イルカセンターから東進し天草市に入り8:40頃天草キリシタン館へ到着
天草四郎像
だけど実際の天草四郎を描いた絵は無い。
(引用元)
天草四郎の乱について時系列に詳しく当時の状況が展示され、屏風絵の細かな解説もあり非常に興味深かった。
また少年使節団の長い旅やその先で出会った日本人奴隷のこと、少年たちの後日談なども面白い。
この画像はこちら↓から拝借
この御旗を描いた絵師「山田右衛門」の寝返りだとか、徳川方の指揮官の情けない状況とか戦闘中の原城阯の絵図だとか、なかなかおもしろい。
11時過ぎまで見学
最高の場所へ車を停めることが出来ました。
本日で帰るのでガソリン満タンにして高速へ向かう。
天草五橋の1個だと思うが泊まって撮影できない。ガードレールも邪魔して・・・
いい景色だったんだけども残念です。
通過地点にあった変わった建物
調べると三角港フェリーターミナル
内部構造が面白いのでいかなかったのは少し残念です。
食傷気味で天草四郎ミュージアムは行きませんでした。
14時ころ 途中あった道の駅「不知火」にて休憩
晩飯を購入(帰宅後に食べました)
松橋インターに乗り高速で一気に帰ります。
関門橋を17時通過
帰宅がちょうど20時でした。
走行距離は1450km、9日間の旅が擦過痕少々だけで無事終わりましたとさ。
下道が多いので燃費は14km程度と伸び悩み。普通は冬場で12kmだったかな?
9日走り続けたけどそんなに疲れることもなかった。
先を急がない一人旅だしストレスもなかったのだろうな。
これで長期旅行の訓練にもなった。
お疲れ様
と、ここまでブログを書きおえたのは2023年1月1日の夜23時
もう2ヶ月も前のことで少し記憶も曖昧な部分があったがなんとか。
あれこれ調べて確認しつつ書いてるので再勉強にもなりますね。
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亡き父が言っていた「キリスト教は奴隷の宗教だ」という言葉
「”奴隷精神”を持つ者が信じる宗教」なのかとずっと思っていたが、多分そうではなかった。
奴隷を作り上げるために都合の良い考えをを植え付けるための宗教
そういう意味だったのだろう。
大正末期生まれの親父が持つ、それまでの日本神道を否定するための宗教としてのキリスト教
嫌っていた理由はそれだろう。
インカ帝国にしても東洋にしても同じ歴史的な背景がはっきり見える。
侵略の道具に使われていることをはっきり認識しつつ、素知らぬ顔をして広めていったキリシタン宣教師の責任は重い。
それに染められた連中の責任も歴史的に見ればまた重い。
自身が考えることを放棄した結果招いた結果
やはり弾圧はやむを得ないものだった。というのが今回の旅で得た私の結論
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