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春なのに

2025-02-28 07:04:09 | マスターおすすめ曲
柏原芳恵
 



卒業だけが 理由でしょうか
会えなくなるねと 右手を出して
さみしくなるよ それだけですか
むこうで友だち 呼んでますね
流れる季節たちを 微笑みで
送りたいけれど

※春なのに お別れですか
春なのに 涙がこぼれます
春なのに 春なのに
ため息 またひとつ※

卒業しても 白い喫茶店
今までどおりに 会えますねと
君の話はなんだったのと
きかれるまでは 言う気でした
記念にください ボタンをひとつ
青い空に 捨てます

(※くり返し)

記念にください ボタンをひとつ
青い空に 捨てます

(※くり返し)





ところで、文部科学省が実施している「高等学校卒業程度認定試験」というのがあるのをご存知でしょうか。

知らない人も、「大学入学資格検定」、いわゆる「大検」ならご存知かもしれませんね。

「大検」は、1951年(昭和26年)に創設されましたが、2005年(平成17年)に廃止されて、「高等学校卒業程度認定試験」に代わりました。

これらの試験は、もともと、病気や経済的な事情などで、高校へ進学できなかった人や、中途退学を余儀なくされて、卒業できなくなった人を救済する意味合いが

強かったのです。

しかし、やがて非行や怠慢、登校拒否や不登校、学校教育に対する価値観の相違などの事由によって、高等学校を卒業しなかった人の受験が増えていきました。

「高卒認定試験」と略されますが、「高等学校を卒業した者と同等以上の学力を有する者」とみなされて、大学の受験資格や公務員試験や多くの

各種国家資格試験での学歴要件があるとされます。

しかし、もとより高等学校を卒業したという資格を与えるものではありません。

卒業というのは、もちろん、学校の規定の全課程を修了して一定の学力や技術を身につけるということにありますが、しかし、ただそれだけではありません。

おそらくは青春時代の想い出の中の卒業という言葉が切なく思えるのは、その全課程を修了する間に体験した、さまざまな学校行事の中での、淡き想いを

寄せた人たちや、深き友情を交わした人たちとの別れがあったからでしょう。

振り返れば、卒業までのほんの数年の季節の流れの中で、人は人と別れて、いろんなものを失いつつ、またいろんなものを学び得ていくものなのです。

そしてまた人と出会い、人とふれあい、そして、人を信じ、人と愛し合うとともに、人に裏切られ、人を恨み、人を憎しみ、人と別れていく。

そして、また懲りずに人と出会い、人と別れ…、そんな繰り返しが、人生なのかもしれません。

しかし、人と別れるときに感じることは、そこで時間が一瞬、止まってしまうということです。

流れる季節のように、緩やかに流れていた時間(とき)が、止まってしまいます。

おなじ時間(とき)を過ごし、共有していたはずなのに、それがまったく錯覚だったようにも思えます。

それが恋人同士のときならば、なおさらです。

さて、失恋して失うものはなんなのでしょうか。

そうです、失うものは、恋でも、愛でも、まして、相手でもありません。

失うものは、次の相手に出会うまでの間の時間(とき)、失われた時間(とき)だと思います。

このことは、いくつかの恋を経てこそ、修得できる卒業単位なのかもしれません。


記念にください ボタンをひとつ
   青い空に 捨てます


制服のボタンといっても、詰襟タイプの男子の制服が少なくなって、同じ制服でも、ブレザーなどのボタンでは、あまり実感がわかないでしょう。

かって、卒業する男子の制服の上から二番目の金色のボタンを、その男子を好きな女子が、記念に貰うという風習がありました。

なぜ二番目かというと、二番目のボタンが、心臓に、つまりはハートに一番近いからということらしいです。

まあ、動悸、息切れ、不整脈なんかと無縁な高校生のハートだからいえるのですけどね。(笑)

残念ながら、ボタンをほしいと言われた記憶も、ボタンをあげた想い出もないので、その分、勝手な想像しかできないのですが、

その記念に貰われていったボタンって、どんな運命をたどるんでしょうね。

その彼女の小物入れなんかに、長い間、大切にしまわれて、彼女の嫁ぐ日の朝、そっと実家の庭先の桜の樹の下に埋め込まれる…なんて思うのは、

ロマンティックな男子の考えそうなことです。(笑)

でも、現実的な女子のしそうなことを想像してみると。

小物入れにおさまったボタンは、ほどなく、他の男子からプレゼントされた指輪やイヤリングに押し出されて、邪魔者扱いされて、生ゴミと一緒に、

捨てられてしまった…ということの方が、かなりのリアリティがあるのかもしれません。(笑)

しかし、硬派をきどるしかなかった、もてない男子としては、この彼女のように、記念にボタンくださいといいながら、すぐに、青空に捨てるというのも、

毅然とした痛快さが、なんともいいですね。(笑)

これには思わず拍手喝采したくなります。

ざまぁみろっ、て感じでね。(笑)

そうです、想いが片恋であったと分かったときには、恋々として思い続けるのではなく、思い切って捨て去ることこそ、また、歩きはじめることができるのです。

それにしても、春は名のみの人肌恋しき春の宵。

ここはやはり、行く春や、鳥なき魚の、目は泪。

やはり、ちょっとセンチメンタルになって、ノスタルジックにひたって、目頭でも熱くしましょうか。

まあ、熱い渋茶でもすすりつつでもね。(笑)

そして、少しけだるくアンニュイに、ふうっと深く、ため息くらい、ひとつついても、許されますよね。

春なのに…、春だから…。



この歌は、「スター誕生グランドチャンピオン」としてデビューしたアイドル歌手の柏原芳恵さんのために書き下ろした、中島みゆきさんの楽曲です。

当時17才だった柏原芳恵さんへの提供曲ということを意識して、「17才にもどった気分で作った。」と、中島みゆきさん自身が語っているように、

青春の春の日の淡き想いの中で、少女から大人へと成長する女性のいじらしくも、凛々しい感じがよく表現されているように思えます。

中島みゆきさんも、平成元年の「回帰熱」というアルバムでセルフカバーしており、思わず、みゆき姉さんのセーラー服姿を想像して、う~ん。

少し肌寒く、でもやはり人肌恋しくなったかも。(笑)


























































































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そして, 神戸

2025-02-28 02:55:40 | マスターおすすめ曲
青江三奈


八代亜紀


前川清


神戸 泣いて どうなるのか
捨てられた我身が みじめになるだけ
神戸 船の灯うつす濁り水の中に 
靴を投げ落す
そして ひとつが 終わり
そして ひとつが 生まれ
夢の続き 見せてくれる
相手捜すのよ..





この曲「そして、神戸」(そして、こうべ)は、1972年11月15日にビクター音楽産業(現・ビクターエンタテインメント〈二代目〉)から発売された

内山田洋とクール・ファイブの14枚目のシングルです。

また、本楽曲は、第15回日本レコード大賞において作曲賞を受賞しています。















































































































































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春の風が吹いていたら

2025-02-27 05:27:12 | マスターおすすめ曲
四角佳子


ひとりで空を見ていたら
やさしい風につつまれた
春の野原の菜の花を
あなたにつんであげたいの

雨だれの音きいてたら
なぜか楽しくなってくる
雨のしずくに青空が
うつって雲が揺れている

明るい朝の光より
ゆうやけ雲の色がすき
空ゆく鳥に身をかえて
ゆうやけおっていきたいの

誰かがならす 草笛が
春風にのり 吹きわたる
どこかで泣いて いる人の
心にきっととどくよう

どこかで泣いて いる人の
心にきっととどくよう 





この曲は吉田拓郎と当時の妻だった四角佳子がとデュエットしていたことから、吉田拓郎の作詞・作曲と思われていた時期もありましたが、伊庭啓子作詞・作曲が

正解です。

思われていたと言えば、四角佳子さんと伊庭啓子さん、同じ「けいこ」から、伊庭啓子は四角佳子のペンネームと誤解されてた方もおられたようですが、

もちろん、全くの他人です。(笑)

さて、この曲、とても牧歌的でほのぼのとした歌詞とメロディー、いかにも女性的ですよね。

もっとも、マスターの年代からみると、女性的というより、おばぁちゃんが孫にとか、お母さんが娘・息子に歌ってあげる、そんな曲に思えるのですが。

いづれにしても、春の歌としては最高かな。














































































































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春が呼んでるよ

2025-02-27 01:36:27 | 世界の民謡
間庭小枝 


ひばりのこ すずめのこ
飛びながら 何を見た
ホーヨホヨヨ ホーヨホヨヨ
春がよんでるよ

あの土手に 寝転んで
お弁当 食べたいな
ホーヨホヨヨ ホーヨホヨヨ
春はすてきだよ

もぐらのこ かえるのこ
動き出せ 目を覚ませ
ホーヨホヨヨ ホーヨホヨヨ
春がよんでるよ

ほがらかに 歌う空
若草も 声合わせ
ホーヨホヨヨ ホーヨホヨヨ
春の歌声よ





この歌『春が呼んでるよ』は、ポーランド民謡を原曲とする日本の子供向けの歌で、NHK「みんなのうた」として1963年3月に初回放送されました。

春の爽やかで明るい詩のイメージと、短調で物悲しいメロディ、・・・若干の違和感というか異質な感覚があるかも知れません。

それは、ロシアに蹂躙されたポーランドの悲しい歴史がそうさせているのかもです。

民謡には、それなりの歴史が・・・








































































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主人公

2025-02-25 04:56:50 | フォーク&ニュー・ミュージック
さだまさし


時には思い出ゆきの 旅行案内書(ガイドブック)にまかせ
「あの頃」という名の駅で下りて
「昔通り」を歩く
いつもの喫茶(テラス)には まだ時の名惜りが少し
地下鉄(メトロ)の駅の前には「62番」のバス
鈴懸(プラタナス)並木の古い広場と学生だらけの街
そういえば あなたの服の模様さえ覚えてる

あなたの眩しい笑顔と
友達の笑い声に
抱かれて 私はいつでも
必ずきらめいていた

「或いは」「もしも」だなんてあなたは嫌ったけど
時を遡る切符(チケット)があれば欲しくなる時がある
あそこの別れ道で選びなおせるならって…
勿論 今の私を悲しむつもりはない
確かに自分で 選んだ以上精一杯生きる
そうでなきゃ あなたにとても
とても はずかしいから

あなたは教えてくれた
小さな物語でも
自分の人生の中では
誰もがみな主人公

時折思い出の中で
あなたは支えてください
私の人生の中では
私が主人公だと 






自分の人生の中では 誰もがみな 「 主人公 」

だから僕は、人は必ず選ばれて生まれて来たのだと信じていたいし、
だからこそ、生きてゆくことに誇りを持ちたい。
自分が主人公であるという考え方は、とかく「利己」を感じさせる
危険な言い回しですが、生きてゆく強さをふるいたたせる為に
必要な起爆剤だと思ってください。 
自分の人生はドラマであると信じる事が、
時として自分の不幸を救うこともあるのです  (さだまさし)



時には思い出ゆきの 旅行案内書にまかせ
“あの頃”という名の駅で下りて
 昔通り”を歩く


少年時代、漫画週刊誌の発売日によく駆け込んだ、商店街の入り口にある小さな本屋さんが、いつしか消えてしまってました。

活字離れ、出版不況といわれて久しく、またコンビニエンスストアなどがあちらこちらに出来て、雑誌や売れ筋の品揃えしかできない街角の小さな本屋さんの

経営なんかはもう成り立たなくて、代わりにそれを吸収する形で、ターミナルビルなどに大規模な書店が増えました。

人と待ち合わせをするとき、ぼく(マスター)はよく、そんな大きな本屋さんの前で待ち合わせをします。

ぼくみたいな方向音痴でも、その場所は分かりやすい目印になるし、多少、早めに行って立ち読みしたりして、相手が遅れてきても、苦にならないからです。

そんなとき、よく探すのが、思い出ゆきの旅行案内書(ガイドブック)です…、もちろん、まあ、どんなに品揃えのいい書店にも置いてませんし、

取り寄せもしてくれません。(笑)

でも、そんな本があれば、確かにそれを道先案内として、イメージの旅に出れるでしょう。

このご時世ですから、運賃も宿泊費も要らない旅もいいかも。(笑)

人それぞれに、「あの頃」という駅があって、さらに、人それぞれに名づけられた「昔通り」を歩く…。

いつもの喫茶には まだ時の名惜りが少し
地下鉄の駅の前には“62番”のバス
鈴懸並木の古い広場と学生だらけの街


ところで、ここで、この歌の旅が海外だったと気がつきます。(笑)

だって、「地下鉄」は、「ちかてつ」ではなく、「メトロ」と読ませ、また「鈴懸」は「プラタナス」と読ませるから、フランスのパリっぽい雰囲気があります。

じゃ、広場は、凱旋門広場かな、並木道はシャンゼリゼ通りなのかな、じゃ、学生だらけの街って、どこのあたりなんやろ。

と、まあ、行ったことないから、考えても全然分からないけど、でも、日本でも、似たような、そんな場所はありますよね。

強がり、負け惜しみ言う前に、やはり、ガイドブックは、Japanese版にしとくべきでしょうね。(笑) 

そういえば あなたの服の模様さえ覚えてる

 澄み切った青い空と白っぽいTシャツ…、雪模様の空と黒っぽいダッフルコート…、はるか遠く、彼方に過ぎ去っていった思い出たちは、セピア色の中に

沈んでいるのに、何故か、ひとつのワンシーンだけが、総天然色で鮮やか記憶していることがあります。

もっとも、昨夜の晩飯のメニューすら、忘れるようになった今日この頃ですが。(笑)
 
“或いは”“もしも”だなんてあなたは嫌ったけど
時を遡る切符があれば欲しくなる時がある
あそこの別れ道で選びなおせるならって…

 
I wish I were ~、確か、反実仮想という言語表現法でしたね。

はるか昔の受験英語で習って、唯一覚えてることですが。(笑)

I wish I were a bird

直訳すれば、私は鳥だったことを望む、なんですが…転じて、鳥だったら良かったのになぁ、鳥だったら自由に空を飛べるのになぁ。

でも、現実は鳥ではない…。だから自由に飛べない…。

でも、過ぎたことに対して、「あるいは」「もしも」の選択肢を考えてみても、反省の材料にはなっても、何も前に進めない。

勿論 今の私を悲しむつもりはない
 確かに自分で 選んだ以上精一杯生きる


ひとしきり、振り返った後で、現実に戻らなければならない。

人生をひとつの物語になぞらえることがあります。

そして、その物語の中心人物となるのは、もちろん主人公…すなわち自分であるはずです。

自分の人生の中では
 誰もがみな主人公


しかし、時として、そのシナリオは、主人公らしからぬ主人公の振る舞いを、無慈悲にも、主人公に要求する場合があります。

自分という主人公が、歩みし道を振り返ると、果たして自分の人生で自分が、ほんとうに主人公だったのかなって、ふと、そんな気持ちに駆られることも多いような気がします。

それでも、なお…。

私の人生の中では
私が主人公だと


そう言い聞かせて、歩むしかないのです。









































































































































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ふりむかないで

2025-02-24 04:41:05 | マスターおすすめ曲
ハニー・ナイツ



1 泣いているのか 笑っているのか
  うしろ姿の すてきなあなた
  ついてゆきたい あなたのあとを
  ふりむかないで 東京の人

2 ポプラ並木に ちらつく雪が
  あなたの足を いそがせるのか
  しばれる道が 気にかかるのか
  待って欲しいな 札幌の人

3 たなばた祭りの 一番町(ちょう)で
  ふとゆきあって 目と目があった
  ゆかた姿の すてきなあなた
  ささやきたいな 仙台の人

4 雨の今池 小さなスナック
  一人ぼんやり しているあなた
  ほろり涙が まつげにたまる
  抱きしめたいな 名古屋の人

5 今にも空が 泣き出しそうな
  道頓堀の 橋のたもとで
  何を思案の こいさん一人
  声かけたいな 大阪の人

6 泣いているのか 笑っているのか
  那珂川(なかがわ)ばたに たたずむあなた
  ついてゆきたい あなたのあとを
  ふりむかないで 博多の人





恋は錯覚から始まるなどとよくいわれますが、その意味で後ろ姿の美しい女性に魅せられるのも、一種の恋かもしれません。

もっとも、普通の恋は錯覚から醒めたとき終わりますが、後ろ姿への恋は、通りで見かけたときだけのもの、錯覚のままで終わりますから、

一種の恋というより一瞬の恋?(笑)

この曲は昭和45年(1970)リリース、同年に発売されたライオン油脂(現・ライオン)(株)のエメロンクリームリンスのTVコマーシャルに使われたので、

覚えておられる方も多いかも知れません。

全国のさまざまな都市で、髪の美しい女性を後ろから映し、声をかけて振り向いてもらうというキャンペーンでした。

被写体はすべて一般の女性で、後ろ髪のきれいさと容貌とのあいだにあまりギャップのない人が選ばれたのだとか。(笑)

















































































































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とんがり帽子(鐘の鳴る丘) 

2025-02-23 07:44:59 | 童謡・唱歌
美空ひばり


川田正子



1 緑の丘の赤い屋根
  とんがり帽子の時計台
  鐘が鳴ります キンコンカン
  メーメー小山羊(こやぎ)も啼(な)いてます
  風がそよそよ丘の上
  黄色いお窓はおいらの家よ

2 緑の丘の麦畑
  おいらが一人でいる時に
  鐘が鳴ります キンコンカン
  鳴る鳴る鐘は父母(ちちはは)の
  元気でいろよという声よ
  口笛吹いておいらは元気

3 とんがり帽子の時計台
  夜になったら星が出る
  鐘が鳴ります キンコンカン
  おいらはかえる屋根の下
  父さん母さんいないけど
  丘のあの窓おいらの家よ

4 おやすみなさい 空の星
  おやすみなさい 仲間たち
  鐘が鳴ります キンコンカン
  昨日にまさる今日よりも
  あしたはもっとしあわせに
  みんな仲よくおやすみなさい



太平洋戦争末期、日本の主要都市の多くが米軍の空襲を受けましたが、とりわけ首都東京は被害が著しく、区部の大半が焼け野原となってしまいました。

昭和20年(1945)8月15日、戦争が終わると、空襲で家も親も失った「戦災孤児」たちが街にあふれました。

保護施設に収容されなかった孤児たちの多くは、地下道やガード下、防空壕跡などで寝泊まりし、昼間はくず拾いや靴磨き、残飯あさりをして暮らしていて、

彼らは「浮浪児」と呼ばれました。

浮浪児のなかには、かっぱらいや盗みを働く者もいましたが、だれが彼らを責められましょうか。

昨今横行している青少年のかっぱらいや万引きと違って、彼らのそれは、ぎりぎり命をつなぐためのやむを得ない行動だったのです。

施設に収容された孤児たちも、必ずしも平穏だったわけではありません。

一般社会でも餓死者が続出していた時代でしたから、食べ物は十分ではなかったし、虐待やいじめもありました。社会全体が混乱していましたから、

そういったことへの監視の目が行き渡らなかったのです。

菊田一夫作のNHKラジオドラマ『鐘の鳴る丘』は、こうした社会情勢を背景として、昭和22年(1947)7月に始まりました。

以後3年7か月、790回にわたって放送され、古関裕而作曲の主題歌『とんがり帽子』とともに大流行しました。

ドラマは、戦争が終り、復員してきた若者・加賀見修平がガード下で浮浪児にカバンを奪われそうになるところから始まります。

その浮浪児は隆太といいました。

ここから、修平は、隆太やその仲間、修吉、ガンちゃん、クロ、みどりなどと交流するようになります。

彼らの惨めな境遇を知った修平は、何とかしなければと考え、浮浪児たちも彼を慕いました。

そして、修平の故郷が信州だったところから、孤児たちと力を合わせて信州の山あいに「少年の家」を作り、共同生活を始めるのです……。

当時は、日本中の子どもたちが、このドラマを欠かさず聞いていたそうです。

子どもたちだけでありません。敗戦とそれに続く苦しい生活にうちひしがれていた大人たちも、このドラマによって、明日への希望を育てたといわれます。

菊田一夫は、戦争中、岩手県の江刺郡岩谷堂町(現在は奥州市)に家族を疎開させていました。

ここの町役場には鐘のついた高楼があり、菊田一夫はそれを見て『鐘の鳴る丘』を発想したといわれます。

この建物は、明治記念館として保存されており、現在も、毎日午前7時と午後5時に『とんがり帽子』のメロディーが流れています。






































































































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19の頃

2025-02-22 07:54:08 | フォーク&ニュー・ミュージック
とんぼちゃん


あなた私と初めて会った
あの日を憶えてますか
私19になったばかりの
小雨降る午後でした
雨に濡れてる私にそっと
傘を差してくれた
あの日から私の胸に
あなたが生きていました
憶えてますか私の涙
あなたの優しさのため
胸にしみた別れの言葉
今は冷たい想い出
そろいの古いマフラーひとつ
あなたの匂いも消えて
部屋の灯りをそろそろ消して
眠りにつく私です

そろいの古いマフラーひとつ
あなたの匂いも消えて
部屋の灯りをそろそろ消して
眠りにつく私です





「地震・雷・火事・親父」

「地震雷火事親父」は、恐ろしいものを列挙した言葉です。

順番にも意味があり、より恐れられている事柄から順に列挙されています。

地震と雷はともに天災で、命を落とし得る点で共通しています。

それぞれ発生状況によって危険度は異なるものの、一般的に屋内に避難すれば雷に打たれるリスクは低くなるものの、屋内外を問わず地震からは逃げられません。

命を落とすリスクがある点では、火事も地震や雷と同じです。

地震や雷に誘発される火事もありますが、人々の用心によって火事は防げるケースもあります。

地震・雷・火事といった災害と肩を並べる『親父』という言葉に、違和感を抱いたことがある人は多いでしょう。

たとえ親父が恐れの対象だとしても、命を落とすほどの脅威ではないと感じられるからです。

地震・雷・火事とともに親父が列挙される背景には、家父制度がありました。

家父制度とは、家族に対して家長が絶対的な権力を持つ制度です。

必ずしも家長が父とは限らないものの、一般的に家長は父を指します。

この制度下では父の権力が非常に強く、父親に逆らうなど到底不可能でした。

そうした背景から、地震・雷・火事といった災害に並ぶ恐ろしさの象徴として、親父が使われるようになったようです。

我が国における成年年齢は,明治9年以来,20歳とされていました。

近年,憲法改正国民投票の投票権年齢や,公職選挙法の選挙権年齢などが18歳と定められ,国政上の重要な事項の判断に関して,18歳,19歳の方を

大人として扱うという政策が進められてきました。

そして、施行されるようになったわけですが、家父制度からの脱却、こちらはまだまだ、民主国家は遠い日本です。(笑)







































































































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ワシントン広場の夜はふけて( Washington Square)

2025-02-21 08:43:45 | Wポップス
ヴィレッジ・ストンパーズ



この曲「ワシントン広場の夜はふけて」(Washington Square)は、アメリカのディキシーランド・ジャズのバンド、ヴィレッジ・ストンパーズが1963年に

リリースしたインストゥルメンタルです。

曲名の「ワシントン広場」とは、ニューヨーク市グリニッジ・ヴィレッジにあるワシントン・スクエア公園のこと。

ちなみにこの曲は、当初歌の無いインストゥルメンタルでしたが、作曲者のボブ・ゴールドステイン(Bobb Goldsteinn)とデヴィッド・シャイア

(David Lee Shire)によって歌詞がつけられました。

日本では、「可愛いベイビー」「ルイジアナ・ママ」などの訳詞で知られる漣 健児(さざなみ けんじ/1931-2005)が作詞した日本語版の歌詞が存在し、

ダーク・ダックスやデューク・エイセスらが歌謡曲としてカバーしています。



 The Ames Brothers



 デューク・エイセス



ダーク・ダックス




























































































































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なみだの操

2025-02-18 06:22:55 | Jポップス
殿様キングス


青江三奈


天童よしみ

あなたのために 守り通した女の操
今さら他人に ささげられないわ
あなたの決してお邪魔は しないから
おそばに置いてほしいのよ
お別れするより死にたいわ 女だから

あなたの匂い 肌に沁みつく女の操
すてられたあと 暮らして行けない
私に悪いところが あるのなら
教えてきっと直すから
恨みはしませんこの恋を 女だから

あなたにだけは 分るはずなの女の操
汚れを知らぬ 乙女になれたら
誰にも心変りは あるけれど
あなたを疑いたくない





「操」には大きく分けて2つの意味があり、1つは「(手先を動かして物を)うまく扱う、あやつる」で、「操作」「操縦」「体操」などと使われます。

もう1つは訓読みで「みさお」と読み、そのまま意味も表し、「意志をかたく守って変えないこと」で「節操」「操守」といった熟語で使われます。

この成り立ちは「操」を「扌(てへん)」と「喿」に分けると読み解けます。

諸説ありますが、「喿」の上部にある「口」は神様のお祈りに使う器を表し、これに「木」を合わせて「木に器を固定したもの」を表現しています。

さらに「手」を表す「扌」を合わせて、「操」は「手に木を固く握り、一心にお祈りをする」情景を示したといわれています。

ここから、「手の動き」と「かたい意志」に関係した意味が生まれました。











































































































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記念樹

2025-02-17 05:24:51 | Jポップス
森昌子



ひゅるひゅると風が吹く校庭に
若い日の記念樹を植えました
あの人もこの人も見つめるうちに
なぜかしらその胸を 熱くする
さよなら初恋 さよならともだち
また逢いましょう この樹の下で
そっとその目で記します
そっと約束かわします

ひゅるひゅると風が舞う校門で
今植えた記念樹をみつめます
指きりをかわしたりサインをしたり
手をふって急ぎ足 帰ります
さよなら初恋 さよならともだち
また逢いましょう この樹の下で
そして別れて行くのです
そしてひとりになるのです 





この曲、特に聴いてほしい人、それは松川るいさん。

まぁ、この人、いろいろ言われていますが、一言でいうと「ただの自分勝手な我儘女性議員」。

高学歴で成績は良かったのでしょうが、それはペーパー上だけで、実際は頭はよくない、つまり、賢い方ではなかったのでしょうね。

この曲、よお~く、聴いて、「素直で優しい女性」になっていただけたら・・・ですが。
























































































































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人生に乾杯 

2025-02-14 07:44:20 | 森昌子
森 昌子  



誰かが誰かを 愛してる
私も誰かを 愛してる
ひとりは心が 寒いよに
私の心が ふるえてる
いろいろあるわ 人生は
きれいな服着て 出かけましょう
赤・青・黄色 どの色も
心に花を 咲かせてる
ロマンティックな 人生に
乾杯しましょう 笑いましょう

誰かが誰かに 涙して
私も誰かに 涙して
誰でも昔を なつかしみ
心に思い出 しまってる
いろいろあるわ 人生は
不思議な出逢いを さがしましょう
少し軽めの 靴はいて
緑の街に 出かけましょう
ロマンティックな 人生に
乾杯しましょう 笑いましょう

いろいろあるわ 人生は
きれいな服着て 出かけましょう
赤・青・黄色 どの色も
心に花を 咲かせてる
ロマンティックな 人生に
 乾杯しましょう 笑いましょう 






「後悔などあろうはずがありません」と感極まったイチローの引退表明に感動したのが5~6年前、各社の報道の中でマスターが心打たれたものに

愛猫の逸話があります。

夫婦の愛猫の名前は「一弓」だとか。

多分、一朗の「一」と奥様の弓子の「弓」で「一弓」なのだと思うのですが、いかにも求道者のたたずまいを崩さないイチローの人生そのものでした。






































































































































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人生劇場

2025-02-13 08:08:58 | 懐かしのメロディー
村田英雄



石原裕次郎


やると思えば どこまでやるさ
それが男の魂じゃないか
義理がすたれば この世は闇だ
なまじとめるな 夜の雨

あんな女に 未練はないが
なぜか涙が 流れてならぬ
男ごころは 男でなけりゃ
わかるものかと あきらめた

時世時節は 変わろとままよ
吉良の仁吉は 男じゃないか
おれも生きたや 仁吉のように
義理と人情の この世界







早稲田の杜が芽生く頃、花の香りは沈丁花(ちんちょうげ)、人生意気に感じたら、びくともするなと銅像が、ビクともせずに風に立つ。

崩れかかった築山は、江戸の昔の高田富士、町を見下ろす天辺で、意気に感じた若者が、夕日に向かって吼えていた。

春と一緒に青春の、波がドンドン押し寄せて、男子(おのこ)ばかりか女子(おなご)まで、杜の宴に酔いしれる。



この曲は、尾崎士郎の同名の小説を下敷きにして作られた歌で、昭和13年(1938)発表されました。

作詞:佐藤 惣之助、作曲:古賀 政男。

小説は、昭和8年(1933)から足かけ11年間、『都新聞』『東京新聞』に連載されたもので、『青春篇』『愛慾篇』『残侠篇』『風雲篇』『離愁篇』『夢幻篇』

『望郷篇』『蕩子篇』の各編から成り、任侠の世界を描いた『残侠篇』を除いて、作者の自伝的小説とされています。

昭和10年(1935)に『青春篇』が刊行され、川端康成が絶賛してベストセラーになりました。

『青春篇』は、三州(さんしゅう)吉良(愛知県吉良町)に生まれた青成瓢吉(あおなり・ひょうきち)が、青雲の志を抱いて早稲田に学び、

放埒(ほうらつ)な青春を送り、学校騒動で主役を演じ、料亭の娘お袖と恋仲になるが、やがて学校も女も捨てる、という物語です。

歌に出てくる吉良の仁吉は、幕末期の実在の侠客で、慶応2年(1866)4月8日、伊勢国鈴鹿郡(ごおり)の荒神山(こうじんやま)で起こった

穴太(あのう)の徳次郎vs.神戸(かんべ)の長吉(ながきち)+吉良の仁吉+清水次郎長の子分たちの大喧嘩(おおでいり)で命を落としました。

この小説では、仁吉の血筋を引くという吉良常が重要な役割を演じています。

歌は、通常3番までですが、「幻の4番」といわれる歌詞があります。

(セリフ)
   ああ夢の世や 夢の世や
   今は三歳(みとせ)のその昔
   十有余年がその間
   いと懐かしき父母(ちちはは)と
   朝夕眺めし山や川
   春は花咲き夏繁り
   秋は紅葉の錦織
   冬は雪降るふるさとの
   由緒正しき郷士(ごうし)にて
   一人男子(おのこ)と生まれける
   その運命のいたずらか
   はかなき恋の戯れか
   浮き立つ雲に誘われて
   一人旅立つ東京の
   学びの庭は早稲田なり

4 端(はした)役者の 俺ではあるが
  早稲田に学んで 波風受けて
  行くぞ男の この花道
  人生劇場 いざ序幕

これは、マスターが在学してた頃、早稲田大学の第二校歌として、早慶戦の時や、その後の飲み会などでよく歌わされましたが、「幻の4番」は

誰が何時、どう作ったかは知りません。

多分、尾崎士郎が早稲田出身、その自伝的小説の舞台が早稲田、義に篤く、利にはうとく、信ずることのためには損得を考えずに突き進むという

早稲田マンイメージ、などから誰かが作って継承されてきたものとは想像しますが・・・・。
















































































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赤い風船

2025-02-13 04:02:56 | マスターおすすめ曲
加藤登紀子


赤い風船 手にもって
走ったり ころんだり 笑ったり
いつもひとりで たわむれている
可愛い坊やは 空が好き

赤い風船 手をはなれ
青空にふわふわと 飛んでった
坊やびっくり 追いかけようと
大きな通りに 飛び出した

赤い風船 空の上
泣きながら 街の中 追いかけて
坊や車に ひかれて 死んだ
可愛い坊やは 死んだ

赤い風船 手にもって
何かしら 楽しそうに歌ってた
あどけない歌 かわいい声も
今ではどこにも 聞こえない

赤い風船 ゆらゆらと
青空を さまよって 探してる
どこへ行ったの 可愛い 坊や
可愛い坊やは もういない
可愛い坊やは もういない







1966年、「誰も誰も知らない」でレコード・デビューされた加藤登紀子さんの2枚目のシングルがこの曲「赤い風船」で、

「第8回日本レコード大賞」新人賞を受賞しています。

作詞:水木かおる、作曲:小林亜星各氏。





































































































































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山のロザリア

2025-02-12 08:53:53 | Jポップス
スリー・グレイセス



山の娘ロザリア いつも一人うたうよ
青い牧場日昏れて 星の出るころ
帰れ帰れも一度 忘れられぬあの日よ
涙ながし別れた 君の姿よ

黒い瞳ロザリア 今日も一人うたうよ
風にゆれる花のよう 笛を鳴らして
帰れ帰れも一度 やさしかったあの人
胸に抱くは形見の 銀のロケット

一人娘ロザリア 山の歌をうたうよ
歌は甘く哀しく 星もまたたく
帰れ帰れも一度 命かけたあの夢
移り変わる世の中 花も散りゆく

山の娘ロザリア いつも一人うたうよ
青い牧場小やぎも 夢をみるころ
帰れ帰れも一度 忘れられぬあの日よ
涙ながし別れた 君の姿よ





この曲は「ロシア民謡」と呼ばれていますが、元は、歌詞の無かった「アレクサンドロフスキー」という、ロシアの民族舞踊曲に、

日本で独自に歌詞を付けたものです。


アレキサンドロフスキー (ロシア)



昭和31年に『牧場のロザリア』の題名で売り出されましたが、このときはさっぱり売れなかったそうです。

昭和36年ころになって、歌声喫茶から歌われ始め、『山のロザリア』と改題し、スリー・グレイセスの歌で売り出したところ、大ヒットとなりました。





































































































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