チューリヒ、そして広島

スイス・チューリヒに住んで(た時)の雑感と帰国後のスイス関連話題。2007年4月からは広島移住。タイトルも変えました。

元旦の散歩、バンビ記念像

2005年01月02日 01時51分51秒 | Weblog
新年ということで、ベルン訪問記を中断して、こちらの新年の様子について書くことにします。

とはいえ、こちらの大晦日・元旦は至って「普通」です。もちろん1年の区切りということで、色々特別なことはあるのですが、日本に比べると、クリスマスのほうが大きなイベントであって、大晦日・元旦は、単なる休日の一つという感じすらします。日本と逆で、家族が集まるお祝いはクリスマスで、大晦日は友だちと一緒にパーティなどして楽しむ時になっています。うちの娘も友だちの家にお泊りに行ってしまい、残った息子と我々夫婦の3人で大晦日の夜を過ごしました。紅白歌合戦もなく、静かな大晦日でした。

(ついでに: 日本では、25日を過ぎるとさっさとクリスマスツリーを片付けてしまい、新年に備えようとしますが、こちらではまだツリーは「健在」です。1月6日の「公現日」まではクリスマス・シーズンというわけです。ここにも、クリスマスと元旦の「力関係」が日本と西欧では違うことがうかがわれます。)

大晦日は早めに店が閉まり、夜になってからは、午前0時の前後にチューリヒ湖で盛大な花火が上がりました。時間が遅いので我々は見に行かなかったのですが、音だけはいつまでも「ボン、ボン」と聞こえていました。チューリヒのローカルテレビ TeleZueri が生中継するというのでチャンネルを合わせていたら、直前になって、地震・津波の犠牲者に対する追悼の意味を込めて、今年は花火を映しません、とのこと。ならば、中継そのものをやめれば良さそうなものなのに、中継はしているから、音だけはちゃんと聞こえてくるわけです。なんと中途半端な。

元旦の朝も静かなものです。日本なら、初詣の人手でどこも賑わうところですが、ここではそんなこともなく、我々も、昼からちょっと散歩に出たくらいです。

スケートボードを買ってもらった息子は、歩道でその練習に懸命。我々はその後ろをついて歩きます。その途中で見つけたのが、冒頭写真の像。近くによって見ると、「バンビの作者 Felix Salten に捧ぐ」と記されています。ディズニーで有名なあのバンビの作者を記念した像だったわけです。

Felix Salten (本名 Siegmund Salzmann) は1869年ブダペストの生まれ。生まれて間もなくウィーンに引っ越しています。父親の借金のせいでギムナジウムを中退するなど苦労した Salten は、家族の生計を立てるための仕事の傍ら、短編物語や戯曲、オペレッタの脚本などを書いたそうです。戦争の影響で1938年にスイスに逃げてきた後、1945年にチューリヒでその生涯を閉じています。もしかすると、この像がある近くに Salten が住んでいたのかもしれません。

さらに我々は、大学の理系学部などがあるイルヒェルの近くを通り、さらにシャフハウザー広場に向かって歩きました。イルヒェルのあたりからシャフハウザー広場まではゆるやかな下り坂なので、息子のスケートボードもだんだん調子が出てきたようです。

シャフハウザー広場は、複数のトラム・バス路線が集まるところで、普段は比較的多くの人で賑わっているのですが、今日ばかりは閑散としていました。

  閑散とした Schaffhauserplatz。

この停留所は路線によって乗降場所が離れており、乗換えが不便なこともあるのでしょう、下の写真のような電光掲示板が設けられています。何番のトラム(バス)が何分後に来るかを教えてくれるものです。



乗換えがある全ての停留所にこれを付けてほしいものです。そういえば、パリのバス(?)にも同じようなものがありましたね……。

日本と比べれば、拍子抜けするくらい静かな元旦です。