境内にあるようですが後で知りました。

明暦大火(1657)、文化大火(1806)とともに江戸3大火事に数えられています
江戸時代は火事が頻繁に起こり明暦の大火に至っては江戸城の天守閣をも焼き払ってしまった。
名残が皇居東御苑にあり無料で見学できます。

大円寺

坂を降りきると目黒川が流れています。
太鼓橋が架かっています
川沿いには桜が咲き、春ともなれば良い景色になります
江戸名所図会(えどめいしょずえ)にも登場して、当時から景色がよかった事なんでしょう


当然江戸時代の橋は残ってなく建替えられたし、現在の橋は派手さもなく普通ですが
ネーミングに情緒が感じられますね

橋の袂には「太鼓鰻」って店もあります

行人坂へ行くには目黒駅が最寄ですが駅は目黒区でなく品川区にあるんですよ
(地図を見て今日初めて知った)

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鍋割坂

2007年04月15日 | 坂道
忘れた頃にやってくる「坂道」案内
マニアにとっては興味深い坂も非マニアにとっては邪魔な存在

邪魔でしかない坂もこのブログによって坂に目覚めてくれれば嬉しいのだが
テレ朝系で深夜にやっている全力坂はもう230回も放送していました。
一回しか見たことないけど、こうしたTV番組がきっかけで坂ブームが来ないかな
坂だけあってアップダウンの激しいブームは困りますが

さて今回の坂は「鍋割坂」
名の由来は伏せた鍋(台地)を割ったような坂であることから付いた
尚、同名の坂が千代田区・隼町にあります。

坂としては非常に短く緩やかな傾斜で全くと言っていいほど苦にはなりません。
むしろ春特有の景色に見とれて坂の存在自体に気付かない事も考えられるだろう。

その景色とは桜
ちょうど千鳥ヶ淵に面していて東京でも指折りの桜の名所が眼前に広がっています。

撮影時期がバレますね、二週間程の前です。
今では新緑の景色で季節が春から夏への過渡期を醸しだしてる事でしょう
鍋割坂
坂から目立つ色した建物が見えます。
記憶に新しいイタリア文化会館ですよ
景観問題がおよそ1年前に勃発しました。

難しいことはよくわかりませんが1年前には確かに周囲に馴染んでいない印象でしたが
見慣れたせいか今となっては馴染んでいるようにも感じます。
どうせイタリアなら国旗色(緑・白・赤)のビルにすれば良かったのに

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津の守坂

2007年03月03日 | 坂道
四谷へ必ず行かなくてはならない用事があって、ついでに界隈をぶらりをした時の事を記事にしました。
この辺りは坂道も多く、地名にも個性があって地図を見ているだけでわくわくしてしまう所です。
地図だけでもわくわくするのだからリアルに“ぶらり”をしたら楽しめる事間違いなしです。

今回は数ある坂道の中から「津の守坂」を取り上げます。

坂名の由来→坂の西側に松平摂津守の屋敷があり、その名を略して「津の守」と称しました。
由来を分析してみると江戸の名残ってけっこう多いんですよね。

尚、冒頭の「用事」とは標識にある「新宿区歴史博物館」です。

由来を知ったからには江戸時代の地図を見てみたくなります。
ここで活躍するのがyahooの古地図で東京めぐり
確かに松平摂津守の屋敷がありますね、現在の荒木町全域に及んでいるそうです。
敷地内には「津の守の池」があり、江戸でも有数の滝だったそうです。



坂の上からの風景
時間の流れは時として無常な面もあり江戸の面影は全く感じられないです。
瞼を閉じて当時の大名屋敷を思い浮かべるしかないのかな

超高層ビル級の鉄塔がありますが、これは市ヶ谷の防衛庁に建っている塔です。
津の守坂

津の守坂のある地名は「坂町」

なんともまー坂道の宝庫に相応しい地名だこと
早速、地名由来辞典で調べてみましょうか
要約すると
「江戸時代にこの町内にあった坂に沿って町屋ができたため町名た付いた」

次回は「新宿区歴史博物館」の記事にします。

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一富士二鷹三茄子

2007年01月03日 | 坂道
都内には冨士見坂の名称を持つ坂はいくつか存在している
でも実際に平成の現在でも富士山の見える坂は二箇所のみだそうだ
西日暮里と大塚

そして今回は前者のを紹介したいと思います。

一富士二鷹三茄子って言葉があるように
お正月の初夢で冨士、鷹、茄子を見ると縁起が良いとされているので
三が日のどれかに掲載しようと晴れた日を狙って12/29に撮りました。

晴れと曇りの違いを強調する為にわざと曇った日も撮りに行った
それが↓
富士山なんて全く見えないでしょ


関東の冨士見100景に選出されていて
国土交通省のお墨付きでもあります。
他の99景も知りたくなるのが自然の摂理です
が、ネット検索した所ヒットしませんでした。何で??


そして晴れた日(12/29)の写真がコレ↓
青空の中に雪景色の冨士山が見える事でしょう
行く前は本当に見えるのか半信半疑でしたが見に行った甲斐はありました。
東京で、それも展望台とかの高所でもない場所で富士山が見える事に感動をおぼえます。
夢で見なくても縁起が良さそうで2007年は良いことありそうです!!

富士山
(もっと詳細な場所が知りたい方は地図をクリック)

ただ今後も富士山が見え続ける保証はないと思います。
ビルが建ってしまえば一巻の終わりとなってしまいます
あと何年ココから富士山が見えるのでしょうか

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晩秋の汐見坂

2006年12月02日 | 坂道
いや~すっかり秋景色が広がってきました。
ってもう冬が間近ですけど・・・
いずれにしろこの時期はブログネタに困る事がない位に外に出るとネタの宝庫
紅葉、銀杏、イルミネーションなどなど
ですが平日は仕事で多忙を極め更新が週末しかない状況が続いているのを
何とか打開しなきゃいけないと思って今日この頃

そんなこんなで晩秋のワンシーンを

皇居東御苑の中にある「坂」の紹介で
↑は一般公開されている広大な公園で
江戸時代の雰囲気を色濃く残している為、外国人にも人気があります。

【汐見坂】

江戸時代の頃、現在の日比谷辺りは浅い海の入り江で坂の上からは海を眺める事が出来たそうです。
汐とは海の事で海が見えるので汐見坂
同じ原理で富士山が見える坂は富士見坂の名称が都内には幾つか存在しています。

海が見えたなんて現代からは想像もつかないですよねー
右に見える石垣がいかにも江戸城な雰囲気を醸しだしてくれます
歴史ファンでなくとも歴史ロマンを肌で感じられる事だろう
汐見坂

ひっそりと石碑が埋められていました。


坂上からの景色はこんな感じ

平成の世では海の変わりにビルが見えます。むしろビルばかり
汐見坂改め“ビル見坂”になってしまいます←これだと風情は台無しですが・・・

そして秋らしく木々が色付いています。
皇居の木々は江戸時代でも植えられていたと思うので将軍たちも紅葉を眺めてたんじゃないでしょうかね

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紀伊国坂

2006年10月28日 | 坂道
かなりご無沙汰となってしまいました。
坂道シリーズで今回は「紀伊国坂」(きのくにざか)です。
江戸を感じさせる名に歴史を感じさせてくれます。


坂名の由来は、かつて坂脇に尾張徳川家、紀伊徳川家の両屋敷があったが紀伊家の名をとったとされています。
尚、赤坂にも同名の坂があるんですよ。

緩やかで直線的なので歩いてもそれ程苦になりません。
皇居の緑が爽やかなんですが、如何せん道路の交通量が激しいのが・・・

紀伊国坂

坂道沿いには国立の施設が二つ隣接しています。
①東京国立近代美術館

ぐるっとパスで常設展を見に行きました。
勿論、芸術なんてさっぱり理解不能ですけどね
どこか芸術品なのって作品のオンパレードでした。
唯一楽しめたのは3F、4Fからの景色だったという有様

②国立公文書館

これまたお堅いイメージが充満してそうな所です
様々の貴重な資料が保管されています。

そして10/7~10/26まで「明治宰相列伝」が開催されてました。
きっと安倍政権発足があった事に関係しているのかも

明治時代に総理大臣になった人物は14代で7人
伊藤-黒田-山縣-松方-伊藤-松方-伊藤-大隈-山縣-伊藤-桂-西園寺-桂-西園寺
受験で日本史を選択して歴代総理を暗記した時の事が蘇ってきましたよ。

最初に触れたように皇居のお濠沿いに紀伊国坂はあります。
石垣が何よりの証じゃないでしょうか
皇居こそ徳川家の歴史そのもも

この日は江戸・明治時代に触れたような気がする1日でした!

そして坂マニアに朗報です。
江戸の坂
まさにバイブルの名に相応しい王道の書籍です。
通勤電車のお供状態にしています

全力坂
たった5分の深夜番組、つい先日R25で見て知りました。
来週ビデオに撮って見ようかな。

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坂の上からアキバを

2006年08月04日 | 坂道
坂道シリーズは日中の写真だけを掲載しようと思っていましたが
夜の方が絵になる風景は積極的に取り入れていこうかと

そして今回の明神男坂は夜の方が断然イイんです
夜の神社へで載せた神田明神の続きになりますね
鳥居とは別に脇道から外へ出ると坂がお出ましです

坂の上からの景色は大きなビルが目立ちはしますが視界は広がっていて眺望は良い感じ
尚、これらの高層ビルはアキバの再開発によって誕生したビルで
右から「秋葉原ダイビル」「秋葉原UDX」この二棟を総称して“秋葉原クロスフィールド”と呼ばれています。
そして一番左は40階建て、総戸数319の分譲マンション

坂上から景色を見ると手前と奥の対比が何とも言えません
下町っぽさが残っていそうな地区と、開発によって生まれ変わった地区
最近ではこんな対比が都心中で見られる現象となってしまっています。
きっと先ほど公表された路線価によって客観的な数字で現実を知れるんじゃないかと思います!

明神男坂

【明神男坂の碑】

『この坂を明神男坂といいます。明神石坂とも呼ばれます。「神田文化史」には「天保の初年当時かんだの町火消「い」「よ」「は」「萬」の四組が石坂を明神へ献納した」と男坂の由来が記されています。この坂の脇にあった大銀杏は、安房上総辺から江戸へやってくる漁船の目標となったという話や、坂からの眺めが良いため毎年一月と七月の二六日に夜待ち(観月)が行われたことでも有名です。』

男があれば当然女もありますが
明神女坂はすっかり忘れてしまいました・・・
尚、女坂の方には坂の碑はないそうです

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雁木・三年坂

2006年07月23日 | 坂道
さて今回の坂は港区初出没です。
港区では木製の柱が立てられていて分りやすいシステムになっております。
雁木と三年坂の二箇所を載せます。
どちらも階段の坂をしています。
階段とは言え登りの辛さに変わりありませんがね

【雁木坂】
階段になった坂を一般に雁木坂というが, 敷石が直角に組まれていたからともいい, 当て字で 岩岐坂 とも書く。

細い坂なので人がすれ違うのが精一杯です。
段数は30くらいでしょうか
上空を木々が生い茂っていて鬱蒼とした雰囲気が最高ですね!

紫陽花でも咲いていればイメージ的に鎌倉かと思ってしまいそうです。
雁木坂


雁木坂の坂下には他を圧倒する建造物があります。
写真だけでは限界がありますが現地では物凄い迫力です
余りの迫力に写真を撮るにの恐れを抱いてしまいます。
因みに、某宗教法人の本部だそうです。

そして雁木坂を登りきると東京のシンボル「東京タワー」が間近に見れます。
日没前で辺りが段々と闇へ覆われる中で微かにライトアップされているのが見て取れます。


【三年坂】

実際の三年坂は写真の真中まですが
見ようによってはワッカまで階段坂が続いているようです。
尚、このワッカの付いた建物は雁木坂で紹介した某宗教法人の側面です。

この坂の由来はプレートになっています。
京都のくだりなんて何とも切ないですよね

数年前にココに来たときに坂の碑を探したが見つからない事がありました。
去年設置されたようですね、無いわけです。

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文京区の坂

2006年06月11日 | 坂道
さて今回の坂道紹介は文京区にある二つを紹介します。

過去の「坂道」はいずれも千代田区内だったので変化をつけてみました。
尚、文京区も千代田区に負けず劣らず坂道の宝庫となっております。

【庚申坂】

説明文から簡単に坂名の由来を書くと昔、坂下に庚申の碑があった事からついたそうです。
庚申とは十干の庚と十二支の申で、庚申信仰は中国から伝来されました。
庚申坂
庚申云々はこの辺に置いておいて
この階段坂を見て「アレッ!どっかで見た事あるな・・・」と直感された方は
勝手ながらドラマ大好き人間と認定しちゃいます。
近々に、またこの風景は載せますので↑でモヤッとした方は楽しみしてて下さい。
また、手すりが設置されている事から昇降には十分気をつけた方がいいです。


【藤坂】

別名を含めて三種類あります。【藤坂・富士坂・禿坂】
坂名の由来は坂下にある曹洞宗伝明寺が藤寺と呼ばれていた事にちなんでいます。
昔、この坂から富士山が見えたので富士坂ともいわれたり
一帯は湿地で、禿(河童)がいて、禿坂ともいわれています。


ご覧のとおり、かなりの急坂です。
上りは息が切れる程でした、下りもきっと怖いと思いますよ。
マンション名にも坂道が使われていました「○○○○藤坂」って
こうなると坂道も一つのブランドとして確立してるんじゃいですかね。

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新坂

2006年05月30日 | 坂道
全国一億人の坂道ファンの皆さん久々の坂道になりますね・・・
そんなにいるんかい

ここんところ更新は月一ペース、目標は100ですから
ざっと八年も掛かる計算になってしまいます。。。

さて今回の坂道紹介は「新坂」です。
柱の文字がかすれています、区の文化予算も削られるご時世なんでしょうね!
新坂

「東京名所絵図」には「新坂は維新の後, 新たに開かれたる道路なり。
昔は観音坂と紅梅坂の間, 阿部主計頭(かずえのかみ)の屋敷にして, 此処より駿河台に登る道路なかりし, 崖の上には今も旧形を存せる後の外囲ありしなり, 此の練塀を道幅だけ取毀ちて通路を開きたり。故に俗呼んで坂えおいえり”とかかれています。

坂自体は苦になる程じゃない傾斜をしています。

向かって左側は公園になっています。
これが相当古い公園であることがわかりました。

このプレートにより「淡路公園」ってのはわかりますね。
プレート全体を見るといかに歴史ある公園かってのが理解できます。

ちょっと拡大図を載せます。

「園公路淡市京東」と記されています。
右から左へ読むのもさる事ながら“東京市”(※下記に説明あり)なんて行政区は
現代の人には想像もつきませんね。
尚、昭和五年三月開園だそうです。

※東京市について軽く説明すると
1878年の郡区町村編制法により、東京府管下の中心部市街地に麹町区以下の15区が編成され、1889年5月1日、15区の区域をもって東京市が発足して、35区へと規模を拡大した後、1943年7月1日に東京都制が施行され、東京府と東京市を廃して東京都が置かれた。そして1947年8月1日に現在の23区となりました。

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幽霊坂

2006年04月23日 | 坂道
さて今回の坂道紹介は「幽霊坂」です。
前回の「紅梅坂」の続編的な坂となります。
幽霊坂


由来は
もとは紅梅坂と続いていましたが, 1924年の区画整理の際, 本郷通りができたため二つに分かれた形となりました。
「東京名所図会」には紅梅坂は 往時樹木鬱蒼にして,昼尚凄寂たりしを以って俗に幽霊坂と唱えたりを, 今は改めて紅梅坂と称すとかかれています。

一枚目の写真の位置から少しずれるとビルのガラスにニコライ堂のがはっきり反射しています。


便利なことに坂名の柱には歴史等が事細かく記されています。
時々、説明文をじっと眺めている人を見かけます。
坂マニアの裾野は意外に広いのかもしれません。

坂の形状とL字です。
曲がったら後は急坂となっています。

淡路坂でも触れましたが右側の白いビルは日立です。
丁度、幽霊坂と淡路坂は日立を挟んで並行にあるんですよ。

幽霊坂と名づけるのだから当時この辺りの雰囲気が偲ばれます。
恐らく、柳の木とかもあり幽霊の目撃談が巷を賑わしていたのかもしれませんね。

いやー久々の坂でした、しかもれんちゃん。
最近忙しくて写真は撮ってあるのですが記事にする時間が無くて・・・
そんなこんなで待ち遠しいGWまであと一週間となりましたが
休養に明け暮れるか“ぶらり”三昧になるかの両極端になりそうです。
一応、ターゲットは決まりつつあります。
こうしたGW前に予定を思い巡らすのが一番の至福の時なのですよねー。

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紅梅坂

2006年04月22日 | 坂道
さて今回の坂道紹介は「紅梅坂」です。

紅梅坂


由来は
この辺りは紅梅町と呼んでいたからこの名が付いたそうです。

パターン的には坂名には人名、地名からくるケースが多い気がしますね。
尚、現在の地名は神田駿河台です。

紅梅と風情が感じられる坂名ですが梅の木はぱっと見なかったですね。


別角度からもう一枚。
石畳を見れば分るとおり勾配はけっこうあります。


坂に沿っておよそ日本には相応しくない異国情緒な建物があります。
通称「ニコライ堂」
正式名称は「日本ハリストス正教会教団 東京復活大聖堂」
国の重要文化財にも指定されています。
完成は1891年
普段はニコライ堂と呼んで身近な存在になっていますが
東京復活大聖堂と呼ぶとやはり宗教じみてきます、特に“復活”とかが


このように門が開いているので気軽に内部へ入れますよ。
信者ならお祈りに、非信者であれば貴重な建物詣でに!

そして写生をしてる姿も多く見受けられますよ。
それだけ絵になる建物って事なのでしょう。

正に御茶ノ水駅付近のシンボル的存在だと言えるでしょう。
いつまでもこの地にあって欲しい建物です。

次回の坂は「紅梅坂」と非常に関連のある坂です。

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淡路坂

2006年03月15日 | 坂道
さて今回の坂道紹介は「淡路坂」です。

淡路坂

丸の内線に淡路町駅がありますが
最寄は千代田線の新御茶ノ水orJR御茶ノ水となっているので
注意が必要です。

【由来】
この坂の上に太田姫稲荷神社があり神社の並びに鈴木淡路守の屋敷が
あったことから淡路坂、そして地名が淡路町と呼ばれるようになった。

なるほど~淡路町の由来は人名だったんですねー。
坂を知ることによって地理にも詳しくなる!
一石二鳥ですよね。

この位置より右に行けばニコライ堂、左に行けば聖橋があります。
ニコライ堂に関しては次回の坂道でじっくり載せるつもりです。

淡路坂からはニコライ堂のてっぺんだけが見て取れます。
ドームの形をした建物です。
異国な雰囲気が出ています。

立て看板の字体が気に入ってます。


坂道に沿ってJRが走っています。
坂の中腹では目線と電車の位置が同じになるくらいの高さになっています。
至近距離で走る様は迫力十分です。
低いフェンスで有刺鉄線が張られているだけで
なんとなく危険を感じます。
突進してくる車体に向かってカメラを構えてていたら
運転手にサイレンを鳴らされてしまいましたよ・・・


ある大企業のビルが聳え立っています。
淡路坂全体を日陰にしてしまうくらいの大きなビルです。

「この~木、なんの木、木になる気、見たことも無い木ですよ~♪
見た事もーないー、花が咲くでしょー♪」
(確かこんな歌詞でしたっけ)
のCMソングでおなじみの日立があります。
そー言えば最近のこのCM見かけなくなりましたね。

次回の坂道もこの界隈ですよー。

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in皇居東御苑

2006年03月05日 | 坂道
皇居でも一般に開放されている地区があります。
皇居東御苑と呼ばれる所です。
(↑リンクから開園日・時間などご覧になれます)
皇居東御苑
緑が豊富で、季節の花も楽しめるとあって多くの人が見物に訪れます。
外国人も非常に多く「カメラプリーズ」と話しかけられる事もあって
小さな国際交流が体験できるでしょう。

元江戸城だって事を偲ばせるポイントも随所に点在してます。

この中に坂道があるんです。
昨秋に中に入ったときに初めて知りました。
過去何度か来てるのに・・・。坂マニア失格の烙印が・・・。
その際に2月頃また来ようと誓いました。
何故なら「梅林坂」だからです。


坂としては緩やかな部類に入るでしょう。
周辺には50本もの紅白の梅が木が植えられているそうです。
今年は時期が遅れていて今現在が見頃のようです。
咲き誇った梅をカメラで撮ったりする人で賑わっていました。
梅の木に囲まれた坂道を登るなんて風流ですよ。


今でこそ50本ですが最初は数百株もあったそうで
江戸時代には将軍が梅見に来てたのでしょうかね。
などと遠い昔を偲ぶのも一興かと。

紅白の梅です。
“香り”を伝えられないのが残念です。
極論すると梅は香を楽しむ、桜は色を楽しむと言えなくもないと思います。


竹橋寄りの平川門から入園しました。
この荘厳な門を見ると時代劇ワールドそのまんまです。

また東御苑には天守閣跡や松之廊下跡があったり歴史ファン
には堪らない場所にもなっています。

今回の坂道紹介は特殊な部類です。
普段は街中にある坂道を載せていきます。

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