年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

草戸千軒の消滅を思い出す水害

2018年07月21日 | 宅老のグチ

今年も梅雨末期の大雨で大水害が生じた。比較的災害の少ない瀬戸内でこの様な水害が起きるとは。200名を越す死者は最近の台風でもない。

 

草戸千軒の遺跡を知ったのは桶と樽の歴史で九州で筒型の井戸の崩落を防ぐものが見つかり、次第に東へ向かった。丁度九州と京都の中間である草戸千軒遺跡で見つかり、いきなり京都まで行かなかったようだ。水の多い日本では井戸を深く掘る必要性が少なかったかもしれない。

 

 京都のところまで井戸の囲いの技術が来た時、渡来した木材を加工するカンナによって水漏れの無い樽が作られた。税収の基盤の弱い室町幕府は壷による酒造に税金を掛けた。樽で酒造することによって課税を逃れた。徴税官が来た時樽は解体できた。この酒税は平成の今でも続いている。

草戸千軒遺跡は日本のポンペイといわれる。今度の水害で土砂によって埋まることを確認した。

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