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 年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

京ひな人形のふすまの下張り

2022年09月09日 | 宅老のグチ
一時転居で家が狭くなり、断捨離ということで、妻が嫁いだ時持ってきたひな人形を処分することになり、もったいないと意見が出て、ひな人形だけ残し、東京でいうひな壇を処分することになった。言い伝えでは京都の丸屋というところの制作で明治年間の製造のようだ。はっきりした年代は箱の外のカバ-となっている取引の記録の処分の用紙が使われていて、明治とわかる。由来は知らないが明治末期の不況で手形の連帯保証人となり没落したという。そこで助けてもらった商人から婚礼の持参のひな人形を頂いたようだ。
 さて処分するにあたって区の基準の大きさにひな壇(御所風)を解体したところ、明治の12年9月27日から10月4日までの滋賀県コレラ患者数の記録が書かれた紙が金屏風の下張りとして張られていた。思わず処分を忘れ読みふける。滋賀県の記録では前週よりの持越し患者が26人で今週の新規患者が13名という。ほぼこの時期の通達記録が下張りとして使われているので人形の御所風の館の製造地は滋賀県内と思われる。年代から明治12年以後だろう。別の所から明治15年の紙もあった。昔は紙が貴重品でさらに今よりリサイクルの精神があってすぐにゴミとならないことを実感する。
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