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 年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

雨の日に、記事の整理整頓

2022年12月06日 | 趣味としての漬物
昔に書いた記事で、回想法ということで、誤字、意味不明な分を直しつつ再度アップしてみたい。
 大根河岸
大根河岸は東京都中央区の銀座のとなり、京橋から比丘尼橋(中央区八重洲2-11)にかけての約200mの区間である。築地市場の青果部は京橋にあった大根河岸の市場が昭和10年に移転して発足したもので、すでに70年余の歴史になる。“京橋大根河岸”(中央区京橋3-4)の碑に書いてあるように江戸の京橋にあった市場に大根の入荷が多かったためである。
 江戸時代から明治、大正と大震災まで、銀座という街とともに親しまれたのは、銀座の北の入り口に庶民のための青果市場があった。現在でも野菜の大根は青果市場では重要な位置を占めている。

三白という野菜は大根・白菜・キャベツのことで、漬物用としてはキャベツは少ない。ドイツではキャベツの発酵した漬物がある。日本のダイコンの歴史は古く、品種も多いし、加工する漬物としてタクワン漬がある。また料理の種類も多い。
八重洲2丁目 比丘尼橋(現在名は城辺橋)は、江戸城東側の外濠より流れ出る京橋川に最初に架かっていた橋である。比丘尼とは、出家した尼僧を指したが、江戸時代には尼の姿をした私娼のこともいい、この橋の近くに比丘尼宿があったため橋の名前がついたといわれている。
 広重? 「名所 江戸百景より」
びくにばし雪中

喜田川守貞の近世風俗志には「今の世、獣肉割烹の店,招牌の行燈等に必ず山鯨と記すこと三都しかり也」と出ている。山くじらは、獣肉全般を指すこともあったようで
歌川広重?の浮世絵「名所江戸百景 びくにはし雪中」の中に、雪景色を背景に山くじらと書かれた大きなのぼりが描かれている。また同浮世絵の中の「○やき」とは焼き芋の屋台のこと。また十三里とは川越産の芋のこと、江戸より川越まで十三里、
栗(9里)より(4里)うまい  9里+4里=13里
 大根河岸と芋の関係は川越との新河岸川舟運の歴史のつながる。大根河岸は新河岸川にも2ヶ所ある。北区赤羽3-27地先(袋村河岸)、板橋区小豆沢4-27(小豆沢河岸)
江戸時代は今より平気で(放屁)の話が会話に出てくる。風刺画で屁のガスが大砲のように書かれ、吹き飛ばされている。川越は焼き芋のイモの産地と知られ、食した後の放屁を比喩されている。

 結構間違っている所もあって、18年の歳月を感じる。キムチで・寄生虫事件が中国と韓国で勃発し、今でもキムチの言葉とか発祥地争いが続く。この騒動のとばっちりが日本の漬物業者を直撃した。戦後の朝鮮漬の流れで、不景気になって価格競争となり、キムチのタレで一夜漬の白菜漬にキムチのタレを混ぜて白菜朝鮮漬として販売した。そこから韓国風に白菜の葉の中に薬味等を挟み込む丁寧な味付けと、熟成発酵した朝鮮漬を従来の手抜きした商品と差別化するため韓国風の名前の付けて販売単価を上げた。
 ところが韓国風の名前が付いていたため、寄生虫キムチ騒動で売り上げが減少した。そこで日本の漬物業者が節操もなく、韓国産と区別するため(和風キムチ)と国産白菜使用と表示し、韓国のイメ―ジのあるキムチの売り場を排除した。量販店のバイヤ―も漬物の中でキムチの売上が占める割合が高く、売り場を空けておくことは出来なかった。今は再び韓国アレルギ-が消えマンネリ化した日本キムチから韓国産キムチを取り戻しつつある。
コメント
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