昨日は原稿をなんとか書いた。やっぱりあらためて文章を書くと
いうのは、大変なエネルギーを必要とするなぁと毎回のように思う。
でも、言葉を生きているこの身からすれば、それはとても大事な
作業であることも毎度教えられる。なんといっても言葉で連ねるこ
とで自分というものも、その都度立ち止まって練られるのだ。そこ
がしんどいと言うか、辛いところだ。うん。社会そのものがとても
せわしいせいか、せわしくしていないと十全に生きていないような
錯覚でもあるように、多くの人がとてもせわしい。そんななかで
言葉をひねり出す作業はなにか徒労?または遠く感じてしまって
いるようにおもう。そのせいだろうか。今の多くの人たちは
もちろんぼくもそうで言葉に重みが無いよね。
この5月勉強会で植えた稲、もう刈り時である。
いうのは、大変なエネルギーを必要とするなぁと毎回のように思う。
でも、言葉を生きているこの身からすれば、それはとても大事な
作業であることも毎度教えられる。なんといっても言葉で連ねるこ
とで自分というものも、その都度立ち止まって練られるのだ。そこ
がしんどいと言うか、辛いところだ。うん。社会そのものがとても
せわしいせいか、せわしくしていないと十全に生きていないような
錯覚でもあるように、多くの人がとてもせわしい。そんななかで
言葉をひねり出す作業はなにか徒労?または遠く感じてしまって
いるようにおもう。そのせいだろうか。今の多くの人たちは
もちろんぼくもそうで言葉に重みが無いよね。
この5月勉強会で植えた稲、もう刈り時である。