飛鳥と言う字は、こうも書く明日香とも。いずれにしろ、アスカと聞くだけで何やら古大ロマンのイメージがひろがっているから、不思議なものである。最初は明日香に行くつもりはなかった。なれど、奈良、三輪と巡っている間にもう一つの場所、そう明日香を訪ねたいと。急遽行った。この日は午前中、三輪山に登拝した。天気予報は雨だったが、山に入っているあいだは、しばし待っていてくれた。けれど、明日香に向かう頃より雨がまた勢いを増し、遅い昼食を済ませた頃は本降り状態だった。そんななかでのあの石組み、正しくは古墳のお墓の内部、それは蘇我馬子の古墳らしい。そう、ここ明日香は蘇我一族が開いたところ。聖徳太子もここで活躍された場所。この石組み、写真などでは見たことがあった。実際にそこにたどりつき、一辺が3メートルもあろうかと言う大きな石、それらが見事なくらいに、組み込まれていてお墓の原型がむき出しになっている。おそらくはその場所ぜんたいが古墳だったのだろう。そして(蘇我氏のもの故)盗掘や戦火にもあったのだろう。血なまぐさいあとかたなれど、それらは風雨にさらされてその面影は無くただ見事に組まれた巨石が、異様な姿ではなく、風景となってそこにあった。
飛鳥資料館が近くにあり、たいそう立派なもの。ここでもつい時間を費やしてしまった。高松塚古墳の壁画のレプリカなども展示してあり見応えがあるのと、こちらがこれらのことについて、ほとんど知らないことにあらためて驚く。はい、ほんとなんにも知らないことばかりなのだった。