年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

本当の人生は75歳から始まるかもしれないと思うようになって来た

2024年06月09日 | 宅老のグチ
日本の敗戦後に生まれた団塊の世代が75歳を超えて、愕然とした様子が彼らのブログやユーチュ-ブの動画で見ることが出来る。その意思表示は加工されていても、同感する部分があって、75歳は節目の年であることを感じる。
 厚生労働省の統計で75歳の平均余命が令和2年で男性が12.56歳、女性が16.22歳となっている。表面上では、男性は75歳の時点でまだ13年程生きられるからと思うが、いざ銀行ロ-ンを計画し、死亡時に生命保険で迷惑をかけないようにと思うが、生命保険の加入できる年令ははるかに若い。宣伝している葬儀費用の生命保険も300万円程度で、この保険の内容は保険に入ってすぐ死去した人しかほぼ無駄な保険で詐欺に近いとおもう。この様な現実を知ると不動産取得で勝ち組という高齢退職者も家族の構成と地域の変化で転居を考えるとロ-ンが組めない現実に驚く。仮に担保物件があっても、相続の問題で銀行で単独では無理と感じる。75歳は会社社会と分断されていて、将来の計画は現金が無いと自己の所有する不動産を処分し転居することとなります。これはロシア人形のマトリョーシカのようで転居するたびに家が小さくなる。

ロシアの代表的な民芸品、マトリョーシカは木製人形です。 胴体の部分で上下に分割でき、中には少し小さい人形が入っています。 これが何回か繰り返される「入れ子」構造になっており、次々とお人形が出てきます。つまり転居するたびに資産が小さくなってゆきます。これが75歳以上の現実で最後は畳1枚の広さのベッド生活となる。それ以前の高齢者の有料施設の宣伝でも43平米程度で、単身ではもっと狭い。共同部屋ではさらに狭い。日本では高齢者の不動産の勝ち組は存在しない。あるのは先送り。谷中墓地で日本史に残る人の墓が無縁となり、東京都の公示があった。江戸時代の高名な儒者の墓もほぼ無縁に近い。
正岡子規はフトン一枚で結核の末期を過ごし、新聞日本にコラムを書いた。フトン1枚では頭の中は広い。
 子規の病床六尺、これが我世界である。しかもこの六尺の病床が余には広過ぎるのである。僅わずかに手を延ばして畳に触れる事はあるが、蒲団ふとんの外へまで足を延ばして体をくつろぐ事も出来ない。

 75歳の後期高齢者は日本の近現代歴史で最も平等な世界で間も無く死ということに対峙する。何もしなくても世間的には保護される。ここがうっとしいのが生きる目的が消えた人で死というのが自死以外は他の人を犯罪者にする。自死でも他の人の心を傷つける。なぜ死に急ぐのか。遅かれ早かれ人は死ぬ。
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