事件
東京の中野富士見中学2年生 鹿川裕史君が1986.2.1、いじめを苦に自殺した事件。
最近NHKが「ストーリーズ 事件の涙」でこれを取り上げた。
鹿川君の自殺に先立つ前年の11月、クラスで彼の「葬式ごっこ」が行われ、
彼を「送る」色紙に同級生41人が寄せ書きし、さらにそこに担任を含む教師4人も加わっていた。
事件の報道を受け、当時ぼくが受けた衝撃と怒りは今も忘れられない。
「葬式ごっこ」というこの異様な行いに、
教師たちはその背後にある深刻な問題に誰も気づけなかったのか!!と。

( 鹿川君が死の前に書き残したもの )
数少ない友の悔いと涙 35年を経て
当時の同級生もすでに50歳。
NHK取材陣が連絡のつく16人を訪ねたが、
「思い出したくない」「そっとしておいてほしい」・・・と拒否。
が、田嶋俊介(仮名、以下「俊介」と略す)さんは取材に応じてくれた。
俊介は鹿川君とは入学のとき以来の友達。
が、中2のとき、鹿川君が使い走りをさせられていることに気づく。
しかし俊介は「(いじめの)標的が(自分に)変わるのがいや」で鹿川君と距離を置き始める。
そしてある日、葬式ごっこの色紙が俊介にも回ってくる。
俊介は促されるままに「いなくなってよかった」と書いた。
11月のある日、鹿川君の机の上にその色紙が線香などとともに置かれていた。

鹿川君はクラスで爆笑されたあと、色紙に俊介の一文があるのに気づき、こう確かめたという。
「お前、書いたの?これ」
「悪いけど書いた」
「友達だったと思ってたのに」
「すまん」
「信じられねえ」
・・・鹿川君の絶望感が伝わってくる思いだ。
俊介はNHK取材陣に
「(鹿川君の)あの言葉だけは忘れられない」と涙ぐむ。
鹿川君が縊死したのは翌年2月だった。
今なおつきつけられる問題
第三者がこの事件を聞き知って憤りを感じるのは自然なことかもしれない。
ただ、もしもぼくがあのクラスの生徒の一人であったら、
あるいは色紙への寄せ書きを頼まれた教師だったら、
それを貫ける勇気あるいは見識をもちえたろうか?とぼくは自問する。
言うは易しなのだ。
事件から35年、中野富士見中学は少子化対策ですでに廃校。

それでも改めて、この事件の記憶は風化させてはならないとの思いを強くする次第だ。
東京の中野富士見中学2年生 鹿川裕史君が1986.2.1、いじめを苦に自殺した事件。
最近NHKが「ストーリーズ 事件の涙」でこれを取り上げた。
鹿川君の自殺に先立つ前年の11月、クラスで彼の「葬式ごっこ」が行われ、
彼を「送る」色紙に同級生41人が寄せ書きし、さらにそこに担任を含む教師4人も加わっていた。
事件の報道を受け、当時ぼくが受けた衝撃と怒りは今も忘れられない。
「葬式ごっこ」というこの異様な行いに、
教師たちはその背後にある深刻な問題に誰も気づけなかったのか!!と。

( 鹿川君が死の前に書き残したもの )
数少ない友の悔いと涙 35年を経て
当時の同級生もすでに50歳。
NHK取材陣が連絡のつく16人を訪ねたが、
「思い出したくない」「そっとしておいてほしい」・・・と拒否。
が、田嶋俊介(仮名、以下「俊介」と略す)さんは取材に応じてくれた。
俊介は鹿川君とは入学のとき以来の友達。
が、中2のとき、鹿川君が使い走りをさせられていることに気づく。
しかし俊介は「(いじめの)標的が(自分に)変わるのがいや」で鹿川君と距離を置き始める。
そしてある日、葬式ごっこの色紙が俊介にも回ってくる。
俊介は促されるままに「いなくなってよかった」と書いた。
11月のある日、鹿川君の机の上にその色紙が線香などとともに置かれていた。

鹿川君はクラスで爆笑されたあと、色紙に俊介の一文があるのに気づき、こう確かめたという。
「お前、書いたの?これ」
「悪いけど書いた」
「友達だったと思ってたのに」
「すまん」
「信じられねえ」
・・・鹿川君の絶望感が伝わってくる思いだ。
俊介はNHK取材陣に
「(鹿川君の)あの言葉だけは忘れられない」と涙ぐむ。
鹿川君が縊死したのは翌年2月だった。
今なおつきつけられる問題
第三者がこの事件を聞き知って憤りを感じるのは自然なことかもしれない。
ただ、もしもぼくがあのクラスの生徒の一人であったら、
あるいは色紙への寄せ書きを頼まれた教師だったら、
それを貫ける勇気あるいは見識をもちえたろうか?とぼくは自問する。
言うは易しなのだ。
事件から35年、中野富士見中学は少子化対策ですでに廃校。

それでも改めて、この事件の記憶は風化させてはならないとの思いを強くする次第だ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます