春江のメモ用紙

楽しく節約、なるべく捨てず、売る断捨離。
エコロジーを目指す、私のシンプルライフ。
ほんの少しですがご紹介します。

「おかしい」という言葉の自己主張

2008年07月26日 | 感想・日常
最近気になっていることのひとつが、「おかしい」という言葉。
自分の常識や考えが通じない世界や人を、「おかしい」という言葉で切り捨てる行為。

ここには、
自分だけは間違っていない、正しいという思い込み
理解しようとする努力の欠如、あるいは理解力の不足
その世界の存在すら認めず、曲げようとする意思
が感じられます。

私は、誰もが自分の正義に沿って行動していると思うので、全ての事柄はそれなりの理由があるから起こると思う。
サイトを始めてつくづく感じるのは、人は記名と匿名で、一人と大勢でまったく違う行動を見せるということ。
匿名だったり、大勢であれば、一人ではできないことが平気でできて、本人は罪悪感も感じなくてすむ。
そうして容易に傷つけることはでき、本人は忘れることも可能だけれど、その行動は別の人間に影響を与えることもある。
連鎖がおこる。
その人物も他人に影響を受けただけという責任転嫁を理由に、責任を感じなくてすむ。

自分の考えや経験は自分のもので、発言や行動はそこから生まれるもののはずなのに、その重さを軽視している。
「自分はこうだからそれは間違っている」「理解できない」という発言にみられる、自らの同情心の欠如。
「常識」という言葉には、一般的な認識を正しいと定義し、表現の自由を阻害する意思を感じます。

いま書いたようなことは、特に日本人にみられるのではないか、その一番の原因は報道現場の報道意識にあるのではないかと私は考えています。