Nさんのこと

2023-09-13 19:56:11 | 日記

Nさんが肺炎でもうやばい状態なんだ、

と電話が息子から来た。家族しか見舞

いにいくことができないという。

しかし親族ならということで、親族と

してお見舞いに行った。

Nさんとももうずいぶん長い付き合い

だ。今では互いの息子たちとの付き合

いの方が、濃くなっているが。この春

もやはり古い友であるMを伴って遊び

に来た。

彼は在日である、生まれや育ちの詳し

い話はついぞ直接聞かずじまいだった。

が、ある時おれは大阪のハーモニカ長

屋なんだと、話の流れの中でぽつりと

言ったことがある。

 彼の顔を見るだけで、いろいろなこ

とをやってきたのだろうな、の顔つき

である。もうこういう顔つきの者たち

も消えていくのだろう。今どきの若者、

とてもスッキリしている。けれど、な

んていうのか、こちらの勝手な言い草

で言えば憂いや寂しさを感じさせてく

れない。付き合うには適度に距離感が

あって付き合いやすい。けれど、ただ

それだけなのだ。人と人が出会うとい

うことは、そんなことではないはずだ。

互いに傷つき、身体のなかから笑い、

馬鹿をするとでもいうのか。切った切

られたのなんともイヤな、そしてうれ

しい付き合いだ。

Nさんは長く屑鉄屋をしていた。若い

頃に日本のヒッピーの元祖と言われた

ナナオサカキと縁が、あったのだろう

それでナナオサカキもしばしば与呂見

に泊まりに来ていた。ナナオのことは

いずれまたの機会だとして、Nさんの

ことだ。病室に入ったとき、こちらは

ある意味もうダメ状態か、と思ってい

たが、本人曰く抗生物質の点滴が昨日

の夜になってきいたらしく、高熱でう

んうんやっていたものが、熱も下がり

栄養剤の点滴も効いて元気で、本人も

びっくりだとのことなれど、帰りの車

の中で息子は、もう肺機能はほとんど

ダメらしく今度何かあれば、薬が効く

かどうかと言われたと。

Nはベッドの上で陽気に喋ってはいた

が、それはこちらがいたことや、昨晩

まで熱があったことを思うと、少しハ

イな状態であるのだろう。

こちらが思ったことは、その見舞いに

行った日からなんとなく、そのNのこ

とが出る。鉄屑屋を長くやってきた彼

は、なんともえーかっこしである。人

前で自分の弱さを見せたりはしない。

いつも来る時は、ビールを1ケース持

ってくるという具合で、まぁもちろん

だんだんと、そんな自分の見栄っぱり

についていけなくて、手ぶらで来るよ

うになるんだけど。気持ちはいつも張

っているのだ。結核で入院した時も、

病院から逃げ出して、なぜかパトカー

に乗せられたり、与呂見でも飲み会で

もあるとヒョイと来て、若い女の子で

もいようものなら懸命にもてなし、そ

の娘が風呂に入ったあと、彼も入り込

んで大騒ぎを起こしたりと、ともあれ

世の常識や堅物を相手に回すと、徹底

的になじる。その彼がだ、ベッドで点

滴のチュウブに繋がられて、病院の安

心安全に縛られている姿に、なんとも

言いようのない憤りを感ずるのだ。

そのありようをどう言えばいいのだろ

うか。人権とか生命尊重などというこ

と、ある意味はとても大事だ。けれど

歴史を振り返ると、そんなことはつい

最近の出来事ではないのか。Nはある

意味無頼である。無頼であるからこそ

自分の命なぞより、自分というものの

誇り、生きてきたあかし、それを何よ

りも大切にしてきたのでは、なかった

のか。そんなあり方、姿を正面から見

ようと思うものはいないし、病院とい

う体制の中では、ともあれ静かに生か

しておく方向しかない。

われらは、とても恵まれた暮らしをし

ていると、思う。けれど死ぬものとし

てここにあるということと、自分の死

さえも見えなくさせる社会全体の装置。

いのちを大事と標榜しながら、そのい

のちのことを、しかも自分自身のこの

いのちのことなど、まったくといって

いいほど考えようともしないのは、な

んなのか。このありようが、われれが

作ってきた社会であるらしい。

 

 

 

 

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雨降り

2023-08-16 20:36:09 | 日記

 雨がまともに降ったのは、先月14日

以来だ。ここのところ毎日畑の水やり

に追われていた。だから今日降った雨

はまさに恵みの雨だった。

だれぞ人と出会えば、この暑さのこと

を言わずにおれぬほど今までに経験の

ない暑さだと思う。基本的にクーラー

なるものも嫌いだ。しかしながら嫌い

だなどと威張っていることもできず、

そのクーラーのお陰でどれほど助かっ

たことかとしみじみと思う。そんな暑

さだった。そのクーラーも今日久方ぶ

りで使わなくて済んだのだ。

 出不詳である。買い物に出かけなく

てはならないことも、何やら渋々して

いる。そうしていると、誰か来客があ

り何かと土産があり、あーこれでまた

しばらく出かけなくとも済むな、と思

ってしまうようだ。

 そんな時に娘から門前の弟の家で花

火を見ないかと誘われると、行けば楽

しいことはわかっているものの、そこ

でもまた渋っている様子なのである。

そんななか、一人で花火のことで思い

返していた。最初の花火の記憶である。

 たしか小学生の低学年だったと思う。

親と一緒に来ていると思うが、親たち

の記憶がない。家から犀川の河原まで

わずか10分ほどで来れる距離だという

こともあるだろうが。ほとんど花火以

外のことを思い出せないのだ。犀川べ

りの道路はすでに人で埋め尽くされて

おり、子供などが大人たちの壁でまと

もに河原での打ち上げの様子を見るこ

とができなかったが、子供のことだか

ら屈んだまま、大人たちの間をすり抜

けたとたんに、どお〜んという凄まじ

い音がしてその音とともに花火の火の

粉が、こちらに降ってくるような迫力

に圧倒というか、釘付けにでもあった

ように口をポカーンと開けているだろ

うのわれの顔が、唐突に浮かんだのだ。

なんだか、あーっというかんじだ。

それから60余年も過ぎて、人生という

旅路もまことに花火なのだとあらため

て思ったんだ。

 

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梅子熟せり

2023-06-28 15:59:01 | 日記

 3日ほど前か、雨が降る、しばらく

雨降りがつづくの天気予報で梅を近く

へ採りに行った。しかしながら梅はま

だ熟しきっておらず、廊下に広げて熟

すのを待った。3日も経つと梅の香り

が部屋にまで流れてきてこれはいい感

じだなと。

 それで昼から塩漬けに、甕などをき

れいに洗ってスプレーに焼酎を入れて

カビ留めを。梅5キロである。そんな

ことをしていたせいで、唐突に梅子熟

せりの句を思い出した。

大梅法常752ー837年が修行の旅に出

て馬祖道一禅師709−788年に弟子入

りし問法した有名な故事。法常が馬祖

禅師に「仏とはなんですか」と問うた

のに対して、馬祖禅師は即心是仏と。

それを聞いた法常が悟りをえて、大梅

山に籠もって修行に励んだと。それを

伝え聞いた馬祖禅師が弟子を法常のも

とにやって、その後の消息を聞いた話。

その弟子が最近の馬祖禅師は非心非仏

と言われています、を聞いた法常はわ

れは即心是仏と言い放つのを聞いた馬

祖禅師は、法常のことを梅子熟せりと。

道元さんは「いわゆる諸仏とは、これ

即心是仏なり。過去、現在、未来の諸

仏ともにほとけとなるときは、かなら

ず釈迦牟尼仏となるなり。これ即心是

仏なり」また、この天地法界のあるが

ままが仏であり、この天地の道理、大

自然の法則がそのまま仏と「峰の色、

渓の響きも皆ながら、吾が釈迦牟尼

の声と姿と」

即心是仏とはここでは坐禅のことを

指していますが、それは同時にわれ

らの日々の暮らしのありようすべて

にかかわることであり、そこのとこ

ろを「ただわが身をも、心をも、は

なち忘れて、仏の家に投げ入れて、

仏の方より行われてこれにしたがい

もてゆくとき、力をもいれず心をも

ついやさずして仏となる」と。

 

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おら絵描きになるだ

2023-05-26 21:06:03 | 日記

 

 水彩パレット、絵筆画材などをいた

だいた。庭に花がいろんなものが咲い

ている。花瓶に挿して机の上に持って

こようというのだ。しかしながら決し

てどれでもいい訳ではない。芍薬など

も咲いてはいるが、花弁を描くだけで

途方に暮れそうだし。露草の葉っぱの

スーッと伸びたラインが気に入ってい

るようだが、まだこちらにはあんな単

純なものを手がけるのは、まだまだな

気がするしなどとやっていると、何も

決まらないから、えいやっの感じでシ

ランを活けてみた。眺める。うーむ・

・・だ。なにせ中学以来ではないか、

こんなことするの、と思いつつともあ

れ鉛筆は使い慣れているから、スケッ

チというやつをやってみよう。

誰もみている訳じゃないのに、妙に

緊張しているみたい。ともあれ見え

た通りを書けばいいんだから、と描

く。うん面白いやないか、なんだか

胸の中が笑っているようだ。さて絵

の具だ。と、これもええい ままよ

だ。これで3回目。なんだかたのし

いけんどつかれるような、今まで使

ってこなかっただろう脳みそを使っ

ているようだ。1時間余りの小さな

旅だな。

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原付バイク

2023-04-22 21:08:21 | 日記

 最近よくかまってくれる若者に、モリ

ミキ、モリケンの夫婦がいる。彼は新聞

配達をしながら4町半の無農薬米を、こ

こ七尾で一人でやっている。35歳とい

うからこれから楽しみなやつである。

彼女はなんていうのか、開いていると

でもいうのか、ともあれあちらこちら

で、人と人をつなぐキーパーソンをお

のずからやってしまっているようであ

る。んだからして、ちょっと面白い子

が来るとこちらに連れてくるようだ。

先日も熊本から、原付のバイクで北海

道まであるものを、持って行くのだと

いう。25歳の可愛い女の子である。

もらった名刺には、「毎日に愛と笑顔

と感謝の花束を」などと書いてある。

昨年の11月に熊本を出て、冬の間福井

でバイトや手伝いなどをしていたとか。

ともあれ、修行の雰囲気なれど、彼女

からは爽やかな風が吹いていた。

 なんだかね世の中が、こう騒然とし

ていると、こういう人が彗星のように

して出てくるのだなぁ、などと思いを

新たにしたことです。

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