みちのく挽歌
この曲、みちのく挽歌の「みちのく」って、何なんでしょう。
先ず、この語源を知る為には、昔の日本の行政区分を知る必要があります。
行政区分と言うと、なんか難しく感じますが、現代で言う所の関東地方とか中国地方みたいな、地域の区分けだと思って頂ければ問題ありません。
西暦701年(大宝律令)に成立した日本の行政区分は七つの『道(どう)』によって区分けされていました。
東山道(とうさんどう)
東海道(とうかいどう)
北陸道(ほくりくどう)
山陰道(さんいんどう)
山陽道(さんようどう)
南海道(なんかいどう)
西海道(さいかいどう)
この『道』による区分けですが、現在はあまり用いることはありませんが、現在でも多くの名残があります。
『東海道』や『北陸道』は、現在の東海地方や北陸地方とほぼ同じ範囲を指していますし、『山陽道』を走っているのが山陽新幹線、『山陰道』を走っているのが山陰新幹線ですよね。
『南海道』は四国のことで、四国沖合の地盤は『南海トラフ』
などなど、そのいろいろな場面でその名残を留めています。
そして、現在の関西地方のあたりは『畿内(きない)』と呼ばれていました。
現在でも関西のことを『近畿』と言ったりしますね。
これは、『畿内に近い周辺の五つの地域』が由来です。
つまり『畿内に近い』から『近畿』です。
これら、七つの道と畿内周辺の五つの地域を総称して『五畿七道(ごきしちどう)』と言います。
以上の内容を踏まえた上で、いよいよ『みちのく』の語源に迫っていきます。
現在の東北地方は、五畿七道の中の『東山道』に属します。
東山道は畿内を中心として、現在の中部地方~北関東地方を抜けて東北地方に至る範囲を指しています。
昔は京都が日本の中心ですから、京都を中心とする畿内から見て、東北地方は遥か彼方の地、つまり、畿内から見て東北は『奥の方』にあります。
京都を中心として、五畿七道にに当てはめると、東北地方は『東山道の奥』にあります。
そして『道(どう)』は『道(みち)』とも読みますね。
つまり・・・
『道の奥』→『みちのおく』→『みちのく』
『みちのく』とは『みちのおく』が訛った言葉だったのです。
この曲、みちのく挽歌の「みちのく」って、何なんでしょう。
先ず、この語源を知る為には、昔の日本の行政区分を知る必要があります。
行政区分と言うと、なんか難しく感じますが、現代で言う所の関東地方とか中国地方みたいな、地域の区分けだと思って頂ければ問題ありません。
西暦701年(大宝律令)に成立した日本の行政区分は七つの『道(どう)』によって区分けされていました。
東山道(とうさんどう)
東海道(とうかいどう)
北陸道(ほくりくどう)
山陰道(さんいんどう)
山陽道(さんようどう)
南海道(なんかいどう)
西海道(さいかいどう)
この『道』による区分けですが、現在はあまり用いることはありませんが、現在でも多くの名残があります。
『東海道』や『北陸道』は、現在の東海地方や北陸地方とほぼ同じ範囲を指していますし、『山陽道』を走っているのが山陽新幹線、『山陰道』を走っているのが山陰新幹線ですよね。
『南海道』は四国のことで、四国沖合の地盤は『南海トラフ』
などなど、そのいろいろな場面でその名残を留めています。
そして、現在の関西地方のあたりは『畿内(きない)』と呼ばれていました。
現在でも関西のことを『近畿』と言ったりしますね。
これは、『畿内に近い周辺の五つの地域』が由来です。
つまり『畿内に近い』から『近畿』です。
これら、七つの道と畿内周辺の五つの地域を総称して『五畿七道(ごきしちどう)』と言います。
以上の内容を踏まえた上で、いよいよ『みちのく』の語源に迫っていきます。
現在の東北地方は、五畿七道の中の『東山道』に属します。
東山道は畿内を中心として、現在の中部地方~北関東地方を抜けて東北地方に至る範囲を指しています。
昔は京都が日本の中心ですから、京都を中心とする畿内から見て、東北地方は遥か彼方の地、つまり、畿内から見て東北は『奥の方』にあります。
京都を中心として、五畿七道にに当てはめると、東北地方は『東山道の奥』にあります。
そして『道(どう)』は『道(みち)』とも読みますね。
つまり・・・
『道の奥』→『みちのおく』→『みちのく』
『みちのく』とは『みちのおく』が訛った言葉だったのです。