酒と薔薇の日々(その2)

好きなことだけ求めて生きるアスペ気味のINTJ人

九州北西部の旅(9/9):帰る。”キリスト教は奴隷の宗教だった”が旅の結論

2022年10月31日 21時38分25秒 | 旅行

イルカセンターから東進し天草市に入り8:40頃天草キリシタン館へ到着

天草四郎像
だけど実際の天草四郎を描いた絵は無い。

引用元

天草四郎の乱について時系列に詳しく当時の状況が展示され、屏風絵の細かな解説もあり非常に興味深かった。

また少年使節団の長い旅やその先で出会った日本人奴隷のこと、少年たちの後日談なども面白い。

この画像はこちら↓から拝借
この御旗を描いた絵師「山田右衛門」の寝返りだとか、徳川方の指揮官の情けない状況とか戦闘中の原城阯の絵図だとか、なかなかおもしろい。

11時過ぎまで見学
最高の場所へ車を停めることが出来ました。

本日で帰るのでガソリン満タンにして高速へ向かう。
天草五橋の1個だと思うが泊まって撮影できない。ガードレールも邪魔して・・・
いい景色だったんだけども残念です。

通過地点にあった変わった建物
調べると三角港フェリーターミナル
内部構造が面白いのでいかなかったのは少し残念です。
食傷気味で天草四郎ミュージアムは行きませんでした。

14時ころ 途中あった道の駅「不知火」にて休憩

晩飯を購入(帰宅後に食べました)

松橋インターに乗り高速で一気に帰ります。

関門橋を17時通過

帰宅がちょうど20時でした。
走行距離は1450km、9日間の旅が擦過痕少々だけで無事終わりましたとさ。
下道が多いので燃費は14km程度と伸び悩み。普通は冬場で12kmだったかな?
9日走り続けたけどそんなに疲れることもなかった。
先を急がない一人旅だしストレスもなかったのだろうな。
これで長期旅行の訓練にもなった。

お疲れ様

と、ここまでブログを書きおえたのは2023年1月1日の夜23時
もう2ヶ月も前のことで少し記憶も曖昧な部分があったがなんとか。
あれこれ調べて確認しつつ書いてるので再勉強にもなりますね。

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亡き父が言っていた「キリスト教は奴隷の宗教だ」という言葉
「”奴隷精神”を持つ者が信じる宗教」なのかとずっと思っていたが、多分そうではなかった。
奴隷を作り上げるために都合の良い考えをを植え付けるための宗教
そういう意味だったのだろう。
大正末期生まれの親父が持つ、それまでの日本神道を否定するための宗教としてのキリスト教
嫌っていた理由はそれだろう。

インカ帝国にしても東洋にしても同じ歴史的な背景がはっきり見える。
侵略の道具に使われていることをはっきり認識しつつ、素知らぬ顔をして広めていったキリシタン宣教師の責任は重い。

それに染められた連中の責任も歴史的に見ればまた重い。
自身が考えることを放棄した結果招いた結果

やはり弾圧はやむを得ないものだった。というのが今回の旅で得た私の結論

-----参考-----

島原の乱をまとめたサイト


九州北西部の旅(8/9):島原城と普賢岳と雲仙地獄

2022年10月30日 14時18分51秒 | 旅行

今朝も早くから起きて島原城へ
朝早すぎて駐車場料金は不要ですと入り口で言われてラッキー

こちらは入城口を見下ろす櫓かな。

天守は残念ながら改装中
この向こう側にRVパーク施設がある。

城内を歩くが、開館までかなり時間があるので、武家屋敷に徒歩で向かう。

確かに建立地区を考えると分不相応に感じる大きく立派なお堀や城だ。
大名格に似合わない贅沢が島原一揆を引き起こしたと言うのは何となく分かる。

武家屋敷に行く途中にあった鐘楼

武家屋敷が保存されている地区へ向かう。

江戸時代の小路。確かにそんな風情です。

公開されている何軒かに入ってみた。

入り口

台所。時代劇で見る感じだな。
ここは比較的待遇が良い身分が高い武士の家だったように思う。

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お城開場時間まで朝散歩して戻ってきた。

これが幕府軍側の装束なんだね。

大筒とか?

これは種子島か?

当時の地図。まだ本州と沖縄列島しか載っていない時代のよう。
右上の大きい島は樺太か?蝦夷?

渾天儀 本物見たのは多分初めてです。

この絵は切支丹処刑で雲仙地獄の噴気孔へ突き落としたことが西洋に伝わって描かれたもの。
秀吉がキリスト教布教の裏で人身売買をしていることを知って禁教令を出したという事情もわかる。
そして奴隷として売っていたのは日本人と、見て見ぬふりしていた為政者達だ。
キリスト教会側は表向き人を救うと言うが、その裏では植民地化・侵略・奴隷貿易も堂々とやっていた。
スペイン・ポルトガルの勝手な「トルデシリャス条約」にその姿勢が如実に現れている。
また、キリシタン大名の有馬晴信は数万人の軍勢で龍造寺から責められた際、たった7000人程度の手勢しか無かったにも関わらずイエスズ会から大砲などの供与を受け勝利している。その結果イエスズ会は雲仙を領地として要求したらしい。

ことさらキリスト教弾圧の歴史ばかりに目を奪われるが、その裏にあるものを知らねばならない。
弾圧を行ってまでも布教を阻止せねば清国やフィリピンなどアジア諸国と同じ運命が待っていたことは間違いがない。
侵略行為を押し止どめるという意味では秀吉・徳川の正しい判断だったと思う。
3万人の大粛清の責任の大半は当時の覇権を争う大名や欲に惑わされた商人などにあるのではないか?
一揆については一部の村が全参加、他地区は全く参加しなかったなど明暗を分けているのも複雑だ。
太平洋戦争も島原の乱も乗せられて巻き込まれる一般民衆には迷惑な話である。

島原半島観光連盟様から引用)

この後原城址にも行ったのだが、駐車場から数キロ歩かねばならないような環境で見学は中止した。
ブラタモリの記憶だけで満足しましょう。
後で調べるとこの城跡周辺は個人所有地で駐車場確保ができないらしかった。
複雑な事情でもあるのかな?
少し残念です。

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その後、普賢岳噴火の火砕流を記録している地区に戻ってきた。

がまだすドーム
ここは地域住民向けの共用施設っぽくて入らなかった。
オブジェは復興をイメージした火山弾か。

ここからGoogleのアホチンに案内されて被災家屋が保存されている場所に向けてグルグル引き回された。
何の事はない今朝まで泊まっていた駐車場の直近歩いて数分の場所だった。

火砕流の凄さがが実感としてわきました。

このドームの周りにも当時の家や泥流の状態が保存されている。

雲仙地獄へ移動

雲仙地獄へ移動

40年前にここまで来ているような気がするが記憶がイマイチ

周遊コースがあります。
駐車場は幸い雲仙観光案内所北側の無料枠に入れられました。

硫黄の匂い

結構広いです。

昔は現在よりもかなり噴出活動が激しかったらしく、殉教者の苦痛もすごかっただろうな。

フェリーで移動

島鉄フェリーで対岸の天草諸島に渡ります。

普賢岳が遠くなる。

しばしご休憩

道の駅「天草市イルカセンター」横で夕食を猫にやってたりして結句な時間を過ごした後、車を枠に移動する時、縁石を忘れて・・・がりっ
やっちゃった~
1cm位アンダーパネルがずれたけどもう直さない(泣)
猫の親子の食事、親猫が子猫に餌を譲るのがいじらしかった。

これイルカの代用品かな?

向かいにはコンビニもあるし一杯機嫌で夜を待つ。

ここの傾斜もキツイので車高を調整しました。

 

 


九州北西部の旅(7/9):長崎から島原・普賢岳まで移動

2022年10月29日 13時10分57秒 | 旅行

本日は溜まった洗濯物をコインランドリーで洗濯。初めてで使い方がよくわからん。
洗濯&乾燥は時間がかかるので結局昼近くになってしまった。

長崎から山越えしたところにあったホットモットで海鮮天ぷら弁を購入

漁港に入る立派な分岐道路で海を見つつ昼食
この後村の細道に迷い込んで、脱出のためあちこち引き回されてとんでもない目を見る。

遠くに火山が見えてきた。

有明湾脇にある地域密着型風呂屋へ。市民以外は+100円程度を支払う。
老人福祉施設のようでした。

内海なんだが風は強い。

今夜の泊地、ガマダスロード沿いの道の駅「ふかえ」まであと少し。
今日は一日、移動日&観光おやすみDayとなってしまった。
「がまだす」とは地元の言葉で「頑張る」という意味
普賢岳に連なる平成新山の噴煙が見える。

ここは噴火当時の火砕流で壊滅した地域に作った公園です。
付近のコンビニで買ってきた弁当で夕飯。本日の食生活はイマイチです。

翌朝。かなりの車中泊が集まってきていた。
本来ここには道の駅が営業してるはずだったが閉まっていた。これが翌日の悲劇を生む・・・


九州北西部の旅(6/9):鍾乳洞経由で軍艦島ツアー

2022年10月28日 09時51分30秒 | 旅行

毎晩飲んでるのだが朝の目覚めは快調で日の出を拝めます。

七ツ釜鍾乳洞へ

地底世界が昔から好きで、あちこちに潜ったな。

どこの洞穴もライトアップが盛ん。

ここの鍾乳洞のでき方は普通とちょっと違っていて

3000年前に堆積した藻などを含む石灰質砂岩が侵食されて出来ている。

なので付近は砂岩の層が顕著に見られる岩が露出している。

洞窟入り口の駐車場に戻ったら、奥に見える店のオーナー女性が声をかけてきた。
聞けば広島ナンバーを見て懐かしくなり話しかけてきたと。
以前は佐伯区に住んでいたそうだが、今はこちらで趣味を兼ねてお店を開いているんだそうだ。
駐車違反だったのかと一瞬慌てた。

本日の最大目的は長崎の軍艦島ツアー
到着が確実になったので、パソコンからツアーを選んでネット予約(割引されます)しておいた。

半島の西側をひたすら南下する。

ちょっとレトロデザインになった港に12時に到着
車は隣の県営駐車場に入れる。ここが一番安い。

切符販売所にて。結構な混雑であります。

今晩夜景を見に行く予定の山頂展望台が見える。

この船で軍艦島まで行きます。
乗る寸前に船員さんに聞くと右側の席が眺望がいいよと教えてくれた。

港は近々イベントがあるらしく日本丸・海王丸の2隻が着岸中
大昔に宇品まで見に行ったな。こう言うのってアポ無しでは乗船させてくれない。

港をまたぐ橋の下をくぐって

イージス艦の接岸を見つつ

しばらく行くと軍艦島の辺りが見えだした。左側の島の更に向こう側です。

やっぱり右側の席だな!船影が確かに軍艦

端島へ上陸!
ここまで来てても海が荒れたら上陸できないんだって。その際は周回ツアーに格下げで、その分返金されるんだそうです。

ツアーサイトから引用)

昭和35年には5000人が居住していたそうだ。

こんな感じだが、崩壊が危険なので建物には一切近づけない。
工場群があった島の東側
山頂の四角い建物が三菱エリート階級用のアパートだったそう。

風化がひどくて一部建物は修復中

島の周囲は海藻を混ぜ込む工法で作られた護岸によって長年島が守られているそうだ。
もとは小さな島で殆どは人工的に拡張されたもの。

アパート群が見えてきた。

島の端っこまで来ました。ここらあたりで終わり。
少し物足りないわ。
廃墟好きとしてはもっと行ってみたいな・・

帰りは窓越しに島を見るつもりで船内席を変えたら・・・
目では見えたけどカメラでは全然フォーカスが合いませんでした。残念
小学校とか病院とかあれこれあったんだけどね。

ということで、結構高価なツアーの割にはなんだか消化不良なツアーでありました。
昔、のうが高原廃墟ホテル(規制前)へ入ったようなワクワク感は味わえずじまいでした。

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県営駐車場は始めの60分無料なので一旦入り直して今晩のコースをネット検索
港の南にも割と空いていそうな山があったが、結局この有名所の伊佐山展望所に行くことにした。
向かいに見えるTV塔が展望台で、近いから歩いて登ることにした。(ビンボ)

弱虫ペダルってこういう絵なんだね。知らんかった。

五島列島方面へ沈む夕日
遊飛を狙いに頻繁にやってくるおじさんがカメラを構えてた。今日はイマイチだと言ってた。

残念ながら水平線には沈まなかった。

ウインドブレーカ+Tシャツ1枚では風もあり結構寒かった。

しばし館内のループ回廊に置かれたソファーに座って夜景を待つ。

100万ドルの夜景

日本丸と海洋丸が見える。その左側が軍艦島ツアー出発港

放送塔もライトアップ

スロープカー乗り場までは流れるイルミがきれいです。

が、その後の遊歩道は少し暗い。

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伊佐山山腹にある「ふくの湯」で入浴。立派な施設でした。
ネットではここで車泊できたという話は見つからなかったが、風呂を出る際にフロントで聞くと快くOKとのこと。
ありがたや。隅っこで一晩明かしました。

近くに大型スーパーや飲食店がある。
晩飯・翌朝飯はこちらで調達した。
晩飯は本場の「揚げていない柔らかい皿うどん」を食べたかったが、敷地内にあったリンガーハットには無い!
あれは中華専門店に行かないとダメなようだ。

山の上に見えているのが「ふくの湯」


九州北西部の旅(5/9):平戸から西海へ

2022年10月27日 22時48分19秒 | 旅行

昨晩泊まった道の駅の隣りの丘の上にある「博物館 島の館」へ。
クジラ漁の歴史展示もキリシタン資料も充実していてなんと無料、パワースポットですね!

超充実していたので、9時半に入館 12時まで中にいました。

無料で運営できるのは、多分クジラ漁の団体あたりが資金提供してるんだろうなぁなどと思いつつ。

江戸時代の漁の様子を迫力のジオラマと音声で説明してくれます。

これは江戸時代の捕鯨浜のジオラマ

近代に入って、キャッチャー船搭載の銃

鯨の髭、我が家にも1枚あります。
「雄飛極南」と文字が入った捕鯨船の絵が書かれているもの。
爺さんと親父が日魯漁業の捕鯨船で終戦後南氷洋に行ってました。
捕鯨は日本の食糧難を救う希望の星だったようです。解体中の写真も多く残っている。
昭和30年代小学校の給食にもクジラの竜田揚げ出てたし、家でも食べてたな。

二階に上がるとキリシタンの資料があります。

後で分かるのだが、ここの資料はかなりの充実っぷりです。

十字架など

殉教し聖地とされる中江ノ島と信者たち

当時の禁教御触書

潜伏キリシタンの部屋を移築した資料

「お掛け絵」

いやホント、非常に充実しています。

その後、山の中腹にある「山田カトリック教会」へ

現役の教会です。

庭には殉教記念碑

庭の中

続けて殉教地「ガスパル様」へ向かう。
道中、キリスト教関連施設にもマリア像

ガスパル様の隣には立派な日本式の墓もしっかりあるのだ。
妙な違和感を覚えてしまったが、この地区の人全員がキリスト教信者ではない。

ガスパル様の殉教碑

ガスパル西玄可が慶長14年に殉教した場所

沖を見ると殉教地「中江ノ島」が見える。

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生月島を出て南下、平戸島の西海岸の春日集落に向かう。

隠れキリシタンの地「春日集落」。千枚田と言うがなんかイメージが違うなぁ

案内所でガイドさんから千枚田の話とか”隠れ”キリシタンの話、現在の宗教情勢などを聞くことができた。
禁教が解けた後でもカトリックに戻らず独自のキリシタンを続けた人々を「隠れ・・」と言うらしい。
カミングアウトしたほうが「潜伏・・」である。
春日地区の人は「隠れ・・」であるそうだ。
だけど現在では、結局仏教に戻る家も多いそうだ。

更に南下、平戸市切支丹資料館とおろく人様へ

案内看板

悲しい歴史ですね。
この隣が平戸市切支丹資料館なんだが、ちょっと悲しい展示内容で写真取るのも忘れてしまうほど。
かなり遠いので行くのはちょっとな、と思います。
ここで本日打ち止め。

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一気に南下することにした。
食いそびれた佐世保バーガーよ、さようなら(泣)

お世話になったスーパー「エレノ」で晩飯を購入し駐車場で食す。

19時ハウステンボスの湯に入る。
事前のイメージの割には何かしょぼかったな。

ハウステンボスはまた次回に行くカモ
キリシタンはちょっとゲップが出そうなので、風呂を出てからも天草方面へ距離を伸ばした。約90km

結局泊まったのは道の駅「さいかい」21時過ぎにトウチャコ

向こうに見えるのは新潟方面から車泊で来た夫婦の車
旦那さん一杯機嫌で話がハズみました。農閑期に入ったので旅に出たとか。
「長崎ハウステンボス」なので、長崎だと思ってここらへんまで来たらしい。けっこう適当ですなw
奥さんいわく「外国の人かと思った・・・」なんでそう見えたのかなぁ?


九州北西部の旅(4/9):平戸へ

2022年10月26日 21時49分24秒 | 旅行

4日目、いよいよ今回の旅の主目的であるキリシタンの歴史探訪に突入
昨年末亡くなった叔母がキリシタンだったので、キリスト教の歴史にちょっと興味が出てきたのだ。

朝10時に佐世保と平戸の中間にある鹿町温泉で入浴
地場のおじさんたちが結構朝早くから入っている。

平戸大橋直前にあった道の駅「たびら」にて

観光案内もキリシタン一色

昼飯は平戸大橋直前にあったスーパー「エレナ田平店」でアジを購入
毎度毎度のお刺身飯であります。

12時頃平戸大橋を渡る。
平戸市内には無料駐車場が整備されていてありがたい。

このお城は後世に再建された城郭で、最古のものはもっと立派だったらしいが図面などが殆ど残っていないらしい。
中はコンクリ製の資料館

日の岳城の絵図が外国に残っていたそうだ。

この甲冑は余り日焼けしてないね。

天守からの眺め。潮の流れがきつそうだな。

お城脇の亀岡神社では神楽が奉納されておりました。

同じ街の中にあるザビエル記念聖堂へ

殉教の碑に今回はじめて遭遇

この教会は信者が普通に使っている建物なので勝手に入ることはできませぬ。

そこからオランダ商館に向かうが駐車場が全然無い!
港まで戻ると無料駐車できると小さく正面に設置した看板に書いてある。

車を港に置いて、レトロな街並みを歩いて商館へ向かいます。

静かでいい町ですね。

商館に戻った。階段脇の看板が駐車場案内ですわ。

商館の歴史を説明しています。

2階は企画展場所らしいが今は開催していないそうな。

当時輸入されたらしい西洋の甲冑。革製だな。

1600年頃の日本を含む東アジア地図

日本は「IAPAN?」北海道は「IESO」
「平戸」の文字が読める。当時唯一の国際港だったようだ。

最近の資料館は広報用の動画が整備されていてYoutube派には嬉しい。
こういうのを時間を気にせず全部視聴できるのは一人旅だからだなぁ

50分ほど閲覧して徒歩で港に戻る。
商館の隣では発掘作業が行われていた。

まだまだ行き先は多いぞ!

本日の宿泊地目指します。

今夜の宿泊先、道の駅「生月大橋」に向かう。

既に17時半

傾斜がきつい駐車場なので水平補正しました。

今晩は4台ぐらいが車中泊

毎日宴会やってます。軽めですけどね。
もやし炒めと握り寿司と野菜サラダ


九州北西部の旅(3/9):佐世保・九十九島観光公園泊

2022年10月25日 20時46分59秒 | 旅行

本日の走行は吉野ケ里から佐世保方面

吉野ケ里から佐世保方面に下道を走る。

朝10時国道沿いのスーパーで朝飯を購入
長崎産アジの片身が200円!刺し身でいただきまする。

立ち寄った道の駅「山内」

これ見に行きたいが・・・日程的にちょっと難しそうだ。

いい天気に恵まれそうではある。

道の駅で連れて帰ってくれと目を合わせるフクロウ
こういうのってさ、置き場所に困るんだよなぁ・・・

佐世保で軍艦を作っていたドック
実は佐世保バーガーの老舗を探したのだがGoogleマップのアンポンタンがどうにも使えん奴で諦めた・・ちっ
ドックはチラ見して先を急ぐ

佐世保市街を展海峰から望む。

左を向けば九十九諸島

駐車場には15万本のコスモス
ここで車泊しても良かったが、九十九島観光公園に向かう。

15:30到着 現代美術的な丘が空に向かって広がる。

ちなみに駐車場はこの時期は夜間19時以降閉鎖されるが、車泊する旨を告げると管理人さんはトイレを開けておいてくれた。

景色も素晴らしい。

こっちの展望台のほうが遥かに好みだ。

ここで一人黄昏れながら夜を過ごすことに決めて買い込んでいる。

宴もたけなわ

やがて夕闇が迫る。

17時半、酔っ払った勢いで一人公園をさまよう。最高~

18:33 既に日没

19時40分 することも無いので就寝を待つだけ。


九州北西部の旅(2/9):元寇防塁、吉野ケ里

2022年10月24日 18時37分34秒 | 旅行

昨晩は結構な雨が降った。

中道を渡る時は風が激しい。

朝10時の開館時刻に合わせて付近で1.5時間ほど時間調整。駐車場所が無いし高額なので四苦八苦
福岡県庁向かいにある「元寇史料館」へ
おいおい、コロナで予約しないと開館しないだと!それならサイトに書いとけよ。団体が入る明日まで待てとさ。
嫌な予感がしていたので時間貸しのパーキングに入れていてよかったわ。

生の松原へ向かう途中に福岡市美術館があったが・・・これは月曜につき休館日!
ちっ

1つ目の元寇防塁(脇地区)う~ん、イマイチ

2つ目の生の松原防塁に向かう。
生の松原の林の中に車を止めて海岸に向けて歩く。

きれいに整備されていて、期待が持てる。

やっとそれらしい史跡に出会えた。

防塁は数十メートルだけ再現されていた。
当時の絵巻が展示されていたのでじっくりと読ませてもらう。

風が強い。
この沖に1270年頃元寇船がずらりと並んだはず。4400隻14万人だとか。
こちらのサイトにはアリが群がるような船団写真が載っていた。
圧巻だったろうな。

駐車場所に戻ったら工事関係者に車を止めるなと文句をつけられた。
道路脇の来訪者用駐車場が工事で封鎖されており、その脇の松原へ入る駐車場所が空いていたから停めていたのだが・・・
それならゲートを閉めて関係者以外駐禁と書いておけ。

さて、気を取り直して吉野ヶ里遺跡へ下道を走る。

15時に吉野ケ里へ到着 公式サイト

立派なオパビリオン風施設であります。地域の力の入れようが伺われるな。

入り口を振り返って。まるで伊勢神宮参拝道のよう。
ここで大昔のバーコードスキャン風の音声ガイドを借りたが・・・ポンコツ過ぎて使えなかった。
せっかくここまで来たのだからと細かな話を聞こうと。が、スマホQRコードで十分だったのじゃないか?

この施設は王族の敷地らしいが、周囲には侵入防止の堀などがあったそうだ。

広い平野の小高い丘陵地区です。大昔もこんな景色だったんだろうな。
修学旅行生が多数見に来ていた。

王の娘夫婦の家

内部はこんな感じで、竪穴式住居だけど思っていたよりも現代的だ。

弥生時代の甕棺墓(かめかんぼ)発掘跡

まるで宇宙船ですね。

クニの運営を図る建物。紀元前5世紀から紀元後3世紀の建築物の再現

内部の様子

周囲には一般人の住居などが広く立てられていたようで、現在も復元作業中
当時の生活体験場所もあったのだが残念ながら時間切れで行けなかった。2時間では難しい。

郭の周囲には鳥のオブジェが。
東南アジアの稲作民族の流れをくむらしい。
調べると日本人の祖先に関する単語がいっぱい出てきた。(ベトナム北部・雲南、アカ族、ニハ族、蒙古斑、ソッテ(鳥オブジェ))

最後に入った資料館
ここにいた人たちは、ある日突然歴史上から消えたとか。
大和朝廷に征伐されたのかも。

 

吉野ケ里温泉卑弥呼の湯にて

公式サイトから)

旅館のような素晴らしい露天風呂

屋内入浴設備も広くて良いです。

晩飯+入浴のセットで1000円! これはお得でした。
ここで車泊もできたかもしれないんだけど、道の駅「吉野ケ里」へ移動

(これは翌朝)

夜8時頃にはそこそこの車両が集まってきた。

夜景を楽しんで就寝
気温は10度を切ったように記憶している。
夜半に結構な降雨があったが、朝には上がっていた。
この旅では昼間に雨が降ることは一回もなかった。運がいい。

正面が吉野ケ里遺跡


九州北西部旅(1/9):福岡・海の中道

2022年10月23日 17時59分37秒 | 旅行

かなり前後の日程が厳しいのだが、少々無理して9日の車泊九州北西部の旅に出た。
10月23日(日)~10月31日(月)

お供はポインコ兄弟
装備のほとんどは車載されているので、着替え、身の回り品と食料などを買い物カゴに放り込むだけ。

九州までを下道で行くわけにも行かないので高速で博多までひた走る。

下関で昼食。瓦そば

天候は最高

博多で高速を降り志賀島へ渡る。海の中道は博多市民のイベント会場が多数できておった。
30歳頃125ccバイクで訪れたかったのだが、博多の夜をエンジョイしすぎてパワーを失い、断念した記憶がある。

今回の目的の一つは元寇襲来の遺跡巡り
蒙古兵の慰霊碑:蒙古塚。今ではモンゴルと友好関係が築かれているそうだ。


ここの湾いっぱいに蒙古船が入ってきた時は大変だったろうな。
金印が発見されたという地区に建てられた「金印公園」にて。
いや駐車場が狭くて大変だ。

この金印については諸説あるようだが、どうなんでしょ

その後、本日の宿泊場所を探してウロウロ

志賀海神社に参拝
海神(わだつみ)の総本山だそうです。

「遥拝所」で神主さんが東の博多方面に向かって祈っておられました。
大陸方面ではないし、目標はどこになるんだろうか?

晩飯は中道にあったコンビニ弁当で済ませ、志賀海神社下にある港の駐車場で一泊
近くにキャンカーが1台泊まっていたのでなにやら心強かった。

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この旅日記は12月30日~31日にかけて書いております。
とにかくこの旅の前後が忙しく、なかなか書くタイミングが無かったので。


ニンニク植えた

2022年10月22日 20時14分07秒 | 緑化計画

先日半額購入した「ホワイト6片にんにく」
同時購入した牛ふんの苗床から1週間だが、明日から旅に出るので植え付けした。

まずは薄皮をすべて剥ぐ。傷つけてはいけないので結構手間かかりますね。

カーメン君ガーデンチャンネルで言ってたので、ゴミ袋をカットして「黒マルチ」を真似てみた。
雑草が生えないし冬場に保護できるしと。
でも紫外線にめちゃ弱そう。

育成の手順はこちらに載ってもいた。

まるで死体袋を掘り出したみたいだ。

本日は車泊旅の準備で壊れていた車内引き出しテーブルを修理して取り付け。
これがないと車内でPCでの操作が辛すぎる。
壊れていた原因は、ベニアへのネジ止めにガタが来てレールごと脱落したこと。
今回はボルト貫通としたので多少は強いだろう。
走行中カタカタ音がするのでウザい。。とりあえずゴムとクリップで引っ張って固定しております。
相変わらず構造むき出しで品がない。更にゴム留めだとさ。
ハッチバック窓の目隠しもダンボールのままです。やれやれ

昨日のシソ塩漬けを食べてみたが・・・なんか香りが少ないなぁ
熟成が進むと違うのか?

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長崎旅出発は明日で良かった。
ここ暫くの戦車デバッグなどで結構疲れが溜まっているらしく、本日はだるい。