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満月

2017-11-04 23:47:40 | 書簡集

 今日は雨降りだった。夜には雨がやみ、雲もうすくなったのか、その雲の切れ間から満月がのぞいている。雲間の月も風情がある。満月で思い出した言葉がある。具足円満。足るをそなえる。とはどんな意味か、と思っていた。涅槃経というお経に知足。足るを知る。ということばが頻繁にでる。国語辞典的には身の程を知る。不足不満を言わないぐらいの意味であろうか。けれど、それでは仏教の教えにはならない。いまここに不足不満のまま、すでに完了されている。足りているものとしてここにある。ということ、それは執着、不足不満の言いようのない世界をいう。じつはお月さんもこちらに見えるのは光に反射されている部分のみで、それを満月だの三日月だのと言うてはいる。けれど、いつでも月は真ん丸なのである。このわたしというものも、いつもここに具足円満しているものとしておかれていた。


歎異抄 18

2017-03-06 11:01:21 | 書簡集

 第11章の原文です。この章も長いので、区切りながらしましょう。

一文不通のともがらの念仏まふすにあふて、なんじは誓願不思議を信じて念仏まふすか、また名号不思議を信ずるかといひおどろかして、ふたつの不思議の子細をも分明にいひらかずして、ひとのこころをまどはすこと。この条かへすがへすも、こころをとどめておもひわくべきことなり。誓願の不思議によりて、やすくたもち、となへやすき名号を案じいだしたまひて、この名字をとなへんものをむかへとらんと御約束あることなれば、まづ弥陀の大悲大願の不思議にたすけられまひらせて生死をいづべしと信じて、念仏のまふさるるも如来の御はからひなりとおもへば、すこしもみづからのはからひまじはらざるゆへに、本願に相応して実報土に往生するなり。これは、誓願の不思議をむねと信じたてまつれば、名号の不思議も具足して、誓願名号の不思議ひとつにして、さらにことなることなきなり。

 

 文字を読めない仲間に向かって、「お前はいったい御いのちの不思議な力を信じて念仏もうすのか、それとも南無阿弥陀仏と言う名の不思議をとなえることで救ってくださると信じて念仏もうすのか」と、言い驚かすばかりで、この二つの不思議な力のまことの意味を明らかにすることなく、人のこころを惑わすことについて。このことはよく注意して正しく理解しなくてはなるまい。弥陀はその願いの不思議な力によって、だれでもとなえやすくその名号を称えることで、浄土に迎えとろうと約束してくださりしものなのです。弥陀の悲願の不思議にたすけられて迷いの生死の世界から、出ることができると信じて念仏を称えることができるのも如来のはたらきであれば、すでに自力をこえでており、きっとほんとうの浄土に往生できるのです。これは誓願の不思議な力を信じれば、名号の不思議な力をもそこにそなわり、誓願と名号の不思議な力はひとつのものである。


前触れもなく

2017-01-25 20:42:17 | 書簡集

 昼飯を食べ終わった頃、大きなくしゃみがひとつ。それからときおり、くしゃみがでておった。夜の片付けをしているころには、くしゃみの連発で、そのたびに鼻水がどびぃやぁとばかりにでる。

 夜、歯磨きをみごとに輝くオリオン座を見ながら、やっていたら、妙にぞくぞくするではないか。こりゃ風邪症状ダゾォ。早めにネルだぁ。


ウマと話そう

2016-12-04 21:38:54 | 書簡集

 先日来られた方、フリーで編集をされている方。その方が出された本を頂いた。それが、「馬語手帖」ウマと話そう。カディブックス。である。もうひとつ、それの続編「はしっこに、馬といるーウマと話そう2」。ぼくじしんもウマをしばらく飼っていたから、まったく知らない訳じゃないつもり。だけど、それはつもりだけで、こちらの勝手な思いをそのウマにぶつけてきたことだけが、よみがえってきたのだ。

 だから、今犬や猫と暮している。けれど、それもこちらのかってなやさしさや思い入れなどを押しつけていただけじゃないのか、と言うような思いで、ハナくんや野良くんをみたよ。言うなれば、相手から見たオレはどんなふうに見えているかっていうことだけど。それで、とくだんなにがということはない。ないが、こちらの一方的なまなざしはすこしゆるんだようにおもわれる。