チューリヒ、そして広島

スイス・チューリヒに住んで(た時)の雑感と帰国後のスイス関連話題。2007年4月からは広島移住。タイトルも変えました。

ベルンに行ってきました(2)

2005年01月03日 05時36分33秒 | Weblog
ベルンについた日は、師匠フォレンヴァイダー教授宅で午後いっぱいを過ごし、近くのホテル「ヴァルトホルン」に一泊。久しぶりにベルンでゆっくりできる嬉しさはもちろん大きいのですが、「故郷」ベルンでホテルに泊まるというのは、何となく変な、寂しいような感じでもありました。

翌日の朝、部屋の窓から外を見ると、前日午後から降り出した雪で町は真っ白。情緒たっぷりの光景です。早速我々は、懐かしい場所を訪ねて、あちらこちらを歩き回ることに。

 かつて約3年をここで過ごしたアパートです。僕が最初に留学でベルンに来たのは、1991年の10月。当初は学生寮に住んでいたのですが、その後、92年の秋からこのアパートに移り、95年の9月まで住んでいました。日本風に言えば3DKで、中央駅からもバスで5分という至極便利なところにありながら、家賃が約3万円という信じられない安さでした。外国人と学生に安く貸すことをモットーにしていた大家のおばあさんに今でも感謝しています。その後、大家さんは亡くなられたとのこと。この家に住んでいるときに長男が生まれたこともあり、忘れられない住まいです。

 以前にも紹介したことのある、イタリアレストラン Roemer。アパートの裏手にあり、ピッツァのテイクアウトをしたり、ちょっとビールを飲みに行ったりと、いろいろお世話になりました。主人が気さくな感じで、好きな店です。この日のお昼ご飯はこの Roemer でいただきました。店内は、クリスマスシーズンの特別な飾りつけ(?)がされ、テーブルにつくと、サービスでグラスビールとオレンジジュースが出てきました。久しぶりにピッツァやパスタなどを食べ、昼からワイン。もはや気分は盛り上がってきました。

 こちらは、2回目のベルン滞在(1999年9月から半年間)で住んだアパート。この最上階にいました。ベルン大学神学部の客員研究員にしてもらったのですが、ベルン大学には客員教員用の住居がないので、師匠があちこち当たって見つけてくれたものです。家具まで調達してもらい、最後には掃除まで手伝ってくれるという、ちょっと普通では考えられないような話で、語の本当の意味で「有難い」先生です。なのに、いつまでたってもお世話になるばかりで申し訳ない。

雪のせいで、旧市街もあちこちが白くなっていました。有名なベーレングラーベン(熊壕)も雪化粧。熊たちも寒そうです。(これくらいの寒さでは冬眠しないのですかね?)
 

冒頭の写真は、Rosengarten(バラ公園)から見た旧市街。にょきっと立っているのがミュンスター(大聖堂)です。旧市街も屋根が白くなり、いい雰囲気を醸し出していました。

こうして、懐かしい場所を訪ねて回ったのですが、ほとんどの場所が10年前、5年前とまったく変わっていないことが不思議なような、嬉しいような気分でした。ベルンの旧市街は世界遺産に指定されているので、手を加えずに保存されているわけですが、旧市街以外のところもほとんどがそのままです。変わったところといえば、最初のアパートの向かいにあったもう一つのイタリア料理屋「カルボナーラ」が綺麗に改装していたこと(しかし味はきっと昔のままでしょう。あまりおいしくはなかった記憶が……)、そして、ベルン駅が大きく模様替えして、明るい作りになっていたことです。最初の留学時によく利用した20番のバスが停まる場所も、こんなに綺麗になっていました。
 昔はもっと暗くて、じめっとした感じだったのですが。それと、バスやトラムが赤くなっていたことも。まるでチューリヒの青色に対抗しているかのようです。
 

ベルンのヴァイゼンハウス広場ではまだクリスマス市をやっていました。少し見物して、グリューヴァインを飲んだ後、ホテル Schweizerhof のカフェでおやつを食べることに。シュヴァイツァーホーフは、ホテルこそ5つ星ですが、カフェはそれほどお高くなく、子連れでも入れます。他にも、小さな子どもを連れたグループがお茶を飲んでいました。

チューリヒに住んで早や4ヶ月半。当初は戸惑うばかりで、どうも馴染めない感じだったチューリヒの町にも少しずつ親しみを感じるようになってはいます。しかし、やっぱりベルンのほうが落ち着くのは、住み慣れた町だというだけでなく、ベルンが持つ独特の暖かさ、ゆったりと時間の流れる感じ、小さな町の持つ落ち着きということによるのだと、今回のベルン再訪で改めてわかった気がします。(一応、完)