浅原才市(1850〜1932)妙好人である。鈴木大拙が世に広く知らしめた。
才市のことばの出し方を見ていると、ことばの持つ躍動感がある。矛盾することをそのままに言うことで、ことばが記号としてのはたらきをやめて、急にこちらの胸に直接する。詮索するひまがない。うーむなどとあれこれめぐらしていることそのものが、邪魔になる。ダイレクトなのだ。思案しだすとなにもかも、半端になる。そんなことば群である。
「わしのこころは、あなたのこころ、
あなたごころが、わたしのこころ。
わしになるのが、あなたのこころ。」
「お慈悲も光明もみなひとつ。
才市もあみだもみなひとつ。
なむあみだぶつ」
「やれうれしや、弥陀のはん(判)、わしのこころについてある。
なみあみだぶつと申すはんこ、おやのはんこ、
子どもがもらうて、なみあみだぶつと申すばかりよ」
「わしのりん十(臨終)あなたにとられ。
りん十すんで、葬式すんで、
あとのよろこび、なむあみだぶつ」
「りん十まだこの(来ぬ)、このはずよ、すんでをるもの。
りん十すんで、なむあみだぶつ」
「今がりん十、わしがりん十、あなたのもので、
これがたのしみ、なみあみだぶつ」