年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

特攻遺族扱いされ20年目の命日に墓参り・台湾新総統就任日

2024年05月21日 | 宅老のグチ
 息子が転職の合間にバイクで東京から九州一周の旅に出たのが20年ほど前だった。その時に南九州市知覧町にある特攻慰霊館に寄るように伝えた。九州から電話があって、慰霊会館の1036名の特攻隊員の写真の位置が判らないとあった。そこで係の人に武州川辺村出身と伝えた。すると係の人が特攻した命日に訪問するとはと言って、いきなりその日から特攻遺族扱いとなった。それから数年は慰霊祭の案内が来ていたが、一度は慰霊祭に派遣してみようとなり、様子見となった。戦争礼賛という式でないことを確認して、その後に慰霊祭に都合の付く時は参加するようになった。自分が参加したのは令和の始まりの築地移転後の5月3日の慰霊祭は交通費・宿泊費を入れると海外旅行並みの費用でさらに飛行機のチケットが取れず、熊本空港で降り、九州新幹線で鹿児島中央へ行った。令和の始まりだからもう5年は経っている。今年は家族と老柴犬の様子がおかしく、早々と慰霊祭欠席の返事を出し、航空券の安くなったときに知覧へ行くことを計画している。この代替え案として叔父の墓を20日に訪問することにした。昨年に春日部市の郷土資料館を訪問し、叔父の特攻記録のの本を寄贈した。すでに地域では忘れられた人物となり、記録もない。
 そんな状況で菩提寺の住職さんに祈祷と塔婆をお願いし、雑談して外に出ると上空を旅客機が飛んでいた。羽田空港行きという。その日の夕方以降に断念したテレビに出ていた叔父の特攻前夜の集合写真の検索を再度行った。検索用語は 中田・特攻・台湾と言葉を入れ検索すると、習志野市の市民広報誌キラコのエッセイを連載している人だった。早速知り得たメ―ルアドレスにこちらの情報を入れ送信すると返信が来て、交際が始まった。この墓地に行くたびに何かの事象が起き、資料探しのヒントが出ると今では信じるようになった。まだ叔父の霊魂というのがあるならばまだ彷徨っていて生きている人を悩ませていると感じる。
 新聞を読むと台湾の新総統が5月20日に就任したようだ。これも偶然か必然なのだろうか判断に悩む。

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