ネット記事に「金がたまる人とそうでない人」の特集があった。
たまらない人間の例として「出納簿」をつける人物が挙げられていた。
付ける人間はそれを見なければ、収支の判断がつけられない(あるいはつけることが目的となっている)のだ。
たまる人間は出納簿など付けなくても、個々しっかり要非判断しているのだと。
更に、たまる人間は「欲しいもの」ではなく「必要」かつ「変化を起こすもの」に金を使うのだと。
なるほどね。
たまるたまらないは別にして、面白かったのは、
「自分の行動や欲しい物品について合理的に説明できるか」というチェックポイントが重要だということ。
記事では、対象がどう必要か合理的に説明できない場合は不要だ。と切り捨てる。
無駄な物の定義として妥当なライン
ごみ屋敷にしない定義としてもイイね
当然、それを判断できるもう一人の自分が内在することが前提だが。
学習できない人間って、結局これなのだろう。
守護霊が居ないっていうか。
さて、先日カメラを少々衝動的に購入してしまったが、どうだろうか。
当時、自分に言い訳したのは「D3000の色が気に入らない(機能的不足)」「D3000を7年も使ったからもう買い替えてもいいだろ」「向こう10年間、写真を真面目に撮ろう」であった。
ちょっと、弱いかな・・
この観点で時間の使い方を見直すと、dマガジンとネットサーフインは無駄が多い。
現在、夜間に時間が余ったらネットサーフィンで時間をつぶす事が多くなってしまっている。
サーフィンは目的をもってしないと効率が悪すぎだ。
「5分あったら何しようか」を今年のお題にしたけれど、その5分を作り出す心構えが残った4か月の課題だ。