兄弟

2019-07-12 20:42:43 | 日記

 横浜にいる兄が先日からいる。腰が具合悪く、弟の鍼灸師に診療してもらうためこちらに泊まり込んでいるのだ。折しもこちらの3男の料理人が旅から帰っており、それで毎夜のようにその兄と一緒に買い物して、ご馳走三昧である。兄弟がこちらの息子も3人おり、ぼく自身の兄弟も3人おり、なんと言うのだろう何か仕草だったり、声だったり、どこか自分自身ではわからないところが妙ににているところがあり、そうかと言って根本的に違うその有り様は、何かふだん自分では自分のことを見ることができない、その何かをある瞬間に見せてくれるものがあり、ここでもまた人っていうものは不思議なものだなぁと感嘆せずにおれない。

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ねじり花

2019-07-04 20:42:05 | 日記

 いよいよ夏の花たちが咲いてきた。カメラを持ち歩かないので撮れてないが、ねじり花がポツンと咲き出した。ここの境内にねじり花が咲いて、それを毎年草刈りの時に刈らないようにしてきたものだから、今ではずいぶん増えて境内のそこら中に咲くのだけれど、今は初めだからポツンとだけ咲いている。ねじりながら上へ上へと咲いていく様は、なんとも愛嬌を感ずるのだ。少し前からどくだみの花も咲いている。ドクダミとはまたすごい名前なれど、この草は薬草で乾かしてお茶に、生の葉っぱは揉んで傷の時なんぞには重宝する。十字のような白い花。ドクダミという名前からは想像もできない清楚な雰囲気である。葉っぱも緑だけでなく、何やら混じりがあっていい緑加減なのである。虎の尾も咲き出している。これらは野草で、毎年同じところに咲いてくれることが嬉しい。虎の尾も名前負け、というか、イメージするような虎からは遠いように思う。けれどこの名前のせいで、このひとのことをちゃんと、覚えたから名前はやはり大きいよな。 

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念仏者の風光 2

2019-07-02 22:01:19 | 日記

 この念仏者のことを書いたことに早速ある方からメールがきました。せっかくなのでこの場でお応えしますと書いたんだ。

 その方は「あなたの言葉を読んでいると、とてもいいことが書いてある。ような気がして自分なりに懸命に、というか真面目に読んでいます。しかしながらここの文面からは、じゃ結局この自分はどうしたらいいのか、どうやれば救われるのか。本気で助かりたいと思って、前から書いているものも何回も目を凝らすようにして、読んだつもりなのですが、どうすればいいとはどこにも書いてないように思うのですが、これは自分自身で考えろということなのでしょうか。それともある意味試されている。私からは、おちょくられているようにも読んでしまうのですが。一体どうなのでしょうか」と。

 いやはや率直に言えばそうだろうな、とは思います。しかしながら、なんというのでしょうか、そうやって自分で、うん、ということを、がってんするところを探しているのではないでしょうか。どこまでも我の頭で納得しないと承知しない、人としてのくせなのでしょう。その有り様が問われています。苦しみや自分ではどうすることもできないことに出会ってようやく、自分という前にすでにここにそのままで、自分というものが生かされていた。という言い方がもっとも素直な言い方だと思います。このことは言葉なのですが、身体全体で感応することですから。それぞれがそれぞれの出会い方でしか、ない。前例というものがないのだと思います。ともあれ何事であれ、ともかく手を合わせることをおすすめします。自分がそう思っても思わなくとも静かに手を合わす。その自らの合掌している姿から、自ずと感応します。

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