その世

2023-11-07 19:52:52 | 日記

 ここで一人暮らしをするようになって、ラジオやスマホで音楽や講義などを聞いている。高橋源一郎が飛ぶ教室という番組をやっていて、それも聞いている。

 普段は1時間ものなれど、谷川俊太郎さんちにお邪魔するという2時間番組で、面白かった。谷川さんの詩はたくさん溢れているから、あまり読みもしなくなったが、河合隼雄などとの対話などはよく読んだし、やはり十八歳の時に書いたという20億光年の孤独は、やはり衝撃的だったのだ。

 その高橋源一郎とのやりとりも面白かったのだが、91歳になる谷川俊太郎がプレイデイみかことの往復書簡集を出していて、その中で彼は書簡ではなく詩で応答しているのだが、彼曰く、ぼくは現実のことは疎くあまりよく知らない。ぼくは言葉を現場として生きてきた。と、サラッと言われる。

 言葉を現場として生きているのはわれらも同じである。それは詩人の特権ではない。しかしながらわれらは、ほとんど言葉を現場などと思ってなぞいない。自分はまごうことなき自分を生きているなどと、無闇に思い込んでしまっている。言葉を現場だと言い放つところから見える風景が、おのずと開けているようだ。

        「その世」  谷川俊太郎

この世とあの世のあわいに その世はある

騒々しいこの世と違って その世は静かだ

あの世の沈黙にくみしてない

風音や波音 雨音 しとやかなむつ言

そして音楽がこの星の大気に恵まれて

耳を受胎して その世をすべている

とどまることができない その世のつかのまに

人はこの世を忘れ

知らないあの世を なつかしむ

この世の記憶は こだまのように

かすかに残る そこで 見ない さわらない

ただ聞くだけ

 

    「自分だけ」

2時過ぎ他人がきた

高校の頃から知っている友達だが

自分とは違う人間だから 他人というしかない

お前は昔から詩を書いているが

それはなぜなんだと 珍しく他人が問う

他に楽しみがないと

応えると うそだろうと言う

妻がビールを出してきた

妻も他人だが

妻は私を他人だと思ってない

妻がビールを呑んでいる他人に言う

この人は私を名字で呼ぶんです

呼びつけですか いいえ

さんづけで と応えた

お前は奥さんを詩に書いているか と言うから

もちろんと 応えた

妻が へぇーととぼけている

急に気恥ずかしくなった

この世は他人だらけである

他人でないのは

自分だけだと思うと さびしい

 

こちらのことを思うと、これ91歳の人が書いたとは到底思えない。

その素直さあたりまえさのそのままに、書ける力量が全身詩人だと言ってしまえば

こちらはある意味、ラクだがどうもそんなことじゃないような気がする。

誰かに対してではなく、自分自身というものに向かって親切で丁寧なんだ。だから他人というものにもそうならざるを得ないよな。とおもうた。


東君の春にあうがごとし

2023-09-28 12:20:21 | 日記

 先日のよろみ通信に拙稿で「学ぶ」を書いた。それを読んだ法友が、学ぶを読んで「たとえば東君の春にあうがごとし」だと気がつきました。この東君とはお日様のことです。とお便りをくれました。

この言葉どこかで見覚えがあるなぁと思って探していたら、松岡正剛が千夜一夜の中で岡潔がこの言葉を引いているとのことで、読んでいたらその出どころは正法眼蔵の恁麼(いんも)の巻に出てくる。この恁麼はこちらも読んで好きなところだったので、そのことを書いてみようと思う。

恁麼とは、この岩波文庫の注ではそのように、このように。ここは生きている真実とあります。今辞書を引くのが億劫なので、こちらに入っている意味は恁麼とは指示代名詞でそれ、とかこれでつまりは自分自身のことを指す。だと。で最初のこの恁麼本文の冒頭にこう書いてある。

 「恁麼事をえんとおもうは、すべからくこれ恁麼人なるべし。すでにこれ恁麼人なり、なんぞ恁麼事をうれへん」この宗旨(根本となる内容)は、直趣(そのまま)無上菩提、しばらくこれを恁麼といふ。

道元さまの言葉遣いはひっくり返しが多いから、読みづらいのですが言葉で示しながら同時にその言葉そのものを否定してそれそのものに、ここでは恁麼に直接しようとする親切ですから、何回も原文を読んでいるとそのありようが、落ちてくるのですが。

この巻そのものが長い文章ですから、全部をここで取り上げることはできないのですが、文庫本のページでは408、建物にかけてある鈴が、これは風が吹いているから鈴が鳴るのか、風のなりとやせんと、どちらかと先人の問答を取り上げて考察しているところです。

で、問答は「風の鳴にあらず、鈴の鳴にあらず、我心の鳴なり」

「心はまたなにぞや」

「ともに寂静なるがゆえに」(すべての心が鳴るから、風の鳴も鈴の鳴も共に寂静である)

でここから読みづらいかも、でもそのまま書きます。

「いはゆる智は、人に学せず、みづからおこすにあらず。智よく智につたはれ、智すなわち智をたづぬるなり。」と進み

「聞法すれば即解するなり。きたるにあらず、入るにあらず。たとえば、東君の春にあふがごとし」

なんかね、ゆっくりと何回か口に出して読むと、とても親身に示してくれているなぁと思うところでした。


合鹿椀

2023-09-22 19:58:29 | 日記

 クラウドの返礼品で合鹿椀が何点か

あった。この合鹿椀とは何かと、問わ

れたのでそれの返事です。合鹿とは能

登の地名です。それもかなりの山の中

です。そこで代々作られてきたお椀で

あるらしい。

そもそもお椀の歴史は古そうである。

縄文時代の定住生活をするようになっ

てからの、必需品に違いないのだ。最

初は手頃な作りやすい材料で作ってい

たに違いない。しかし色々と長く使っ

ているうちに、どうしても材料の良さ

が長持ちしていい物になるのは、生活

する上の知恵に違いないのだ。

以下のことは若い頃に読んで、とても

強い印象として残っていることなれど、

正確さには欠けるが、気になる方は自

分で調べていただきたい。お椀の木地

師というのは、今でもいる。木地師の

ところに見学に行ったことがある。そ

れはお椀の形になる前の、ちょうど立

方体の形をした欅の材が(ふつうのお

椀ならば15㎝ほどのもの)それが角の

方に山と積まれていた。その立方体を

轆轤に取り付けて、ヤリ鉋で削って形

を作っていく作業だ。

その立方体は、山の民の仕事だ。欅の

木は、切ったばかりのナマではヒビが

入ったり曲がってしまうため、切った

ものを寝かしておき、それをお椀の寸

法で立方体を作っていく作業である。

そんな作業のできるところは、当然の

ことながら、欅を栽培しているところ

である。ー今ではほとんど、杉を植え

て手っ取り早く(それでも最低5、60

年はかかるが)欅だともっと長い。ー

そんな山が少なくなっているだろう。

その欅から作る作業は、長く山人と言

われる人たちが、担っていたという。

若い頃に読んだ本では、ずっと山の中

で暮らし、しかもあちこちの現場で暮

らすため、ほとんど外のものとの接触

がないような暮らしだったと。それが

いよいよ戦局が厳しくなった先の大戦

の時、初めて調査が入り彼らを登記し

たとのこと。そのくらいおよそ村や組

織とは関わりのないところで、生業と

してあったという。きっとそこでの作

業は、現在の立方体のものではなく、

ある程度はお椀の形に近いものとして

出していたに違いない。

この合鹿の村がそれを生業とするとこ

ろだったのかは、知らないがそこでと

れた欅、そこで栽培していた漆で村人

たちが、自分たちのお椀として作って

いたと。それを嫁入り道具として入り

子(重ね合わせている)になったもの

を、20椀ほどにして持たせていたと。

それから、今ではもう考えられないが

大きい丼のような大きさのものが、ご

飯用の椀、これは高台が高く見かけも

立派。これを見た現代の漆作家が、い

わゆる美術品としてのお椀として出し

たところ大ヒットし、今では合鹿椀と

して各地で作られているとのことらし

い。それゆえ本家のお椀ということに

なる。

当たり前のことながら、われらが使っ

ている道具は、何万年もかかって現在

の形になっており同時にそのことは、

われらの暮らしそのものも、言葉から

あらゆることが、そうやって一つ一つ

多くの人から人へとうけ継がれて今に

至っていることを、思うと、なんだか

めまいがしそうである。


般若心経 口語訳

2023-09-22 10:51:20 | 仏教
般若心経 口語訳
 
人であるということが
そもそも
なんなのか わかってないよ
わかってないのに
なんだかね
知らぬまに
知っているようなんだ
なにを知っているかって
自分というものだろう
あなたということだろう
家族や社会だって
ほら もうやってしまってるからね
わかっているのさ
自分ってガンコでね
これが自分だと ダレが
決めたわけじゃない けれど
いつのまにか 気がついたら
これのことは 自分だって
やってたもの
それにこの思いが
自分の主人公やからね
いつもこの主人公の言う通りさ
このままぽかんと
自分というものをやっていると
すぐ妄想がはじまるよ
妄想が連想ゲームのようになって
とめどもなくなって
ようやくなにやってんだろうって
おもうもの
般若心経は言うよ
そのガンジガラメになってる
自分 というものは
あらゆるところから
寄せ集められた集合体なんだ と
この自分が 思いが
寄せ集めたもの!
そう言われると
そんなような気もするなぁ
はっきりと わからないが
でも 寄せ集めの
いつもナマナマしいものって
言われると
わからないなりに
そうかと とおもうもの
だって自分でやっているようで
自分ではないはたらきが
あるように思える時もあるからだ
般若心経は言うよ
たとえば そこに咲いてる
花のありかたと似てるねって
花が花として咲くには
まず大地だろ
お陽さまという温度
雲という水だろう
風がないと色んなものが吹かないし
この花 可愛いいっていう
虫や蝶たちがいないと受粉しないし
そんな条件さえあれば
どこでもそのいっぱいを
花を生きている
花が花としてここにあるのは
色んなものの集まりの
ご縁でできている
そのことを般若心経は
縁起っていうんだ
蝉は地上に出てきて
わずか10日余りで
子造りして卵を産まなくちゃ
ならんから
さあ誰かボクと ケッコンしよ
結ばれよう
ミーンミンミンってせわしいよ
人は蝉や犬猫と比べると
寿命は長いけど
そこの山や石に比べると
ほんのわずかだね
過ぎ去ってしまうと
花火が自分の人生かと
ほんと思うもの
ヒュルヒュルルって
駆け上がって ドーンと咲いて
パラパラと散っていく
あのようすが人の一生かな と
花火にも色んなものがあってね
どうだボクって すごいだろ
どうワタシって カッコイイでしょ
オレってこんなに ダメなんだぜ
自慢したいことや卑下したいことも
いっぱいあるもの
そんな花火の姿も流行り
すたりがあってね
そんな時代の流れの中でしか
生きられないね
般若心経は言うのさ
そうやって生きているって
どういうこと
なにが自分自身にとって
生きること って
生きているって一瞬たりとも
同じことは なくて
確実に時は刻んで
刻々と変わりゆくものとしてあるよ
家族や仕事に意味を見出している
それが人の生きるだからね
でも そう思ってるのは
ほんのわずかな時で
それも流れ流れて
壊れるものとしてある
諸行無常っていうし
生きるは苦しみなんだという
だからってその生きるに
手を抜いたり怠けたりすると
なによりも
この自分がつまらないからね
けんめいにそのつど
自分をやるしかないもの
誰とも比べられないこれを
今ここでこれは生きてるからね
般若心経は言うさ
そういう自分自身は
壊れもので 今ここに
集まって できている
仮の姿だよって
これが仮だからっていってね
どこかにホントウが ある
なんて言わないよ
ただ空としてあるんだと
空としてただここにあるということ
それを納得したり 了解できない
できない けれど
同時に はい そうですと
静かにうなづくじぶんも
たしかにあるね
それだから なにが どう変わるって
なんにも 変わらないかもしれない
しかしその変わる変わらないのその先で
ただこれが このままで
空としておかれてあるんだ は
大きいよ
こちらが知らぬまにギュッと
握ってる こうしなくちゃや
これが自分でしょに
追い回されなくなるよ
こちらのつかんでるちっぽけな
意味や理由が 通用しない
なにかだだっ広いところに
おかれていて ようやくこれ自身
身体の底から
安心しているじぶんがいる
それもひとときのことやから
すぐまた壊れるけれど
身体で知ったその広い世界のこと
わすれないし
だれでもここにもっているもの
般若心経を唱えていると
そのうち身体中に
ギャーティギャーティ
ハラソーギャーティって
刻みこまれてね
人の生きるって
人として生きるって
すべてのものと ひとつらなりの
ものとして ここにおかれていると
身体でしっていくんだ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

Nさんのこと

2023-09-13 19:56:11 | 日記

Nさんが肺炎でもうやばい状態なんだ、

と電話が息子から来た。家族しか見舞

いにいくことができないという。

しかし親族ならということで、親族と

してお見舞いに行った。

Nさんとももうずいぶん長い付き合い

だ。今では互いの息子たちとの付き合

いの方が、濃くなっているが。この春

もやはり古い友であるMを伴って遊び

に来た。

彼は在日である、生まれや育ちの詳し

い話はついぞ直接聞かずじまいだった。

が、ある時おれは大阪のハーモニカ長

屋なんだと、話の流れの中でぽつりと

言ったことがある。

 彼の顔を見るだけで、いろいろなこ

とをやってきたのだろうな、の顔つき

である。もうこういう顔つきの者たち

も消えていくのだろう。今どきの若者、

とてもスッキリしている。けれど、な

んていうのか、こちらの勝手な言い草

で言えば憂いや寂しさを感じさせてく

れない。付き合うには適度に距離感が

あって付き合いやすい。けれど、ただ

それだけなのだ。人と人が出会うとい

うことは、そんなことではないはずだ。

互いに傷つき、身体のなかから笑い、

馬鹿をするとでもいうのか。切った切

られたのなんともイヤな、そしてうれ

しい付き合いだ。

Nさんは長く屑鉄屋をしていた。若い

頃に日本のヒッピーの元祖と言われた

ナナオサカキと縁が、あったのだろう

それでナナオサカキもしばしば与呂見

に泊まりに来ていた。ナナオのことは

いずれまたの機会だとして、Nさんの

ことだ。病室に入ったとき、こちらは

ある意味もうダメ状態か、と思ってい

たが、本人曰く抗生物質の点滴が昨日

の夜になってきいたらしく、高熱でう

んうんやっていたものが、熱も下がり

栄養剤の点滴も効いて元気で、本人も

びっくりだとのことなれど、帰りの車

の中で息子は、もう肺機能はほとんど

ダメらしく今度何かあれば、薬が効く

かどうかと言われたと。

Nはベッドの上で陽気に喋ってはいた

が、それはこちらがいたことや、昨晩

まで熱があったことを思うと、少しハ

イな状態であるのだろう。

こちらが思ったことは、その見舞いに

行った日からなんとなく、そのNのこ

とが出る。鉄屑屋を長くやってきた彼

は、なんともえーかっこしである。人

前で自分の弱さを見せたりはしない。

いつも来る時は、ビールを1ケース持

ってくるという具合で、まぁもちろん

だんだんと、そんな自分の見栄っぱり

についていけなくて、手ぶらで来るよ

うになるんだけど。気持ちはいつも張

っているのだ。結核で入院した時も、

病院から逃げ出して、なぜかパトカー

に乗せられたり、与呂見でも飲み会で

もあるとヒョイと来て、若い女の子で

もいようものなら懸命にもてなし、そ

の娘が風呂に入ったあと、彼も入り込

んで大騒ぎを起こしたりと、ともあれ

世の常識や堅物を相手に回すと、徹底

的になじる。その彼がだ、ベッドで点

滴のチュウブに繋がられて、病院の安

心安全に縛られている姿に、なんとも

言いようのない憤りを感ずるのだ。

そのありようをどう言えばいいのだろ

うか。人権とか生命尊重などというこ

と、ある意味はとても大事だ。けれど

歴史を振り返ると、そんなことはつい

最近の出来事ではないのか。Nはある

意味無頼である。無頼であるからこそ

自分の命なぞより、自分というものの

誇り、生きてきたあかし、それを何よ

りも大切にしてきたのでは、なかった

のか。そんなあり方、姿を正面から見

ようと思うものはいないし、病院とい

う体制の中では、ともあれ静かに生か

しておく方向しかない。

われらは、とても恵まれた暮らしをし

ていると、思う。けれど死ぬものとし

てここにあるということと、自分の死

さえも見えなくさせる社会全体の装置。

いのちを大事と標榜しながら、そのい

のちのことを、しかも自分自身のこの

いのちのことなど、まったくといって

いいほど考えようともしないのは、な

んなのか。このありようが、われれが

作ってきた社会であるらしい。